パラダイス・モーテル
ウタが運転する真っ赤なオープンカーは、72年型のシボレー・C3型コルベットだ。通称をスティングレイという、古き良き、有名なスポーツ・カーである。
ウタは英樹を助手席に乗せて、定宿にしているダウンタウンにある安ホテルを目指してマッカッサー・コーズウェイを一路、マイアミへと戻っていた。そして隣で口元をゆるめている男の様子を横目に見て、機嫌が良さそうに尋ねた。
「ところであなたは、何処からやって来ているの?マナーがあるから、中国人じゃないって事だけは分かるけど」
「俺かい?日本からだよ」
「仕事は、何してるの?」
「エンジニアってところだな。『スペース・バッハ』って二人組のバンドの片割れでさ。ライティングとミキシングを担当している。町から町へ、小さなライブをやりながら回っている」
ウタは男がバンドマンである事を聞いて、その目をキラリと輝かせてみせた。「そう。音楽をやっているの。・・・初めてだわ、日本人の男の人って」
「そうなのか?君をガッカリさせなければ良いけどさ。ちょっと緊張するよな。・・・とにかくあっちは久し振りなんだ。だから、よろしくな。俺と一緒に遊んでやってくれ」
「良いわよ。私に任せて。思いっきり楽しませてあげるから。今夜はきっと、忘れられない夜になるわよ」
ウタは英樹と話してみて、男が嘘をつかない、信用できる良い客だと理解した。おおむね日本人は礼儀正しいと聞いている。奇妙な性癖も無さそうだ。男は心地よいセックスを味わって、今夜を楽しみたいだけのようだ。その時、ちょっとしたアイデアが浮かんだ。通常では絶対にあり得ない、娼婦をしていて初めてそんな風に考えたが、ウタはいつものホテルを使うのを止して、今夜は男を自身のアパートへと連れてゆくことにした。
一方、『パラダイス・モーテル』の聖人のその部屋は、夜更けの沈黙に包まれていた。窓辺には青い月明かりが差し込んでいた。聖人とメリッサはそれぞれにベッドに横たわって、いつもと変わらず穏やかな眠りへと就いていた。少なくとも聖人だけはそうだった。
ところが、寝返りを打ったメリッサは、慣れない枕のせいなのか、それともベッドのマットの硬さのせいなのか、今もなかなか眠りに就けないでいた。メリッサは目を開けて、隣のベッドでぐっすりと眠っている静かな聖人の大きな背中を見つめていた。すると何故だか心細くなって、もうひとつの枕を自らの胸に抱きしめた。メリッサはなぜかその目を涙で潤ませていた。
メリッサはどうにも淋しさが我慢し切れなくなって、声を低く、申し訳なさそうに聖人に言った。
「ねえ、淋しいから、そっちに行っても構わない?」
すると、いつから目を覚ましていたのか、聖人は彼女に背中を向けたまま、仕方が無さそうにその口を開いた。
「そうすれば、ちゃんと眠れるのか?」
「うん。約束する」
「・・・本当だな?」
「本当だよ」
彼女が静かに眠ってくれなければ、聖人は彼女ことが少し気になって熟睡することが出来なかった。聖人は少女を年の離れた妹だと思えば、問題は無いだろうと考えた。「仕方ないな。・・・それなら分かったよ。こっちに来て眠ると良い」
「本当?・・・本当なの?ありがとう」
メリッサは自分の枕を腕の前に抱いて、ベッドから抜け出してくると、遠慮して控えめにベッドの彼の隣へと潜り込んできた。そうして仰向けになって大人しく目を閉じている聖人の隣に横たわって、彼の静かな横顔に目をやった。
そして甘える猫のように、彼の片腕を抱きしめて、彼の肩へとその頭を預けた。そうしてメリッサは幸福そうに微笑んで、やがてはぼんやりとなってその目を閉じて、不意に訪れた眠気に誘われるままにゆっくりと眠りへと落ちていった。
倉庫街に近いスタジオ・タイプのアパートからは、マイアミ港の都会的な夜景を見晴らすことが出来た。ウタと英樹は、湾に面したベッドスペースにやって来た。
