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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
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紛れ込んだ物 15


 ――孤児院から戻って数日後の深夜。

 

 一日の仕事をきっちりと終えたシモンは、小さな炎を点す手燭(しゅしょく)を手に、真っ暗な自室へと足を踏み入れる。

 ちろり、と揺れる柔らかな炎が、ほのかに部屋を照らした。

 部屋の奥にある机へと歩を進め、机上に手燭を置いたシモンは、窓のカーテンを引いて閉める。壁に貼ってあるアニーの絵を見遣り、ほっと一息を吐いた。

 毎晩の日課のように、絵を描いてくれた少女を想う。

(アニーたち、どうしているかな……)

 絵を眺めるシモンの顔が陰り、憂愁に彩られる。

 孤児院から魔物はいなくなったが、人攫いが現れるという問題は解決されず、まだ村とは確執を残したまま。

 交渉の席でオスカーが、問題解決のために村の人たちと話し合わなければならないと、そう言っていたことを思い出し、シモンは、話し合いが良い方向へ向かうように心から祈る。


 着衣を脱いで寝衣に着替えたシモンは、蝋燭に点る炎を吹き消して、使い慣れたベッドに身を投げ出す。ころんと寝返りを打ち、大きな枕に顔を埋めて小さく揺り動かすと、居心地の良い窪みができた。

 掛布団を手繰り寄せて潜り込むと、ひんやりとしたシーツが薄い寝衣越しに肌の熱を受け止める。徐々に馴染んでいく温度が心地良い。

 全身から力を抜いて深く深呼吸をすると、気持ちも緩んで、とろりと瞼が重たくなる。

 気兼ねなく悠々とくつろげる自室は、やっぱり……。


 ――落ち着く……。


 孤児院ではセオバルドと同室になったために、女性であることがばれないように、細心の注意を払った。

 ベッドに入る時は、胸に薄布をきつめに巻いていたし、セオバルドの寝息が聞こえてから眠りについた。朝は彼よりも早く起きて、着替えはもちろん部屋でせずに、他の人気のない場所で済ませた。

 完璧だった。

 一つ危機を乗り越えたと、シモンは瞼を閉じる。


 不意に。

 気を失いそうになったところをセオバルドに抱き留められ、彼を抱きしめてしまった時のことが鮮明に瞼に浮かび、ぱちっと目を開く。

 シモンの顔がかぁっと火照り、耳朶まで熱を持つ。

 寝返りを打ち、横向きに小さく身を縮め、動悸の早くなった胸に手を当てて押さえる。

 深呼吸をして落ち着ける。


 あれは、違う――。

 シモンは、胸の内で唱える。

 セオバルドを抱きしめたのは、不安定な体勢を立て直すために掴まっただけ。

 そこにいたのがシェリーだったとしても、同じことをしたはず。

 それに。

 セオバルドが自分を抱き留めたのは、――そう。

 何の気なしにふらついたローラを支えたことや、年下のアニーを抱き上げた時と一緒。

 同性として、だ。

 髪を三つ編みにして垂らし、頬を朱に染めて恥じらうローラは、年相応の少女そのもので可愛らしかったが……。


 目を瞑って、シモンは片手を頭に伸ばして髪に触れる。

 長いのは前髪だけ。襟足までしかない後ろ髪を一束指で摘まんで、つん、と引っ張る。

 短い。あまりにも。

 瞼に浮かぶ、ローラとは違う。

(男にしか、見えないから……!)

「……大丈夫っ!」

 声にすることで、心に渦巻く羞恥心や疑念を封じ込めたシモンは、ほぅ……、と小さな吐息を洩らす。


 けれど。

 心の奥底に、どろりと(わだかま)る暗い澱のようなものが残った。

 セオバルドとシェリーに性別や名を偽り続けることで徐々に大きく、重くなるもの。

 彼らと会話を重ねて、良くしてもらえばしてもらうほど、はっきりと色濃くなる罪の意識。

 ……罪悪感だ。


(先生と同室だった時に言えていたら……、いや、あの時は無理)

 出会った時に話せていたらと、過ぎた過去に思いを馳せ、または本当のことを告げる未来を想像して、ぐるぐると考えは迷走する。

 ちらり、と脳裏を掠めたのは『孤児院で、住み込みで働かせてもらえば』というシェリーの言葉。

 夜闇が満ち満ちた部屋で、壁に貼られたアニーの絵がある辺りに視線を投げる。

(いっそのこと、嘘がばれないうちに少年としてここを出て、どこか別の場所に……)

 逃避。

 そんな考えを打ち消したのは『この先も、君と過ごしていくために』というセオバルドの言葉。

 教会に転がり込んだ時――。名前と性別を偽った時は、教会(ここ)に置いてもらえるとも長くいることになるとも思っていなかった。とはいえ、元は自分の都合でついてしまった、嘘。

 真実を知られるのが怖いからと、逃げ出してしまうことは無責任に思えた。

 迷いと後悔を持て余したシモンは、小さな溜め息を漏らして……。

 答えを出せないまま、微睡む。


 かち……っ。


 無音だった部屋に、小さな硬い音が響いた。

(……ん?)

