赤髪の青年 2
町を歩いていると、いろいろなものを見かける。
視界の片隅。
どこかの家の煙突に、すっと姿を消した小さな小人は、シモンをよく手伝ってくれる家事好きな妖精だろうか。
家につき仕事を手伝ってくれる妖精は、人間に見られるのを嫌がる。
見られてしまうと、大抵その家からいなくなってしまう。
だからシモンは、彼らの気配を感じても、ちらりと姿が見えてしまっても知らん振りをする。
「……僕じゃない」
通り沿いの店の前から聞こえた小さな声に、シモンは首を巡らせる。
母親に叱られている小さな男の子が涙目になり、拗ねて口を尖らせている。男の子の後方――店の角からこっそりと顔を覗かせ、その様子を見つめている妖精がいた。
「悪戯好きの妖精だわ」
男の子が妖精の悪戯のとばっちりを受けたのね、とシモンの耳許でシェリーが密やかに囁く。
小さく頷いたシモンは、心配に表情を曇らせた。
「お店の中で、何か商品をひっくり返されでもしたのかな」
悪戯好きの妖精は、にぃっと気味悪く笑い建物の陰に姿を消した。
「……?」
どこからか視線を感じたシモンは、きょろきょろと辺りを見回す。
一軒の家の中から、窓硝子越しにこちらを見ているのはシャム猫だ。
優しいクリーム色の被毛にしなやかなシルエットが印象的なシャム猫は、澄み渡る晴天を思わせるサファイヤブルーの瞳をシモンと合わせ、軽く瞼を閉じて挨拶をする。
見惚れて表情の緩んだシモンの、薄く開いた口から零れる感嘆の溜め息。
コートの中のシェリーは、シャム猫と同じ様に軽く目を瞑って挨拶を返している。
シェリーは、シャム猫と知り合いなのだろうか。
そうだとしたら、普通の猫でなく妖精猫なのかもしれない。
「あのシャム猫も、妖精猫だったりするの?」
区別がつかなくて、シモンは訊いてみる。
「……わからないの?」
シャム猫から、ついと視線を逸らしたシェリーが、シモンを振り仰ぐ。
「シェリーは、すぐにわかるの?」
「慣れれば魔力を感じとることはたやすいわ。魔力の探り方をセオに教わったのでしょう? 同族の魔力は探れるの?」
「たまに、先生で練習させてもらっているけど……」
セオバルドは、普段から魔除けや、魔力を隠すための術を施した魔石を身に着けている。
練習させてもらう時は、それらを外してもらうのだが、セオバルドの魔力はとても強くてわかりやすいので、練習になっているのかいまいち不明だ。
けれど、他人の魔力に触れた時の感覚はわかる。
それと一緒よ、でも――、とシェリーは言葉を継ぐ。
「妖精の持つ魔力は、人のそれより自然の精霊に近いわ。人のものよりも意識して探らないと」
魔力を探るのは、決まった形式の術を唱えるのと違い、魔力を込めるのと同様に少しコツが要った。
研ぎ澄ませた魔力を薄く自分の周囲に放ち、それに触れる相手の魔力の波動を感じとる。
セオバルドのように魔力の波動が強い相手ならいざ知らず、相手の魔力の波動が弱ければ、より繊細に魔力を研ぎ澄ませなければならない。
そこの調整が、シモンはまだうまくできない。
会話をしながら道を進んでいたシモンは、シャム猫の魔力を探ってみようと足を止めて振り返る。
シャム猫の見えた窓は遠く離れ、もう魔力を探ることはできない。
「……ちょっと、遠いかな」
「本っ当に、……未熟ね。そういうのは訓練も兼ねて普段から意識していないと」
普段から、という言葉にシモンは閃いた顔で「あ」と声を零す。
「じゃあ、今日からシェリーで練習してもいい?」
身近にいる妖精猫のシェリーなら、魔力を探る練習にぴったりだ。
うっ……と、シェリーが小さな額に皺を寄せた。
「とんだ藪蛇ね……。冬の間、ブランデー入りのホットミルクを毎晩用意してくれるのなら、考えてあげるわ」
そんな町の中で。
いつも買い出しに来る時にはあまり見かけない、黒い影があった。
町を歩く人の足許に、するすると伸ばされる黒く細い手に、シモンは思わず立ち止まる。
足をすくわれた人は振り返り、何もないことを確認すると、怪訝そうに首を傾げる。
黒い影は、地を這う水のように別の場所へ移動していった。
「何見てるのよ、行くわよ」
「うん……、今日はまだ陽も高くないし、雲と霧で薄暗いから……」
正午の頃には、陽は天頂に差し掛かる。影の短くなるその時間が、一番黒い影や靄が出ないことを、シモンはこの町で暮らした経験から知っていた。
シェリーに促されて足を前に向けたシモンは、大きく目を見開く。
「あ、また……」
買い物袋を抱えて道を行く人の後ろに黒い靄がすぅっと近づく。買い物袋に黒い靄が掛かると、袋が後方に引かれてぐらり、と傾ぐ。
バランスを崩した買い物袋の中身が零れ落ちて、道に散らばった。
すぐに駆け寄り、地面に散らばった物を拾い集める町の人を、シモンも手伝う。
「どうぞ」
「悪いね、シモン。ありがとう」
品物を渡しながら、「いいえ」と微笑んだシモンがぎくりとして、顔を強張らせる。
町の人の肩越しに彷徨う、黒い靄を見据えた。
シモンの視線を追う町の人は後ろを振り返るが、黒い靄が見えずに不思議そうな顔をした。
「……シモン? どうかしたの?」
「みゃぁ」
コートから這い出し、シモンの肩の上に座ったシェリーが愛らしく鳴いて、町の人とシモンの注意を惹いた。
その場から離れると、シモンのコートから首だけ出したシェリーが渋い顔をして、じろりと睨む。
「黒い影や靄、気にするものじゃないわ」
「そうなんだけど……」
シェリーに咎められて、シモンは曖昧に言葉を濁す。
黒い影や靄に、いちいち関わらないようにと、セオバルドにも言われていた。
町で人の生活に息づく妖精と同じように、黒い影や靄も、あって当たり前のもの。
視界に映りこむすべての事に対処していたらきりがないから。
セオバルドは、自分に降りかかる災い以外は、依頼がなければ放っておくという明確な線引きをしていた。
――それでも。
道行く人を待ち構えて、棒きれのような細い手をするすると伸ばす黒い影や、絡みついて悪さをする黒い靄。
あれらに、顔見知りの町の人が目の前で転ばされそうになったり、荷を引っ張られたりするのを見るのは、いい気分ではない。
前から歩いて来る老婆に気づいたシモンは、すれ違いざまに注意を促す。
「あの……、小さな段差がありますよ。気を付けてくださいね」
「え? あぁ、……段差?」
足許をきょろきょろと見まわした老婆は、怪訝そうに眉をひそめた。
もちろん、老婆の足許に段差なんてなかったのだが……。
今まさに老婆の足を絡めとろうと伸ばされていた細い手が、しゅるしゅると黒い影の中に収まる。
黒い影が老婆から離れ、建物の陰を伝っていなくなるのを見届けたシモンは、安堵の吐息を洩らし、その場を立ち去った。




