37 豪人、浮遊大陸を平定する①
―春馬越ノノ視点―
妙だ。
めちゃくちゃ気分がスッキリしてる。
最近は寝てる間なんて無かったし、ときどき健康に配慮して横になったしても、結局眠りが浅いし、覚めも良くなかった。だからこの、すこぶる快調がなんか嬉しい。
――な具合で。今日の朝は珍しくあたしからオニイに挨拶をした。
勢いってもんよね。
あたし的には異例中の異例だ。まさに地球がひっくり返るほど……てな風ではないけど、とにかく自分で言うのもなんだが、スゴク珍しい……と思う。
なのにだ。
オニイは真面目くさったカオで目すら合わせようとせず、「ああ……」と実に実に歯切れの悪い、挨拶にもならない挨拶を寄越した。
せっかく可愛い妹が愛想良く「おはよう」したのにだ。
こんなに光栄なことは無いんだぞ! もっと嬉しがれ、もっと喜べ! っての。
「どうしたのよ朝っぱらから。やたらとテンション低いじゃん」
「お前はやたらとゴキゲンだな。便秘が治ったのか」
「アッホか、バカ兄貴! セクハラで訴えてイビリちらすぞ?」
「言ってるイミが分からん。……そうか、もしかしたら、久しぶりに前世の想い出の場所に来れて嬉しいのか? それなら良かったな」
う。何よ、コイツ。人をおちょくったり、真面目に優しくなったり。この情緒不安定オトコめ。
メイド型の魔導人形(――と言っても能面だけど)がトレイを運んできた。朝食だ。お礼を言って引き取る。
さて。
食堂を使おうかどうしようか思案したら、オニイが「一緒に食べよう」と誘うので別に断る理由も無いし(逃げるのも癪だし)、背中について行った。
食堂を素通りし、上階への階段を上がりはじめたから、あたしはまた揶揄われたと頭に来た。
「いい加減にしてよ! 何処に連れてく気なのよ!」
「屋上だよ。そこで食べよう」
「お、屋上……?」
研究所の屋上は三角屋根だが、そこに切り込みが入っていて、谷のようにしたスペースに、ベランダ風の物干し場が設えれていた。
そこはとても狭い空間だった。
だけどあたしは、オニイの「屋上で食べよう」との提案のせいで、階段を上がっている途中からワクワクを止められなくなっていた。その内訳は緊張と懐かしさ、その両方で、体の内側から溢れる得も言われぬ高揚感だった。大げさでなく、視界が潤むほどの感覚だった。
つまりそこはその昔、前世のあたしが大好きな場所だったのだ。
当時のあたしは激務の合間、今と同じようにトレイを持ってここに訪れ、空を眺めたり、風を受けたりして和んだものだった。
そんなの忘れるワケないよ。
いつの間にオニイは、この場所を見つけたんだろうか。
あたしが気に入りそうだなって予想したんだろうか。それはそれでキモイ。
自分が気に入ったからだろうか。それもそれでキモイ。
「オニイ、早く、早く」
階段の突き当りに数段の梯子があり、梯子の最上段で天井板が開く。
当時のままだ。オニイ、よく知ってんな。
そこに物干し場があったが今は使われていないよう。
だが、それでもよく補修されていて、当時の面影をそのまま遺していた。
あたしは自分の中でもったいぶってから、「ブワアッ」と、楽しみにしていた空を見上げた。
「あーきれいーッ!」
一つの雲もない。
だってここは浮遊大陸。雲の上。
東に昇る太陽を遮るものがない。
中天にはふたつの月。双子月。迫力まんてんの月。
この月の引力のおかげで、浮遊大陸がこうして空と地の間に存在している……そう強く実感させる大パノラマを堪能。
やっぱりここは天国だよ。
「んふふ」
幸せな気分に浸っていると。
「なあ、ノノ」
「……なに」
「ヤーン博士な、たぶん死ぬ」
ん?
なんですって?
オニイの言語を分析する。
読解に時間がかかる。心の切り替えにもたつく。
「……は? ……アンタ、殺ったの?」
「なんで僕が! ちゃうわいッ! 敵対する魔導人形のリーダーにだよ!」
オニイの狼狽ぶりから察するに、8割の本心と2割の想像を混ぜてしゃべっている。知らんけど。
あたしの長年の経験がそう仮定した。
「説明不足よ。もちっと順序だてて話してよ!」
オニイがビビって後ずさりした。
アレ?
あたし何かイライラしてる?
オニイの言ってることを真に受けてるっての?
いっつも在りもしない妄想とか情緒不安定な言動を繰り返してる、オニイの言葉だよ?
オニイからヘンタイを引いたらマイナスしか残んないんだよ?
ヤーン博士がピンチなの?
マジに言ってんの?
オニイが更に話し始めたが、ちっとも耳に入んない。
けどアタマはすこぶる冷静……のつもり。冷静ぶってる。
ダメだ。声、ゼンゼン届かない。
「あーもお、要領悪い説明よね! あたしこの後、博士と打ち合わせの続きがあるんだけど?!」
「だから。その博士が――」
「ウルサイっての! 元上司がどうなろうとあたしには知ったこっちゃないの、あたしはあたしでしなくちゃいけないコトがあるの! オニイの報告なんて聞いてられないのっ!」
フーッフーッ。もーっ、イライラするっ。
オニイの手があたしの野球帽に乗っかった。
そのまま手前に引き寄せられた。
オニイの胸に、あたしのカオが引っついた。
「なあっ? ナニすんのよッ!」
「落ち着け。……悪かった。訂正するよ。博士は単身で敵対する魔導人形のアジトに向かった。いまあの人は正念場だ。無事の帰りを祈ろう」
カアーッと頬が熱くなった。
オニイを突き放し、正拳突き。クリーンヒットし「はがっ」と鼻血ブーするオニイ。
「痛ってえなあ、オイ!」
「イタイじゃないわよ! なんで独りで行かせたのよ!」
「ヤーン博士が希望したからだよ!」
「じゃあ! アンタは博士が死ねって言ったら死ぬの?!」
「小学生かッ! 僕は博士の意志を尊重したんだよ!」
クッとセリフを呑んだ。
「どこに行く?!」
「連れ戻すのよ! 作戦も何もあったもんじゃないッ!」
あたしに黙って、オニイにだけ告げて出発した。
なんてジーサンだ。
無性にイラついた。
「あ」
突然思い当たった。
昨夜の睡眠だ。よく眠れたと思ったけども……。
「……あんのジジイ、さてはクスリを仕込んだわね……!」
ギリギリと歯が鳴った。
オニイがブルブル縮こまっていた。
……オニイはオニイで色々考えたんだと思う。
あたしにどう報告すべきか、きっと悩んだに違いない。
最大限にあたしに気遣ったんだろう。
でもそれはそれ。
「――で? ヤーン博士はなんて?」
「……えーと。帰りのお土産は何がいい……と」
「アッホかーッ!」
鼻血面の頬につい、ビンタを張った。……つい、ね。
オニイ、とうとう昇天。




