愛しのお兄ちゃん
「……。」
祝日が開けて翌日の学校。まだ人の少ない教室の中で、真面目な顔で携帯電話の待受を眺めている少女が1人。
私、如月弥生です。
待受にはある男性の寝顔。昨日帰った後、リビングで寝てしまったお兄ちゃんを一枚、写真に収めたのです。
顔が緩むのを抑えようと頑張りますがどうにも、口角が言うことを聞いてくれません。
こんなににやけていたら、クラスメイトに突っ込まれかねないのに。
正直、自慢したい気持ちで張り裂けそうですが、お兄ちゃんを他人に見せびらかすのはあまり褒められたことではないでしょう。
それに、私だけで独占していたい。そんな気持ちが強いのです。
ふと机の上を見れば、筆箱の内側に昨日撮ったプリクラが貼ってあるのが目に映ります。
ああ、お兄ちゃんの笑顔が眩しい!
「…お兄ちゃん…」
思わず、そんな言葉が漏れた時でした。
「どしたどした?誰のお兄ちゃんが何って?」
「ひゃっ⁉︎」
私の携帯電話を後ろから覗き込む人物が1人、耳元で出された声に少し変な声を上げてしまいます。
声の主は、驚く私をよそに携帯電話をまじまじと覗き込みました。
「…だ、誰!誰そのイケメン!ねぇ!弥生それ誰?教えて、教えて!」
そう言いながら、私の肩を揺さぶるのは、橘星花。私の友達です。
…うっ、今なるたけ会いたくない人と出会ってしまいました。
それに、しっかりと見られてしまったし…。
「あのね…、えっ…と、そう!最近テレビに出てた俳優さんだよ!」
「…へーぇ?…もしもし弥生さんや」
咄嗟に口から出たにしては上手い言い訳かと思いましたが、星花ちゃんには通じなかったようで、怪訝な顔をしています。
「な、なんでございましょうか?」
「いやぁ?なんて言うかね?ウチらも小中と結構付き合い長いからさ、お互いに信頼関係を築けてるなーっ、て思うわけよ」
「そうだね、私と橘さんは友達だよね。うん。寧ろ親友と言っても過言ではないね、うん、過言じゃないね」
幼稚園こそ違えど、何かと縁の多い人物が目の前の星花ちゃんです。
前のお兄ちゃんが怖くて、家に呼んだことはありませんが、呼ばれたことなら何度もありました。
まあ若干、腐れ縁なところはありますが。
「そんな星花ちゃんは弥生ちゃんの事をよぉーく知っています」
「…は、はい」
「普段は話を合わせてるけど、実は俳優とかに興味が無くて、ドラマもあんまり見ないのも、知っています」
「それは…つまり?」
だんだんと近づいてくる星花ちゃんに、私は後退りしてしまいます。
と言っても私の席は壁際、逃げ場がないことは明らかでした。
「白状しなさい」
「うっ、ごめんなさい」
最悪の人物に勘付かれたと言っても過言ではないでしょう。
星花ちゃんは、特別成績がいいわけではないんですが、こう言うことには鼻が効いて妙に鋭いんです。
「分かればよろしい。…それで?誰なの?…ま、まさか…彼氏?えっ、嘘弥生に?」
「星花ちゃん、それ私に失礼なのわかって言ってる?…ま、まあ確かに顔がいいわけじゃないし、お兄ちゃんには釣り合わないけどさ…」
「え?もっかい言って?よく聞こえなかった」
「なっ、何でもないよ!」
墓穴を掘りそうになり、慌てて言葉を止めます。
ちょっとした失言に熱くなる頰を隠すように、机の上に伏せました。
「ちょっ、マジのマジに彼氏?」
「それは…、違うけど…」
「なら好きな人?でもどうやって寝顔とか?」
好きな人?と言われてドキリと心臓が跳ねました。
確かに、間違いなく好きなのです。
しかし、そこに兄妹という壁がある事を私が忘れたわけではなかったのに。
「…好きな人っていうのは、別に、間違いじゃないけど…。叶わない恋って言うか、禁断の恋って言うか、そもそも恋なのかなって…。…少なくとも相手側が私のことを本当の意味で好きになるってことはないって言うか…」
顔を伏せたまま、机に向かって話します。もごもごと、くぐもった声が出ているのがわかりました。
兄妹間の結婚ってどうなんだろ、実例がないわけじゃないけれど、世間ではあんまりよくは思われてない風潮があります。
で、でも一応可能だし、一番身近って意味では十分可能性はあるかも知れなくて…。
