第103話:魔王、夜の祭りを観る
ベルフェの住処。部屋の中は静かだった。
クッションの山に半ば埋もれるようにして、ベルフェはいつものようにソファへ沈んでいる。テレビはついているが、本人はほとんど見ていない。
画面の光が横顔を淡く照らす中、彼の手は何度も、何度も自分の角へ伸びていた。
こつ、となぞる。
指先で確かめるように、ゆっくりと。
その様子を、床でとぐろを巻いていたアラームがじっと見上げている。
『……のう、ベルフェ』
「なんだ」
『先ほどから角を触っておるようじゃが……痒いのかの?』
ベルフェは少しだけ目を細めた。
だが、手は止まらない。
「……いや」
『では痛いのか?』
「それも違う」
ようやく手を下ろしたかと思えば、またしばらくして、無意識のように角へ指が触れる。
アラームは尾の先をぴくりと揺らした。
『なんじゃ、気味が悪いのう。そなたがそんなに同じ場所を気にするとは』
近くで書類をまとめていた天音も、顔を上げた。
「本当にどうしたんですか?角に異常があるなら、玄聖さんに相談したほうが……」
「……異常ってほどじゃない」
ベルフェはほんの少しだけ考えこみ、ぼそりと続けた。
「呼ばれてる気がする」
天音がぱちりと瞬く。
アラームも目を丸くした。
『呼ばれてる?誰にじゃ?』
「知らん」
「知らんで済ませていいんですか!?」
天音が思わず素でツッコむ。
だがベルフェ本人はまるで緊張感がない。クッションへ深く身を沈めたまま、再び角に触れる。
「……ただ、妙に落ち着かん」
『ほう。そなたが落ち着かぬとは珍しいのう』
「だるいから寝たいのに、寝づらい」
「そこなんですね……」
天音は苦笑しつつも、少しだけ不安そうにベルフェを見つめた。
彼の角は、ただの魔王の角ではない。だからこそ、こういう妙な変化は気になる。
だが本人が「今すぐどうこうなるわけじゃない」と判断している以上、必要以上に騒いでも仕方がなかった。
「何かあったら、ちゃんと言ってくださいね」
「ん」
『ふむ……まあ、そなたがそう言うならよいが』
アラームはそう言いながらも、どこか納得していない顔でベルフェを見上げた。
◇
深夜2時頃。
最初に響いたのは、遠くの太鼓の音だった。
どん、どん、と腹の底に響く低い音。
ベルフェは薄く目を開けた。
次いで、ぱぁん、と夜空を裂くような破裂音が続く。花火のような、けれど少し乾いた奇妙な音だった。
『……んん?』
アラームが頭をもたげる。
別室で仮眠を取っていた天音も、物音に気づいたのか、ぱたぱたと足音を立ててリビングへ駆け込んできた。
「な、なんですか今の音!?え、火事!?事件!?」
「……祭りだな」
「いやいや、時間考えてくださいよ!?」
ベルフェは寝起きそのままの顔で窓の方を見た。
確かに、外からは賑やかなざわめきまで聞こえてくる。人の笑い声のようなもの、笛の音、木札を打ち鳴らすような音。
近隣の住人たちも異変に気づいたのか、あちこちの部屋で明かりがつき始めていた。
「こんな夜中に……祭り?」
天音が首を傾げながらカーテンを開ける。
その瞬間、彼女は言葉を失った。
「……え?」
窓の外――本来なら静かな住宅街が広がっているはずの道に、いつの間にか無数の屋台が並んでいた。
赤提灯が揺れ、幟がはためき、焼ける匂いと甘い香りが夜風に混じる。
たこ焼き、りんご飴、焼きとうもろこし、綿菓子。見た目だけなら、どこにでもある祭りの屋台だ。
だが、屋台に立つ“者”たちは、人ではなかった。
狐のような何か。
やけに首の長い女。
布のような何かが、ひとりでに動き回っている。
顔じゅうが毛に覆われた者。
どの屋台の者も、一見すると祭りの一部に見える。
だが、よく見れば見るほど“人ではない”と分かる、そんな不気味さがあった。
『……なんじゃアレは?人ではないのう』
アラームの声が低くなる。
窓の外を行き交うものたちは、ぞろぞろと通りを埋め尽くしていた。
着物姿の女が笑いながら歩き、その後ろを一本足の傘がぴょんぴょんと跳ねる。提灯を掲げた小さな影の群れが走り、牛ほどもある大きな獣が屋台の間をのしのしと進んでいく。
まるで、百鬼夜行だった。
その光景を見下ろし、ベルフェはほんの少しだけ眉を寄せた。
「……妖ノ國の者か」
「えっ」
ベルフェはわずかに目を細める。
「また世界が繋がったのか?」
天音が勢いよく振り返る。
「ま、待ってください!?知ってるんですか!?」
「……まあ、見覚えはある」
『さらっと厄介なことを言いおったのう!?』
アラームが青ざめたように尾をばたつかせる。
そのとき、テーブルの上に置かれていたスマホが激しく震えた。
着信画面には、蒼真の名前が出ていた。
天音が慌てて通話を取る。
「もしもし!?」
『何かあったんですかアレ!?』
開口一番、蒼真の焦った声が飛び込んできた。
『窓の外、なんかすごいことになってるんですけど!?道が屋台だらけで、屋台の者たちが、人間じゃないみたいで!』
「こっちもです!今まさに見てます!」
『やっぱりそうなんですね!?夢とかじゃなくて!?』
半ば悲鳴のような声に、天音も強くうなずく。
「夢じゃないです……たぶん!」
『たぶん!?』
通話越しに蒼真がさらに混乱する。
そんなやり取りを横で聞きながら、ベルフェは窓の外の行列から目を離さなかった。
ちりん。
ちりん。
どこからともなく、鈴の音が混じる。
その音に、ベルフェの角がびり、と小さく脈打った。
「っ……」
『ベルフェ?』
アラームが振り返る。
ベルフェは眉を寄せ、また自分の角へ触れた。
今度はもう、気のせいではない。確かに何かと共鳴している。
「……呼ばれてるな」
「な、何にですか?」
天音が問いかける。
ベルフェは答えず、ただ百鬼夜行のような行列を見下ろしていた。
そのとき、翁面をつけた何かが屋台越しにこちらを向いた。
笑った、ように見えた。
そして次の瞬間。どん、と太鼓が鳴った。
まるで、こちらへ気づいたと告げるように。




