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スライムのお嬢様

 自分は死神だ。

 

 いずれ勇者になれると励まし、高い誇りとともに冒険者の元にスライムを送り出す。

 主人に尽くそう、頑張って名を残そうと希望に満ち溢れたスライムはしかし、冒険者によって屠られる。


 いままで自分は何をやってきたのだろう。

 どこで間違ってしまったのだろう。


 自分の悪の所業に気がついて、ドロルはその場に立っていられなくなってしまった。


 王座の間で倒れ、そして誰かに運ばれた。

 運ばれた先は暗く寒い場所だった。


 おそらく地下牢獄だろう。

 今の自分にぴったりの場所だ。


 自分は悪魔だ。

 だから捕まるのは当たり前。きっとこれからも、世界のためだと嘯いて無垢のスライムを無駄な死地に送り出す。


 自分はスライムと友達だと思っていた。

 自分はスライムの仲間だと思っていた。


 そんな自己認識は、全部間違いだったのだ。


 唐突に、ドロルの目から涙が溢れ出した。悪人に涙は似合わない。ドロルは歯を喰いしばってそれを止めようとした。それでも涙は止まらなかった。涙と鼻水でドロルはむせ返った。


 喉が渇いて、水分という水分が抜け切ったと思われた頃、ドロルはいっそ死んでしまおうかとさえ思った。自分の命程度のものが贖罪になるとは思わない。

 しかし、それでもケジメというものは必要だ。


 ああ、でも。

 そんなことをしたらガブリが殺されるんだっけ。

 エドマンドがそんなことを言っていたような気がする。

 ガブリも災難だったな。こんな悪人のもとに弟子入りしてしまうだなんて。


 ああ、死にたい。でも死ねない。

 死にたい死にたい。でも死ねない。


 ああ、自分は。自分は。自分は。自分は。

 自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は自分は——



「——ドロル?」



 知った声が聞こえた。

 しかしここは地下牢で、ドロルは閉じ込められているはずだった。だからきっと幻聴だ。


「ねぇ、ドロルったら」


 ああひょっとすると、もう自分は死んでいるのかも——


 ——べちん!!!


「いたッ!!!」

「ちょっとドロル、なにぼーっとしてんのよ」

「ス、スー?」


 遠くにあるランプの光は弱々しい。

 その微かな光に照らされて、視線の先にぼんやりと浮かび上がるのは派手な髪色の幼女だった。


「…………なんでここに?」

「そろそろドロルが寂しいんじゃないかと思って来てあげたよ」


 ここは鍵がかけられた地下牢のはずだ。

 どうして、どうしてスーが。


 まさか。

 ドロルはその可能性に思い至り、恐怖した。


「ひょっとして、僕のせいでスーまで捕まったのか?」


 ドロルがいうことを聞かなければガブリを殺すとエドマンドは言っていた。まさか、自分はスーまで巻き込んでしまったというのか。

 なんで。

 なんで。

 なんで僕に近づく人間はみな不幸にならなきゃいけないんだ——


「捕まったけど、そこからは逃げて助けに来たんじゃん」


 え?

 助けに?


「いや、スーはいま、僕と同じ牢の中にいるだろう。誰かに捕まって、入れられたのでは?」

「はぁ? 自分から来たんだよ。別にこの程度の牢ならいつだって出れるし」


 解錠(アンロック)の魔法でも使えるのだろうか。

 もっともスーの魔導の実力からすればその程度造作もないのかもしれない。


 それであれば。


「スー……お願いがあるんだ」

「いいよ! このスーになんでもドーンと任せて!」

「いますぐこの場所から逃げてくれ」


 言うと、スーはひどく不思議そうな表情を浮かべた。


「なんでよ。助けに来たのに」

「ダメだ! 僕と一緒にいたら君まで不幸になるぞ!」

「はぁ? そんなわけないでしょ。別に逃げるのはいいけど、ドロルも一緒に逃げればいいじゃん」


 そんなことは、絶対にダメだ。

 スーには未来がある。もうこれ以上、僕に大切なものを壊させないでくれ。


「僕はここに残る。そうしないと、ガブリが殺されるからな」


 スーはため息をつき、ドロルのすぐ近くに座った。


「話聞くよ?」


 とても幼い少女が、精一杯の優しい声でドロルにそう言った。


 ドロルは言うべき話か迷った。この話を聞かせることで、スーには余計な負担を押し付けてしまうかもしれない。ただ一方で、もしかしたらスーがガブリの助けになるかもとの思いもあるが。


 ただ何より、自分が情けなかった。

 自分のこれまでの所業を、スーには知られたくなかった。自分がどれほど悪人か、そんなものはスーが知るべきじゃないとも思った。

 自分が負うべき責任で、スーを巻き込むわけには——


 ——べちん!!!


