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男系男子派を読み込んだら終わった話  作者: 毒視喪々(dokushimomo) さんより提供
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6/9

06:ギネス記録に刻まれた女帝たち

言われた通りに調世(ちょうせい)氏のコメント履歴を辿り、すぐに夜良野(やらの)というハンドルネームの人物を見つけた。

最新のコメントでは、


《家族制度としての双系(そうけい)とは別次元だろ。古代の氏族(しぞく)社会で男女ともに血筋を重んじたのはあくまで家族や氏(うじ)の単位であって、煌統とは関係ない。

帝主(ていしゅ)は特別だから一般の家制度とは切り離して考えるべきだろ。

》

男系男子派と思われる書き込みに対する、夜良野と表示されているアイコンの返信を読む。

《それは詭弁です。煌室の継承もまた家族(血縁)のあり方、という人間社会の基本的な繋がりの中で行われてきたのです。

我が国の家族制度の根底にある双系(そうけい)的な考え方が、全く無関係であるはずがありません。

父系(ふけい)絶対を強調するために都合よく別次元と切り離しているだけで、歴史的事実と異なります。

⁘

歴史を紐解けば、女性帝主や双系継承の例が存在します。

古代の推古(すいこ)帝主や持統(じとう)帝主はその典型で、父系と母系が交差する双系的継承の痕跡を残しています。

彼女達は全員正統な即位であり、立派にこの国の歴史を繋いできたのです。

96代後醍醐帝主(ごだいごていしゅ)の発言、

「朕(ちん)が新儀(しんぎ)は未来の先例たるべし

(※伝統を壊すのではなく、新しい伝統を築くのだ、的な意味)」

をご存知無いですか?》

(推古(すいこ)帝主…持統(じとう)帝主…そして…双系継承…か)


夜良野氏の男系男子派への言葉は論理的で、それでいて相手への敬意も感じさせる。

調世氏がなぜこの人物を推薦したのかすぐ理解し、迷わずメッセージを送った。


《初めまして。調世さんに言われてあの方のコメント履歴から来ました。

帝主(ていしゅ)の歴史について、お話を伺いたく思いまして…》


数分後、返信が届いた。


《はい、あなたの事も調世さんの事も存じております。

何かお力になれることがあれば、いつでもお話しください》


夜良野氏の言葉は調世氏の冷たい態度とは真逆でとても温かかった。

息を吐き、これまでの経緯を丁寧に説明した。


《あなたの男系男子派への怒りがよく分かりました。

男系男子派は守るという言葉の中に、変えないという意味しか見出せない人々ですが、あなたはすでに、その外に立っているようですね。

伝統とは、守るものではなく繋ぐもの。繋ぐためには、時に形を変える勇気が必要だと考えています》


それから夜良野氏との共同作業が始まった。

調世(ちょうせい)氏との取引の兼ね合いで、まだ分からない歴史に関する男系男子派の書き込みを見つけては夜良野氏へ報告する。

氏がその都度、反論するための歴史的知識を授けてくれるので、それを使い自分の頭で文章を練り、書き込む。


《夜良野氏、これはどうですか。

同じような男系男子派の発言をまとめました。(個人的には体外受精と代理母までならいいと思えるけどね…。そう、夫婦とその子以外の人間なんて不要。)

↓

歴代女帝はすべて未婚だった。

だから宿(やど)リ子(こ)帝主(ていしゅ)にするなら生涯独身が当然、出産はご法度。

男系維持のために必須な、側室復活させまくる方が手軽。

》

この主張を目にするたび、悍ましさを覚えていた。

《そもそも現代では憲法違反ですけども。

当時ですら既婚・未婚・寡婦・出産の有無などを条件とする規定は存在しておりません。

むしろ、現行憲法よりも遥かに長い間機能していた、女帝の治世下で成立した古代の法令には、女帝の子も煌族と明記されています。

(付け加えますと、兄弟(男子)だけでなく姉妹(女性を含む)を指す、とされる部分もありますよ。)

つまり、女帝の子を排除しない制度構造だったのです。

制度が女帝の出産前提であるのにも関わらず、女帝が即位後に子を設けた例が無い事に対して、男系男子派の方々は、外戚の影響を避けるため、や、中継ぎ的役割に徹したため、などとする説などを出されています。

この点については研究者の間でも解釈が分かれているようですよ。

更に、煌祖大神(こうそおおかみ)の言葉にも、性別による限定は一切ありません。

⁘

側室復活は、近代以降の煌室改革(特に側室廃止された、124代(照環(しょうわ))帝主のご決断)を真っ向から否定しています。

そもそも、父の123代(太照(たいしょう))帝主は、体調の問題を抱えておりました。

が、当時は側室を置こうと思えば置ける時代で、健康と制度は別の話でした。

それでも側室を置かず、息子もそれに続いた、と言う事実は、煌室がすでに側室という仕組みから距離を取り始めていたことを示している、と考えられます。

⁘

誤解しないで頂きたいのですが、現代の価値観だけで、側室制度があったから母(女性)軽視、というのも違いますよ。

古代を中心に、煌位継承は母方の血統が重要視されたと見られる例も複数ありますし、煌女の血筋が煌統の正統性を支えた例も複数ありますからね。

》

夜良野氏の後半の言葉に引きつけられる。

《(照環(しょうわ)帝主(ていしゅ)が側室制度を廃止されたのか…。男系維持のために側室が必須なのに、照環(しょうわ)帝主ご自身や、ひょっとするとお父さんの太照(たいしょう)帝主から、実質的に側室を否定してた可能性もあるって事か…。それは、男系に拘ってない証拠なのでは…。なのにあいつら、復活とか平然と言ってる。今上帝主御一家(きんじょうていしゅごいっか)や、その祖先を敬愛してるとか誇りに思うとか言ってるけど、絶対に嘘だろ。外戚云々や中継ぎ云々も、あいつらが言ってるってだけで怪しく感じてくる…)教えて下さりありがとうございます。次はこんなのもあります。まとめました。

↓

・女帝は例外で中継ぎ、政治的混乱期にやむを得ず

・女帝即位はまだ制度が確立していなかった時代のこと

・帝主(ていしゅ)はそもそも特殊な存在だから

》

《どれも男系男子派がよく主張されていますね。

そうやって史実を否定せず、意味を削り奪うことで成り立ちます。女性帝主の存在を例外とする枠外化です。彼女達は女系(じょけい)帝主ではありませんが女性(じょせい)帝主であり、しかも禁止されていなかったからこそ正式に即位できたのです。

女性帝主の即位事情は複雑で、中継ぎどころか中心的統治者の例もあるので、一括りにできないはずなのです。

⁘

122代帝の命示(めいじ)時代までは、直系の血を引いているからと言って、自動的に煌位継承資格者になるわけではありませんでした。

直王(ちょくおう)(内直姫(ないちょくひめ))宣下(せんげ)(=煌位継承資格者として国家が公式に認定するための儀礼です。後に品位(ほんい)=身分、封戸(ふこ)=経済基盤、役所=専用の事務官・護衛・侍女などを配置、帝王学=統治者に必要な学問・儀礼などを学ぶ教育環境、が与えられます。)

を受け、初めて即位が可能となり、即位しております。

ですから、直王(ちょくおう)や内直姫(ないちょくひめ)は単なる敬称では無いのです。さらに、

⁘

煌統譜(こうとうふ)(=愚内庁(ぐないちょう)が管理する公式系譜で、即位の記録です。)にも、出生時から帝主の実子(煌女(こうじょ))として中心近くに記載され、女帝として即位した事実はきちんと記録されております。

》

《(ちゃんと即位前に色々と準備していたという事か…。帝主は男を繋ぐだけの存在だ、的なことばっかりの、男系男子派の主張と全然違うじゃん!)なるほど…今までとイメージが変わりました。ありがとうございます。

他にも、こういう主張もあるんです。

院政期(いんせいき)を根拠にしたもののようですが、どう思われますか。すみません、詳しくなくて…。

↓

院政期のように、上煌(じょうこう)が何ものにも縛られず選べた時代ですら、各上煌は男系男子を選び続け、煌女(こうじょ)は候補にすらならなかった。そう、ただの一度も選ばれていないのである!