ウタが誘惑の笑みを浮かべてみせた。彼女は手慣れた動作で英樹のシャツを簡単に脱がした。すると次には、彼のその胸を両手で突き飛ばし、ウォーターベッドに彼の身体を大の字に横たわらせた。突飛な行動にちょっと驚いたが、英樹はそのままベッドでバウンドして、その上で仰向けになった。
ウタは明るく笑い声を上げて、彼の体の上へと飛び乗るようにして跨がってきた。ウタは脱いだビスチェをフロアに放り投げた。そしてブロンドの巻き毛を振り乱し、ベッドでされるままになっている英樹の唇に、いきなり濃厚なキスを仕向けた。
ウタは、今夜はこの男に最高に気持ちの良いセックスと刹那の人生の楽しさを体験させるつもりだ。生きていればいろいろと問題は発生するが、そんなことより素晴らしい出会いや経験が出来ることを体感させるのだ。ウタはそう思って、その目を意味深に輝かせ、唇で彼の唇をついばんで、英樹に念を押すかのように言い聞かせた。
「良い事?私に任せるの。・・・私がリードするからね。・・・分かった?あなたを最高の気分にしてあげるから」
「ああ、分かったよ。君の言う通りにする」
英樹は従順で、なすがままだった。どんな風にして楽しませてくれるのか、ちょっとした期待感もあった。ウタは舌と唇で彼の顔や首筋を愛撫しながら、上等なスフレを味わうかのような魅惑的な面持ちを浮かべた。
二人は共に下着だけになった。ウタはベッドテーブルからボディローションの容器を取り出して、ローションを手の平に一杯に絞り出し、彼の体にたっぷりと塗り付けた。そして適度に力を加えて、彼の上体を丁寧にマッサージし始めた。英樹は初めはくすぐったいと感じていた。それでも次第に気分が良くなって、だらしなく表情をゆるめた。
うっとりとなった英樹を見て、ウタは満足をその表情にした。そして自身の唇を舌で舐め、彼の首筋からその胸に、そして腹や下腹へと、美味しそうに舌で舐め回し、唇でついばんで、時には歯を立てて甘噛みしたりして、挑発的なキスと愛撫をくり返した。
『パラダイス・モーテル』の室内では、窓辺で風鈴が海風に揺れて、カランカランと軽い音色を響かせていた。カランカラン、カランカララン、カランカラン、カランカララン。その音は軽くて柔らかく、音色と音色が重なり合って、どことなく幻想的な響きだった。
響きは流麗でいて鳴り止まず、室内で行っては跳ね返って、溢れ返って感じられていた。やがて聖人の隣で静かに眠っていたメリッサが、そんな音色に、まるで夢遊病にかかったかのように、ぼんやりと目を覚ました。
メリッサが気配を殺して上体を起こした。そして、隣で眠っている聖人の唇に甘くついばむようなキスをした。
心地よい唇の感触に、聖人がぼんやりと目を覚ました。そしてキスをしている、催眠術に掛かったかのようなメリッサのその顔を見上げた。すると彼女のその舌が、聖人の口の中へとヌルリと入ってきた。
朦朧と目覚めているメリッサが言った。
「スターマン。・・・ちょっと手を貸して」
聖人には何がどうなっているのか、何が何だか分からないでいた。
「何だよ?いったい何をしようって言うんだ?」
「良いから。・・・さあ、少しだけで良いから」
メリッサは無邪気に微笑むと、彼の手を取って、自らの股間へと導いた。そうしてパンティの中にその手を入れて、ヴァギナに触れるように促した。その時、聖人は、自らのその指に彼女の窪みのヌメりけを感じた。
メリッサは挿入された指の感触を嬉しく思って、ウットリと微笑んだ。「ね、濡れているでしょ」
「あ、ああ、・・・」
「バイブルの話って、知っている?」
「何の話だよ?いきなり」
「エデンの園に現れたってアダムとイブのお話しだよ。とっても有名なお話しよ。・・・知っている?あれって嘘なんだ。本当はリンゴなんか食べなくたって、アダムとイブは愛し合えたのよ。そうしていれば毒蛇なんか出てきたりしなかった。・・・」
聖人には、彼女がどうしてそんな事を言うのか理解できなかった。
