安室奈美恵 / 日本の元歌手
安室 奈美恵(あむろ なみえ、1977年〈昭和52年〉9月20日 - )は、日本の元歌手、ダンサー。沖縄県那覇市首里石嶺町出身。1990年代後半から2010年代にかけて数多くの記録を打ち立て、平成を代表する歌姫としての地位を築いた。浜崎あゆみと共に、当時最も支持を集めた女性アーティストの一人であった。40歳の誕生日を迎えた2017年9月20日、公式サイトにアップしたメッセージにて、芸能界を引退することを発表し、2018年9月16日をもって引退した。モザイク処理や映像カットで映像を一切映さない元有名人が多い中、安室の映像は現在でも音楽番組等で流している。出典:Wikipedia
1%の才能と99%の継続、努力し続けることで今の自分がある。 安室 奈美恵
何もしないまま願望だけが叶う事はない。 安室 奈美恵
怖がらず、焦らず、目的が明確であれば、いつかたどりつける。 安室 奈美恵
全てを生かすも殺すも自分次第。周りが諦めても、自分は絶対諦める事は出来ない。 安室 奈美恵
誰にでも可能性はある。私も最初はゼロだった。 安室 奈美恵
何かを始めるのに遅いってことはない。 安室 奈美恵
自分が進みたいと望むものが傍には愚かに思えたとしても、私の判断は変わらない。 安室 奈美恵
誰かに与えてもらった道は、与えてくれた人がいなくなったら途絶えてしまう。 安室 奈美恵
この世界は"やりたい"という気持ちだけじゃ続けられない。 安室 奈美恵
私は、ひとつのことがうまくいったからといって現状維持しようと守りに入りたくない。 安室 奈美恵
私にとって輝いている人は、常に全力で取り組む姿勢のある人。嫌なことがあっても次から頑張ろうと前向きに思える人が素敵。 安室 奈美恵
簡単にダメだと折れるのか、それとも「どうにかしてやろうじゃん」と立ち上がるのか。私は後者の方が楽だと思う。 安室 奈美恵
私の場合、自分の中で不安だったりスランプだと思うときは、とにかくそれをやり続けるんです。そこで何かを見出さないと毎回同じ壁にぶつかっちゃうから。 安室 奈美恵
"まだ頑張れる!"的な感じで自分に言い聞かせます。やらなきゃいけないことはたくさんあるし。気合いですね。 安室 奈美恵
私より歌の上手い人なんてたくさんいる。私よりダンスが上手い人もいっぱいいる。ただ、歌いながら、踊ることは、誰にも負けない自信がある。 安室 奈美恵
仮に何か否定的なことを言われても、その人たちも「見てる」ってことじゃないですか。 安室 奈美恵
常に過去よりも前を見て、新しい自分に出会い続けたい。 安室 奈美恵
常に思っているのは、強い女性でありたいなっていうこと。前向きに確実に一歩進んでいく。 安室 奈美恵
「バス代も出せないよ」奈美恵ちゃんの団地の家賃は月5000円六畳一間の部屋だった。3人の子供を養う母は保育士で、夜はホステスのかけもち。睡眠は毎日3時間。奈美恵は学校でも目立たず地味な子供だった。小5の時に、友達の誘いでダンススクールの見学に行った。校長と面会した母は言う。「正直、歌とか踊りとか、奈美恵が生きていくのに役に立つとは思えません」校長は言う。「お金はけっこうです。私にあずけて下さい。この子は絶対モノになります」母が奈美恵に言う。「バス代も出せないけど本当いいの?」徒歩で往復3時間。すぐに辞めるだろうと思っていたが、奈美恵は通い続けた。進路指導のときには、「歌でお金を稼いでお母さんに楽をさせてあげたいんです」と力強く、答えていた。東京に旅立つ日、母が奈美恵を止めた。「行かないで!」「絶対に行く!」涙をぽろぽろ流しながら、「絶対に成功するから」その言葉を聞いて母はバックから手を離した。その後、奈美恵は国民的歌手に。十周年を前に他界した母に届くことを祈りながら歌い続けた。誰にでも可能性はある。私も最初はゼロだった。何度泣いたっていい。でも過去は振り返らずに未来を作っていけばいいんです。安室 奈美恵
私はアイドル時代会社に操られている機械だった。考える時間も権利さえも与えてもらえなかった。私は反抗し続けた。私の人気は3年前急落した。親友さえも安室奈美恵は終わったといった。メディアに媚を売って人気を回復することは絶対したくない。一から這い上がってみせる。ただ、もう一度歌を歌いたかった。母の死は私を地獄へ突き落とした。もう何もできなかった。けど、私も一人の母親なのだ。息子のために頑張らなきゃいけない。それが生きがい。世間は息子を捨てた最低な母親と思っているかもしれない。メディアもこぞってそう書きたてた。けれど、人がどう思うと関係ない。私は息子のため自分のために歌い続ける。私は自分の決めた道を突き進むだけ。これからどれだけのファンが待っていてくれるかわからない。まだまだ手探りの状態だけど私は凄く幸せです。 安室 奈美恵