1156年の保元(ほうげん)の乱(らん)において煌位を争ったのも、全て男系男子であり、女系が入り込む余地など最初から存在しない!これは制度ではなく、価値観としての男系が共有されていた証拠。だから、男系男子は自明の原則だった証拠だったのだ!

》

《男系男子派の方には、院政期(いんせいき)はそのように見えているようですが、別の見方もできるのです。

では一度、即位した煌女(こうじょ)たちと、重要な位置にいた煌女(こうじょ)たちを、全てではありませんが、見ていきましょうか。その前に、

⁘

群臣推戴(ぐんしんすいたい)(=群臣(ぐんしん)(=豪族・貴族・武家など、当時の政治を担った有力者たち)、推戴(すいたい)(=周囲の者たちが、煌統に連なる候補者の中から、その時代や状況に相応しい帝主として認め、即位を求めること)です。)という言葉を、覚えておくと良いでしょう。

⁘

あとは、保元(ほうげん)の乱と、院政期について軽く補足しておきます。

保元(ほうげん)の乱(らん)(=上煌(じょうこう)や摂関家(せっかんけ)を中心とした権力争いが、武力衝突に発展し、煌位継承問題も絡んだ内乱です。当時は武士勢力の指揮や象徴として、男性が前面に立つ背景がありました。

ただし、女性煌族(じょせいこうぞく)はこれとは別の形で政治に関わっていたのです。ですので、どの勢力がどの男系男子を支持するか、という政治的対立の側面が強い出来事でした。)

院政期(いんせいき)(=72代白河(しらかわ)帝主~84代順徳(じゅんとく)帝主の頃までの時代です。上煌(じょうこう)(=退位した帝主)が、院(いん)として、政治の実権を握っておりました。表向きの帝主とは別で、実際の決定権は院側にありました。)

先ほどの、男系男子派の方々の主張と、照らし合わせながら、見て下さい。

✿

・33代推古(すいこ)

※兄の32代崇峻(すしゅん)帝主(=30代敏達(びんたつ)帝主の弟)が臣下に暗殺された後に即位。

彼女の息子(=当時は煌太子(こうたいし)と言う単語が存在せず最有力候補の大兄(おおえ)と呼ばれております。また、彼女の夫である30代敏達(びんたつ)帝主には他にも実子が複数おりました。)は、彼女の即位前には早世していたとされます。

後継者を決めず崩御したので、蘇我(そが)氏の主導で

34代舒明(じょめい)帝主(=30代敏達(びんたつ)帝主の孫)が即位しました。

余談で、

31代用明(ようめい)帝主(=30代敏達(びんたつ)帝主の弟)は即位後2年で病没してしまい、蘇我氏主導で32代崇峻(すしゅん)帝主に繋がります。

✿

・35代皇極(こうぎょく)/37代斉明(さいめい)※同一人物の重祚(ちょうそ)

※夫の34代舒明(じょめい)帝主の死後即位。彼女自身も夫と同様に30代敏達(びんたつ)帝主の孫にあたる煌女(こうじょ)です。

弟の36代孝徳(こうとく)帝主へ譲位しましたが、孝徳(こうとく)帝主は後継問題で孤立し崩御。

後継者不在の混乱が生じ、それを収めるため37代として再び即位。

彼女の崩御後、彼女の息子(=煌太子(こうたいし))は即位せず政務を執る、

称制(しょうせい)(=帝主不在状態で煌太子が代行政務)を開始し、数年後に正式に即位し、38代天智(てんじ)帝主となり、次は息子の

39代弘文(こうぶん)帝主(=諸事情で欠番扱いされる事もあります)です。

この38代天智(てんじ)帝主が即位するまでの空白期間である称制(しょうせい)期間に、万葉集などに

中煌命(なかつすめらみこと)/中帝主(なかつすめらみこと)(=女帝や帝后(ていごう)を指す称号)が登場します。

中帝主(なかつすめらみこと)=間人煌女(はしひとのひめみこ)説があります。

間人煌女(はしひとのひめみこ)は、34代舒明(じょめい)帝主と35代皇極(こうぎょく)=37代斉明(さいめい)帝主の煌女(こうじょ)で、36代孝徳(こうとく)帝主の帝后(ていごう)です。

彼女は政治的に重要な立場で、空白期間に実権を伴う統治を行っていたとされます。

✿

・41代持統(じとう)

※夫の40代天武(てんむ)帝主(=38代天智(てんじ)帝主の弟)の死後に即位。

彼女自身も38代天智(てんじ)帝主の煌女です。

孫の42代文武(もんむ)帝主(=父方に天武(てんむ)の血、母が40代天武(てんむ)帝主の煌女である

新田部煌女(にいたべのひめみこ)で天智(てんじ)の血、を併せ持つ存在)へ譲位。

✿

・43代元明(げんめい)

※夫(=40代天武(てんむ)帝主の直王(ちょくおう)で煌太子(こうたいし)))が早世したので即位。彼女自身も38代天智(てんじ)帝主の煌女です。

息子(=祖母(持統(じとう))女帝から譲位された42代文武(もんむ)帝主)が早世したので、娘(=44代元正(げんしょう)帝主)へ譲位。

✿

・44代元正(げんしょう)

※母の43代元明(げんめい)帝主から譲位を受け即位。父の死後に母から譲位されての即位なので、女帝の子としての即位です。

甥の45代聖武(しょうむ)帝主へ譲位。

✿

・46代孝謙(こうけん)/48代称徳(しょうとく)※同一人物の重祚(ちょうそ)

※父の45代聖武(しょうむ)帝主の崩御後に即位。

後継者問題が起こり、実権ある臣下が天智(てんじ)系の47代淳仁(じゅんにん)帝主を擁立して即位。

しかし後に対立したので彼を廃し、48代として再び即位。

称徳(しょうとく)帝主崩御後は直系の後継者が無く、孝謙(こうけん)帝主の意向と臣下の会議で遠縁の49代光仁(こうにん)帝主(=天智(てんじ)帝主の孫)が擁立され即位。

彼は帝后(ていごう)に

井上(いがみの)内直姫(ないちょくひめ)(=45代聖武(しょうむ)帝主の天武(てんむ)系の煌女(こうじょ)です。彼女に関しては、史料に「煌位を望む風聞あり」と明記されておりまして、煌位をめぐる政治的動きの当事者として、実名で史料に記された稀有な例です。)を迎え、

直王(ちょくおう)(=煌太子)を設けますが、煌位継承を巡る争いにより帝后(ていごう)と煌太子は失脚。

49代光仁(こうにん)帝主と夫人との息子の50代桓武(かんむ)帝主が即位します。

桓武帝主は井上(いがみの)内直姫(ないちょくひめ)の娘の

酒人(さかひと)内直姫(ないちょくひめ)(=天智(てんじ)系の光仁(こうにん)帝主と、天武(てんむ)系の井上内直姫の煌女です。)を帝后(ていごう)に迎えました。

この二人の間の直王(ちょくおう)が、51代平城(へいぜい)帝主です。

✿

・72代白河(しらかわ)帝主の煌女、媞子(ていし)内直姫(ないちょくひめ)(=院号は、郁芳門院(いくほうもんいん)です。)

