第8話:夕陽に沈む胸騒ぎ
――放課後/インサイダー養成学校・中等部・訓練場
その日の放課後。
訓練場の窓から差し込む夕陽が、模擬装備用の剣や防具の列を赤く染めていた。
模擬大剣の刃が光を弾き、床へ長い赤の筋を落としている。
鉄と油の匂いが熱気へ混じり、踏み込む靴底の乾いた音が絶えず耳へ残っていた。
訓練場の端では、生徒たちが模擬装備を手にしたまま黙々と練習を続けている。
掛け声と金属音が行き交い、放課後になっても訓練場の熱はまだ冷めきっていなかった。
「いやー、今日の授業めちゃくちゃ楽しかったな!」
凱が模擬大剣を肩へ担ぎ、そのまま大きく伸びをする。
「モンスターの話もヤバかったし、マナ・リリースもテンション上がるし。はやくインサイダーになりてぇ!」
陽菜は杖を抱えたまま、少しだけ肩をすくめた。
「でも……やっぱりモンスター怖い……ね」
その声に、凱が笑いながら振り返る。
「怖いけど、それでも前に出るのがインサイダーだろ。な、アキ」
「いや……でもワイバーンとか、やばくないか……?」
彰が苦笑すると、凱もさすがに眉を寄せた。
「まぁ、あれは反則だな」
陽菜は胸の前で杖を握り直し、夕焼け色の訓練場を見渡す。
「でも……いつか、ああいうのとも戦うかもしれないんだよね」
近くで誰かが強く踏み込んだのか、床の振動が靴底から脛へ伝わってくる。
三人とも、その音を追うみたいに一度だけ口を閉じた。
凱はその振動を背中で受けながら、にやっと口角を上げる。
「そのためには、もっと強くならないとな!」
「……だな」
彰も小さくうなずき、額をぬぐいながら柄へ触れて握り具合を確かめた。
「それにしても、マナ・リリースでルーンが光ったみたいな感覚、まだ腕に残ってるぜ」
凱は拳を握ったまま肩をぐるりと回す。
「火球だの氷槍だの……はやく撃ってみてぇ!」
「よし――アキ、ちょっと訓練やってみるか!」
凱が模擬大剣を肩へ担いだまま笑う。
「いいね」
彰も笑いながら剣を持ち上げ、軽く構えの形を取った。
「ちょ、ちょっと待って! でも危ないよー!」
陽菜があわてて二人の間へ割って入り、凱はきょとんと肩をすくめた。
「何言ってんだよ。陽菜もだぜ!」
「えっ?」
陽菜が瞬きをした瞬間、凱が彰へちらりと目配せする。
彰は小さく頷き、笑いをこらえながら後ろの棚へ向かった。
「ちょい取ってくる!」
「ちょ、だからダメだってばー!」
陽菜の声が訓練場へ響く中、彰は棚から模擬装備をひょいと持ち上げ、そのまま戻ってくる。
「ほい、陽菜」
差し出されたのは――模擬用の鞭だった。
数秒の沈黙。
「……また!?」
陽菜の声が裏返る。
凱が堪えきれず吹き出した。
「だって似合うだろ! 支援タイプっぽいし!」
「私そんなイメージなの!?」
陽菜が頬を赤くしながら鞭を抱え、抗議するみたいに凱を見上げる。
その様子に、彰まで吹き出した。
「いや……なんか陽菜っぽいのは分かる」
「アキまで!?」
陽菜はむっと頬をふくらませる。
けれど凱と彰の笑いにつられるように、結局自分でも小さく笑ってしまった。
三人の笑い声が、掛け声と金属音の間を縫うように広がっていく。
彰は剣を肩へ戻し、息をひとつ吐いた。
「……模擬戦は、また今度にしようぜ」
「だな!」
凱が即座にうなずく。
陽菜も鞭を抱えたまま、小さく笑った。
「うん。……そうしよ」
やがて静まり、陽菜は表情を引き締めた。
杖を胸の前で立て、握りをきゅっと強める。
(……数日後に、属性判定……か)
彰は無意識につま先で床を二度、叩いた。
けれど、怖さよりも先に、確かめたいという思いが残っている。
「なぁアキ!」
大剣を振り抜く風切り音に、凱の声が重なった。
「お前、何属性だと思う?」
「えっ……俺?」
彰はタオルの端をいじりかけ、苦笑いを浮かべる。
「なんだろうな? 炎とか光だったらいいな」
思いのほか自然に出た言葉に、鼓動がひとつ強く跳ねた。
昔なら、言葉は途中で止まっていたはずだ。
今は、踏み出せる感覚が残っている。
「あー! いいよね。私は光か水がいいな。 もし光とか水なら、回復魔法もあるもん」
陽菜はそっと両手を前へ差し出し、小さく祈るみたいに指を重ねた。
吐いた息がわずかに揺れ、その瞳へ強い光が宿る。
頭に浮かぶのは、街頭モニターで見た戦闘映像だった。
空を駆け、雷をまとい、モンスターを撃ち抜く背中。
炎で結界を築き、避難する人たちを守る姿。
彰も息を吸い込み、自然と背筋が伸びる。
かつてはただ見上げるだけだった背中が、今は少しだけ近く感じていた。
「俺は火がいいな。親父と同じだ! 派手だし、かっけーだろ?」
凱は大剣を肩へ担ぎ、にやっと笑う。
親指で鼻先をぬぐい、そのまま彰へ顔を向けた。
「アキが炎か光希望で、陽菜が光か。……わるくねーな!」
「俺とアキが前出て、陽菜が後ろで回復。いやー、ワクワクするな!」
