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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
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小さな村 7


 やわい月光は、流れる雲に遮られて地上には届かない。

 村の景色は、墨一色で刷いたかのようになった。


 周囲に気を配りながら、小さなカンテラの灯りを頼りに、シモンは橋を渡り切る。

 村の中心を通る道を、一歩一歩踏みしめ、ゆっくりと進んでいく。

 神経が過敏になり、鼓膜は微弱な音の一つ一つを注意深く拾う。

 瘴気の混じる重苦しい空気を、肌が敏感に感じ取る。

 異臭は風に絡み、身体の隅々にまで纏わりついた。息をするたびに、生臭さが鼻孔から咽の奥にまで入り込む。


 不意に。

 動くものの気配を感じて、シモンは足を止めた。

 視線を感じて全身が総毛立ち、その場に硬直する。

 

 がさ……、がさ。

 ぱき、ん。


 道から少し逸れた草叢の方向。小川の土手のあたりから、草を揺すり、倒して進む微かな音が聞こえた。

 心臓が止まるほど驚いて、シモンは無意識に息を潜める。緊張のあまり油の切れたブリキ人形のようにぎこちない動きで、音のする方に首を巡らせる。

 躊躇いがちに、手に持っていたカンテラを、道の脇に向けて翳す――。


 ほのかな灯りが、届くか届かないかといった距離。

 暗闇に、ぼぅ……、と異形のものが浮かび上がる。それは、シモンの胴体とほぼ変わらない太さの、しなやかに艶めく鉛色をした円筒状(えんとうじょう)のもの。

 カンテラを持つ手をわずかに高く持ち上げたシモンは、細やかな鱗に覆われた胴体の上へ上へと視線を這わせる。大蛇を思わせる胴体は女の上半身となり……。

 見上げた頭上の、シモンよりも頭一つ高い位置から、女の顔が見下ろしていた。

 女の顔に目を留めて。

「あ……」

 口から洩れた声を押し殺し、シモンはひゅっと鋭く息を吸い込む。


 シモンの掲げるカンテラの、すぐ上。

 黒みを帯びた土気色の、血の通っているとも思えない肌の色をした女が、ゆっくりとシモンの頭に手を伸ばしている。

 首は妙に細く長く、俯いているかに見える頭は、どことなく不自然な角度で斜めに傾いでいる。

 重たげに瞼が覆い被さる右の瞳は白濁して淀み、ぼんやりとどこか遠い世界を覗き込んでいるかのよう。左の、瞼の無い真っ黒に塗りつぶされた硝子を思わせる眼球は、爬虫類のそれ。

 顔を上げたまま驚愕に見開かれたシモンの瞳が、灯りの向こう側にある、力ない虚ろな女の顔を映し出した。

 視界に飛び込んできたものが、信じられなかった。


 ぽろり、と。

 間の抜けた声が、シモンの咽から絞り出された。


「ミリ、ア……?」

 

 物言いたげに開かれている女の口は、けれど声を発しない。

 乾いた唇からは、およそ人のものとは思えない細い平紐のような舌が、ちょろちょろと見え隠れする。女の顔からは感情らしいものは見受けられない。

 ただ、餌となる生き物を前にした捕食者がそこにいた。

 見知った少女の変わり果てた姿に、シモンの思考が停止する。

 息を殺し、大きく瞠る目で女の顔を見つめるシモンは、ぴくりとも動くことができない――。


 どうして、彼女が。

 それよりも、今は。

(結界を……)

 張らないと。


 ――気ばかりが急いた。

 恐怖と混乱の感情に支配されたシモンの身体が竦み上がる。嫌な汗が噴きだし、思考が停止して頭の中が真っ白になる。

 目を逸らせばその瞬間にでも喰いつかれそうで、瞬きさえも躊躇われる。

 女の白い腕が伸び、血のこびり付いたシモンの髪にそうっと手が添えられる。シモンの頭に顔を寄せた女は、訝しみ考える素振りで動きを止めた。

 少しの間を置いて。

 女は、にたりと笑うように口角を上げた。

 口角から耳許にかけて、頬を力任せに引き裂いたかのような歪な傷跡が見て取れた。その変色した部分をなぞり、頬が裂けていく。

 ぷちぷち、と肉が引きちぎられるのも構わず、口が開いていく。口腔が広く覗く。

 めきめき、と微かな音と共に顎が徐々に落ちて、上下に裂けた口が耳まで開く。

 目と鼻の先で、ぱか……と大口を開く女を、シモンは細い呼吸を繰り返し呆然と見つめた。


 むせかえるように臭う。

 鉄の錆びたような、乾いた血の臭い。

 傷んだ肉と体液が混ざり溶けるような、鼻孔を締め付ける、息の詰まる生臭さ。


 かたん……っと音を立てて、シモンの手からカンテラが滑り落ちた。


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