「誰から聞いたんだよ、そんな話。・・・聖書のあれは、ヒトの欲望を戒めるための御伽話だって言いたいのか?」
メリッサの股間では、彼女の膣口に触れている聖人のその指が弦を爪弾くようにゆっくりと動いていた。メリッサは気持ちが良くなって、力が抜けて吐息をウットリと漏らした。
「ああ、気持ち良い。・・・気持ちが良い。・・・気持ち良いよ。スターマンが触れていると、とっても気持ちが良い。・・・ねえ、スターマンも気持ち良くなりたい?」
聖人は上気して官能的に微笑むと、自らの内にあった獣の部分をむき出しにして、メリッサの身体の上へと覆いかぶさった。そして快感と戯れるメリッサにキスをした。舌を深く、滑らかに絡め合って、熱っぽくキスを交わした。そうしているとメリッサの手が、男の力を誇示するように固く勃起している彼の男根に触れた。
メリッサは聖人の男根を念入りに揉みしだいた。それから猫が甘えるように顔や身体を擦り付け、彼の耳を舐め、甘噛みして、彼に囁くようにねだった。
「ねえ、もっと良いモノが欲しいよ。もっと良いモノをちょうだい。・・・お願い。だから、あたしにちょうだいよ」
「良いのか?・・・後悔しないか」
メリッサは快感に上体を震わせて、息を詰まらせ、しっかりと頷いてみせた。「うん。約束する。後悔なんかしないから」
メリッサがプレゼントの包みの紐を解くかのようにそのシャツを脱いだ。小さな乳房が、脂質の薄い細い身体がむき出しになった。その時のメリッサは少女ではなく、歴とした一人前の女だった。
その時なぜか、その部屋の青い大きな壁面には、水辺に乱反射して、屈折しながら揺らめいて動く光彩が、天井にまで光り煌めいて感じられていた。それは幻覚なんかでは無かった。光はまるで増殖を続けて、ユラユラと揺れ踊る生き物さながらに、その部屋の一杯に溢れ返っていった。まるでその部屋の全体が、海の浅瀬へと沈み込んだかのようにだ。
ベッドでは、全裸になった聖人とメリッサがその体を重ね、荒振る情熱に飲み込まれていた。いきり立った男根が彼女の膣内を突き上げる。二人は官能を交感しあって、体内を駆けめぐって走るエネルギーを循環させて、強く、念入りにその愛を感じ合っていた。
早朝になって、モーテルのその部屋はブルーグレイの薄光に染まっていた。聖人がぼんやりと目を覚ました。傍らでは、メリッサが全裸のままで俯せになって眠っている。
近くで見ると、彼女は本当に端正な顔立ちをしている。それからメリッサの首筋に、石を失ったペンダント・ヘッドが裏返ってみえた。そこには彼女の名前と生年月日が刻まれていた。彼女の名前はメリッサ・メリー・ニュートン。聖人はそれに目をやって頭の中で簡単に計算して、少しの間を考え込んでしまった。口の中で「・・・16だったのか」と呟いた。そして憂いと後悔をその顔にした。
その日は、昼になると直射日光が強かった。マイアミのコーラル・ゲイブルズにある郊外の通りには、白銀に眩しく輝く彼らのエアストリームが駐車していた。そこにはサンドイッチで有名なカフェがあって、道路を挟んだ向かい側には飛行機の格納庫をそのままに移築した、衣料品を安売りしている大型店が見えた。
パラソルが開いたカフェのテラスのテーブルでは、刺繍の入った白シャツにジーンズ姿の聖人がひとり、瓶入りのコカ・コーラを飲みながら『ツァラトゥストラはかく語りき』の続きをのんびりと読み進めていた。
しばらくすると、小さなハート柄の、フレアのミニのワンピースを身に着けたメリッサが、店の大きな紙袋を三つ両手に持って、大型衣料品店のエントランスから出てきた。
メリッサは、ひょっとしたら自分はこの場所で見捨てられたのではないかと考えて、急に不安になって、聖人の姿を探して向かいにあるサンドイッチ・ショップを見つめた。
ガラス張りになった店の中には彼の姿が見えなかった。それでも、店の横側に張り出してみえているウッドデッキのテラスには、のんびりと読書をしている聖人がいた。メリッサはその場所に聖人を見付けて、安堵してニッコリと笑った。