彼女は73代堀河(ほりかわ)帝主の姉であり、帝主の母ではありませんが、

准母(じゅんぼ)(=帝主の母の代替として、正統性を補完する存在です。)とされ、后位に準じる地位を与えられました。

准母立后(じゅんぼりっこう)(=帝主の実母ではない内直姫(ないちょくひめ)を、擬制的に母として位置づけて安定を図ることです。)の始まりと見られております。

余談で、

不婚内直姫(ふこんないちょくひめ)(=斎院(さいいん)や斎宮(さいぐう)などの、神に仕える巫女的役割を担う煌女制度と関連した、婚姻を行わないことを前提とした内直姫(ないちょくひめ)の在り方です。)とは、役割や制度的背景が異なりますので、ご注意下さい。

✿

・74代鳥羽(とば)帝主の煌女、暲子内直姫(しょうしないちょくひめ)(=院号は、八条院(はちじょういん)です。)

複数の帝主(=74代鳥羽(とば)帝主、75代崇徳(すとく)帝主、76代近衛(このえ)帝主、77代後白河(ごしらかわ)帝主の4代)を通して存在した長命の煌女です。

莫大な院領と人脈を背景に、煌位継承において無視できない存在である

女院(にょいん)(=煌女・帝后・女御などに与えられた尊号/院号を持つ女性の事で、政治・財政・儀礼を統括する存在)です。

76代近衛(このえ)帝主の崩御後の煌位継承議論において、八条院(はちじょういん)暲子内直姫(しょうしないちょくひめ)の存在も、重要な要素の一つとなりました。

その後、74代鳥羽(とば)帝主の直王(ちょくおう)が、77代後白河(ごしらかわ)帝主として即位します。

✿

・77代後白河(ごしらかわ)帝主の煌女、式子内直姫(しょくしないちょくひめ)

賀茂斎院(かもさいいん)(=未婚の煌女が賀茂神社に奉仕する制度的役職です。)を務め、新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)を代表する歌人としても知られます。

78代二条(にじょう)帝主の即位より後に、式子内直姫は斎院となります。

玉葉(ぎょくよう)(=当時の摂政・関白であった九条兼実(くじょうかねざね)の日記です。)などからも、当時の煌族女性が宮廷社会において重要な位置を占めていたことがうかがえます。

近年では、時(とき)ノ御祢(みね)殿下(でんか)も、式子内直姫(しょくしないちょくひめ)に関心を寄せ、取り上げています。

✿

・109代明正(めいしょう)

※恵渡(えど)幕府の都合で父の108代後水尾(ごみずのお)帝主の譲位により幼少で即位。

徳川家を外戚とする唯一の帝主です。

彼女の実母である東福門院(とうふくもんいん)徳川和子(とくがわまさこ)は国母(=帝主の母またはそれに準ずる地位を持つ女性に贈られる尊称)とされています。

生涯独身で実子もおりません。

異母弟の110代後光明(ごこうみょう)帝主へ譲位。

✿

・117代後桜町(ごさくらまち)/後桜町院(ごさくらまちいん)(=重祚案があったようです。)

※父の115代桜町(さくらまち)帝主と母である中宮(=帝后とほぼ同格の身位・称号です。)の二条(にじょう)舎子(むねこ/いえこ)(=夫崩御後、追号により帝后とされました。)の唯一の煌女(=彼女には姉がいましたが早世しております。)です。

甥の116代桃園(ももぞの)帝主(=父は114代中御門(なかみかど)帝主で115代桜町(さくらまち)帝主の兄です。彼女の甥ですが、実は彼女とほぼ同い年です。)の崩御(ほうぎょ)後、合意によって中継ぎとして即位。

彼女にとって114代中御門(なかみかど)帝主は祖父にあたります。

生涯独身で実子もおりません。

大甥(おおおい)(=甥の子)の118代後桃園(ごももぞの)帝主(=父は116代桃園(ももぞの)帝主です。なので、女性帝主の実子ではなく、煌統内の煌族男子となります。)に譲位。

国母として大甥(118代帝主)と119代光格(こうかく)帝主を後見する役割を果たしました。

重祚が実現しなかったのは、本人の強い辞退と、大甥(おおおい)(=甥の子)の118代後桃園(ごももぞの)帝主の崩御(早世でした。)で、恵渡(えど)幕府がより長期安定を考え、光格(こうかく)帝主を選んだ、という政治的な判断でした。

✿

しかしながら男系男子派は、これらの、双系的継承の痕跡を本流の外に追いやることで、制度の例外とするのです。

しかし何度も書きますが、女帝は制度において許されたから即位しました。

煌女の即位や重祚を検討された史実もあります。

女性という点が明確に除外されていたら、そもそも彼女たちの即位は不可能です。

》

《(あ。女性帝主達の名が並んでるし即位までと後継まで書いてくれてる…。

それに院政期って、煌女(こうじょ)が外れていたわけじゃないんだ…!保元(ほうげん)の乱(らん)に関しても、当時の背景を見れば、男しか争ってない=男しかなれないって意味じゃ無い、って事じゃん!

ここに並んでる重要な煌女たち…まるで隠れた宝石みたい…。どれも重要だし、間人煌女(はしひとのひめみこ)のとこも興味深いな…)即位が複数繰り返されてて、こんなに重なってるのにですか?

》

《ええ。例外とは、制度の外に一度だけ現れるもの。女性帝主はそうではありません。

》

《(それに、孝謙(こうけん)=称徳(しょうとく)帝主のとこ、帝主が帝主を廃するとかもあるんだ…)なるほど、史実は認めるけれどその意味は認めない、ですか…。

》

《例外という言葉で、現代の価値観を過去に押し付けます。

古祀記(こしき)や似多聞書紀(にたもんしょき)を読めば、持統(じとう)帝主や推古(すいこ)帝主のように自らの意思で即位し政治を行った帝主の姿が見えてきます。

⁘

女性帝主の治世には、兄弟・甥・叔父といった男性煌族や有力貴族が同時に存在していました。

にもかかわらず、宣下を受けたうえで女性が帝位に就いた、という事実は、男系の断絶や男性煌族の不在を理由とするものではありません。

これらを単なる中継ぎと断定するのは、歴史的事実を無視していると言えるでしょう。

⁘

複数の女帝が存在し、制度的に継承されてきた以上、それは例外ではありません。

繰り返しは制度です。

》

(繰り返されたこの事実こそ、制度の証…)


ふと、今上帝主直系(きんじょうていしゅちょっけい)派(=宿(やど)リ子(こ)帝主派)の書き込みが頭に浮かぶ。


《ありがとうございます夜良野氏。

それと、多分直系派の方の書き込みだと思うんですが、御嗣絶(みつぎた)ゆべきって何でしょうか?

》

《似多門書紀(にたもんしょき)にある25代武烈帝主(ぶれつていしゅ)と26代継体帝主(けいたいていしゅ)に関する記述ですね。

武烈帝主崩御時に、煌族の血筋が絶える危機にあったことを示していて現代の双系継承支持の立場からは重要な言葉です。

》

《どんな風に重要なのでしょうか?

》

《厳格な男系継承が絶対原則だったなら男系の血筋だけが問題になるはずです。

が、この記述は性別を問わず血統の断絶を憂慮しているので、性別問わず血筋そのものが重要だった、という当時の考え方が分かります。

》

《よく分かりました、ありがとうございます。(古代の人々は今の男系男子派の様な性別のみに固執する極狭視野ではなく、より広い視点で煌統の存続を考えていた…)》


小さく息を吐き、画面から視線を外して湯呑みに手を伸ばした。

温くなった茶を一口含み、再びモニターに目を戻す。


《あの、ある男系男子派が一次史料として続似多門紀(ぞくにたもんき)について書いていたのですが、元明(げんめい)帝主の煌孫(こうそん)に譲る、についてはどう思われますか?

