目覚め
自宅のベッドで目が覚めた。
それはドロルにとって理解できない出来事だった。
「……生きていたのか?」
ドロルの記憶では、ガヤイの街からの帰り道でグランデオークと遭遇し、自分は殺されたはずだった。確かあれは夕方のことで、そろそろスライムたちの餌の時間だったはずで……。
ドロルは飛び起きる。
「は! スー! 岩猫ちゃん!」
あたりを見渡すが、当然彼らの姿はない。
自分が自宅にいるということは、彼女たちも無事だろうか。
体が軋む感じはあるが、痛みなどはどこにもない。それどころか絶好調だ。全身に活力がみなぎり、まるで20年遡ったかのごとく筋肉が活き活きとしている。
とにかくダッシュで牧場まで走る。
スーや岩猫も心配だが、他のスライムも前日の朝から何も食事をしていないはずだ。
ダッシュで牧場まで走ると、日差しが全身に刺さった。
牧場の柵を飛び越えて中に入った。
柵に手をかけることもなくピョーンと飛び上がるだけで、自分の身長以上の柵を飛び越えられたことに若干違和感を覚えるが、そんなことを気にしている暇はない。
「みんな!」
ドロルの姿を確認すると、たくさんのスライムたちが彼の周りを取り囲んできた。
「モッチー! ポチ蔵! 粉雪侍!」
誰もが彼もが元気そうで、お腹が空いている素振りさえ見せなかった。
餌をせっつかれない。
おかしい、自分は彼らに餌を与えたのだろうか……。
ドロルが疑問に思っていると、牧場の柵が不意に開いて誰かが入ってきた。
ここはドロルの牧場だ。
闖入者に体を強張らせたが、その間の抜けた声を聞いた瞬間力が抜けた。
「あ、ドロルー!」
嬉しそうにブンブンと手を振って、輝く派手な髪を振り乱しながら美しい幼女が駆け寄ってきた。
「……スー……じゃないか。生きていたのか」
「はぁ? 何言ってんの。当然じゃん」
よかった……。
ドロルは心底安堵した。
だとすれば、あの日ドロルが殺されかけたのは本当にあった記憶なのだろうか。
しかしドロルは無傷だし、スーも元気そうだ。
そして、スーのかたわらから一匹のスライムが飛び出してきた。岩猫だ。
「あ、岩猫ちゃん! いた、いたたた」
岩猫は嬉しそうにカチカチと跳ね、ドロルのほっぺに自分のほっぺをくっつけようとぶつかってきた。
「岩猫ちゃんも生きていたんだな! いて。いやマジで、本当に。それぶつかってるだけで、いた」
「ちょっと岩猫ちゃんばっかりずるいじゃん! あたしも!」
スーはジャンプしてドロルの首に手を回し、ほっぺをくっつけてくる。
彼女の温かさがじんわりとドロルに伝わった。
スーは体にまとわりつき、ドロルが抱っこする形になった。
スーは温かいなぁと、ドロルは思った。
自分に本当の子供ができたらこんな感じなのかなぁと、存在し得ない人生のことを思ってしまう。
まとわりついたスーを下ろし、ドロルは率直な疑問を尋ねた。
「ところでさ、僕って殺されなかったっけ? グランデオークに」
「はぁ? じゃああたしの前にいるの誰よ」
「……そこが疑問なんだよ」
「ドロルでしょ」
そうなのだが。
しかしあまりにもあっさりと、スーは教えてくれる。
「ドロルは気絶しちゃったから知らないか。あのあと岩猫ちゃんが追い払ってくれたの」
「グランデオークを?」
岩猫は楽しそうに飛び跳ねた。その様子に嘘は見えない。
確かに、岩スライムは弱い魔物ではない。しかし、グランデオークと比べたら通常敵うはずはないのだが。岩猫のレベルがものすごく高いようには見えないし。
「ドロルはスライムを見くびりすぎなんだよ! 強いんだから、もっと信じていいんだよ。ほら、見て」
言うと、スーの後ろに隠れていた牧場のスライムがぴょこぴょこと顔を見せた。
「実はね、戦えそうなスライムたちと狩りに行ってきたの」
そして、スライムたちの中でも一際大きい風船スライムがたくさんの魔物を吐き出した。
それは何十匹にも及ぶアルミラットだ。
「言ったでしょ? 食料なんてそこらへんで取れるって」
つまり、さっきまでスーたちは狩りに行っていたということだろうか。
スーはとにかく誇らしげだ。
「どこで食料が取れるって?」
「魔物の森だけど」
その言葉に、ドロルは頭が真っ白になった。
「勝手なことをするな」
自分でも驚くほど声が大きくなった。
「……え?」
「誰が森に行っていいって言った? 誰がうちのスライムを狩りに使っていいって言った?」
魔の森は、危険だ。
つい先程まで死の淵を彷徨ったほどに。そんな危険な場所に、スーが立ち入っていいはずがない。しかも、スライムまで危険な目にあわせるだなんて。
「……でも、餌が必要だって言ったから」
「そんなの、街に買い付けに行けばいい」
「一昨日買えなかったじゃん」
……一昨日? 自分は一日半近く寝ていたということか。
だとすれば魔の森が危険なのはなおのことだ。
「別の店を探せばいいだけじゃないか。勝手に魔の森に入るだなんて、許せるわけないだろ」
胸の動悸が収まらない。
もしそんなところにいって、スーに何かがあったら自分は……。
スーはすごく不満気だ。
彼女はいま、無傷でドロルの前に立ってくれている。それがどれほど嬉しかったのか、なぜわかってくれないのだろう。
「でも」
「でもじゃない」
スーはやっと口をつぐんだ。
スライムたちが心配そうにスーのことを見ていた。
「とにかく、勝手に森にいくのは禁止だ。わかったな」
危険なことは、して欲しくない。
そのときドロルが思っていたのはそれだけだった。
しかし、次の瞬間にスーは崩れた。
「…………知らないもん」
顔が真っ赤だ。
声は震え、そして涙をボロボロと流していた。
「ちょっと、スー、だ、大丈夫か」
「ぼう、ドロルなんて知らない」
言うと、スーは牧場の外に走り去ってしまった。
「……スー。強く言い過ぎだったかな……」
ドロルは彼女の悲しそうな背中を見て、やっとそう思い至った。
彼女はまだ子供である。
風船スライムが吐き出した大量のアルミラットが目に入る。
スーはスライムの餌を狩りに行ってくれただけなのだった。