すると一陣の風が吹き抜けてきて、古き良き時代のイタリア製の名車、ブガッティ・アトランティークが、さながら漆黒の弾丸のように流線型のボディを陽光に輝かせて、店の前の通りを走り抜けていった。それはまるで、正体不明のエネルギーを持ったダークマターが不意に異次元から現れ出してきたかのような状態だった。
メリッサはそんな車を軽い心持ちで見送った。そして通りを小走りに横断してきて、聖人が待っているサンドイッチ・ショップのテラスへと向かった。
聖人は両足を伸ばして椅子に腰掛け、肘掛けに肘を置いてゆったりと読書していた。すると目の前が唐突に陰になって、少女が戻ってきたことに気が付いた。
聖人は顔を上げ、明るく笑っているメリッサを見て、その手に持たれた、いやに大きな買い物袋に目をやった。袋の量が奇妙に多く感じられていた。「ずいぶんと買い込んできたな。渡したお金でそんなに買えたのか?」
「うん、問題ないよ。半分以上は万引きして来ちゃったけど」
「嘘だろ?・・・そんな」
「どうして?嘘じゃないよ。本当だよ」
聖人は慌てて本を閉じ、椅子から立ち上がって、通りの向かいにある衣料品店の様子を見つめた。それから無邪気に微笑んでみせているメリッサの両手から、紙袋を取り上げた。
「まったく。冗談じゃないぞ。さあ、今すぐここから離れるぞ」
「何も心配ないってば。誰にも分かんないように取ってきたから、大丈夫だってば」
「バカ。大丈夫なんかじゃないだろ」
「本当に大丈夫だから。店の人たちには絶対に分からないように取ってきたから。ほら、誰も追っかけて来ないでしょ?ね」
「何を言ってんだよ。そう言う問題じゃないだろ。さあ、行くぞ」
聖人はサンドイッチ・ショップで働く従業員たちに目をやって、メリッサを促して、さっさとテラスから出ていった。そうして買い物袋を両手に持って、彼女を連れて足早に、駐車してある車のところへと向かった。
「まったく。大人しい顔をしているかと思ったら、こいつはいったい何を考えているんだ。さあ、早く車に乗ってくれ」
メリッサが車の助手席に乗り込むと、聖人は紙袋をシートへと投げ入れた。それから衣料品店や周辺をもう一度見回して、運転席に乗り込んだ。聖人は車のエンジンをかけた。そして、手早く車を発車させた。エアストリームは通りを真っすぐに走り抜けていった。車は強い日光に白銀の車体をキラキラと輝かせて、やがては小さな町並の向こう側へと消え去っていった。
聖人は苛立った顔付きになってハンドルを握り、マイアミの市街へと車を走らせた。メリッサは憮然とした彼を横目に見て、訳も分からず萎縮して、息を殺して、申し訳なさそうにしていた。メリッサは助手席で、憤慨した彼の圧迫感を強く感じていた。
あまりに居心地が悪いので、メリッサは我慢し切れなくなって、そんな状況を何とか打開できないものかと、聖人の気分を害さないように用心深く話した。「ねえ。ひょっとして、怒らせちゃった?」
「当たり前だ。必要な物があるのなら、俺にちゃんと話せば良い。それくらいの金だったら、いつだって渡してやる」
「ゴメンね。本当にゴメン。あたし謝るよ。ね、だから機嫌を直してよ。許してくれるなら何だってするからさ。・・・お願いよ。もう二度と万引きはしないから。だから許してよ。お願い。あたしを独りぼっちにしないで」
聖人は、メリッサの言葉には耳を貸さなかった。そして黙ったまま、前を向いて車を走らせた。メリッサはそんな聖人の横顔を、懇願するようにただただ見つめていることしか出来なかった。
それからしばらくして、白銀のエアストリームはマイアミのダウンタウンの通りへと入っていった。困惑しているメリッサを助手席に乗せて、白銀の大型車はそんな街中を当てもなく走り続けていた。
