精霊の種 5
ひらり……と、碧い翅に淡い光を湛えた蝶が、シモンの事など全く気にかける様子もなく、顔のすぐそばを通り過ぎる。
「蝶は君の精霊だから、自分の目で確かめてごらん。……蝶に、物に止まって魔力を込めるよう命じてみるといい」
平然と言ってのけるセオバルドに、シモンは表情を曇らせて、首を傾げる。
「どうやって、命じるんですか?」
「声に出してもいいし、念じてもいい」
自由気ままに乱れ飛ぶ蝶たちが果たして自分の言うことを聞くのだろうか。シモンはなんとなく信じられない。
「全部、言うことを聞くんでしょうか……?」
「君の魔力から孵った精霊だ。君の意志は魔力を通してちゃんと伝わる」
「……はい」
半信半疑の力ない声で返事をし、軽く目を瞑ったシモンは胸に手を当てて、呼吸を整える。
心の中で蝶たちに命じる。
――近くにある物に止まって、魔力を込めて……。
青い光をひらめかせて闇夜を舞っていた蝶たちは、一頭、また一頭と止まり、翅を休める。
一頭の蝶が止まった地面に、緑のものがぴょこっと生えた。
「草の芽……?」
ひらり。
降り立った一頭の蝶が魔力を注いだ地面、広げた蝶の翅と同等の面積から、小さな草の芽が吹き出した。
地面から生えた緑の芽は、するりと茎を伸ばす。
同時に、魔力を注ぎ終えた蝶は形を保つことができずに、夜空の星屑を思わせる細やかな光の粒を結んでさらさらと宙に消えた。
別の蝶が枯れ木の梢に止まると、その部分から春の如く若葉が吹き出す。
若葉が吹き出すと、蝶はさらりと光の粒となって、夜の闇にほどけて消えていく。
「冬なのに……」
蝶の止まったところから、次々と新芽が吹き出す。
碧い蝶の数が減っていくと、代わりにあちらこちらで季節外れの新芽が、爽やかな淡い緑の葉を覗かせた。
止まり損ねたのか。
数頭の蝶がひらひらと飛び回る。
蝶を目で追いながら、シモンは考え込む。
「……えーと、植物を育てる力ですか? そういえば精霊の種から育った植物も大きかったんですよね?」
だが、術を唱えるでもなく魔力そのものに植物を育てる力がある、そんなことがあるのだろうか。
目で追っていた蝶が近づいてきたので、シモンは何気なく指を差し出す。
指先に止まった蝶から、精霊の種に注ぎ込んだ自分の魔力がそっくりそのまま返ってくるのを感じて、シモンは大きく目を瞠った。
「疲労感が、消えた……?」
シモンに魔力を注ぎ終えた蝶は、指先で光の粒となって、宙に掻き消える。
「自然界の精霊。いずれかの精霊と相性が合えば、彼らと契約を交わし、力を借りることで攻撃に特化した術も使えるのだけど、探る限りそのどれでもない」
セオバルドは小さな吐息にも似た声で、知り得た答えをなぞるように囁く。
精霊と契約を交わすということは、普段の生活の中で喚び出している炎や水とは、一つ次元の違う話なのだろう。
ぎこちなく顔を上げて、シモンは一つ訊く。
「あの、先生は……?」
「私は、水の精霊と契約を交わしている」
そうなんですね、とシモンは相槌を打ち。
(もしかして、伸ばせるところがなかった……!?)
蝶の消えた指先にゆっくりと視線を戻して、硬直する。
「だけど、魔力の性質としては活性化を促すもの。つまり、君の魔力を純粋に魔力として受け取ることのできる者であれば、その者の魔力の増幅。精霊の種の育ち方から考えて、術そのものにも作用すると考えられる。草木を含めて魔力の無い生き物であれば、わずかに生命力に作用して成長を促すもの」
蝶の魔力に触れて感じ取ったもの、実際に見たものをセオバルドが詳細に語る。
きょとんとしたシモンと、顔を合わせた。
たとえば――、とセオバルドは術を唱える。
翳す掌の先に、周囲から不可視の力が集まり、凝る。
不可視の力が淡く発光し、一筋の光が空中を走りくるんと円を描く。
淡く光る円の中に、セオバルドによって唱えられた術が、幾何学模様となり浮かび上がったその刹那。
コォォ……。と微かな音を立てて、円の縁から噴き出した炎が中心に向かって渦を巻き、火柱が立ち上がる。
火柱は夜の闇を明るく照らし、確かな熱を空気に伝えることで存在を知らしめ、やがて細くなり掻き消えた。
「これが通常のもの」
一連の動作に言葉で区切りをつけたセオバルドは、そばをひらめく一頭の蝶を指で捕らえた。
蝶を捉えていない方の手を先程と同じように翳し、セオバルドは同じ術を唱え始める。
セオバルドの指先で、蝶が煌めく金の粒となって、さら……、と宙にほどけた。
一筋の強い光が円を描き、内に幾何学模様が浮かび上がる。
ゴオォォッ……!
