妖精の恋人 6
シモンと、その後にシェリーが続いて町の大通りを進む。路地裏に入り、裏通りへと抜ける。
町の中心地から離れ、ほどなくして、ケネスの家の前に立った。
シモンはドアノッカーを掴んで、コンコンと玄関扉を打って待つ。
しばらく時間を置くも、扉の内側から返事はなく、人の動く気配もない。
「留守、かな?」
もう一度、ノックするべきか。
もしかしたら、体調が優れずに横になって休んでいるかもしれない。
それならば、何度も扉を叩くのは迷惑になるのでは……。
少しの間逡巡し、決めかねたシモンは足許のシェリーに困惑の眼差しを向ける。
「どうしよう、留守かも。でも、もしもケネスさんの体調が悪かったら……。ケネスさん、扉に鍵は掛けていないって言っていたけど……」
「今すぐ帰るのでなければ、さっさと扉を開けなさいよ」
目を細めて、軽くシモンを睨めつけたシェリーは、ふん、と鼻であしらい一蹴する。
シェリーに促されたシモンは、小さく頷いて、もう一度ドアノッカーで扉を打つ。
……扉一枚隔てた向こう側は、静かなままだ。
シモンはドアノブに手を掛けて、そぅっと押し、扉を薄く開いた。
――どこか、部屋の窓が開いているのか。
扉の隙間から緩やかな風がシモンの頬を撫でて、外へと流れ出て行く。
「……ケネスさん、シモンです。パンのお裾分けに――」
気まずさから扉を開け切らずに、隙間から声をかける。
ちりん。
シモンの足許から、シェリーが部屋の中へと身体を滑り込ませた。
「あ、シェリー……!」
大声を出すわけにはいかず、シモンは声を潜ませ咎める。
けれど、小さな銀色の背中は立ち止まることなく、部屋を流れる風に導かれるように、まっすぐに奥へと進んで行く。
ちりちりと、澄んだ鈴の音を響かせながら、遠ざかっていく。
ほんの刹那躊躇して……、シモンは覚悟を決める。家主の返事がないまま、扉を大きく開けると屋内に踏み込んだ。
入口にほど近いキッチンに歩を進めたシモンは、視線を巡らせ様子を窺うが、人の気配はない。
抱えていたパンの袋をテーブルに置いて、家主の名前をおずおずと呼ぶ。
「ケネスさん……?」
ちりん、と涼やかに透明な鈴の音が、静寂に包まれた部屋でひときわ大きく鳴った。
音に釣られて目線を上げたシモンは、ゆっくりと部屋の奥へと視線を這わせていく。
リビングの先にあるベッドスペースの、更に向こう――。
「ここよ」
床に腰を下ろした、シェリーの静かな声。
部屋の一番奥、採光を兼ねて取り付けられた大きめの窓は開かれ、陽光が柔らかに差し込んでいる。
陽光を浴びたシェリーの銀の被毛が煌めき、彼女のシルエットを縁取る。
俯くシェリーの足許、落とした視線の先に倒れている人の姿があった。
彼は、シェリーがすぐそばで声を発しても、ぴくりとも動かない。
――ケネスだ。
「……っ!」
肺がきゅっと萎縮し、息をすることを忘れた。
驚愕に目を見開いたシモンは、表情を強張らせ、思わず両手を胸の前で硬く握る。
恐怖で竦み上がり、全身の血が抜け出てしまったかのようにシモンの身体が温度を失う。
一歩も動くことができず立ち尽くすシモンに、シェリーは顔を上げて視線を寄越した。
「大丈夫、生きているわ。……思っていたよりも状態は悪いけれど」
「すぐに、お医者さまを……!」
「無駄よ」
身を翻し、部屋を飛び出そうとしたシモンを、シェリーの硬い声が止めた。
反射的にシモンは足を止める。
医師を呼んでも間に合わないほどにケネスの容態は悪いのかと、振り返ったシモンは身を固くする。
咽から絞り出した声が、悲痛に響く。
「無駄って……!」
「違うのよ。身体が悪いわけじゃないの。だから、医者に診せても無駄なのよ」
倒れているケネスを前にしても慌てる素振りをみせずに、落ち着きを払った声でシェリーは諭す。
まるで、ケネスの体調不良の原因を知っているかの口振りだった。
俄かに湧き出した混乱で、恐怖による緊張が曖昧に緩む。シモンの身体にこもっていた力が抜けて、握っていた手が緩み、指先に温かな血が通う。
それと同時に、ゆるりと思考が動き出す。
「どういう、こと?」
疑問が、浮き彫りになった。
「……」
難しい顔をしたシェリーは、小首を傾げて考え込んでいるようだった。
やがて、小さな吐息を漏らすと、気乗りしない表情で言う。
「とにかく、あなたの魔力の性質は、生命力の活性化も兼ねていたわよね。もう治癒の術は使える? 生気を……、生命力そのものを奪われて衰弱しているから、助けたいのならそっちの方が医者よりも有効なのよ」
「あ……、うん。使える!」
当惑していたシモンの顔に、一筋の光明が射す。
自分にできることを見出したシモンは、倒れたケネスのそばへと駆け寄り、彼の胸の前に膝をつく。
だが。
覗き込んだケネスの血の気のない白い顔に、心許ない細い呼吸に、忍び寄る冷ややかな死の影を感じてシモンはたじろぐ。
自信は、なかった。
力が及ばなければ、目の前でケネスを亡くしてしまうかもしれない恐怖と重圧が、肩に、背中に重く圧し掛かる。
シェリーが、ぴたりとシモンの隣に寄り添い、並んでケネスを見据えた。
「今、この場で死なせたくないのなら、止まらないことね。……先に魔力を注ぎ込むの。まだ、身体が回復しようと働いているのなら、治癒の術との相乗効果が見込めるはずよ」
指示するシェリーの声は、淡々として揺れることのない、力強いもの。
深く呼吸をすることで、シモンは平静を取り戻す。
「うん……!」
ひとりだったら、身体が竦んだまま何もできなかったかもしれない。
シェリーの存在に支えられ、表情を引き締めたシモンは、魔力を込めるためにケネスの胸許に両掌を当てた。