マイアミのダウンタウンの南西には、キューバ移民のコミュニティーによって作られたリトル・ハバナという地域があった。その街は地元の人たちにカリェ・オチョ(8・8ストリート)と呼ばれていて、方々にスペイン語の看板が目立ち、キューバで闘鶏が盛んなことにちなんでニワトリの像が所々に立てられている。近くにはマキシモ・ゴメス公園、通称ドミノ・パークがあって、ここでは日中いつでもキューバ人の叔父さんたちがドミノを楽しんでいる。
そんな通りを、シガー(葉巻)を専門店で買い終えたばかりの一台の派手で豪華なキャデラックのリムジンが、のんびりと走り抜けていた。それから交差点の信号が赤になって、その車を停めた。
運転手の制服を身に着けたアフリカ系の青年のリック・ワシントンにその車の運転をさせて、防音ガラスで仕切られた、ゆったりとしたリムジンの後部座席には、真っ赤なミニ・ドレスに派手な化粧をした二人のプラチナ・ブロンドの美女のジュリー・キャシディとルイーズ・ホーンが乗り込んでいた。それからウインストン・チャーチルにどことなく似ている、太めのビール腹に立派な鼻髭を蓄えた、カウボーイハットに左目にアイパッチをしたテキサスのオイル・ダラー(石油王)、ダグラス・キャッシュ・テイラーがシートの真ん中にゆったりと座り、ドレスや化粧や髪型などがまったく同じ、まるで双子のようなジュリーとルイーズを両側に並べて乗り込んでいた。
リトル・ハバナの交差点を左から右へと走り抜けてゆく白銀のエアストリームを、キャッシュ・テイラー(現ナマのテイラー)が見付けた。そして子供のようにニンマリとほくそ笑み、車内用のマイクのスイッチを押して、運転手のリックへと告げた。
「リック。たった今、前を通り抜けていったエアストリームを。あそこにいるデカい銀色にテカテカと光った奴だ。あの車を追ってくれ。くれぐれも相手に気付かれないようにな」
「はい、ミスター・キャッシュ。承知しました」
リックがルームミラーに目をやって、後部座席のダグラスに向かって頷いた。すると、ダグラスの両側にいるジュリーとルイーズが、呆れた顔付きになって話した。
「あらあら、どうやらこの人の悪い虫が、またまた目を覚ましたみたいよ」
「まったく、こんな年になっても子供みたいに無邪気でいるなんて。この人ったら、よほど幸運な人なのよね」
バッファローの角と毛皮でフロントを装飾した、リアパネルに翼のような派手なデザインを施したベージュの古いキャデラックのリムジンは、信号が青に変わると発車して、ついさっき先に行ったエアストリームの後に続いて交差点を右折していった。
リムジンは目立たないように適度な距離を保って、前を行くエアストリームをゆっくりと追っていた。そうしてリトル・ハバナの街中を海側へと通過していった。キャッシュ・テイラーは体を乗り出し、前を行くエアストリームを子供のような眼差しで見つめていた。そして満足してシートに身を戻すと、両側から挟むようにもたれかかって来たジュリーとルイーズに「葉巻を」と告げた。
それを聞いて、左側のジュリーがハバナ産の太巻き葉巻の『コイーバ』を木箱から取り出して、葉巻の表面を念入りに舌で舐め、ほんの少しだけ湿らせた。それからそれを右手のルイーズへと手渡した。すると、それを手にしたルイーズは、葉巻の先端をカッターで切り落とし、ダグラスのその口へとくわえさせた。
それを見てジュリーが、インゴット(金塊)まがいのライターを片手に、彼の葉巻に火を点けた。キャッシュ・テイラーはそうして火が点いた葉巻をくゆらせて、奇抜な車を偶然に見付けて嬉しさを隠し切れず、無邪気に微笑み、喜びを噛みしめた。
聖人が走らせるエアストリームはメリッサを助手席に乗せて、リムジンに尾行されていることも何も知らずにマイアミ市街をのんびりと走り抜けた。
美しい街中を走り抜けてきたエアストリームは、やがてはパトカーが並んで駐車しているマイアミ警察デイド署近くの路側へと停車した。
聖人はギアをパーキングに入れて、前を見つめて思い悩んでいた。