 深い眠りに沈み込もうとしていた意識が呼び戻され、シモンはうっすらと瞼を開ける。


 かち、かち……っ。


 机の隣にある窓の辺りから、繰り返し聞こえる音に、眠気が遠のく。

 窓硝子に小さな石粒が当たるような、小動物の爪が叩くようにも聞こえる硬い音。

「……何?」

 この教会には、黒い影も靄もない。

 魔物が出たこともない。

 音の正体を訝しむシモンは、眠気に気怠さを覚えながら、カーテンの閉められた窓に首を巡らせる。

 シェリーではないだろう。彼女なら、シモンの部屋の窓硝子を爪で叩いたりしない。

 小鳥か、リスだろうか。――否。今は深夜だから、小鳥もリスも活動していない。

 それなら、ラクーンかもしれない。

(あ、ここ二階だった)

 眠気で働いていない自分の頭に、シモンは失笑する。


 ラクーンでなければ、キツツキや梟、シェリー以外の猫かもしれない。

 昼間には見られない、可愛い生き物が見られるかも。

 頬を緩めたシモンは、ほんの軽い気持ちで音の原因を確かめようと上体を起こし、ベッドの上から足を滑らせて床に下りた。

 音のする窓は、机の隣。

 シモンは机上にある燭台の前に立ち、指先を擦り合わせて火種を飛ばして、蝋燭に炎を点す。柔らかな灯りに照らし出されたカーテンを、片手でそぅっと開いてみる。

 窓硝子に顔を近づけ、カーテンの隙間から夜の一色(ひといろ)に染まる屋外を覗いた。

 硝子越しに張りつくものが、蝋燭の薄灯りに、ぼぅ……、と浮かび上がる。

 ゆらゆらと楕円の頭を前後に揺らし、表情のない魚を思わせる大きな目玉を、窓硝子にかちかちと打ち付けるもの。

 間近で、『それ』と目が合った。

 

 ――窓を……、開けてくれ。


 艶のある大きな黒目は蝋燭の灯りを湛え、そんなふうに訴えかけてくるようだった。

 何故か。

 『それ』の首は、白い帯のようなもので、きゅっときつく絞められている。

 長めの手足が不規則に、力なく窓硝子を撫でる様子は、まるで気味の悪い大きな虫のよう。しきりに部屋に入り込もうとする『それ』が何であるか、シモンは認識する。

 マシューに預けたまま忘れてしまった、お守りだ。

 全身が総毛立つのと同時に、シモンの思考は停止して真っ白になる。

「ひっ、……きっ」

 息を吸い込みながら小さな声を上げたシモンは、湧きあがる嫌悪感から上体を反らせ、わずかに窓から離れた。


 かくんっ。

 ぬいぐるみの頭が傾き、首が捻じれて、ぐるんと逆さまになる。

 息を詰まらせ硬直するシモンを、鋭角に首の折れたぬいぐるみは、虚ろな黒目で下から覗き込む。

 どこの角度からでも視線の合う、不思議。

 白い帯に首を絞められ、夜闇に浮かび上がる姿はまさに、首を吊られた――。


「きゃあぁ――――っ!!」

 気が緩んでいるところに、予想外のものを間近で見てしまったシモンは、ものすごく驚いて大きな悲鳴を上げた。

 窓から飛びずさり、床にへたり込む。

(う、動いてる、動いてるーっ!)

 肩や腕の辺りにぞわぞわと悪寒を感じて、シモンは両腕で自分の身体を抱きしめた。


 ととんっ、とせわしなく扉がノックされた。

「シモン! どうかしたのか!?」

 悲鳴を聞きつけてきたのだろう。セオバルドの声はいつもよりも少し早口で硬く、緊張を帯びていた。

 はっと我に返ったシモンは、扉を振り仰ぐ。

「先生! 窓にっ、窓にマシューに預けたまま忘れていたぬいぐるみが! 折れた首を吊って、う、うっ……、動いているんですけどぉっ!!」

 気味の悪さと怖さを伝えたくて、必死に訴えるが――。


「……」

 返ってきたのは、時間が静止したかのような沈黙。

 ややあって、セオバルドが深く長い溜め息を漏らしたのが、扉越しにわかった。

「ユアンのお守り(あれ)か。……驚かせないでくれ。部屋に入れればいいだろう」


 胸の前で両手をぎゅうっと握りしめて、茫然と扉を見つめるシモンは、うっすらと口を開いたまま固まる。

(えー……?)

 ぬいぐるみが動くことは、驚くにも値しない普通のことで。

 驚く自分が普通でなかったのかと、シモンはわからなくなる。

「シモン? 何なら一度見るが……、部屋に入っても大丈夫か?」

 シモンの動く物音や気配を感じないからか、セオバルドは気遣わしげに尋ねた。

 正直、窓を見るのも開けるのも怖いシモンは、縋る思いで声を絞りだす。

「はい……!」

 ほっとして恐怖心が和らぐのを感じながら、シモンは急いで床に手をついて立ち上がる。セオバルドを部屋に招き入れるべく、上着を羽織った。


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