第1話:終焉の空に、託す声
初投稿となります。
『アウトサイダー』をご覧いただきありがとうございます。
本作は、世界観と登場人物たちの成長を軸に描く長編作品です。
序盤は日常や人間関係を丁寧に描きながら物語が進み、その積み重ねが中盤以降の大きな展開へと繋がっていきます。
少しずつ広がっていく世界と、登場人物たちの歩みを、長い目で見守っていただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
――夜/崩れゆく都市・中央広場
空に、世界の終わりが刻まれていた。
不気味な赤光を帯びた巨大な滅亡時計が、夜空の高みへ浮かんでいた。
にじんだ数列とルーンが脈を打つたび、広場のざわめきが一段ずつ沈んでいく。
――残り、00:02:37。
「嘘だろ……本当に滅亡?」
誰かの叫びが、張りつめた空気を裂いた。
「うわああ!」「押すな!」「こっちだ、早く!」
悲鳴が連鎖する。
押し合った肩がぶつかり、転がったバッグを誰かが踏みつけた。
伸ばされた手は、すべった指先ごと人波へ飲まれていく。
雷鳴が落ちた瞬間、広場の誰かがその場へしゃがみ込む。
数秒遅れて、熱を帯びた風が標識を大きく揺らした。
その向こうでは、ビルの上層階だけがゆっくり傾いている。
誰かの悲鳴が途中で途切れた。
押し合っていた人の流れまで、一瞬だけ止まる。
次の瞬間、白い壁みたいな津波が通りをまるごと飲み込んでいった。
「いやだ! 助けて!」
母親は子を胸へ抱き込み、流されていく背中を必死に追っていた。
伸ばした指先は水を掴めず、泡立つ濁流の中で空を切る。
叫び声が波へ飲まれた瞬間、地面が大きく裂けた。
崩れた足場が沈み、押し流された人影ごと黒い水へ消えていく。
その直後、誰かが見上げた空を巨大な影が横切った。
翼が夜空を覆い、赤い閃光が広場を焼き払う。
「こわい……っ、死にたくない!」
鉄と血の匂いが風へ混じり、広場の空気を重く染めていた。
広場の中心に立つ時計台が、鈍い悲鳴を上げて折れた。
空の滅亡時計にノイズが走り、数列とルーンが赤く乱れながら崩れていく。
――残り、00:01:45。
「終わるのか……本当に……」
地鳴りが広場全体を揺らし、人々の足が止まった。
人の声は、崩壊の轟音に押し流されていった。
◇
――同時刻/崩れかけた高層ビルの屋上
風は熱い。
それなのに、背筋を流れる汗だけが妙に冷たかった。
ふらつく足で屋上の縁へ立った二人の男が、滅びゆく街を見下ろしている。
そのうちの一人――アルトだけは、崩れていく景色から目を離せなかった。
未来を視る力を持ちながら、それでも最後まで「希望」を語り続けてきた男。
協会へ何度否定されても口を閉ざさず、気づけば自分の足で戦場へ立っていた。
仲間と任務を重ねるうち、その言葉も少しずつ戦場で信じられるようになっていった。
――それでも、もう間に合わなかった。
アルトは指を折り込み、拳を固く握る。
崩れそうになる膝を、かかとで踏み止める。
隣へ立つ青年の戦闘服は、黒と青が血に染まり、まだ乾いていない。
幾度も死線を越えてきた“戦友”だった。
荒い呼吸が肩を揺らす。
それでも、視線だけはまっすぐ前を向いている。
風に揺れた髪の隙間から覗く横顔には、まだ若さが残っていた。
「……くそっ」
アルトは奥歯を噛み、息と一緒に言葉をこぼした。
「すまない……っ! 俺が、お前たちに“世界を救える”なんて……そんな馬鹿な希望を……見せてしまったばかりに……!」
「アルト……」
青年は血に濡れた手で、アルトの肩をつかんだ。
掌の温度だけが、痛みより確かに伝わってくる。
アルトはうつむき、唇を噛んだ。
鉄の味が滲む。
滲んだ視界だけは、どうしても収まらなかった。