男系男子派はそれを根拠に中継ぎ論確定とか言ってました。メモしてるんで、それ出しますね。

》

《お待ちしております。

》

《すみませんお待たせしました。

↓

元明(げんめい)帝主(=在位中に古祀記(こしき)を完成、平城京遷都を進める、など、煌統の基盤を強化する制度的功績も残した帝主)は、続似多門紀(ぞくにたもんき)で煌孫に譲ると明言し、実際に男系男子である聖武(しょうむ)帝主に譲位しました。

煌孫という語は帝主の直系子孫を指すものです。この一次史料は、女性帝主が男系男子に煌位継承を戻す役割を自覚していたことを示す決定的な証拠です。

元正(げんしょう)帝主(=元明(げんめい)帝主の娘で聖武(しょうむ)帝主の叔母)は聖武(しょうむ)帝主が成長するまで即位し、その後に譲位して男系継承を守りました。このように、歴代の女性帝主は功績を残しながらも中継ぎであり、必ず男系男子に譲位しております。

》

これに対する、夜良野氏の返信。

《まさに男系男子派の文章ですね。彼女達は中継ぎという軽い扱いじゃないんです。

43代元明(げんめい)帝主は、40代天武(てんむ)帝主の意思を継ぎ、古祀記(こしき)を完成させました。

41代持統(じとう)帝主は煌位継承の明確なルールを制定し、自ら後継者を決めています。

単なる橋渡しではなく、煌統の安定と文化の基盤を築くための戦略的統治でした。

当時の言葉には、現代人には推し量れない意図が込められています。

煌孫(こうそん)に譲る、という表現も、その時代の政治的文脈や儀礼の中で使われたものとして考え無いといけません。

》

《(男系男子派ってのは、何でも現代の感覚に置き換えて解釈するぺらい人達ってことだね…。煌孫の解釈は夜良野氏が書いてくれた通り帝主の孫、帝主の子孫、で性別限定されて無い。なのに男系男子派の脳内では男系男子に変換される…)解説して下さりありがとうございます。あ。もしかしてこれの事ですか!

私が勝手に呼んでるんですが、男系男子派の結果オーライ論です。

歴代帝主はすべて男系でつながっており女系で継承された例は一度も存在しない。女帝はいたが男系継承は守られていたから問題は無い。系の発言についてです。

》

《はい。そうやって結果だけがさも正しいかの様に盾にして、過程を切り捨てるのが彼らのやり方なんです。

歴史的事実は多角的に解釈されるべきで、特定の結論(この場合は男系絶対)に都合の良い部分だけを抜き出して論じるべきではないんです。

その手の話に関しては、施基直王(しきちょくおう)を出す方が多いようですね。

彼について簡単に書きます。

⁘

・施基直王(しきちょくおう)(=本人は煌太子(こうたいし)では無く即位もしておりません。)

=38代天智(てんじ)帝主と有力豪族である蘇我遠智娘(そがのとおちのいらつめ)との直王(ちょくおう) です。

当時は天武(てんむ)系45代聖武(しょうむ)帝主の煌女(こうじょ)48代称徳(しょうとく)帝主が崩御し、天武(てんむ)系の断絶、という非常事態でした。

その後、臣下の会議により天智(てんじ)系の施基直王(しきちょくおう)の子である49代光仁(こうにん)帝主(=還暦過ぎてから高齢即位です。)と、その息子の50代桓武(かんむ)帝主へと続きます。

施基直王(しきちょくおう)は死後50年以上経過してから、息子である49代光仁(こうにん)帝主より、

春日宮(かすがのみやに)御宇(あめのしたしろしめしし)帝主(すめらみこと)、

と、帝主の称号を贈られています。(これを追尊帝主(ついそんていしゅ)と言いまして、死後に帝主(ていしゅ)の地位を与えられた追尊帝主(ついそんていしゅ)は複数存在します。)

⁘

男系男子派は彼を引き合いに出して、元明→元正という女性帝主が続いた後に男系へ戻した、と主張されますが、この主張こそ男系男子の概念が後から作られたことを示しています。

元正(げんしょう)帝主は、傍系男子より直系女子が優先された結果なのです。

施基直王(しきちょくおう)は直王の一人に過ぎず、特別視されるようになるのは子と孫が即位した結果、彼の系統が煌統の中心になった後からです。

結果が男系だったから女帝の存在を無意味としたいのでしょう。が、即位が制度として成立していた事実は消えません。結果だけを基準にすれば、女帝そのものの正統性を否定することになります。

たしかに最終的に男系男子に戻ったかもしれません。しかし女性帝主が即位した、という事実そのものが、制度的に認められていた証拠なのです。

過程を無視して最後は男系だから問題ない、などというのは後世の価値観によるすり替えです。

…かつて、男系男子派の方々に学術的な根拠を提示すれば偽情報だと断じられ、歴史的事実を語れば歴史を改竄している、と言われたものです。

》

《なんですかそれ酷い!

調べれば調べるほど男系男子派こそ…印象操作やこじつけばかりじゃないですか!

》

《ありがとうございます。

印象操作と言いますと、男系男子派の方々が、帝主陛下が弟御祢(おとうとみね)を次期帝主に任命した、というのは完全な嘘です。

》

《そうなんですね!?

たまに嘘・捏造って反論されてても帝主陛下の決定に逆らうのか!とか逆切れしたりして、押し通そうとしてますよね。

》

《困ったものですよね。

帝主の御子の次期帝主に関しては憲法・煌室典範に明記されており、弟御祢とは法的にも地位が異なる。

弟御祢は立煌嗣(りっこうし)の礼、なるものを執り行いましたが、過去のどの帝主にも存在しなかった新設儀式です。

⁘

ちなみに、上帝主(じょうていしゅ)(上煌(じょうこう))は太上帝主(だいじょうていしゅ)と言う、譲位(じょうい)後の帝主を指す言葉として古代から存在しておりますが、上帝后(じょうていごう)と言う呼び方は似多門史上初めて新設された称号です。

⁘

話を戻しますが、立煌嗣(りっこうし)の礼を勝手に伝統と言い張るのは、ただの捏造です。もしくは歴史と制度を知らないか、知ってて歪めてるかのどちらかです。

伝統を語るなら、まずは史実と法体系を直視してからにして欲しいものですよね。

次期帝主が決まっていないうえ、某系御祢家(ぼうけいみねけ)では力量不足。帝主陛下も帝后(ていごう)陛下も負担が増していくばかりで心配です…。名実共に次期帝主に相応しい宿(やど)リ子(こ)様が然るべき地位に就いておられればこんな事には、と考えずにはいられません…》


夜良野氏のお陰で、深く歴史の海に潜れる。

それは、男系男子派の言う似多聞の伝統とは全く異なっていた。

(双系継承…まるで、現代のジェンダー平等や多様性に似ている価値観がすでに古代似多聞(こだいにたもん)に存在していたかのよう。すごい…似多聞人の精神は、古代から世界の最先端に居たみたい…)

自分の男系男子派への言葉が、感情的であるものの、史実や事実に基づいたものへと変わっていく。


明らかに男系男子派と思われる意見。


《122代帝時代で男系男子が明文化されたのは、単なる時代の思いつきじゃなくて、近代国家を作る段階で、似多門の祭主道(さいしゅどう)の筋を、国家法としてきちんと形にしただけです。