昨日の夜、メリッサを抱いてみて、聖人は彼女にこれまで知ることが無かった深い不可思議な情愛を感じていた。未成年とのセックスはこの国では法律に触れる。しかし、親戚の娘だとか言って、表向きは年齢の離れた妹のように接してさえいれば、いくら二人が愛し合っていたとしても街中で無闇に目立つことなど無いはずだ。聖人はそう考えていた。
ところが彼女はいきなりセックスを求めてきたり、罪悪感を感じずに万引きをしてみたりする。彼女はティーンエイジの無節操そのものだ。彼女には道徳といった観念が、いわゆる世にある善悪の判断が、ひどく希薄で曖昧なように感じられていた。そんな彼女では、自分と英樹の迷惑になる。彼女が何か問題でも起こしたりしたら、自分たちの今回のツアーの弊害になりかねない。自分と英樹のこの旅の目的を考えたら、責任上、そんな危うい状態は見過ごせない。自分たちはとんでもない挑戦をしているのだ。だから、とにかく失敗する要因を無くさなければならない。聖人はそんな風に考えた。
メリッサは聖人のそんな横顔を見つめて、裁きを前にした被告人のように項垂れた。
「やっぱりスターマンは、あたしをこの場所に置いてゆくの?・・・あたしを独りぼっちにして、行っちゃうのかな。・・・」
キャッシュ・テイラーはくゆらせていた葉巻を灰皿に揉み消して、警察署の前に駐車しているエアストリームを見つめて、表情を曇らせた。「おいおい。こいつはおかしな雲行きになって来たぞ」
テイラーは唇を噛んで、小さく首を振って困惑し、車内用のマイクへと話した。「リック。車の様子がちょっと気になる。距離を保って駐車してくれ」
「承知しました」リックはルームミラーに頷いてみせ、テイラーのキャデラック・リムジンを、警察所の近くにいるエアストリームが監視できるようにと、少し離れた路側へと駐車した。
メリッサは重たい沈黙の中、聖人の横顔を見つめていた。聖人はじっと前を見て、思い悩んで、警察署のエントランスの周辺に目をやった。
「君となら上手くやっていけると思っていたけど。やっぱり俺の手には負えないかも知れないな。・・・これが二人の運命なのかも知れない。あんな事があった後だから、俺は君のことを一緒に連れて、このまま旅を続けてみようかと考えていた。だけどさ」
「ゴメンね。・・・本当にゴメンなさい。そんな風にあなたが怒るなんて思ってもみなかった」
聖人は溜め息を吐き出して、脅えるメリッサのその顔を見つめた。
メリッサが言った。
「あたし、独りになっちゃうのが恐いよ。だって世界には恐い人たちばかりがいるもの。怪物みたいな人たちがたくさんいて、彼らが何を考え、何を喋っているのかさえ分からない。あたし、スターマンと一緒にいたいよ。だからお願い。もう二度と悪さはしないから」
リムジンのテイラーは神妙な顔付きになって、不可思議そうに顔を見合わせる女たちの手を握って、白銀に輝くエアストリームを見つめていた。
聖人は目を瞑って考えた。すると、一名の制服警官が警察署のエントランスから出てきた。
聖人はその目を開けて、悩みに悩んで前方を見つめた。
彼女をここで警察に預けた方が、彼女にとっては安全だと思えた。自分たちのツアーも計画通りに進めてゆけるはずだ。だけど、どうしてだかメリッサをこのまま一人にすることが出来なかった。・・・どういう理由かは分からないけれど、ここで彼女を手放せば、彼女を不幸にするような気がした。今は安心していてキラキラした表情をしているが、出会った時の彼女は、底知れない何かにひどく脅えているように感じられていた。何処かの場所から逃げてきたように思えていた。だからこそ、彼女をあの場所から連れ出してきたのだ。「畜生。・・・」
警察署から出てきた警官は、近くに駐車している白銀の奇妙な車が気になったようだ。そう思って車の方へと歩き出してきた。そんな警官をウインドウの外に見付けて、メリッサは慌てて前髪を耳に掛け、繕うように表情を明るくした。
