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21.ドラッグストアでの出会い

 僕は普段風邪を引かないから、家に薬というものを常備していない。本当ならすぐにドラッグストアに買いに行って飲ませるべきだったのだけど、華怜を一人にすることの方が心配で外に出ることをしなかった。

 熱が下がってきているとはいえ、まだ三十八度台だ。

 風邪が長引くのもよくないし、なるべく薬は飲ませたほうがいいだろう。

 華怜も幾分落ち着いてきたから、ドラッグストアに行ってくると提案したけれど、しかし首を縦には振らなかった。代わりに手を握って、

「ここにいてください」

 と、甘えてくる。

「風邪、治るの遅くなるよ?」

「公生さんがいなくなる方が、風邪の治りが遅くなります」

 どういう理屈だと呆れてしまったけれど、華怜は僕を必要としてくれているのだ。それは素直に嬉しい。

「ちょっとだけだから」

「ちょっとでもダメです」

「じゃあ、一緒に行く?」

「行きます」

 おぶっていくからそれほど華怜の負担にはならないだろうと思い、彼女の意思を尊重して連れて行くことにした。パジャマの上から厚着をしてもらい、用意が出来てから背中におぶる。

 公園から家に運ぶ時も感じたけれど、彼女はびっくりするほど軽かった。女の子はみんな、こんな感じなのだろうかと、彼女を背負いながらふと思う。

「重くないですか?」

「全然」

「ほんとですか?」

「重いって言ってほしいの?」

「重いなら、頑張って痩せますから」

 その健気さに僕はクスリと笑う。熱はあるけれど、表面上はとても元気だった。

「華怜は、そのままでいいよ」

「わかりました」

 嬉しかったのか、頬を僕の後頭部に擦り寄せてくる。華怜は甘え上手だ。

 彼女を背負ったまま部屋の外へ出て、繁華街の方へと歩いた。もう日は落ち始めていて、辺りは薄暗闇に満ちている。住宅街の片隅に設置されている街灯が、人知れず点灯した。

「寒くない?」

「あったかいです」

「それならよかったよ」

 しばらく住宅街を歩くと、ポツリと華怜は呟いた。

「ここら辺も、ずいぶん変わっちゃったんですね」

 どこか昔を懐かしむ声色だった。

「華怜は、昔ここら辺に住んでたの?」

 なぜか返答に間があって、十秒後ぐらいに「まあ、そんな感じです」という曖昧な返答を返す。

「昔、タイムカプセルを埋めたんですよ」

 また、ポツリと呟いた。

「へぇ、なんかいいね、そういうの」

 僕は素直に感じた言葉を返す。タイムカプセルがあれば、たとえ離れ離れになっても、また同じ場所に返ってくることかできる。それはとっても素敵なことだ。

「良い思い出でした。中には手紙を入れたんです」

「そうなんだ。華怜は、なんて書いたの?」

「内緒です」

そう呟いた彼女の声は、涙声で震えていた。

「どうしたの?」と、僕は心配になって問いかける。

 おぶっていて表情は伺えないけれど、きっと泣いてしまっているのだろう。

「な、なんでもないです」

「なんでもないってこと、ないんじゃない?」

「ほんとになんでもないんです」

「なにか、悲しいことがあったの?」

 しばらくの間、返事は返って来なかった。だからどうしたのかと思い立ち止まると、ポツリと短い言葉が返ってくる。

「幸せなことです」

「本当に?」

「ほんとうです」

 それなら無理に心配することはないと思った。華怜が幸せを感じているなら、ましてやそれが嬉し涙であるのなら。

「眠っても、いいですか?」

「うん、ゆっくり眠りなよ」

「ありがとう、ございます……」

 お礼を言った華怜は、頭を僕の背中へと預けてきた。静かになると華怜の心臓を打つ音が、どくんどくんと伝わってくる。

 安らかな音だった。

 この音を真剣に聞いていると、僕まで眠くなってきそうだから、かぶりを振ってドラッグストアへ向かう足を速めた。


※※※※


 閉店間際のドラッグストアはお客さんの数が少なかった。店員も閉店作業に忙しく駆けずり回っていて、僕が入ってきても気付かれることはない。

 目立つのは苦手だから好都合だなと思いつつ、奥の錠剤コーナーへと向かった。

 大きな商品棚の中には、鎮痛剤、解熱剤、頭痛薬などなど豊富な種類の薬が置いてあるけれど、そのせいでどれを買えばいいか迷ってしまう。

 先ほども説明したけれど、僕は普段風邪を引かないのだ。だからドラッグストアに縁はないし、ここに置いてある薬にも特に縁はない。商品説明には様々な風邪の症状が羅列されていて、どれが一番華怜に合っていて、どれが一番効くのかがさっぱりわからなかった。

