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20.夢よ再び

20.夢よ再び




 卒業式が終わって、静まり返った校庭に恭子と拓の姿があった。

「ねえ、拓さん、お願いがあるの」

車いすから拓を見上げて恭子が口にした。

「なんだい? まさか、校庭を走るなんて言うんじゃないだろうな」

「へへっ、本当はそうしたいけれど、そんなこと今はできないことくらい分かっているわ」

そう言った恭子の瞳には少しだけ悲しそうだったが、すぐに照れくさそうにほほ笑んだ顔にかき消された。

「あのね、走らなくてもいいから、自分の足で、もう一度ここを歩いてみたいの。 だから、肩を貸してもらえないかしら」

「お安い御用だよ。 でも、大丈夫かい?」

「うん。 辛くなったら車いすに戻るわ」

拓は恭子の右側に回って、恭子の右腕を自分の肩に回した。

恭子は右腕に力を込めて立ち上がると、ゆっくり歩き始めた。

そして、三年間、練習してきた校庭の感触をしっかり両足で確かめた。

何度も立ち止まりながら、ゆっくりと進んだ。

幅跳びを勧められた砂場や何度もタイムを計った直線コース、リレーの練習でバトンをつないだトラック・・・ 数えきれない想い出が鮮やかに甦ってくる。

だんだん感覚がなくなっていく左足を何とかかばいながら歩を進めていく。

何とか最後まで歩いて車いすに戻ってくると、4人の家族が出迎えてくれた。

車いすに座ると、両足が疲労で痙攣していた。

「頑張ったね」

母親の早紀がそう言って、少し細くなった足をマッサージしてくれた。

「さあ、今日はみんなでご馳走を食べに行こう」

孝幸がそう言い、みんなで校庭を後にした。

孝幸は拓も誘ったが、拓は家族水入らずで楽しんだ方がいいと言い、三浦家と別れて“ばれいしょ”へ向かった。



 三浦家は、浩人のリクエストで和風のファミリーレストランで恭子の卒業を祝って食事をした。

浩人は、ここの茶わん蒸しと天ぷらが大好きだった。

「浩人ったら、今日はお姉ちゃん卒業祝いなのに・・・」

そう言って優子は浩人の頭をポンとなでた。

「まあ、私もここの天ぷらは大好きだけど、お姉ちゃんは焼き肉とかの方が良かったんじゃないの」

「そうね! 本当は焼き肉が食べたかったなあ・・・」

恭子がそう言うと、浩人は申し訳なさそうに身をすくめ、早紀に助けを求めた。

「うそ、うそ! 私もここ好き。 おすしも食べられるし、特に茶わん蒸しは大好物よ」

浩人は安心して、テーブルに広げられたメニューに飛びついた。


 拓が“ばれいしょ”に顔を出すと、知美が悠斗たちと一緒に待っていた。

「恭子ちゃんはどうした?」

悠斗が聞いた。

「ああ、今日は卒業祝いだから、家族で食事だ。 そして、そのまま病院に戻るそうだ」

「そうか・・・ それにしてもよかったな」

悠斗は拓に気を使いながら答えると、ビールを差し出した。

「ああ・・・」

拓はグラスを差し出し、悠斗からビールを注いでもらうと、仁美と知美もジュースの入ったグラスを掲げた。

「仁美ちゃん卒業おめでとう!」

知美がそう言うと、仁美はグラスを置いて、知美の手を握りしめた。

「高部さん、ありがとう! 恭子のことで胸がいっぱいだったから忘れていたけど、私も卒業したのよね」

悠斗は、一瞬、気まずそうな顔をしたがすぐに取り繕うように切り出した。

「あたりまえじゃないか! 俺たちは最初から仁美の卒業祝いのつもりでここに来ているんだからな」

「じゃあ、改めて、仁美ちゃんの卒業を祝して」

拓が音頭をと取り、もう一度みんなで乾杯した。

「乾杯!」



 拓は助手席に知美を乗せて高速道路を走っていた。

「恭子、また走れるようになるかしら?」

知美の問いに拓はしばらく黙っていた。

「ランナーとしてはたぶん無理だろうな・・・」

フロントガラスの先を見つめたままそう答える拓の横顔が悲しげで、恭子はすぐに目をそらした。

「そうか・・・ でも、私は信じてるよ。 また恭子と一緒に走れるって」

「そうだな。 きっとそうなるさ」



 病院に戻った恭子を待っていたのは、『卒業おめでとう』と書かれた横断幕だった。

執刀医の香坂や担当の看護師たち、それに、高崎さんをはじめとする病室の同居人たちが恭子の卒業を祝ってこしらえただった。

消灯までには、少し時間があったので、みんなで談話室に行った。

そこには、同じフロアの患者や、その家族が恭子の帰りを待っていてくれた。

恭子は感激のあまり、こぼれる涙を抑えることができなかった。

孝幸と早紀のもにも涙が溢れていた。



