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【SIDE スー】大嫌い

 3体1での大立ち回り。

 ドロルの大活躍に聴衆が沸く中で、スーは当たり前じゃんと自分のことのように気分がよかった。


 スーはこの決闘でドロルが負けるなんてことは微塵も考えていなかった。

 ワゴンで準備されていたクッキーを食べながら、鼻歌混じりにそれを見ていた。


 もし誤算があったとすれば、戦闘はその円の中でしか起こらないと信じたことで、外部から攻撃されるなど一ミリも想像しなかったのだ。


 確かに違和感はあった。

 スーの中の臆病なスライムの細胞が微かに揺れているような気がした。ただしスーは、この世に恐るるに足るものなんて今まで存在しなかった。だから、その感覚を軽視していた。


 気づいたときには射程に入っていた。

 熱源があり、それは急速に近づいていた。射出されたらどうしようもなかった。どうしようもないから、闇雲に声をあげた。


「——ドロル! 避けて!」


 意味がない叫び。

 ドロルの半身が粉々に吹き飛んだ。

 振り返る。


 地平線の彼方に何かが飛んでいる。

 本来暗闇だから見えないそれを、スーは魔力をもって感知した。


 いままで出会ったどんな生物よりも強大で禍々しい何かだった。


 聴衆たちはまだ何が起きたかわかっていなかったが、何かが起ころうとしていたのは察したようでエネルギー源とは反対方向に蜘蛛の子を散らすように逃げた。


「おい、女の子」


 まだ治療が中途半端で、息も絶え絶えのダリューがスーに訊ねた。


「ありゃーなんだ?」


 人間には見えないと思うが、ずいぶん察しがいいらしい。


「さぁ、知らない。見た目は銀の竜っぽいけどね」

「……はは。シルバードラゴンか……。終わりだ」


 ダリューはニヒルな表情を浮かべながらじょぼじょぼとお漏らししていた。

 スーは見なかったことにして、ドロルの元へ急いだ。


「ドロル!」


 ドロルは下半身を丸ごと失っていた。

 アウタッシュもプリンもいなくなり、広い草原でポツンと倒れていた。


 意識も絶え絶えに、ドロルは言った。


「——……ああ、スー」

「大丈夫!? いま治してあげるからね!」

「はは、なに言ってるんだ。ダメだよスー」

 

 ええ?