「おい、アキ! 二人とも火だったら合体技の練習するぞ!」
彰は思わず吹き出した。
「合体技って何だよ! ……でも、連携ならいけるか」
「だろ! 楽しみだな!」
「うん、楽しそう!」
笑い声が訓練場へ広がっていく。
その余韻の中で、陽菜がふと視線を落とした。
「……でもさ」
杖の握りへ指先が少しだけ力を込める。
「適性、なかったらどうしよう」
彰は一瞬だけ目を瞬かせた。
凱も「あー」と声を漏らし、頭の後ろをかく。
「そりゃ、インサイダーになれねーかもな?」
彰が「え?」と一瞬だけ目を丸くする。
陽菜もぱちぱちと瞬きをしたあと、不安そうに杖を抱え直した。
「えっ……そ、そんなことあるの?」
凱は「あーいや!」と慌てて手を振る。
「でも親父が言ってたぞ。適性の高い低いはあるけど、どれか一属性は大体みんなあるってさ」
その言葉に、陽菜の肩が少しだけ落ち着く。
「……それなら、大丈夫かな」
「まぁ、もし適性低くても――やるしかないだろ?」
彰がそう言うと、凱と陽菜が同時に顔を上げた。
一瞬だけ目を丸くし、すぐに笑いが弾ける。
「言うじゃん!」
「うん、アキらしい」
彰は思わず視線を落とし、靴先で床を軽く擦った。
彼らの前でなら、少しだけ誇れる自分がいる気がする。
訓練場の窓から差し込む夕陽は、いつの間にか床の端まで長く伸びていた。
片付けを終えた生徒たちが、模擬装備を棚へ戻しながら少しずつ訓練場を出ていく。
金属同士が触れ合う乾いた音も、夕暮れの空気へ溶けるみたいに静かになっていった。
彰たちも剣や杖を棚へ戻し、それぞれ荷物を肩へ掛け直す。
「陽菜、愛用の鞭戻しとけよ」
「もう! だから違うってば!」
凱が吹き出し、陽菜もむっとしながら結局笑ってしまう。
そのまま三人は並んで校門を出た。
暮れかけの通学路。
夕焼けがビルの窓へ反射し、道の端が金色に染まっている。
さっきまでの笑い声の余韻を引きずるみたいに、三人の歩幅は自然と揃っていた。
その時――
電気屋の店先へ並ぶ大型モニターが、不意に赤い速報へ切り替わる。
〈C地区にてダンジョンブレイク発生 現場にインサイダー部隊出動〉
足が止まった。
映像には、炎と黒煙が立ちのぼる瓦礫の街と、崩れた高架道路の中心で咆哮を上げる巨大なオーガが映し出されている。
三人の間から、さっきまでの空気が一瞬で消える。
そこへ、二つの影が割って入った。
一つは、炎をまとい、大地を震わせる巨躯。
――獅子堂 焔。
もう一つは、黒に近い青の長髪を高く束ねた長身のエルフだった。
反りのない直刀を低く構え、空気を裂くように踏み込んでいく。
画面下へ、遅れてテロップが流れた。
〈Aランク剣士 藤林 楓/ギルド《伊邪那岐》〉
「親父……!」
凱は息を呑み、モニターへ引き寄せられるみたいに一歩前へ出た。
手すりを握る指先が白く変わり、焔の踏み込みへ合わせるように肩が前へ傾く。
「エルフだ……!」
「伊邪那岐の剣の人だよね」
周囲のざわめきが、通りを抜ける風の音へ混ざって揺れていった。
焔の大剣が炎をまとい、地面を叩き割る。
吹き上がった炎はそのまま壁みたいに広がり、避難者たちの前へ弧を描いた。
その横で、楓の足元へ土色の光が一瞬だけ走る。
瓦礫がせり上がり、飛礫を受け止めた。
楓はそのまま直刀を静かに構え直す。
刀身の周囲で空気がわずかに歪み、“もう一振り”の見えない刃――心形剣が重なった。
風が鳴る。
砂塵の膜を裂くように、楓の身体が前へ滑った。
一閃。
遅れて走った不可視の追い斬りが、オーガの首筋を断ち切る。
「速っ……!」
「刀、反りがない……忍者刀みたいだ」
子どもが画面を指差し、その隣で会社員が思わず息を呑んだ。
モニターの光が三人の頬へちらちら反射し、低い駆動音だけが一定の間隔で響いている。
「……すごい……」
陽菜は口元へ手を当てたまま、小さく声を漏らした。
避難する人たちの恐怖と、その前へ立つインサイダーたちの背中。
その両方を映す映像に、瞳がわずかに揺れる。
「……なあ」
凱の声が、夕暮れへ静かに混ざった。
「いつか、俺らもあんな風に戦えるようになれるよな」
「うん。絶対なれるよ」
陽菜が顔を上げ、夕陽へ染まる空を見つめる。
その横顔が、橙の光でやわらかく縁取られていた。
通りの街灯が、ぽん、とひとつ灯る。
根元の細い魔導刻印が淡く明滅し、白い光が三人の影を静かに塗り替えた。
彰は拳を強く握り込む。
まぶしい背中は、まだ遠い。
けれど――
(追いついてみせる)
視線は画面へ張りついたまま、鼓動だけが一拍強くなる。
夕暮れの風が三人の間を抜け、制服の袖口を冷やした。
赤い速報の光は、まだ視界の奥へ焼きついたまま残っている。
(もっと知りたい。色々なことを)
彰は拳を握り直し、三人は歩幅を揃えたまま夕暮れの通学路を歩き出した。