これは氏的継承観(うじてきけいしょうかん)を、近代の家族制度の父系化とリンクさせて、国家としてこれぞ煌祖大神(こうそおおかみ)以来の筋だ、と確認した作業ですよ。

戦後の新憲法・煌室典範にもそのまま継承規定が引き継がれているのが、何よりの証拠じゃないですか。

そもそも似多門の氏(うじ)というのは父系を軸に祖先神を祀る集団。

氏的継承観(うじてきけいしょうかん)の本質は、父から子へ、祭祀の責任を受け継ぐことにあります。

煌室はその最上位で、帝主は国家の祭祀の長なんですから、父系でつながる煌統が保たれないと、似多門の祭祀そのものが断ち切られかねない。

古代には確かに女帝が出たこともありました。でも、あれは政治的に避けられない状況での例外処理です。

煌位の本質は男系による祭祀継承である、というのは男系男子派の偉い先生方の煌位継承の伝統でも整理されている通りです。

だからそれを今さら変えるなんて、祭祀の根っこ、祭主道の根っこを揺らすような話なんです。法律的にも伝統的にも、男系男子で決着済みなんですよ。

》

(氏的継承観(うじてきけいしょうかん)…父系継承概念(ふけいけいしょうがいねん)…聞いた事が無いな…。私はまだまだ何も分からない素人だけど、こいつらの振りかざすものは…何となくだけど、100%疑わ無いとダメな気がする。そう、本当に古来からのものだろうか?って感じに…)


宿(やど)リ子(こ)帝主派と思われる人達の意見。


《憲法第1条~2条は、帝主の在り方は国民の意思と法に基づくと言ってるのに。

男系男子派が、男系でなければならない、などと宗教的観念や伝統神話を絶対視して法改正を拒むことは、憲法の趣旨である国民主権&象徴帝主制に背き、立憲主義の否定にもなり得ると思う》

《男系男子派が言う男系なんて、実際には煌女(こうじょ)を介さないと正統性を維持して来れなかったのに…》

《宿(やど)リ子(こ)様は似多門(にたもん)の一般的な世襲制度(長子相続・直系尊重)から見ても、歴史的にも法的にも、そして象徴帝主制の理念的にも筋が通っている最も自然な継承者なのに、男カルトに貶されて可哀想…》

《煌室典範を憲法とは別の伝統的原則、みたいに語るのって、変えてはならない、と思わせるための男系男子派による印象操作ですよね。悪質》

(法律のこと…もっと勉強しないといけないな…)


それからどっちの派閥か分からないけれど、気になる書き込みもあった。


《そもそも男系でないと王朝交代とか断絶とかいう考え方自体が、龍国(りゅうごく)の宗族(そうぞく)制(父系血統絶対)に由来する思想だろ》

龍国(りゅうごく)とは龍祖永民共和国(りゅうそえいみんきょうわこく)の略で、似多門国から比較的近い国である。

悠久の歴史と巨大な経済力を持ち、歴史認識や領土問題を背景に反似多門国言動や政策が見られる。

(何だろう…龍国宗族制(りゅうごくそうぞくせい)…?いや、今は歴代女性帝主に集中だ…)


夜良野(やらの)氏に、男系男子派はAIをよく使うのか、と尋ねると、AIを使っていると公言していた複数の男系男子派とやり取りした事がある、と答えてくれた。

氏は男系男子派のAIの文章に、ある特徴を見つけ出したという。


《AI特有の性質として、いくらでも長文の、それらしく見える文章を生成できる点があるようです。

⁘

私がこれまで接してきた範囲では、基本は結論を男系男子絶対継承(稀に男系継承)に置くよう、あらかじめ方向(設定)づけたうえで論を組み立て、そこへ誘導しているように見受けられます。

⁘

史料を、歴史的な背景や政治的な経緯から切り離して扱っているようです。

史料は本来、その全体像を常に意識しなければなりません。

しかし、彼らは自分たちに都合の良い部分だけを切り離し、絶対的な根拠として振りかざしています。

査読(さどく)付きの学術論文すら、一部の学説だ、などと矮小化して、自分たちの男系男子絶対論で終わらせようとする傾向も見られます。

これは、学問に対する冒涜(ぼうとく)とも言えるでしょう。

しかし一方で、切り捨てる方向で一貫しているわけではありません。

憲法と煌室典範の混同など、制度理解の面で不正確な記述が見られるほか、歴史・制度・宗教といった本来区別して扱うべき領域(レイヤー)を混同し、あたかも史実であるかのように提示するケースも確認しています。

⁘

議論の仕方にも、特徴があります。

⁘

発言を一言一句、過剰に否定しますし、言葉の揚げ足取りも執拗です。

伏せ字まで不敬だと過剰に反応します。

既に答えたことや文脈を無視して、同じ指摘を繰り返します。

⁘

さらに、記事等のタイトルと相手の発言の区別をつけず、誤認したままで、事実誤認するな、などと指摘してきます。

史実との齟齬を指摘されたりして、実際には劣勢になると議論を避け、相手に対し

「誤解をしている(もしくは)誤解を招く言い方をしている」「混同している」「飛躍だ」

といった具体的な説明(根拠)を伴わない言い方(抽象的なレッテル貼り)で、応じる傾向があります。

それでいて、こちらにはレッテル貼りをするなと要求して来るのです。

⁘

本来は自らの主張の根拠を示すべき、説明責任のある場面であっても、それを提示しないまま、逆に相手に対してだけ根拠を求めたり、さらには自らの主張の根拠の提示(説明)を、相手に執拗に要求する形へすり替える傾向も見られます。

⁘

他にも、制度上の可能性についての議論をしているにもかかわらず、それを、確定事項であるかのように記述している、と解釈したうえで誤りと断じたり、

制度設計の詳細が即時に提示されていないこと自体を問題視するなど、

テーマ(話題の主旨や前提)のすり替えを行いながら、断定的な態度を取るため、議論の整合性が損なわれがちです。

⁘

煌室典範で例えますと、

今そうである(男系男子継承である現状)と、未来永劫そうでなければならない(男系男子派の主張)、

は別物ですし、

制度上(女性女系帝主が)可能かどうか、と、現行制度として確定しているか、

も当然別ですが、そこを区別をつけない(誤解や混同をした)まま、話を進めようとします。

⁘

こうしたやり取りの結果として、議論の本筋は失われ、どうでもいい応酬に終始してしまうのです。

それにもかかわらず、自分たちを冷静で中立だと自称します。

》

《(なるほど。言葉遊びみたいなものか。自分らは自動生成応答で超適当なのに、相手にはあれこれ真剣に誠実に答えろとか言ってくるって事か…。AI使いほど真面目に答える価値無さそう。長文ほど、どうせ大したことは言っていないって考えておいた方が良さそうだね…)分かりました、気をつけます。色々とありがとうございます。それとすみません、査読(さどく)…って何ですか?

》

《学術雑誌などに掲載される際、同じ分野の専門家が内容を審査することです。

査読を通った論文は、客観性や信頼性が高いと認められた証拠です》


彼らがAIを使っている場合は、AIを盾にいかに巧みに男系男子派に都合良いすり替えを行ってきたか伝わってきて、改めて警戒しないといけないと感じた。


《勉強になりました、ありがとうございます!

あと聞いてばかりですみませんが、男系男子派の人が48代称徳(しょうとく)帝主以降、女帝がいないのが女系継承が無かった証拠だって言ってたんですけど…。

教えて頂いた通り、109代明正(めいしょう)帝主、117代後桜町(ごさくらまち)帝主が居るのに…。

何で男系男子派の中で48代以降はいない扱いになるんでしょうか?