「痛っ!何するの星花ちゃんっ!」
そうやって話していると、後ろ頭にチョップが落ち、私はそのまま顔を机にぶつけることになります。
ごつん、と割と大きな音を立て、おでこがヒリヒリと痛みます。
「くどいっ!」
「…へ?」
「『へ?』じゃない!はっきりしなさい。全然わからない!…で、結局誰なのこのイケメンは」
いつ間に私の携帯電話を取っていたのか、携帯電話を私の方に押し出して待ち受け画面を指差していました。
「…そ、それは」
別に、話してしまって駄目なことはないけれど、ちょっと星花ちゃんは節操がないって言うか、際限がないって言うか、兎に角お兄ちゃんの事を知られるわけには…。
「…って、あ!ちょっと、筆箱は駄目!」
「…おっと!」
どうにか誤魔化せないか考えていると、いつの間にか星花ちゃんの手の中に私の筆箱が。
取り返そうと腕を伸ばしましたが、ひらりと躱されてしまいました。
くっ、確か星花ちゃんはバスケ部、まさかこんなところで運動部のアドバンテージを発揮されるとは思ってもいませんでした。
バスケ部のエースはさすが、伊達じゃないと言う事ですね。
「せ、星花ちゃん、何で避けるのかな?」
「…ほほーぉ」
「な、何でそんなしたり顔なのかな?」
「弥生さんや、ウチらも長い付き合いでさ、お互いの事はよぉーく、それはもうよぉーく分かってるってさっきも言ったね?ウチは分かってしまったよ『答えはこの筆箱にある』…どう?あたり?あたり?」
「…っ!」
やばいです。非常にやばいです。私の頭の中にはサイレンが鳴り響き、何としてもその腕を止めなければと危険信号がビンビン光っています。
既に半開きの筆箱の内側からお兄ちゃんが覗いています。星花ちゃんの側からはまだ見えませんが、それも時間の問題でしょう。
『お兄ちゃん(ハートマーク)』なんて見られれば、一瞬で身元が割れてしまいます。
なんであの時の私は見られる事を考えていなかったのでしょう!
「ほぉーら!答え合わせよ!」
「駄目ぇーー‼︎」
まだ時間が早く人の少ない教室、窓の外には登校中の生徒達がチラホラと見えています。
そんな中、私の悲痛な声だけが校舎に木霊しました。
*****
「ごめんなさい隠すつもりはなかったんです。ほんの、出来心で…星花ちゃんに教えたくなかったとか、そう言う気持ちはミジンコ…の入ってる水槽くらいしかなかったんです」
「なかなかあるじゃん、それ」
昼休憩、いつもと同じようにお昼を食べるためにやってきた私は、何故か星花ちゃんに正座させられています。
人の携帯見る星花ちゃんが悪い、と反論しても立場が悪くなるのは私なのはどうしてなんだろう?不思議。
「それにしても、なーんか納得いったわ。この前大事そーに食べてたお弁当は、そのイケメンのお兄ちゃんが作ってたわけだ」
「…返す言葉もございません」
あの時は私が好きなおかずでいっぱいだから、と誤魔化せたけど今回こそ年貢の納め時だったようです。
「にしし」
「な、何?星花さん、何を考えていらっしゃるんで?」
諦めの気持ちから、グデっと屋上のフェンスに寄りかかっていたら、星花ちゃんがゲス顔で私を覗き込んできました。
…いい予感がしません。こう言う顔の時の星花ちゃんはろくな事を言わないのです。
「よし!じゃあ弥生はウチにそのお兄ちゃんを紹介するって事で、星花さんはそれで許してあげましょう」
「げ」
「ほら〜いいのか〜?ウチがクラスの女子にうっかり漏らしちゃったら、愛しのお兄ちゃんに1人合わせるだけじゃ済まなくなるぞ〜?んー?」
「…うっ」
お兄ちゃんを人質に取られてしまえば私に反論の余地はありません。
…そ、それと愛しのって、私達は兄妹なのであって、うぅ。
「…お兄ちゃんが、いいって言ったらね」
「よっしゃ!いやぁ、弥生わかってるね!さすが親友!」
そう言って、まだ会えるともわからないのに肩を組んで楽しそうにする星花ちゃん。
その笑顔が私は憎めないのでしょう。
なんだかんだ、いい人ではあるし、お兄ちゃんに合わせるだけなら別に大丈夫かもしれません。
勿論、お兄ちゃんが許可したらですけどね!