 ここはそんな遠慮するとこじゃないでしょ。


「バカじゃん。早く口開けてよ」

「——い、嫌だ!」

「何嫌がってんのよ」

「ぼ、僕は幼女のゲボなんて飲みたくないんだ!」


 ゲボって何よ失礼ドロル。


「そんな贅沢言ってる場合じゃないでしょ」

「い、いや、そうじゃなくてさ……。わかるんだよ。たぶん、スーと感覚が、共有できてるから」


 ドロルには以前にスーの細胞を流し込んでいる。だから、スーからのフィードバックが彼に起こっても不思議ではない。


「わかってんだったら早く回復しなきゃ」


 先ほどドロルの体を吹き飛ばしたエネルギー。

 その放出元の生命体が今確実にこちらに近づいてきているからだ。


「ダメだ。スーの魔力を、僕の回復なんかに使えないよ」

「なんで!?」

「……そんなことしたら、スーがあの生き物から逃げ切れなくなるかもしれないだろう?」


 ボロボロのドロル。

 ボロドロルは涙を浮かべながらスーの顔を見て、笑った。


「あの生き物はやばそうだ。スーは凄い魔導士だと思うけど、きっと全力じゃないとまずい。逃げ切れないかも。僕がスーの足を引っ張るだなんてできないよ」

「はぁ? 足を引っ張るって何? 別にドロルを治すくらいであたしが削られるわけないじゃん」

「嘘だね。僕を治すってことはまるで、君の一部を僕にくれるようなものなんだろ?」


 残念ながら、その認識は合っている。

 スーの細胞がドロルの細胞の代わりをすることこそ、スーの回復術の本質なのだ。


 その上で、あの生き物に対する見立てもだいたい一致している。

 いまここでドロルを治したとすれば、おそらく完全に逃げる時間を失うだろう。体の細胞を治療に使ったスーでは、あの生き物に歯が立つとは思えない。


 ドロルを担いで逃げ切れるかといえばそれも疑わしい。

 なにせあの生き物はドロルを狙っていた。それは遠くからでもこの場でもっとも強いのがドロルだと判断できたからだ。


 だからドロルは狙われ続けるし、もう少し魔力を顕現しようものなら今度はスーが狙われる。

 虹色スライムの感覚として、スーにはそれがありありとわかった。


 もしドロルをここに置き去りにしてスーが魔力を隠したまま逃げたとすれば自分だけは助かるだろう。ドロルを治療して助かる可能性は1パーセントを切るかもしれない。それでも、可能性が0でないのであれば、ドロルを助けないという選択肢は存在しない。


 だから、スーの心は最初から決まっているのに。

 それなのに、ドロルは。


「頼む。頼むよスー。どうか助かっておくれ。死なないでおくれ」


 涙を流しながら、穏やかな笑顔を浮かべながら、そんな悲しい言葉を吐き続ける。


「僕は幸福だったんだ。君と出会って、君と繋がった感覚があって。一緒に暮らして、喧嘩もしてさ。……それで、僕は自分の過ちに気がついて……そんな僕を君は許してくれた」


 そんなの。

 そんなの全部、スーにとっても素敵な思い出だ。


「そうだよ! あたしがドロルを許してあげた! せっかく許してあげたんだから、もっと生きてよ!」

「嫌だよ。その結果君がいなくなるのであれば、僕はそんなの耐えられない。生きてくれよスー。お願いだよ。僕の……スライムのお嬢様」


 心がはち切れそうだった。

 ドロルの中では、すでにドロルは見捨てられて、スーだけが助かると決まってるみたいだ。

 そんなの、そんなの。


「そんなのダメに決まってんじゃん! だってまだ、スーはこの世界でドロルと何もしてないよ! 約束したじゃん! ドロルはスーとこれから、一生一緒に幸せに暮らすの! それでね、たくさん子供も作るんだよ! 約束……したでしょ!」


 大切な大切な、スーの思い出。

 それなのに、ドロルは首を横に振った。


「そんな約束はしていないよ。スーはとても大切な人だけれど、でもきっとこれからたくさん素敵な人と出会って、きっとその中で一番特別な人と幸せな家庭を築くんだ。慰めるためであったとしても、僕の名前なんて出しちゃいけないよ」


 スーはどういうわけか涙が溢れてきた。

 いまなんとかドロルを説得しようっていうのに、自分の涙が邪魔で仕方がなかった。訳のわからない感情の奔流に溺れそうになりながら、必死で彼に伝わる言葉を探した。


「あたしにとって最愛の人は、ドロルしかいない」


 それは、愛の言葉。

 それなのに。

 それなのに。


「僕にとってスーは、最愛の人じゃない」


 涙が止まらなかった。

 言葉にならない言葉をずっと叫び続けていた。


 スーはドロルと一部の感覚を共有している。

 だからその言葉が嘘だなんてことはわかっている。でも、聞きたくなかった。そんな言葉は聞きたくなかった。


 歯を食いしばって、嗚咽を堪え、意地になって言葉を紡いだ。


「……うん。あたしだってドロルなんか大嫌い」


 ドロルは少し表情を歪めたが、しかし再び穏やかな顔になった。


「……ああ、僕だって。感謝しているのは本当だが、ずっと鬱陶しいと思っていた。スーなんか、大嫌いだ」

「大嫌い。ドロルなんておじさんだし」

「大嫌い。スーなんてお子ちゃまだ」

「大嫌い。ドロルの間抜け」

「大嫌い。スーのわがまま娘」


 嘘の言葉の応酬で、だんだんスーはムカついてきた。


「もう本当にドロルなんて知らないから」

「そう言ってもらえるとせいせいするよ。どっかに行ってくれ、しっし」


 嫌そうな表情を浮かべて追い払う動作をするドロル。

 そんなドロルなんて、もう知らない。


 だから、ドロルの思い通りになんてしてやるもんか。

 スーはドロルに顔を近づけた。


「おい、スー」


 困惑を浮かべるドロルの口に、スーは自分の口を押し当てた。

 

 絶対にドロルを置き去りになんてしてやるもんか。

 ドロルの思い通りになんて、絶対にしてあげないんだから。

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