警官によって運転席側のドアがノックされた。メリッサは売れないアイドルのように気分を切り替えて、作り笑いを浮かべてみせた。聖人はノックで初めて警官の存在を知った。警官が「なあ君、ちょっと」と尋ねた。聖人が「ああ。何ですか?」と答えた。
「ここが何処だか分かっているのか?こんな場所に大きな車を停めていると、俺たちの車が出せなくなる。それとも何か?何か用があって、ここまでやって来たのか?」
「ああ、いいや。すみません。ちょっとぼんやりしていて。すぐに車を動かします」
「それじゃあ、今すぐ動かしてくれ」
その時、警官が、助手席にいるメリッサのことを怪訝な眼差しで見た。メリッサはそんな警官に、わざとらしく明るく笑いかけた。それから「こんにちは」と言って、聖人を指差して笑った。「叔父さんったら、ニッポンからこの街にやって来たばかりなの。それで、モーテルまでの帰り道を忘れちゃったみたいで」
警官が「モーテルはどこにある?」と尋ねた。
「ココナット・グローブの海沿いにあるの」
「それなら、この前の通りを真っすぐに進めば良い。そうすれば海沿いに出る。それから標識でチェックして、サウス・ベイショア・ドライブを南へと進むんだ。簡単にココナット・グローブまで辿り着ける。そこまで行ったら、モーテルの名前を言って地元の人に尋ねてみると良い」
「ありがとう、お巡りさん。お巡りさんのお陰で、わざわざ警察署まで尋ねに行かなくても良くなったわ」
制服警官は気さくに笑って、車内の様子を覗きみた。シートの背後に、チラリとコンピュータとミキシング・テーブルが見えていた。
「コンピュータや奇妙な機械が車にあるけど、仕事は何をしているんだ?」
「叔父さんは日本からやって来ているミュージシャンなのよ。格好いいでしょ。ママの妹の旦那さんなのよ。この車でアメリカ中をコンサートして回っているの。とっても小さなコンサートなんだけど」
メリッサはとにかく巧妙で嘘が上手かった。警官は彼女の話を簡単に信じ込んだらしい。
「そうか。それじゃあ、なおさらだ。外者なら外者らしく、ぼんやりしてないで、標識をきちんとチェックして、くれぐれも安全運転で。そうでないと、余計に道に迷うだけだ」
聖人が「どうも、ありがとう」と苦笑いして返した。
メリッサが聖人をからかうように続けた。「でしょ?私の言った通りじゃない。まったく、叔父さんったら分かってないんだから」
メリッサが警官に明るく頷いて笑ってみせた。聖人はそんなメリッサとは話もせず、苦笑いして車のギアを入れた。警官はメリッサと聖人のそんな具合の悪いやり取りを見て、不審そうに眉をしかめた。「何だね?君たちはケンカでもしているのか?上手く行ってないみたいだな」
メリッサが聖人の肩を突ついて、警官に笑ってみせた。
「ほら、彼が道に迷っちゃったでしょ。それで色々と言い合いになっちゃって」
聖人が取り繕うように警官に言った。
「大丈夫です。俺が折れたら、それで終わります。ありがとう、お巡りさん」
「君たち、仲良くしてくれよ。それじゃあ、気を付けて。良いね、君」
「分かっています。どうも、ご親切に」
メリッサが陽気に笑って、ウインドウから車中を伺う警官に、無邪気に手を振って挨拶をした。聖人はそれを横目に、心の中で踏ん切りを付けた。覚悟を決めて、アクセルを踏み込んだ。そうして軽いエンジン音を立て、車をふたたび街中へと走らせ出した。
白銀に輝いたエアストリームは、通りから静かに走り出していった。制服警官はそんな奇抜な車を見送って、呆れたように言った。
「エアストリームの改造型か。なんて奇妙な車に乗っている男なんだ」
キャッシュ・テイラーは、ゆっくりと走り出していったエアストリームを見つめて、心から安堵した。それから満面の笑みを浮かべた。「良し。それで良い。人にはそれぞれに宿命ってものがあって、人間はそれに従って生きてゆくことが一番に幸福だ」