》

《いつもの中継ぎ・例外扱いも関係していると思いますが、それを除いて説明しますね。まず、

⁘

称徳(しょうとく)帝主(=仏教による国家統治を目指していました。仏教には寺院や修行の場に女性を立ち入らせない女人禁制的な思想がありました。)に関わる

仏教勢力(=この時代は仏教=政治権力の一部で政治に影響を及ぼしていました)や、

道鏡(どうきょう)事件(=女帝の寵愛を受けた僧侶による煌位簒奪未遂事件)を経て、

貴族層が、女帝が外戚や僧侶と結びつくことを政治的に恐れたので、制度的排除では無く、政治的事情で女性帝主は避けられてます。

⁘

もう一つの疑問に関しましては、48代称徳(しょうとく)帝主~109代明正(めいしょう)帝主まで女性帝主は登場しませんでした。

この長い空白期間を、男系男子派は女系・女性帝主が制度的に否定されていた証拠だ、と主張するんですが…制度的に禁止された事が無いのに変わりありませんよ。

もし制度で排除されていたなら、明正(めいしょう)帝主の即位は説明できませんからね。

》

《(女系継承が実現しなかったのは、単に政治や優先順位の問題とその結果って感じか…。それを、最初から男系を守る為の制度だった、そうする目的だった、とか、男系男子派だけに都合良い、いつもの脳内変換しちゃうのが男系男子派…)なるほど、ありがとうございます。

あの、私のメモで、道鏡事件(どうきょうじけん)について男系男子派がこう言ってました。

夜良野(やらの)氏に色々教えて貰ううちに、多分男系男子派特有の混同と、相変わらず男系絶対前提にしてる気がしてます、いかがでしょうか。

↓

道鏡事件を見れば、もう答えは出てるんだよ。

『続似多聞紀(ぞくにたもんき)』には臣下が帝主になる前例はないって、はっきり書いてある。

つまり、帝主は煌族の血、しかも男系の血を受け継ぐ者じゃなきゃダメ。臣下が君主の地位に就くことを禁じる原則なんだよ。

和気清麻呂(わけのきよまろ)が持ち帰った神託でも、天津日嗣(あまつひつぎは)は必ず煌緒(こうしょ)を立てよって言われてるだろ。

煌緒(こうしょ)ってのは、単なる称号ではなく、煌位が煌族の血統の内側で連続していくこと。

男系でつながる煌族の血統のことを指す重い語なんだよ。

だから日嗣(ひつぎ)は煌緒(こうしょ)に属する者から立てる、煌位はその男系ラインの中で継がれていくべきだ、っていう神意だ。

歴史上、女性帝主は存在したが、すべて父方で帝主に連なる男系の煌統から立てられてきた。

元明(げんめい)から元正(げんしょう)への母娘継承(ははむすめけいしょう)だって、父系はちゃんと男系。例外なんて一つもない。

まとめると道鏡事件で否定されたのは、煌族でもない、まして男系でもない外部の人間が日嗣(ひつぎ)に関与すること、煌位に関わること。それが似多聞(にたもん)の伝統なんだよ。

》

夜良野氏は、変わらず丁寧に返信をくれた。

《あなたの感覚は正しいですよ。

その男系男子派の方は、史料の引用自体は正確です。

ただ、解釈の仕方に誤解や混同があります。併せて説明もしますね。

⁘

道鏡(どうきょう)事件は、続似多門紀(ぞくにたもんき)で、

「以臣為君(しんをもってきみとなす)、未(いまだ)だこれ有らず(あることなし)

(臣下をもって君と為すことは、いまだかつて存在しない。)」

と、記載されております。

これは、女性帝主の即位否定では無く、煌族では無い者が煌位に就くこと、を否定しております。

そもそもこの事件が起きたのが、称徳(しょうとく)帝主という女帝の時代ですからね。

⁘

また、

和気清麻呂(わけのきよまろ)(=道鏡事件を収束させた中心人物です。彼は元々、称徳(しょうとく)帝主に重用されておりまして、反道鏡の政治運動をしていたわけでもありません。)が持ち帰った神託に、

「天津日嗣(あまつひつぎ)(は)、必ず煌緒(こうしょ)(=煌族の血統)を立てよ。」

(帝主(ていしゅ)の位は、必ず煌族の血を引く者から立てよ。)

とあります。日嗣(ひつぎ)とは、古代似多門の言葉で煌位に就くことですし、この煌諸(こうしょ)は、男系男子など意味しておりません。

男女を問わず煌族の血を引く者、を指す言葉です。

⁘

道鏡(どうきょう)事件の発端は、

宇佐八幡神託(うさはちまんしんたく)(=道鏡を煌位につけよ)が出たとされ、

称徳(しょうとく)帝主は念のため、和気清麻呂(わけのきよまろ)を宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)に派遣し、本当の神意を確認するよう命じました。

その後、正反対の神託を持ち帰ったため、称徳(しょうとく)帝主は激怒して、彼と彼の姉を左遷しました。崩御後に道鏡は失脚し、彼は復権して左遷前より出世しました。

》

《(ちょ…何も悪い事してないし、命令通りに動いただけなのに…本人だけでなくお姉さんまで流されて気の毒過ぎる…)教えて下さりありがとうございます。

やっぱり性別限定では無いのと、清麻呂(きよまろ)氏とお姉さんは、一時期人生を無駄にさせられたようですが、後で報われた?なら良かったです。

ところで…夜良野(やらの)氏は、調世(ちょうせい)氏のことをどう思われますか?(多分、あの人の事だから夜良野氏が協力者になってくれる事を予見していたんだろうな…)

》

《うーん、只者じゃないのは確かですよ。疑問が浮かんだとして、それに対する答えを求めるのはあなたや殆どの人間と同じです。ただ、そのやり方が…少し特殊だと感じます。

調世さんは僕が知る限り歴史だけでなく全てに精通しています。

あの方の言葉は時折、まるで何百年も前の過去を見てきたかのような印象を受けます。

でも彼の目的は、真実を追究することではなく…真実が明らかになる過程を純粋に楽しんでいる…そんな印象です。多分あの方は男系男子派による歴史の歪みを誰よりも深く理解している。そして、その歪みを誰かがどうにかできるのか、ただ観察しているだけなのかもしれません。

》

《ありがとうございます、やっぱりあの方は特殊なんですね。(真実を知っていても、ただ見ているだけ…)》


調世氏の知性の奥に潜む、底知れぬ孤独を感じた気がした。

「声様。もしかして調世さんは…神様ですか?」

神や邪神が人間を装い、騒ぎを起こすことは稀にある。

(いいや。神ではない。君と同じ人間だよ。だが…神が共に居ないとは断言できない)

「そうなんですね…。(なら、調世氏は特別優秀な人間か、神を呼び出し力を借りてるか、神に選ばれし者なのかも…。邪神を含めた八百万の神々が、気に入った人間に人知れず力を与え、世界に干渉しているって噂は前々からあるし…)」

さらに八百万の神様と言う存在について問いかけたくなった。

だが、その先には触れてはならないルールなのだ。


《ところで夜良野氏、ギネスに関しては分かりますか?

》

ギネスとは現在は世界一〇〇な人・モノ・出来事を認定・登録している世界最大の記録集のことだ。

男系男子派が英文交えてギネス記録を持ち出すのを度々見かけていた。

《ああ、ギネス記録ですね。

煌室が世界最古の王朝としてギネスに認定されているのは知っていますよ。

ただ、ギネスブックは歴史学の専門書ではありません。ギネス記録はあくまで世界で最も長く続いている君主制として認定しているだけで、この国の継承方法の正当性を科学的・歴史的に証明するものではありません。

⁘

そういえば海外絡みで、海外の似多門(にたもん)史研究者の中には、

似多門(にたもん)の家族制度は龍国(りゅうごく)より柔軟で、女性の地位も比較的高かった、と評価する方もいらっしゃいます。

もちろん、それだけで煌位継承のあり方が決まるわけではありませんが、重要なのは、国外の研究者から見ても、似多門(にたもん)の歴史や制度が、女性が財産を継承した例、家の存続に関わった例、政治的な役割を担った例などを踏まえて、

男系男子派の方々が語るような、単純に、古代から一貫した男系男子絶対の社会であったとは捉えられていない、という点です。

》


夜良野氏の言葉は、いつもながら冷静だった。

だがその中に別の意図が隠されているように感じられた。

(そうか、外国人学者からのこの国の評価か…盲点だったな。そしてこれは、単なる説明じゃない…気がする)

夜良野氏の言葉は、まるで新たな扉を開かせるためのヒントのようだった。


《説明ありがとうございます。

でも…それだけですか?夜良野氏の説明にしてはなんか含みがあるような…うーん…何となく…ですけども。

》

《ふふ。実はギネス記録には女性帝主も含まれている、と解釈出来るんですよ。

そのことについては、僕よりも詳しい人達がいます。

仕舞(しまい)姉妹という方々です。

ネット上では姉妹を名乗っている二人で、常に同時に出現されます。

互いをお姉様と呼んでいてお嬢様口調ですが、歌(うた)さんはしっかりとした口調、織(おり)さんはおっとりとした口調です》


夜良野(やらの)氏の言葉に高揚した。

男系男子派が掲げるギネス記録という権威の裏に彼らが隠そうとしている事実があって、それを知る新たな協力者がいる。

(また新しい仲間に会えるんだ…!)


