彩り、繋がる未来
最終章です。
共生について考え続けた主人公が想い描く未来。
最後まで見届けて頂けたら有難いです。
よろしくお願いします。
休日、倫心は上機嫌で出かける準備をしていた。
久しぶりに佳純から連絡があり、
バドミントンをすることになったのだ。
ラケット、シャトル、タオル……鼻歌まじりに、
それらをスポーツバッグに詰め込んでいく。
体育館。
倫心と佳純は、軽いラリーを楽しんでいた。
二人の共通項であるバドミントンが、
心の中にあった気まずさもわだかまりも、
汗とともに溶かしてくいく。
「おばさんは元気?」
「タイのお父さんのところに行ったよ」
シャトルを打ち合いながら、他愛もない会話が続く。
「へえ、ということは佳純ちゃん、今は一人暮らし? ごはんはどうしてるの?」
「冷凍食品。一週間もすると部屋の中がめちゃくちゃになっちゃう……。
今は週一で親戚が片付けに来てくれるの」
「えー。今度、私がカレー作りに行ってもいい?」
「いいけど、メニューはカレー限定なの?」
「それしかまともに作れる気がしない」
「まじか」
二人の笑い声が体育館に響く。
倫心は学生時代に戻ったような、久しぶりの心地よさに浸っていた。
「あのね、ツグちゃん。……検査の結果が出たの。
私、やっぱり普通じゃなかった」
「え?」
倫心は急な話題の転換に動揺したが、
長年の経験で体が反応し、シャトルを打ち返した。
「発達障がいだって」
佳純は落ち着いた様子で、高めにシャトルを打ち上げた。
「……」
倫心はシャトルを目で追い、打ち返すことで精一杯だった。
「ツグちゃん……気付いていたよね?」
「……」
言葉を選べない倫心は、必死に体を動かすことに意識を集中させる。
「そりゃ仕事も続かないよ」
「……」
「無職にもなるよ」
「……」
倫心の動揺はどんどん強まり、体のコントロールに狂いが生じ始める。
「私はこの先、ずっと生きづらい……いっそ、消えてしまいたい……」
とうとう倫心は判断力を失い、
アウトライン近くまでシャトルを飛ばしてしまった。
それを追いかけた佳純は、足がもつれて床に倒れ込む。
佳純の手から離れたラケットが、
数メートル先まで虚しくスライドしていった。
「佳純ちゃん、ごめん!」
倫心は駆け寄った。だが、その足は佳純の数歩手前で止まってしまう。
佳純は床に額をつけ、蹲っていた。
石のように体を丸めて、肩を震わせている。
まるで、見えないバリアを張り、自らを世界から切り離して、
すべてを拒絶しているかのような小さな背中。
倫心はこの背中に触れる資格が自分にはあるんだろうかと躊躇した
そして、どうしようもない現実に嫌気がさした。
目の前の親友が「自分は普通ではない」と嘆いている。
仕事にやりがいを見出し、
責任感を身につけて頑張っていた宮西さんの命は燃え尽きた。
会社の法定雇用率は、未達成のままだ。
現実は残酷で、不平等だ。頑張っても報われないことの方が多い。
望まない悲劇が襲い、「悔しい」と叫んでみても何も変わりはしない。
そんな現実を、誰もが生きていかないといけない。
だからこそ――。
倫心はラケットを強く握りしめた。
「佳純ちゃん。従業員が40名以上いる企業は、
障がいのある方を一定数雇用しないといけないって、
法律で決まっているの。しかも、義務化されている。
その割合を『法定雇用率』って言うんだよ」
「……」
「現状は2.5パーセント。セーリングプリントは従業員数120名だから、
3名の障がい者の方を雇用しなきゃいけない。
うちだけじゃない。どの企業も達成しようと必死だよ。
未達成の企業は納付金を払わないといけないし」
「……」
「しかも、国はこの法定雇用率をさらに上げる計画を立てているの。
2026年からは2.7パーセントになる。
どういうことか、頭のいい佳純ちゃんなら分かるよね?」
倫心は、床に伏したままの親友へ言葉を積み上げる。
「佳純ちゃんは、空気を読むのは苦手かもしれない。
けれど、記憶力も論理的思考力も、私よりずっとあって優秀だった。
謎解きクイズだって、いつも私の先を行っていたじゃない」
「……」
