小さな村 4
「……っつ!」
頭にずきずきと疼くような鈍い痛みを感じて、シモンは思わず呻く。
薄く目を開けて、痛みを感じた部分を押さえようとするが、手の自由が利かない。
手を見遣り、はっと目を見開く。
――両手首が、縄できつく縛られている。
身体を動かそうとして捩り、両足首も同じ様に縛られているのだと認識する。
拘束されたシモンは、ひんやりとした硬い場所に転がされているようだった。
外の、土の上ではない。
(家の、床?)
何が起こり、どういう状況なのか把握しきれないシモンは、焦る。
頭に響く鈍痛を堪えて、意識の途切れる直前の記憶を探る。
(確か……、ミリアの家を出て)
そこから順に思い出していく。
日暮れまでに戻るようセオバルドに言われたシモンは、差し掛かった橋の上から草叢を眺めて。
水面に影が映り込み、背後に人の気配があった――。
……ような気がする。
痛みを受けた衝撃で、その辺りの記憶はひどく曖昧だった。
誰かに頭を強く殴られたか、捕えられる際に頭部を地面に打ち付けたかして、気を失ったのだろう。
はぁ、とシモンは溜め息を洩らした。
そうっと目だけを動かして、周囲の様子を探る。
シモンが転がされているのは、屋内のどこか一室だ。
ほの暗い部屋に浮かび上がる大きめの窓が、わずかに明るさを保つ空を――迫る夕闇と薄い夜を四角く切り取っている。
空の色彩からして、あれからそう時間は経っていない。
ここは、どこだろう。
転がって身体の向きを反転させたシモンは、近くに扉があることに気づく。
床と扉のほんのわずかな隙間に、隣の部屋の明りが一筋、透けて見える。
扉の向こうから漏れ聞こえる、微かな声。
……言い争うような声が聞こえる。
縛られている手足を使い、シモンは芋虫のように床を這いずる。扉に少しだけ身体を寄せて、声が聞こえやすい位置に頭の向きを変えた。
――耳を、澄ませる。
「……連れの小僧の身柄はこちらにあるんだ。わかっているのか!?」
「そうおっしゃられても……、困りますね。繰り返しますが、対価の金額も事前にお伝えしましたし、遣いの方からは、急を要する事態だから、とにかく村に来てくれ、と。対価はきっちり払うとお約束をいただいていたのですが……」
「そんな話は知らん……! 村長である私が、払うと約束した覚えはない!」
シモンのよく知る落ち着いた男性の声と、感情を昂らせた男性の声。
片方は間違いなくセオバルドだ。もう片方はこの村の村長か。
「とにかく、こんな金額は払えない!」
「払えない? 払うつもりがない、の間違いでしょう?」
「失敬だぞ!」
「何とでも。対価に関してですが、短い期間で三人もの命を奪っている魔物です。金額は妥当なものかと思われますが」
「これが妥当だと!? 吹っ掛けやがって……!」
セオバルドと村長との会話の応酬から、扉の向こうの状況が手に取るように瞼に浮かぶ。深く息を吐いたシモンは、ぐったりと脱力した。
対価の話をしているようだが、どうやら話がまとまらないらしい。
「いいか!? 金は払わない。小僧を無事に返して欲しければ、つべこべ言わずに蛇女を退治しろ!」
「まず彼を返していただきたい。彼は助手として連れてきている。返してもらえなければ仕事にならない」
村長の要求をぴしゃりと跳ねのける、芯の通ったセオバルドの声。
ゆったりとして余裕すら感じさせる声音でありながら、同時に地を這うように低く、あたたかみを感じさせない。一歩も譲らない頑なさがあった。
村長の返事が無く、隣の部屋が俄かに静まり返る。
一間置いて静寂を破る、穏やかなセオバルドの声。
「……彼が、大人しくあなた方の言うことを聞くとは思えないのですが。まさか、乱暴に扱い怪我などをさせていないでしょうね?」
含みを持たせるセオバルドの言葉に対して、「うぅ……」と低く唸る声が聞こえる。
助手として必要だと断言し、シモンの身を案じるセオバルドの言葉に、シモンは胸を熱くさせる。
(先生……)
感極まるシモンの目頭に、じわぁっと涙が滲んだ。
「彼は囮として連れてきているので、動けないと困る」
「ん?」
床に転がるシモンの鼻から、意図せずに小さな唸り声が洩れた。
隣の部屋からさらりと聞こえた言葉に、一瞬思考が停止する。
聞き間違えたのかと、耳に残る音を繋ぎ止めて、頭の中で反芻する。
(……囮?)