《お姉様とあなたの活躍を見ておりましたわ。男系男子派の仰る事って馬鹿らしい事ばかりですわよね》


送り主は仕舞歌(しまいうた)。

(なんてタイミング…)

(すごい偶然だと驚いているね)

(ええ、でも、偶然じゃないですよ…仕舞さん達が登場するタイミングを見計らってたんだと思います)

メッセージを送る。


《夜良野さんからお話を聞きました。初めまして。

》

すぐに歌(うた)氏から返信が来た。

《おほほ、確かに初めましてですわよね。

》

織(おり)氏からも返信が届く。

《あなたが、あの…面白い方ですわね。お姉様と話し合っていましたのよ。

さっそくですがギネス記録の件、この私からお話ししましょうか》


本当の姉妹かは分からないが、二人の声が交互に聞こえてくるようだった。


《まず前提として、ギネス世界記録は歴史や考古学の専門書ではありません。この国に関しても、かつて登録されていた件が取り消された例があります。

つまり、ギネスの記録は学術的な史実の証明ではなく、あくまで事実関係の認定にとどまるものですの。

|

男系男子派の中には、ギネスが似多聞を世界最古の世襲君主制、と認定しているのは男系だからだ、などと主張する方がおりますけども、ギネスの公式説明は

the(ジ・) oldest(オールディスト・) continuing(コンティニューイング・) hereditary(ヘレディタリー・) monarchy(モナーキー)

(継続する世襲君主制)

であり、男系限定とは明記しておりません。

英語版の公式説明にも、男系男子継承といった条件は一切記載されていませんわ。それにもかかわらず、男系男子派の方々は自分たちの主張に沿うよう都合よく解釈してしまいますの。

Hereditary(ヘレディタリー)(世襲)

とは、男女を問わず子孫に継承されることを意味しますし、125代帝主時の政府公式見解で、

憲法2条の世襲は男系・女系の両方を含む。

とされ、宿(やど)リ子(こ)帝主に決定しかけていた事も含め男系男子派の方に何度説明して差し上げても理解していただけないのですわ。

まるで、世襲の意味を理解できない呪いにでもかかっていらっしゃるようで…。

|

憲法2条の世襲は、英訳でdynastic(ダイナスティック)(=王朝的/家統的)が使われますが、

煌統(こうとう)(=Imperial(インペリアル) Line(・ライン))を維持する、というニュアンスが強いのです。他にも、

dynastic(ダイナスティック・) succession(サクセッション)(=煌位継承)も、

hereditary(ヘレディタリー・) succession(サクセッション)(=血統による世襲継承)も、

どちらも血統による継承を意味しまして、英語圏では両者は厳密に区別されない事も多いです。

|

また、現在、英語でEmperor(エンペラー)と表記される現役の君主は、世界で似多聞(にたもん)の帝主のみですけども。

現代の国際儀礼では、国家元首は原則として対等でございます。

Emperor(エンペラー)だから、他国の国王(=King(キング))/ 女王(=Queen(クイーン))より上位、という扱いになるわけではありませんわ。

この、Emperor(エンペラー)という称号が現存している事実と、男系・女系のどちらを認めるべきか、という継承制度の議論は、本来まったく別の問題ですのよ。

それなのに、男系男子派の方々の中には、

女系になったら国際的格が下がる、世界唯一の皇帝だから男系でなければならない、男系男子継承だからEmperor(エンペラー)の地位が保たれている、

かのように語る方もいらっしゃいますが、男系男子継承国だけがEmperor(エンペラー)を名乗れるという、国際的なルールは存在しません。

それと、国際会議や国葬などの席次は、称号だけでなく、国家元首としての地位や

seniority(シニアリティ)(=在位期間/先任順位)

seniority(シニアリティ・) of(オブ・) reign(レイン)(=在位期間に基づく優先順位)

length(レングス・) of(オブ・) reign(レイン)(=在位期間そのもの)

などの国際プロトコルに基づいて決定されます。

同じ称号の君主同士であれば、基本は即位が早い方が先任者として扱われ、こちらも性別とは無関係ですわ。

他国は性別や継承方式によって席順を変えたりはしませんし、少なくとも現代の国際儀礼においては、男系でなければ国家元首としての格が下がる、というルールも存在いたしませんの。

|

ギネスに載っている世襲君主制の多くは、男女平等に継承権を認めておりますのよ。1ギリスも5ペインも、5ウェーデンも0ランダもそうですわ~。

そうそう、他国では、政略結婚や王位継承争いによって別の姓(家系)が入り込み、

王朝交代(=dynasty(ダイナスティ・) change(チェンジ))しますの。

似多門(にたもん)に次ぐ世襲君主制の候補は、定義によっては

1ギリス(=同じ国の王位が継続)、もしくは、

4マーク(=同じ家系(姓)が継続)で、見え方が変わると考えられておりますわ〜。

》

織氏が、世界各国の君主制が時代に合わせ柔軟に制度を変えてきた事実を教えてくれた。

ギネスに関する男系男子派の発言メモを出す。

《(ちょっと待て、政府公式見解すら無視!?いや、そこ認識したら男系男子派としては死んじゃうからな…。やっぱ無いわ男系男子派…)そうなのですね。あの、男系男子派がブリタニカ百科事典の定義?の、

A(ア・) dynasty(ダイナスティ・) is(イズ・) a(ア・) family(ファミリー・) of(オブ・) rulers(ルーラーズ) … usually(ユージュアリー・) through(スルー・) male(メイル・) descent(ディセント).

(王朝とは、通常は男系を通じて続く支配者の家系)

って言ってたんですが…私、英語も得意じゃなくて…。

》

《おほほ。

usually(ユージュアリー)は多くの場合、という意味であって、必ずではありませんわ~。

》

そこに、歌氏が一言。

《失礼しますお姉様。

煌室典範のルーツも122代帝主の時代に、5イツの4エンツォレルン家の継承法を参考にしましたの。

男系男子派は似多門の伝統を重んじていると仰いますが、その根幹には122代帝主の時代に入って来た外来思想が影響しているのですわ。

⚬

そして重要なのは、煌位は公的地位(=国家の制度として継承される)であり、帝主(ていしゅ)個人の所有物(=私的財産)では無い、という点ですの。

一方で、帝主(ていしゅ)個人の私有財産は、民法に従って時(とき)ノ御祢(みね)殿下(でんか)に相続されます。

》

織氏が続けた。

《話を戻しますわねお姉様。

ギネスに載っている多くの王室が、時代に合わせて柔軟に継承法を変えてきました。

しかし、男系男子派の方々は、この柔軟さを無視しますわ。あの方々が言う伝統とは、変化しないこと。つまりは停滞することなのですわ。

憲法や煌室典範も、時代と共に変わっていくべきものですのに…》


小さく息を吐き、少し伸びをした。


《その通りだと思います、ありがとうございます織さん。歌さんも。

あの、男系男子派が6ーマ法王などを持ち出すのはどう思われますか?これです。(ったく…今上帝主(きんじょうていしゅ)直系派(ちょっけいは)に対しては、海外の事情は我が国に関係無いとか、海外の事例を持ち出すなとか言いまくるくせに。ただ、男系男子派が拘りまくる男という言葉の裏に、もっと根深い何かがあるみたいには感じるけど…)