「……時間が……かかりすぎた……! 協会も、仲間も、最後まで戦ってくれたのに……!」
言葉が喉で途切れた。
遠くでは、インサイダー協会の高層ビルが黒煙を上げながら崩れていく。
赤い閃光が窓ガラスを砕き、そのまま夜空へ火花を撒き散らした。
背筋が跳ねる。
押し殺していた声だけが、遅れて唇の隙間から漏れた。
「……俺は“預言者”だ。未来を視せる力があった! それでも救えなかった。信じさせられなかったんだ……!」
青年は肩へ置いた手に力を込める。
それから、落ち着いた声で短く言った。
「……顔を上げろ、アルト」
強い言葉ではない。
その声が届いた瞬間、止まりかけていた足へもう一度力が入った。
アルトは乱れた息を押し込みながら顔を上げた。
青年は崩れそうになる膝を踏み止め、掌を差し出す。
「行き先も時代も分からない。同じ世界かどうかも怪しい。 ただ一つだけできるのは――”過去”へ送ることだ」
舌の裏が鳴る。
アルトは息をのみ、その言葉の意味を理解した。
固有能力、《世界間回帰》――。
――残り、00:00:40。
「……アルト。君に“回帰”を使う」
「やめろ! 私は行かない!」
アルトは砕けたコンクリートへ手をつき、体を後ろへ引いた。
全身の力が抜けそうになりながら、指先だけで必死に地面をつかむ。
「こんな結末になるくらいなら、君と共に滅びる!」
「違う」
指の力が一度だけほどける。
青年は首を横に振り、短く息を整えた。
「俺たちは、遅すぎたんだ。必死に戦った。信じてもらおうとした。……でも、間に合わなかった」
吐き出された言葉が、熱を帯びた風へ混ざる。
「だから――もし君が辿り着いた先に、“俺”がいたなら。 別の世界でも、同じ世界でもいい。……伝えてくれ」
青年の瞳が、まっすぐアルトを見据えていた。
「君が視たすべての真実を。そして、もっと早く動けって」
アルトの脳裏に、泥と血の中で笑い合った顔が次々と浮かぶ。
剣を共に振るい、肩を貸し、倒れても起こし合った仲間。
信じてくれた協会の人間たち。
ようやく希望を受け取ってくれた人々の顔まで浮かび、アルトは強く奥歯を噛んだ。
滲んだ視界が、うまく合わない。
――あの声があったから、立てた。
――あの瞳があったから、預言者の言葉に意味が生まれた。
奥歯を噛む。
息は乱れたまま、それでもアルトは膝だけは折らなかった。
――残り、00:00:15。
赤い閃光が空を裂いた。
アルトは、その光から目を離せなかった。
青年の周囲へ、青白いルーンがひとつずつ浮かび上がる。
数が増えるたび、屋上の空気が重く沈み、頬へ触れていた風の温度まで変わっていった。
巻き上がった風の中で、空気そのものが軋むみたいに歪む。
それでもアルトには分かった。
あれが、滅びへ抗う最後の光だった。
「……行け、アルト」
擦り切れた声が、風に押されるみたいに届いた。
「これは俺の、最後の賭けだ。……友として、頼む!」
アルトは涙を流しながら、強く頷いた。
「……必ず、伝える。君の願いを」
――残り、00:00:05。
ルーンは数百の輪となってアルトを包み込んでいく。
足もとから風が巻き上がる。
周囲では、時間そのものが軋むみたいな音が鳴っていた。
その中で、青年の口元だけがゆっくりほどける。
血に濡れた顔。
それでも浮かんだその笑みから、アルトは最後まで目を離せない。
「……頼んだ、アルト」
――残り、00:00:01。
光がはじけた。
アルトの身体は時空の狭間へ吸い込まれ、同時に滅亡時計の数字がゼロを告げる。
崩壊の轟音が屋上を揺らした。
それでも、立ち尽くす青年の最後の笑顔だけは、最後まで目を離せなかった。
視界が闇へ沈んでいく。
赤黒い空の中で、砕けた滅亡時計だけがゆっくり崩れ続けていた。