「国は、ユニークな人材が強みを活かして共に働くことを推奨している。
佳純ちゃんの働ける場所は、絶対になくならないよ」
働ける場所……。佳純の脳裏に、これまでの失敗がフラッシュバックする。
職場で向けられた冷ややかな視線。
よかれと思って発言した瞬間に凍りつく空気。
「使えない」と言われ続けた日々。
制度が整ったところで、自分が自分であることから逃げられるわけではない。
「……働ける場所があったって、生きづらいことには変わりない。
私は、普通じゃないんだから」
床にぶつかって跳ね返った佳純の声が、倫心の胸を鋭く突き刺した。
「……生きづらくても、佳純ちゃんが生きてくれないと困る」
倫心は佳純のラケットを拾い上げ、静かに差し出した。
「だって、バドミントンは一人じゃできない」
「バドミントン」という言葉に反応して、佳純がゆっくりと顔を上げた。
「佳純ちゃん、誰かが決めた『普通』に縛られないで。
佳純ちゃんが自然体でいられることが、
佳純ちゃんにとっての『普通』でしょ?」
「……」
「凸凹のない人間なんていないよ。
本人の努力だけで解決できないことは、周りが『仕組み』を変えればいい。
誰もが自然体でいられるようにね。
企業が『合理的配慮』をすることも義務化されているよ」
「……」
「お荷物だなんて思わないで。誰かの居場所作りをすることに、
やりがいを見出す人もいるんだから。
……私もそうだった。全部、私がしたくてしたことだよ。
この1年間本当に大変だった。でも、入社して初めて仕事が好きになれた」
「ツグちゃん……」
「法定雇用率達成は法律上の義務だけど、私はただの義務だとは思っていないの。
誰もが自然体でいられる仕組みを作って、
共に働いて、みんなで一緒に進化していく。
それは、私たちが生きていく社会全体の課題だと思ってる」
佳純の瞳の中で、無彩色の視界が少しだけ色味を帯びる。
一人で暗闇を彷徨っていると思っていた。
自分の「凸凹」が、
誰かのやりがいや、社会を前進させるピースになるのかもしれない。
重い鎖が解けていくような感覚。
「佳純ちゃんは、少しずつ自分を知っていくことから始めればいいと思う。
得意なことも、苦手なことも、全部。
……大学の頃、二人で練習メニューを作った時みたいにさ」
消えてしまいたい。けれど、消えることも簡単ではない。
だとしたら、生きていくためにできることをしていかなければならない。
自分の「凸凹」がどういうものか。どんな形をしているのか。
自分を知ることからなら、始められるかもしれない。
倫心の示した具体的な提案が、佳純の心に染み込んでいく。
「ツグちゃん、私、もう少しだけ、シャトルを追いかけてみようかな……」
佳純は、ぎこちなく、
倫心の差し出したラケットを掴んだ。
ラケットが佳純の手に渡った瞬間、倫心の視界が滲んだ。
これでようやく敗者復活戦に挑める
倫心は、込み上げる熱い感情を、弾けるような笑顔で包み込んだ。
「私、また転ぶかもしれない。ツグちゃん、助けてくれる?」
「もちろん、何度でも。それに私以外にも、
佳純ちゃんを助けてくれる人はたくさんいるよ」
佳純は、倫心が差し出したラケットをぎゅっと握りしめた。
「ありがとう……ツグちゃん。バドミントン、しよう」
「うん。佳純ちゃん、サーブね!」
倫心は笑顔で、反対側のコートへ駆けていく。
佳純がシャトルを打ち上げる。
倫心は、未来への願いを込めてそれを打ち返す。
あきらめなければ、ラリーは続く。
どうか、誰もが凸凹を認め合い、支え合って、共に生きていく――。
そんなカラフルな未来が、いつまでも、どこまでも続いていきますように。
(了)
完璧な人間なんて、どこにもいません。
誰もが抱える「凸凹」を認め合い、
それぞれの強みを活かし、互いに支え合う社会。
それを目指すことは簡単ではないけれど、
価値のあることだと描きたくて小説を書きました。
そして、この物語が、読者の皆様の日常に、
ささやかな彩りを添えることができれば、
これほど嬉しいことはありません。
最後まで応援して頂き心からの感謝いたします。
ありがとうございました。青海