 4月に入ると、恭子はリハビリ病棟に移された。

感覚が鈍い左足は足首の動きが良くないため、自分では足の裏で立ったつもりでも、つま先しか着いておらず、転んでしまうことが良くあったので、足首を固定するための樹脂製の保護器具を作ってもらった。

恭子の足の形に合わせたオーダーメイドだ。

それと同時に、靴も保護器具をしたままはける、特注品を作ってもらった。

退院後の、社会復帰のために2週間に一度は2泊の帰宅が許されるようになった。

最初は孝幸が車で送り迎えをしていたが、車いすがなくても歩けるまでに回復すると、自分でバスや電車に乗って行き来するよう指導され、最初こそ、早紀が付き添ってきたが、その後は一人で帰宅し、病院に戻ることができるようになった。

 帰宅中は、極力、仁美や悠斗たちと買い物や食事に出かけ、外に出ることに慣れる努力をした。


 5月に入ると、杖がなくても歩けるまでに回復した。

だが、手の方は握力が戻らず、食事の時も茶碗を持つことさえ難しい状態だった。

しかし、日常の生活はほぼ一人でできるようになり、ゴールデンウイークの連休明けには退院できることになった。

 孝幸は仕事を休んで迎えに行くと言ったが、恭子は一人で帰れるからと孝幸の申し出を断った。

結局、孝幸は、恭子の退院の日も出勤したのだが、高橋に客先へ挨拶に行くと連れ出され、そのまま家まで一緒に帰って来たのだった。

二人が帰って来た時には、既に恭子は家に戻っていた。

「恭子! 大丈夫だったか? 一人で帰って来たのか? 疲れてないか?」

孝幸と高橋は終えをそろえて恭子に尋ねてきた。

「そんなにいっぺんに聞かれても答えられないよ!」

恭子は笑いながら言い返し、言葉を続けた。

「それにしても、お父さんとオジさんって、双子みたいに気が合うよね」

そう言われて、孝幸と高橋は顔を見合わせた。

そして、すぐにそっぽを向いた。

「誰がこんなのと気が合うもんか!」

またしても二人同時に同じことを口にした。

恭子が思わず笑ってしまうと、二人も吹き出してしまった。

「こりゃあ、まいったなあ」

「さあ、漫才はそれくらいにして席について下さいな」

早紀が料理を運びながらやって来て二人をたしなめた。



 退院した後も、週に一度は通院してリハビリを受けたが、恭子は近所のジムに通いたいと孝幸に頼み込んだ。

もう一度あのスタートラインに立ちたい。

ゴールする瞬間の風を感じたい。

恭子は決してあきらめていなかった。

ジムに通うことにより、リハビリとは違ったメニューを取り入れ、入院していた間に衰えてしまった走るための体を取り戻そうと思ったのだ。

孝幸は、時間さえあれば左手、左足を動かそうともがいている恭子の姿を見て、胸が締め付けられるようだった。

孝幸は、真剣に訴える恭子の熱意に負けてジムへ通うことを許した。



 拓は、東洋電機の寮を出ようと決心した。

リハビリを続ける恭子のそばで力になりたいと考えたからだ。

しかし、実家の戻るのは何かと気を使うので、手ごろなマンションを購入することにした。

 練習が休みの日に、実家へ戻り、駅前の不動産業者に手ごろな物件がないか相談に行った。

2LDKのちょうどおあつらえ向きの物件を紹介してもらい、その場で、手付金を支払い購入の手続きを行った。

翌週には、寮と実家から必要最小限の荷物を運び、会社に退寮の旨を伝た。

会社や練習に通うのは大変だが、恭子のことを考えると、さほど苦にもならなかった。



 ジムのトレーナー沢村は悠斗の知り合いで、スポーツ医学の知識もあり、恭子のリハビリの様子を見ながら、メニューや食事にまでアドバイスをしてくれた。

通い始めて1カ月もすると、足首を固定するための保護器具を使用しなくても、通常の歩行速度で歩けるようになった。

手の握力もミカンくらいなら握りつぶすことができるくらいまで回復した。

ただし、走ることまでは到底無理だと思われた。

「恭子ちゃん、調子はどうだい?」

一休みしている恭子に声を掛けたのはトレーナーの沢村だった。

「はい、おかげさまでだいぶ回復しましたけど、ここから先がなかなか難しんですよね」

沢村は恭子の走りたいという気持ちが強すぎてこのところ無理をしているように見えたので、すこし、目先を変えさせようと考えた。

沢村は恭子が座っているベンチに並んで座った。

「焦ったらだめだよ。 この病気でここまで回復したこと自体が奇跡といってもいいくらいなんだから、これから先のことは全部余計な財産としてありがたく思うようにしよう。 ところで、学校には行かないのかい?」