轟音と共に周囲の空気を巻き込み、爆ぜるように激しい火柱が渦を巻いて立ち上がる。
ちりっと熱風が届き、肌を焦がす。
先程よりも、一回りも二回りも太く勢いのある火柱に驚き、シモンは半歩足を後ろに引いて仰け反る。
……思わず顔が引き攣った。
「こういうことだ。君自身の魔力は、魔石のように誰かの魔力や術に力を添わせることが出来るもの。精霊の種は、元々魔力を増幅させる働きのある魔石を基に作られている。シモンの魔力の性質との相乗効果もあって育ちすぎたんだろう」
魔力の性質から推測し、蝶からシモンの魔力を活用して見せたセオバルドは、結論付けた。
シモンの脇を通った最後の蝶が二頭、翅をひらめかせ、もつれあうように夜空へと昇っていく。
木の枝に腰掛けるシェリーの高さまで昇った蝶は――。
「……あ」
――碧い光が金色に変わった次の瞬間。
光の粒となってほどけ、ささやかな風に散らされ形を崩して消えた。
魔力の低い者が育てた精霊は、孵ってすぐに枯れることもある。
最初に説明されたことが思い出され、シモンは精霊の種に込めた自分の魔力が尽きたのだと察した。
……正直、もう少し形を保っていられると思っていた。
「もう、枯れちゃった……んですね」
失望されたと、思った。
特性がわかっても、肝心の魔力量が希薄では、元も子もない。
唯一、教会に繋ぎ止められていた理由が、ふつ、と切れて宙に投げ出されたような喪失感から、軽く眩暈がした。
蝶の消えた夜空を見上げまま、茫然自失とするシモンは動くことができない。
「シモン」
立ち尽くすシモンに、カンテラを拾い上げたセオバルドが一歩近寄った。
揺らめく灯りがほんの少し闇を退ける。
「君の魔力自体は高くないが、成される術の威力を高めてくれる能力は稀なものだよ。それに、自然物の育った様子から、治癒や薬草の効能を上げるのにも長けているのだと思う」
事実を誤魔化さずに告げるセオバルドの声は、けれど。
手を差し伸べて道を示す、優しさに満ちたものだった。
魔力が低いから駄目、ということでもないのだろうか。
夜空から視線を下ろしたシモンは、セオバルドの顔をそろりと窺う。
「……魔力が低くて、がっかりしていないですか?」
「がっかりなんて、しないよ」
憂慮を受け止めるあたたかな響きを持つセオバルドの声に、シモンは希望を見出す。
セオバルドと対面し、期待と不安の混在する眼差しを向けた。
まっすぐに向き合うセオバルドの深い青の瞳が、カンテラの暖色の炎に照らされて柔らかな光を湛える。
――尋ねても、いいだろうか。
わずかに躊躇い、それでも訊かずにはいられないシモンは、おずおずと小さく口を開く。
「この力は、役に立ちそうですか?」
「ああ。君に合う魔力の使い方もわかった」
――受け入れてもらえるだろうか。
不安から、シモンはぎゅっと手を拳に握る。
「僕は、先生の助手としてちゃんと努められそうですか?」
「もちろん。……私は、君にそばにいて欲しいと思っているよ」
淀みなく答えるセオバルドは、淡く微笑む。
肯定の返事をもらったシモンは、解雇の不安という胸のつかえが下りて、心底安堵する。
なによりも。
セオバルドに認めてもらえたことが嬉しくて、ぱぁっと満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます! 良かった……! 役に立てるように頑張りますね」




