始動
凸凹がない人間なんていません。共生について考えてみたくて小説を書いていきます。
読んで頂けたら嬉しいです。
「わが社は、法定雇用率の達成を目指します」
突然現れた社長の宣言に、人事課の社員たちの胸はざわついた 。
午後三時。
香山倫心は、パソコンの右下に表示された時刻をチラリと盗み見た 。
脳内では、定時退社から逆算した完璧なスケジュールが組み立てられている 。
今日は、先週から配信が始まった話題の海外ドラマの続きを見る日だ 。
帰りにコンビニで新作のスイーツと、少し高めのビールを買う。
それだけをガソリンにして、倫心はこの「ほどほどに退屈で、
ほどほどに居心地の良い」人事課での四年間をやり過ごしてきた 。
しかし、その平穏な予定は、社長が発した聞き慣れない言葉によって木っ端微塵に打ち砕かれた 。
法定雇用率? なにそれ。何が始まるの?
舟木翔社長の声は、いつになく低く、そして硬かった 。
人事総務課の空気が、一瞬で凍りつく 。
リストラやコンプライアンスの話ではないかと身構えていた部長をはじめ、
ベテラン社員たちに拍子抜けと困惑の表情が浮かぶ 。
倫心は、手元のメモ帳の端に、「ほうてい雇用りつ」と殴り書きした 。
倫心の職場であるセーリングプリント株式会社は、社員120名の中小印刷会社だ 。
父である先代から会社を継いだ舟木社長は、令和のカルチャーを積極的に取り入れ、
新規事業を展開する柔軟でフランクなリーダーというイメージだった 。
だが、今日の社長は明らかに異様だった 。
普段ならネクタイを緩めて冗談の一つも飛ばすはずの彼が、
今日は一番上のボタンまで律儀に締め、拳を白くなるほど強く握りしめている 。
その瞳の奥には、使命感というよりは、
何かに追い詰められているような悲痛なほどの熱が宿っていた 。
「忙しいところ突然申し訳ない。五分だけ時間をいただきたい」
社員達の視線は社長に集まる。
「共に働いていく『居場所』を作りたいと思っています。
そのために、まずは人事課の皆さんの力を貸してください」
深々と頭を下げた社長の背中を見つめながら、倫心はそっと溜息をついた 。
居場所ね……。わざわざ直接言うこと? メールでいいじゃん……。
この時、倫心はまだ知らなかった。
社長のあの必死な瞳の裏に、一人の親友の涙が映し出されていることも 。
皮膚に残った火傷の跡のような罪悪感を抱えていることも 。
そして、ここから痛みを伴う「進化の物語」が始まることも。
お読み頂きありがとうございました。
近日中に続きを投稿します。よろしくお願いします