恭子は沢村から“学校”という言葉を聞いて胸が躍るのを感じた。

「学校ですか?」

「そうだよ。 本当なら高校生なんだろう? 病気で受験できなかったと聞いてけど、来年、もう一度受験するんでしょう?」

「学校か・・・ 病気になってから、学校に通うなんて考えてなかったなあ」

「そりゃ、変な話だな。 それは走れないからかい? 学校って、陸上をやるためだけに行く所じゃないだろう?」

「そうですよね」

恭子は高校へ行くことはあきらめていたが、沢村の話はもっともだった。

そう言えば、悠斗も怪我で選手としての夢はあきらめたものの、沢村のようにスポーツ医学の道を志している。

「来年、もう一度受験しよう! いいえ、来年ダメだったら再来年も」

「そうそう、そうこなくっちゃ! 今の状態なら、学校に通う分には何の支障もないよ。 但し、体育の授業は受けられないかもしれないけどね。 でも、来年の4月までにはまだ半年あるんだ。 ひょっとしら・・・ あくまでもひょっとしたらだけど、そのころにはもう少しいい感じになってるかもしれないしね」

沢村はそう言って恭子の肩をぽんと叩いてから席を立った。



 拓は、引っ越してきてからは、時間があれば恭子のジムに通い、リハビリを助けた。

恭子も、拓と一緒だと、頑張れたし、何より高校に入るという目標もできたので毎日が充実して月日があっという間に過ぎて行った。

目に見える進歩はなくても恭子は満足だった。

しかし、それは決して諦めたということではなく、長いスパンでやっていこうと考えたからだった。



 3月、恭子は見事に第一高校に合格した。

陸上部のマネージャーとして、ひと足早く入学した田中美由紀や同級生になった宮下麻衣子たちと再び陸上というステージの端の端に足を架けた。

 学校に通いながら、毎日ジムにも通いリハビリとトレーニングを続けながら、スポーツ医学の勉強を始めた。

ジムには拓も付き合ってくれた。

拓は「マイペースでいいから」と笑顔で励ましてくれる。

このころから恭子は、はっきりと拓を一人の男性として意識するようになった。

家に帰ると、母親の早紀と一緒に台所に立ち、料理の修業も始めた。

走ることだけ考えてきた以前に比べて、いろんなことを学び、経験することができるようになった。

恭子は、病気で走れなくなったことを少しも後悔していない。

むしろ、病気をしたことにより、人の心の温かさや思いやりのありがたみを身にしみて感じることができたし、リハビリを続けることで忍耐力や精神的な強さと弱さを知り、どう対応すればいいのかということを学ぶことができた。

これらのことは、今後の恭子の生涯でかけがえのない財産となるだろう。


 拓は、恭子のリハビリを助けながら仕事もそつなくこなし、実力で出世して行った。

ランナーとしても常にトップを争い注目され続ける存在になった。

そして、何より、恭子と一緒にいることで、「守るべき人がいる」ということを自覚していた。

子供のころに夢で見たことが現実になり、漠然とした形がはっきりとした形になって自分を支えていることを実感している。




 恭子の卒業式。

校門で待っていた拓は、恭子の手を取り、左手の薬指にそっと指輪を滑らせた。








 晴れ渡った青空。

決勝のレースを行うには絶好のコンディションになった。

選手たちは、既にスタートラインに並んでいる。

場内放送でファイナリストの名前がアナウンスされる。

1コース、吉見加奈 福岡城西高校。

2コース、松本洋子 大阪天王寺高校。

3コース、宮下真弓 広島尾道高校。

4コース、西崎百合 東京城東第一高校・・・


 スタンドでは、孫の応援に駆けつけた三浦孝幸とお馴染みのメンバーたちが大猟旗を振りかざし、西崎百合の名前を叫んでいる。

恭子と拓はその中で、そっと娘の姿を見守った。




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