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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
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赤髪の青年 1


 早朝から、灰色の煙を思わせる厚い雲が陽射しを遮り、冬の冷たい空気は一向に暖まる気配がない。

 更に、うっすらと霧が降りて視界も悪い。

 そんな天気だからか。

 大通りに立ち並ぶ店の殆どが開店しているのにも拘らず、行き交う人はまばらで、どこか物寂しい。


 厚手のコートを着込んだシモンの、石畳を打つ小さな靴音が、静かな大通りに反響する。

 ふと、シモンは霧に浮かび上がるぼんやりとした人影に気づく。近づくにつれて、それが見知った町の人だと認識し、朗らかな声で愛想よく挨拶をする。

「こんにちは!」

「あら、こんにちは、シモン。猫を飼い始めたのかい?」

「あー……、ええ、まぁ」

 返答に困り、曖昧な笑みを浮かべるシモンは、視線を宙に泳がせる。

 『飼う』という言葉に反応したのか、ふんっ、と憤慨する小さな鼻息が耳許で聞こえ、シモンの顔が引き攣った。

 シモンの左肩に、ちょこん、と腰を掛けているのは銀色の妖精猫(シェリー)だ。シェリーは、シモンが動く度にぱたぱたと尾を振り絶妙にバランスを保っている。

 すこぶる不機嫌な彼女は、シモンに飼われるなんてとんでもないとでも思っているのだろう。


「綺麗な子ねぇ、それにずいぶんと仲がいいのね」

 野外であっても、人の肩の上におとなしく止まっている猫は珍しい。

 シェリーを見て頬を緩めた町の人は、「またね」と去っていった。

 白い霧に包まれ、溶け込むように消える町の人の後姿を、シェリーは横目で流し見る。

「……寒いわ。私は町になんか用はないのに」

 いじけたシェリーがシモンの耳許で、ぶつぶつと文句を言う。

「ごめん。先生にお客が来るから、シェリーも一緒にって言われて……」

 セオバルドにいくつかの品物が記されたメモを渡されたシモンは、シェリーを連れて町へと買い物に出かけてくるように言い付けられたのだ。

 コートのポケットを探り、渡されたメモ用紙を手に取って目を走らせる。

(でも、これは……)

 体よく教会から遠ざけられたのだろう。

 メモに記されている品物は、どれもこれも急を要するものではなかった。

 シェリーにもそれがわかっていて、だからこそ彼女の機嫌が悪い。

「いつもこの時間は暖炉の前で休んでいるのに、……なんで私まで」

「たまには違うことをするのも、気分転換になるかもしれないよ?」

「嫌よ! 用もないのに外へ出ても、寒いだけじゃない」

 シェリーは寒いというけれど、彼女の柔らかな被毛のおかげでシモンの首はぬくぬくと温かい。

 くすっ、とシモンは笑った。

 ひょい、と肩のシェリーを抱き上げてコートの中へ入れる。

 胸許のシェリーが下に落ちてしまわないように、コートの上から抱く。


「ちょっと、何するのよ!」

 細い前足を突っ張らせ、小さな肉球がシモンの胸許や顎を押す。

「顔だけ出して、それならシェリーも僕もあったかいでしょ」

 コートの襟元のボタンを一つ外すと、ちりんと首の鈴を鳴らし、そこからひょっこりとシェリーが顔を出す。

 大きく見開いた目をぱちぱちと瞬かせるが、思いのほか温かだったのだろう。寒いよりは幾分かマシ、とばかりにシェリーは大人しくなった。

「……コートのフードを被りなさいよ。フードは飾りじゃないのよ」

 シェリーに言われてフードを被ると、耳も頬も驚くほどに温かい。この町へやって来て、初めて迎える冬だった。

「本当だ」

「……どこから来たのよ」

 目を細めて呆れるシェリーに、軽く目を伏せたシモンは、さぁ、と淡く微笑み首を傾げた。

 生まれ育った村の冬は、少し暖かだったのかもしれない。

「ここよりも、南の方なのかな……?」

 胸の内に湧き上がる郷愁の想いに、寂しさを覚えたシモンは表情を陰らせる。

 人よりも、人ならざるものの方が多い。それらの行き交う森に囲まれた、小さな村。

 家も数十軒しかない。若い人も、自分よりも年の幼い子供もいなかった集落のようなところ。

 いずれ誰もいなくなるだろう、故郷。

 だから、地図には載っていないだろうと、シモンは考える。

 仕事を探しに出た近くの町の名と、今住んでいる町の名を照らし合わせれば、おおよその場所くらいはわかるかもしれないが、知りたいとも思わなかった。

 祖母と暮らした穏やかであたたかな日々は、胸にしまってある。

 村を出る時に、住む人のいなくなる小さな家や、手入れする人のいなくなる畑は、世話になった村の人に分けてしまった。

 迂闊に使うと危険なものもあるから……と。生前の祖母に頼まれていた通り、薬草園も処分した。

 ……もう、何もない。帰る場所のない村だから。


「先生に頼まれた物は、全部買ったし。僕は今日そんなに買い物はないんだよね」

 小さな買い物袋を腕に提げて、町を見回すシモンは思案しながら呟いた。

 早々に買い物を済ませてしまったが、教会へ帰らずにもう少し時間を潰した方がいいだろうか。

 コートの中のシェリーが、喉を反らせてシモンを見上げた。

「ねぇ、ホットミルクは売っていないの?」

「僕には買い食いするなって言うくせに」

 理不尽だなぁと、目を丸くしてシモンは呆れた。

 けれど、ちょうどいい時間潰しになる。それに、シェリーも機嫌を直してくれるかもしれない。

 言い返されて、むすっと顔をしかめたシェリーに、シモンは明るい顔で提案する。

「パン屋さんに行ってみる? その後どこかミルクを売っているお店でホットミルクを作ってもらえるか頼んでみるよ。きっと寒い日のテラスで飲むホットミルクは格別だよ。シェリーは猫のままじゃ一杯も飲めないだろうから、僕と半分こしようよ」

「……ブランデーは?」

 ころりと声音を変えたシェリーは、乗り気になったらしい。紫水晶のように澄んだ瞳を真ん丸にして、きらきらと輝かせる。


「うーん」

 それは、難しいかもしれない。

 シモンは控えめに唸って返事を濁した。


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