 もうドラッグストアは閉店する。閉店時間を超えても居座っていると、何か小言を言われそうだ。かといって、忙しい店員さんに相談をすることも、どうしてか憚られる。

「参ったな……」

 背負っている華怜がずり落ちてしまいそうだったから、慌てて担ぎ直す。反動で起きてしまうかと思ったけれど、まだ安らかに寝息を立てている。

 あぁ困った。焦りだけが、僕の心中に積もっていく。

「風邪ですか?」

 ふと背後から、優しい声が届いた。それは眠っている華怜を気遣ってかとても小さく、だから危うく聞き逃してしまいそうになる。

 振り返ると、気の良さそうな女性が微笑んでいた。少し茶色がかった髪は長くて、瞳は大きい。

 上品な雰囲気をまとっていて、年上にも見えるけれど、同年代の人のようにも見えた。

 七瀬先輩や華怜とはまた違った魅力を持っている。その魅力の正体は、たぶん、佇まいや気遣いからくるお淑やかさだろう。

 そういうことを考えていると、返事が遅れてしまった。いつの間にか彼女は、背中の華怜を覗き込んでいた。

「かわいい妹さんですね」

 柔らかく微笑む。

「あ、えっと……あの……」

「妹さんじゃないんですか?」

「妹です……」

 しどろもどろになって、思わず嘘をついてしまった。もう嘘をつく必要なんてないのに。

 しどろもどろになったのは、女性に話しかけられて動揺したわけではない。いや、もちろん少しは動揺するけど、このままじゃ色々とまずいのだ。

 華怜が起きた時が一番まずい。起きて、こんなにも綺麗な人が僕の目の前に立っていたら、小一時間ほど口を聞いてくれなくなるかもしれない。

 接してきてわかったけれど、華怜はヤキモチの塊だから。

「何か悪いものでも食べましたか?」

「あ、えっと……看病してて、朝から何も食べてないです……」

 正直に答えると、彼女は口元を押さえてクスリと微笑んだ。そういうわずかな仕草にも、気品が漂っている。

「あなたが優しい人なのはわかりましたけれど、今の質問の対象は妹さんですよ?」

 顔がパッと熱くなる。

 このタイミングで風邪を引いている華怜ではなく、僕に質問する人がどこにいるのだ。少し考えればすぐにわかったというのに。

「昨日は、サンドイッチを食べました。でも華怜は料理が上手いから、衛生面も気遣っていると思います。今日はおかゆを食べさせたんですけど、しっかり加熱させました」

「頭痛は訴えてましたか?」

「特にそういうことは……」

「なるほどなるほど」

 そう言うと、彼女は商品棚の錠剤を吟味していき、やがて赤色のケースに入った薬を僕へと手渡してきた。

「熱の症状にはこれが効きますよ。妹さん、早く良くなるといいですね」

 また笑顔を向けてきて、思わず出しかけた言葉が引っ込んでしまった。だけどお礼を言わなきゃ失礼だから、無理矢理引き戻して声に出す。

「あの、ありがとうございます……」

「お礼なんてとんでもないですよ。当然のことをしただけですから」

「それでも、ありがとうございます」

 ここであのままジッとしていたら、おそらく閉店までに薬を見つけられなかった。

 薬を見つけられないということは、華怜に飲ませることもできないということだから、やっぱり感謝しかない。

 彼女は「どういたしまして」と微笑んだ。

 それから慣れた手つきで棚の頭痛薬を手に取ったから、僕は思わず質問していた。

「風邪ですか?」

 なんの気ない質問だったけれど、彼女は丁寧に反応してくれた。

「実はちょっと前に妹が風邪を引きまして、うつっちゃったのかもしれません。ちょうど風邪薬が切れてたので、買い足しにきたんです」

 そして少し恥ずかしそうに微笑んだ後、また話を続けた。

「でも私、頑固なところがあるから、ただの自業自得なんですよね」

「自業自得?」

「実は朝からどこか体調が悪かったんですけど、駅前の本屋に予定があったので、頭を抑えながら頑張って向かったんですよ」

 冗談交じりに事の顛末を教えてくれたが、少しだけ引っかかることがあった。風邪を引いたからって、無理を偲んで本屋に行く人はそうそういないだろう。

 また明日も本屋には行けるのだから。

だから彼女は、どうしても今日行かなきゃいけない理由があって……その理由は、すぐに思い立った。

 僕の口から思わず、ぽつりと声が漏れる。

「名瀬雪菜……」

 そう呟いた途端、彼女は屈託のない笑みを浮かべて、僕の方に半歩ほど詰め寄ってきた。僕といえば、彼女はこんな笑顔も見せるんだと、少し意外に思ってしまう。