助手とは名目ばかりで。
(囮として必要ってこと?)
しばし、シモンは床の上で考え込む。
そうだった。
思考を巡らせたシモンは、一つの結論に達する。
ちょっと変わった魔力を持つ自分は、魔物によっては食指の動く珍味。
囮にするには、もってこいの人材。
だから、返せ。と、そういうことなのだ。
「……」
助手としての力量を当てにされていたわけではなかった。
がっかりしなかったといえば、嘘になる。
ちくり、と胸が痛む。じわりと滲み出てくる寂しさを溜め息と共に吐き出し、シモンの頭の中が現実に切り替わる。
実力の伴わないシモンに今できることは、確かに囮くらいなのだろう。
交渉の席から外されたのは、邪魔だからという理由ばかりではなく、直前まで依頼の詳細を知らない方が自然に囮の役をこなせるという、セオバルドの算段だったのかもしれない。
セオバルドの助手としての仕事が、労働力だったとしても。
それが雇用条件だったのだし、納得はできる。
だがしかし。
(囮かぁ……)
完全に予想外で、戸惑いしかない。
「おい」
村長の声が、何かを促す。
靴音が近づいてきて扉が開き、部屋の中に明かりが射し込んだ。
――気まずい。
捕らえられてしまったことも、囮の話を盗み聞きしてしまったことも、非常に気まずい。
セオバルドと顔を合わせ辛いシモンは、咄嗟に気を失ったふりをした。
部屋に入ってきた何者かに腹の辺りを抱えられ、シモンの身体がくの字に折れ曲がる。荷物のように小脇に抱えられて部屋から運び出された。
抱えられることで、打ったか怪我をしたらしい頭の位置が胸よりも下がり、ずきずきと脈打つように痛む。
「無料で蛇女を退治すると言えば、小僧は返してやろう。だが断れば、今夜にでも小僧を外に放り出して蛇女の生餌にしてやる。そうすれば、しばらく村の男は襲われないだろう!」
「それで村の人間が襲われなくなるのは、ほんの一時のこと。またすぐに被害者が出るでしょう。……問題の先送りでしかない」
語気荒く迫る村長に対し、セオバルドは侮蔑を含む声音。素っ気ない口振りだ。
シモンは薄氷を踏む思いで、双方の声に耳を傾ける。
どきどきしながら、シモンはなんとなく理解する。
おそらく、村長はセオバルドに僅かばかりも対価を払う気がない。
だから。
シモンの身柄を受け取ることを条件に、セオバルドが蛇女を退治することを了承したら、彼はただ働きになる。
セオバルドがどのくらいの対価を村に要求したかは知らないが、きっと高額なのだろう。
身寄りも財産もないシモンがセオバルドにとって、高額な対価と同等以上であるとは到底思えない。
対価を受け取れないとなると、セオバルドは蛇女の退治を断って、シモンをこの村に残して帰ってしまうかもしれない。
……緊張から力が入り、シモンの指先がぴくりと動いた。
張り詰める空気と沈黙の中、セオバルドは深く息を吐く。
「――失礼。……君、聞こえているか? 私を手伝って囮として働くか、このままこの村で蛇女の生餌になるのか。今、選びなさい」
村長に一言断りを入れたセオバルドは、一切の情を含まない冷淡な声音で、シモンに二者択一の選択を迫った。
(生餌が、生餌が選択肢に入ってる……!)