「いたッ!!! おい、なにすんだよスー!」

「話聞くって言ってんだから早く言いなよ」

「いや待てよこっちだって心の準備ってもんが」

「いまドロルはあたしの時間を無駄にしました。若き日のスーの大切な時間です。ドロルはあたしの命を削ってるって自覚ある??」


 なにこいつムカつくんだけど。

 ドロルはもう何も考えられなかった。だからもう、どうでもよかった。


「…………僕はさ、ずっとスライムのために生きてきたと思っていたんだ。彼らにとって素晴らしい環境を整えて、のびのび育てて、もしかすると勇者に付き従って、歴史に名を残すスライムになるかもしれないってさ。それがスライムのためかと思っていたんだ」


「ドロルの牧場のスライムはみんな幸せだよ」


「——でもそれは、見せかけだった。僕の育てたスライムは、冒険者に引き渡されてレベル上げのために殺されてた。本当に間抜けだよ。ただ、他にあんまりクイックスライムを育てられる人はいないみたいだから、クイックスライムの育て方と繁殖方法を教えろだって。そうしないとガブリを殺すらしい。ふざけるなよ! ああでも、それもこれも、全部僕のせいだ! 僕は大悪党なんだよ!」


 全部自分が悪い話だ。

 声を荒らげる資格なんてないのに、勝手に声が大きくなった。


 枯れたと思った涙がまた流れてくる。厄介だ。

 これを止める方法を、ドロルは知らない。

 それなのに。


「そんなに自分を責めなくていいでしょ」


 あまりにもあっさりと、スーは言った。


「許されないことをしたんだ。許されるべきじゃない」

「それって具体的に、なに?」


 それって何って……。

 ドロルは自分の悪行を振り返った。いったい自分は、どんな悪いことをしたんだっけ?

 頭をめぐらせていると、ドロルよりも早くスーが答えた。


「ドロルがしたことは、スライムを幸せに育てたってことだけでしょ。その後のことは、他の人がやったことじゃん」

「……他の人? いやでも、送り出した後にだって、責任は——」

「騙されてたんでしょ? だからドロルは悪党じゃないよ。間抜けなだけ」


 え?

 それって慰めてるつもり?

 しかしこの不思議な幼女は、聞き逃しそうになるくらい淡々と、自然にこんなことを言った。


「——間抜けなドロルを、許してあげる」


 いま、なんと言った?

 許してくれるって言った?

 …………許してくれるの?

 これほど酷いことをした、僕を。

 いや、でも。


「スーに許されたところで——」

「スーはスライムのお嬢様だよ」


 ——君の名前はスーにしよう。スライムのお嬢様だ。


 初めて出会った日に、ドロルが不思議な幼女に送った言葉。


「スライムのお嬢様は牧場の中のことしかわからないけど、でも牧場の中のことはきっと誰よりも知ってるよ。ドロルの牧場のスライムは、みんな幸せで、最高なの。だからね、スーはドロルを許してあげる」


 その言葉を発したのは、ただの女の子だ。

 それなのに。

 それなのに。


 ——救われた。


 ドロルの中の鉛のような重荷が液体のように溶け出し、素晴らしい爽快感と共に晴れやかな気持ちになってしまった。


 ドロルはスーを見た。


「なぁ、いま、魔法を使った?」

「はぁ? 使ってないけど」

「……そう、か。なぁ、スー」

「何よ」

「一つ聞いて欲しいことがあるんだけど、いいか?」

「いいよ」


「ありがとう」


 ドロルが言うと、スーはぱっと頬を赤らめた。


「何よ急に」

「なんだかスーのおかげで、もう一度立ち上がれそうだから」

「なんどでも立ち上がってくれなきゃ困るよ」

「……どうして?」

「ドロルが立たなかったら、スーは誰の横に立てばいいの!?」


 さて、と。

 ドロルは立ち上がった。

 すると、スーもすぐ横で立ち上がった。


 なんだかそれが、ドロルにはとてもしっくりきたのだった。

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