「名瀬先生のファンなんですか?!」

 先ほどの上品さとはかけ離れた振る舞いに、僕は思わずたじろぐ。彼女は僕より少し背が低いぐらいだから、少し近付かれただけで変な威圧感がやってきた。

「あ、えっと……」

「実は私もファンなんです!」

 こういうのをギャップというのかもしれない。

 彼女は下げていたおしゃれなミニバッグの中から、一冊の単行本を取り出した。それはちょっと前に出た名瀬雪菜の最新作で、もちろん僕も持っている。

 表紙には、マーカーでサインが入っていた。そして隣には、『嬉野茉莉華さんへ』と綺麗に書かれている。

 僕は思わず、

「あ、羨ましい……」

 と呟いた。

「サイン会、行かなかったんですか? もったいないですよ、せっかくのチャンスなのに」

 きっと悪気はなかったのだろう。だから、そう言葉を出した後、口元を押さえて彼女は

申し訳なさそうな表情を作った。

「ごめんなさい、妹さん。風邪引いちゃったんですよね」

「いえ、気にしてないので。僕もたぶん、同じ立場だったら同じことを言っちゃったと思いますから」

 好きな作家のファンに出会えて、嬉しくならないわけがない。僕は今、すごく嬉しく思っている。

 名瀬雪菜のことを語り合える人なんて、今までは先輩ぐらいしかいなかったのだから。

 だけどその相手が女性であることが、少しだけ残念だった。もちろん彼女は悪くない。華怜も悪くないし、悪いのはこの僕だ。

 華怜を不安にさせないように、必要以上に女の人と仲良くしないと決めたのだから。

「んんっ……」

 後ろから、可愛らしい寝起きの声が聞こえてくる。あ、まずいと思った頃には、嬉野さんという女性が華怜を覗き込んでいた。

「ごめんなさい、起こしちゃいましたか……?」

 僕はこの後嫉妬の嵐を受けるんだとばかり思っていたけれど、違った。華怜の表情が見えないから、どんな感情を抱いているのかまでは分からない。

 いつもの華怜だったら僕に絡めている手を強めて、どこにも行かないでと主張してくるはずなのに、それをしてこなかった。

 ただ華怜はいつも通りの声色で「初めまして。華怜っていいます。今ちょうど起きたかったところなので、大丈夫ですよ」と丁寧に挨拶した。

 僕がそれに少々驚いていると、嬉野さんも笑顔で挨拶をしてくれる。

「嬉野茉莉華です。初めまして」

「まりか、さん」

 華怜は小さく呟く。そしてもう一度、記憶に刻み込むように「茉莉華さん、ですね」と呟いた。

「あなたのお名前は、なんて言うんですか?」

 唐突に僕の方へと話題を振られて戸惑っていると、華怜が代わりに答えた。

「小鳥遊公生さんっていうんですよ。とっても優しい私の兄です」

「公生さんですか」

 どうして兄であると紹介したのか、僕には分からなかった。華怜なら、恋人だと主張して威嚇すると思ったのに。それにもう、僕らは兄妹だと周りに偽る必要もないのだ

「もしよろしければ、連絡先を交換しませんか? 実は名瀬先生のファンの方と出会ったの、初めてなんです」

「あ、えっと……」

 さすがに連絡先の交換は……と思っていると、華怜が後ろから不思議そうな声で問いかけてきた。

「連絡先、交換しないんですか?」

「……わかった」

 どこか釈然としないと思いながら、スマホを出して連絡先を交換した。もしかするとずっと一緒にいると約束したから、嫉妬もヤキモチも焼かなくなったのかもしれない。

 いやいや、そんなはずはない。華怜のヤキモチは、常人のそれとは比べものにならないのだから。

 だからこそ、どうしてこんなに綺麗な人に嫉妬をしないのかが分からなかった。もちろん華怜の方が可愛いに決まっているけれど。

 本当は、怒っているのかもしれない。

 だけど、声色だけで華怜が怒っているとは判断できない。

 一番可能性があるのは、華怜も嬉野さんと仲良くしたいと思っている線だ。記憶を取り戻したのだから、僕以外の人とも関わりたいと思ったって不思議じゃない。

 そんなことに頭を巡らせていると、店内のBGMがゆったりとしたものに変わり、もう閉店時間なのだということを教えてくれた。

「早く買わなきゃですね」

 嬉野さんがそう言ったから、僕も華怜を背負い直し、後をついて行った。

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