ひやりとして血の気が引き、指先が冷たくなる。
生餌なんてあんまりだ。そう思う一方で、邪魔にならないよう交渉の席から外されていたのに、むざむざと捕まり、台無しにしてしまった自覚はある。
セオバルドの怒りは、対価を払おうとしない村長だけでなく自分にも向けられているのだと、シモンは考える。
要は――。
囮となって働かないのであれば解雇。そう勧告されているのだと理解した。
選択肢なんて、あるようで無い。
シモンは意思を固め、うっすらと瞼を上げて、宙にぶら下がる自分の足先を見つめる。
力の無い声を喉から絞り出す。
「……囮で、お願いします」
「よろしい。……では、村長。今回は特別に彼を返してもらうことで対価とします。ただ、こちらも不本意な契約となるので、対価の情報や仕事の詳細な情報は、一切洩らさないでいただきたい」
セオバルドが不本意な契約を結ばざるを得なかったのは自分のせい――。責任を感じたシモンは、唇をきゅっと噛んだ。
コツコツと靴音が床を打つ音と共に、「そして」とセオバルドの声が近づいてくる。
「今後一切この村からの依頼には応じません。たとえ何があっても」
彼は不快感を顕わにし、突き放す口調で言った。
「いいだろう! 蛇女さえ退治されれば、お前なんかにもう用はない!」
「それでは、交渉成立ですね」
話を締め括ったセオバルドは、抱えられているシモンの髪に触れるほど近くに立った。
「返してもらおう」
温度を感じさせない、静かな怒気を纏う簡潔な言葉は、鋭利な刃物のように空気を裂く。
シモンの背筋を冷たいものが這った。
男の腕に腹を抱えられ、くの字に折れていたシモンの身体が、別の腕に引き取られてくるんと反転し上を向く。
空中で受け渡しをされる不安定な状態に、シモンの身体が強張った。
ぱちぱちっと目を瞬かせると、自分を横抱きに抱えるのが間違いなくセオバルドなのだと認識する。
その刹那。
目を合わせる間もなく、とんっと身体が軽く弾み、ふわっと浮く。
両膝を掬い上げるように抱えられ、背に回された腕に力強く抱きすくめられて、ぴたっと身体が安定する。
抱え直されたことで頭の位置が胸よりも高くなり、すぅっと血が下がった。ずきずきと傷んでいた頭部が少し楽になり、シモンは小さな吐息を洩らす。
すぐ目の前にセオバルドの横顔を認めて、どきりとした。
(……えぇ……っと)
しっかりとシモンを抱えるセオバルドの両腕は、力の緩む様子がない。
抱えたままでは重いだろうから下ろして欲しいと伝えたいところだが、一触即発の空気が漂う状況で、そんなことはとても言い出せない。
セオバルドを怒らせる一因となったことと併せて、申し訳なさでいたたまれないシモンは、きゅっと身を縮めた。
落ち着かずに、伏し目がちに視線を彷徨わせるシモンは、今しがたまで自分を抱えていた人物の姿を捉えた。
村でセオバルドとシモンを出迎え、村長の家へと案内をした男性だ。
セオバルドに向けられた男性の顔は、剥き出しになった敵意に歪む。険しい瞳には恐怖や怯えといった感情を灯らせている。
身を翻したセオバルドは、部屋の奥にいるもう一人の初老の男性に向き直った。
白髪混じりの男性はシモンには目もくれず、眉間に皺を寄せ嫌悪の形相でセオバルドを睨みつけている。
「私の荷物を返していただきたい」
「……荷物を返したら、そのまま逃げる気じゃないだろうな」
警戒する村長に、「馬鹿馬鹿しい」とセオバルドは即座に斬って捨てる。
「私は約束を違えない。……それに、陽の暮れた今。たとえ出て行ったところで、蛇女に鉢合わせるでしょう」