母であることで、いろんな感情のコントロールの仕方を学んだし、いろいろな存在の大きさは息子がいたから感じられること。息子の存在があったからこそ、今の自分の考え方になっている。出産していなかったら、今と全然違う安室奈美恵が、ここに座っていると思います。 安室 奈美恵
小室さんとのお仕事はプレッシャーの連続でした。小室さんのプロデュースで他のアーティストの方がたくさんヒットを出していたので、最初は(曲を)書いて下さって、うれしいと思っていたけど、私が歌って、他の人みたいに売れなかったらどうしよう?やばい、どうしよう?って、プレッシャーはハンパ無かったです。 安室 奈美恵
自分の中では、きちんと、『さよなら』が言える場所っていうのを設けてもらえたっていうことに、すごく幸せを感じているので、それに対しても感謝の気持ちでいっぱいなので、今はもうとにかく、すごく幸せな時間を過ごさせていただいています。 安室 奈美恵
(40曲50曲踊ろうと思ったら、できますか?)できると思います。うまく自分のできる範囲での組み合わせと流れとがあれば、たぶん、どこまででもいけるはずです。 安室 奈美恵
積み上げた努力というものだけは、必ず身になる。 安室 奈美恵
私が何かしてしまうと、息子が後ろ指されてしまうって思いながら、きちんといつか『ママの息子でよかった』って言われるには、どういう仕事の姿勢でいけばいいのかとか。なんか、そういうことも考えつつやってきた感じがします。 安室 奈美恵
産休をとった1年も私の中では大きなターニングポイントでした。自分で休むと決めたものの1年は長かったんじゃないか、と一時期焦りがピークに達してしまって。でも、もう自分で言ったのだから休むしかない。その焦りと葛藤が収まったときに、初めて、しっかり一歩引いて『安室奈美恵』を見ることができたんですよ。 安室 奈美恵
本当にまるまる1年お休みさせていただいたときに、急にこう不安になったりとか、やっぱりこう、焦りがでてきてしまったりとかする時期があって、でもあの1年がなかったら、そういう焦りだったり不安だったりっていうのを、自分であのとき感じて、調節できる自分になれたのがその1年間だった。 安室 奈美恵
どうやったら楽しく生きられるかを考えたほうが絶対にいい。 安室 奈美恵
成功が1なら、その後ろには辛さが必ず100あります。良いことが100だとしたら、辛いことは必ず倍あるのと同じですよね。でも、それが好きなものならば、辛い200さえ越えられる瞬間があって、その達成感はもう、素晴らしいですよね。辛いですけどね(笑)情熱を注げるものだったら最終的にやってよかったなって思えるから。 安室 奈美恵
寂しい時にこそ見つかるものだったりもしますよね。自分が、本気になれるものって。それは自分でしか見つけることができないもので、見つけられるかどうかで人生は変わってくると思うんです。どんなに辛いことがたくさんあっても、1の〝勝ち〞があれば、その1の〝価値〞を次へと最大限に繋げていける。やるかやらないかは自分次第なんですよね。 安室 奈美恵
本作は物語ではありません。大きな感動も、劇的な展開もありません。ここにあるのは、そっと心に触れる短い言葉だけです。
毎日を生きていると、理由は分からないけれど疲れてしまう日があります。長い文章は読めなくても、一言なら目に入ることがあります。
「今日はここまででいい。」「明日頑張ろう。」そんな気持ちになれる言葉を集めました。
人生、努力、失敗、立ち止まること、休むこと、また歩き出すこと。自己啓発系を中心にしながらも、強さだけではなく、弱さを抱えたまま生きる言葉を選んでいます。
どこから読んでも、途中で閉じても、何日空いても構いません。元気な時には気づかなかった一文が、疲れた日にだけ、そっと意味を持つことがあります。この名言集は、そんな「出会い」を大切にしています。
必要な言葉だけ、必要な分だけ、受け取ってください。




