第7章いざ!! 新たな旅先ネーロラ地方へ
―次元No.2
タルタニア大陸・竜帝歴37年
帝領地・エメラル地方・首都・炎獄苑―
博士竜の研究所に滞在して数日。僕は街での聞き込みを通じて、断片的な記憶の糸を辿ろうとしていたが、核心に触れる情報は得られぬままだった。
里見さんの傷も癒え、僕たちはついにこの街を発つ決意を固める。
「ありがとうございました。……必ず、また来ます」
博士竜の家の前で、僕は深々と頭を下げた。
「ああ、いつでも来るといい。……達者でな」
博士竜は静かに手を振り返し、僕たちの門出を見送ってくれた。
僕と里見さんが、まだ修復の進まない正門へと向かっていたその時――。
不意に、背後から冷ややかな声が届いた。
「……おい。そこの二人、止まれ」
振り返ると、そこには白髪の男が立っていた。
どこか見覚えのある、鋭くも寂しげな眼差し。その腰に提げられた独特な形状の銃を見て、僕は記憶を呼び起こす。
(あの時、路地裏で僕たちを助けてくれた人だ……!)
「もしかして……あの時、僕たちを助けてくれましたよね?」
僕の問いに、男は首を横に振り、言った。
「勘違いするな。あれはただの気まぐれだ」
顔を赤くしていた。
(あっ、やっぱりこの人なんだ。)
「じゃあ、なぜ私たちに声をかけたの?」
里見さんが一歩前に出て、警戒を解かずに問いかける。
男は短く一呼吸おき、視線を北の空へと向けた。
「今、北のネーロラ地方で“ある竜”が暴走の兆しを見せている。本来なら春を迎え雪が溶けるはずの季節に、吹雪は日々激しさを増す一方だ。……明らかに異常事態だ」
「その異常気象が、竜の仕業だと?」
「そうだ。……路地裏での君たちの動きを見て確信した。この二人なら、あの竜を討てるかもしれない」
男は静かに、自らの名を口にする。
「俺はホワイトドラゴン。ネーロラ地方へ同行してほしい。目的はただひとつ――“氷魔竜”を葬ることだ」
僕は一瞬、思考を巡らせる。
これほどの異常事態なら、天竜界や国家が軍を派遣していてもおかしくない。なのに、なぜ一人の男が極秘裏に動いているのか。
「……分かりました。僕たちも、何かがわかるかもしれない。いいですよね、里見さん?」
「いいけど……」
里見さんは少し間を置き、ホワイトドラゴンを射抜くような視線で見据えた。
「ひとつ確認させて。その竜……ただの野生種じゃないわね? “魔龍”の一種……でしょう?」
ホワイトドラゴンの眉が、微かに動く。
「……ネーロラ地方には、古の魔龍が封印されていた記録がある。国家や天竜界が動かないのは、刺激して封印が完全に壊れるのを恐れているから。……放置して被害が広がるのを待つか、極秘裏に始末するか。……あんたは後者を選んだ。そうね?」
ホワイトドラゴンは、自嘲気味に口角を上げた。
「……正解だ。まさかそこまで見抜かれるとはな。君たちは“魔龍”の恐ろしさを知っているのか?」
「知っているかどうかは……さて」
僕は表情を変えずに答えた。だが、内側では言い知れぬ不安が渦巻いていた。
(本当は知らない。……でも、僕の中に微かに浮かぶ、雷を纏う魔龍の影。あの絶望感だけが、僕の魂に刻まれているんだ)
とにかく、今は“知っているフリ”を通すしかない。
「……その氷の魔龍を倒せばいいんですね」
僕がそう覚悟を決めると、里見さんが耳元で小さく囁いた。
「……氷魔竜。あの時の怪物より、数段格上よ。命の保証はないわ」
「それでも……行くよ。ホワイトドラゴンさん、案内をお願いします」
「話は決まりだ。これ以上、雪を広げさせるわけにはいかない。出発するぞ」
こうして僕たちは、ホワイトドラゴンの背を追うようにして、氷の災厄が眠る地・ネーロラへと歩み出した。
ネーロラ地方への旅路は、想像を絶する過酷なものだった。
大陸の交通網は高級品でおり、僕たちのような旅人は三週間、ひたすら徒歩で進むしかない。
凍てつく山道を越え、吹雪の平原を歩く日々。
道中、ホワイトドラゴンさんは無言のまま、僕たちに新しいマフラーや厚手の防寒着を買い与えてくれた。
「この先はさらに冷える。……装備をケチって死なれては困るからな」
彼はそう淡々と言い、この世界の通貨「ゴバ」を躊躇なく支払う。その振る舞いには、どこか不器用な優しさが透けて見えた。
そして、ネーロラ地方の入り口まであと一日に迫った夜。
僕たちは森の影で野営をすることにした。
「……今夜は早めに体を休めろ。明日の早朝、一気に“蒼氷の塔”へ突入する」
焚き火のオレンジ色の光が、周囲の雪を不気味に照らし出す。
里見さんと僕は無言で頷き、それぞれのテントへ入った。
だが、極寒の静寂と、明日の決戦への緊張が僕の意識を覚醒させ続ける。
ふとテントの隙間から外を覗くと、ホワイトドラゴンさんが焚き火の傍らで、何かをじっと見つめているのが見えた。
それは、水色の輝きを放つ、透き通ったペンダント。
彼はそれを愛おしそうに、あるいは呪わしそうに見つめ、小さく唇を動かしていた。
僕は吸い寄せられるようにテントを抜け出し、彼の傍らへ歩み寄る。
「……そのペンダント、綺麗ですね」
僕の声に、ホワイトドラゴンさんは弾かれたようにそれをポケットへ隠した。
「……寝ろと言ったはずだ。見張りは俺がやる」
「ごめんなさい。でも……それ、誰かからもらったんですか?」
ホワイトドラゴンさんはしばらく沈黙していた。パチパチとはぜる焚き火の音だけが、夜の森に響く。
やがて、彼は重い口を開いた。
「……“もらった”んじゃない。“渡すはずだった”んだ」
「渡すはずだった……?」
「ああ。……ある先輩に、渡す予定だった。お前、記憶喪失だったな。……覚えておけ。この世界には、善意を装った底なしの悪意が存在する。……その先輩は、まさにそれだった」
彼の声は、これまでに聞いたことがないほど深く、悲しみに震えていた。
「俺は、信じていた。……そして、裏切られた。……それが、どうしても許せないんだ。――だから、次に会ったら……俺の手で、必ず殺す」
復讐の誓い。けれど、その横顔は泣いているようにも見えた。
「……もう話すことはない。……早く寝ろ、黒竜」
彼は背を向け、再び沈黙の中に沈んだ。
僕はそれ以上言葉をかけることができず、ただ寒空の下、彼の背中を見つめることしかできなかった。
(“先輩”……その人が、ホワイトドラゴンさんの心にこれほどの傷を刻んだんだ……)
僕はテントに戻り、冷えた指先を握りしめながら、静かに目を閉じた。