↓

単純に両性平等の話として片付けるのは違う。男系継承には神話や祭主道(さいしゅどう)に根ざした文化的・信仰的な背景があるんだ。

海外では6ーマ教皇は最初から男性であることが前提とされ、7ベット仏教でも歴代すべての転生者は男性とされてる。8ダヤ教の3ーヘン(祭司)も父系血統にのみ資格が与えらるし、1スラム教も多くの宗派で宗教指導者(1マーム)は男性であることが当然視されてる。宗教的継承には厳格な条件が課されている例が少なく無いんだ。

》

それに対して、織(おり)氏が説明してくれる。

《私も、何故6ーマ教皇を持ち出すのか不思議に思ってましたわ。

宗教と法律は比較できませんから、その比較は、制度的にはまったく成り立ちませんのに…。

帝主(ていしゅ)は、似多門国憲法に明記された象徴ですもの。煌室典範(こうしつてんぱん)に基づく世襲制度で、宗教的権威ではありませんわ。

|

6ーマ法王は枢機卿による選挙で選ばれる2トリックの宗教的最高位。

9ライ・ラマは輪廻転生によって認定される7ベット仏教の精神的指導者。

継承原理も制度的根拠も、まるで違います。

|

そして肝心の、6ーマ法王に女性がなれない理由は、2トリック教会の教義である、

聖職位階制度(せいしょくいかいせいど)(=宗教組織における聖職者の階級制度の事ですわ~。聖職(せいしょく)=宗教的な役職・聖なる職務、位階(いかい)=身分や等級の序列、制度(せいど)=決められた仕組み)によるものです。

6ーマ法王は選挙で選ばれますが、そもそも候補者となる

枢機卿(すうききょう)(=教皇を選出する権限を持つ高位聖職者で、通常は司教級聖職者の中から教皇によって任命されます。)の候補である司祭職(=神父)を、教義で男性に限定しているため、結果として全員男性なのです。

》

《教皇(きょうこう)?法王(ほうおう)とは別ですか?

》

《教皇は、2トリックの教会の最高位聖職者の、正式称号ですわ。

法王は、仏法(ほっぽう)の王(=仏教界(ぶっきょうかい)の最高指導者)の意味で、宗教の最高指導者の事ですの。

こちらは似多門(にたもん)で広まった歴史的な別称ですわ~。

》

そこに、再度、歌氏の一言。

《失礼しますお姉様。要するに、

宗教教義(=その宗教の内部の規則)なので、信者が変えない限り変わらない。)と言う事ですわ。

帝主(ていしゅ)の継承は煌室典範(=国家の法律。法体系に基づく制度)で、選挙でも転生でもなく世襲ですわ。

だからこそ国会での改正によって、女系継承も制度的に可能なのです。

長い伝統と神格性を持ち出し、男系男子継承を宗教的信仰のように絶対視するのは、制度の議論を神秘化する印象操作です。

制度は信仰ではなく、法と国民の理解によって支えられるべきですわ》


新しい仲間との出会いは世界を広げ、心を更に奮い立たせてくれた。

(男系男子派のやっている事は変化させない事で停滞に繋がるって言ってる…。多分、仕舞さん達の感覚も夜良野(やらの)氏と同じ感覚…。

すごい!仕舞さん達は、昼田(ひるだ)氏や夜良野氏と同じ感覚で、また違う知識の引き出しを持ってる…!協力してくれる皆さんの存在が、私の探していた真実への道なんだ…!)

夜良野氏の時と同様、織氏にも色々と男系男子派のギネスや他国に関連した発言を伝え、それに反論する為の知識を教えて貰う。

ちょうど男系男子派によるギネスに関する書き込みを見かけたので絡んでみた。


《ギネスが似多聞国の煌統を世界最古の世襲君主制として認定しているのは、男系継承が一度も途切れていないからです。

126代にわたって神武(じんむ)帝主の男系子孫が煌位を継いできたという事実は、世界的にも類を見ない記録であり、菊の玉座の重みを証明するものです。ギネスの英語説明にも、

direct(ダイレクト・) descendant(ディセンダント・) of(オブ・) Jimmu(ジンム・) Teishu(テイシュ)(神武(じんむ)帝主の直系子孫)

と記されており、これは男系継承の継続性を前提にした評価と見るべきです。

王朝という概念は、国際的にも男系を通じた血統の連続を意味します。だからこそ、似多聞煌統は

Nitamon(ニタモン・) Dynasty(ダイナスティ)(似多門王朝(にたもんおうちょう))

として世界最長とされているのです。男系継承こそが似多聞伝統であり、世界が認める正統性なのです。

》

中々の長文だが、培った知識で十分反論出来る。

《菊の玉座って、男系がすごいって意味じゃないと思います。ギネスが

the(ジ・) oldest(オールディスト・) continuing(コンティニューイング・) hereditary(ヘレディタリー・) monarchy(モナーキー)

(世界最古の継続する世襲君主制)

として我が国を認定しているのは、制度が途切れず続いている事への評価であって、男系だからではありません。公式説明には 男系限定なんて一言も書かれて無いそうです。

direct(ダイレクト・) descendant(ディセンダント)(直系子孫)

という表現も、現行制度に基づく系譜の説明です。ギネスが評価しているのは、継承の連続性という事実であって継承方法の正当性ではありません。印象操作を止めて下さい。

》

その男系男子派は反論してきた。

《印象操作だなんて言われましたけどね、私は歴史的事実と国際的評価に基づいて冷静に話しているつもりです。王朝とは同一の家系、特に男系を通じて続くものと定義されています。ブリタニカ百科事典にもこうあります。

A(ア・) dynasty(ダイナスティ・) is(イズ・) a(ア・) family(ファミリー・) of(オブ・) rulers(ルーラーズ・) who(フー・) rule(ルール・) over(オーバー・) a(ア・) country(カントリー・) for(フォー・) a(ア・) long(ロング・) period(ピアリアド・) of(オブ・) time(タイム・), usually(ユージュアリー・) through(スルー・) male(メイル・) descent(ディセント).

(王朝とは、長期間にわたり一国を支配する支配者の家系であり、通常は男系によって継承されるものを指します)

この定義に照らせば、男系が変われば別の王朝とみなされるのが国際的通例です。似多聞の煌統は神武帝主以来、約2600年にわたって男系でつながってきた世界唯一の王朝です。女系継承には歴史上の前例がなく、制度を変えれば別の家系とみなされかねない。ギネス世界記録も、

the(ジ・) oldest(オールディスト・) continuing(コンティニューイング・) hereditary(ヘレディタリー・) monarchy(モナーキー)

(世界最古の継続的世襲君主制)

として我が国を認定していますが、その評価の前提にも男系による継続性があります。

》

《(歌さんも言ってた。usuallyは多くの場合って意味であって、必ずじゃないんだよ)あなた自身が世襲君主制と表現している通り、ギネスや国際評価が指す継続性は王位が家族内で受け継がれていること自体を重視しており、男系であることそのものを条件にしているわけでは無いです。

usually(ユージュアリー・) through(スルー・) male(メイル・) descent(ディセント)

(通常は男系によって、一般的には男性の血統を通じて続く )

って、多くの場合って意味ですよね。必須条件じゃない。

それに国際的通例って言いますけど、この国の次に長い王朝とされてる1ギリス王室は女系継承を経ても王室制度を継続していますよね。

王朝交代とはされていません。

それから、女系継承に前例がないというのも正確じゃない。女系帝主は確かにいませんが、女性帝主は何人もいました。制度の中で即位し、国を治めた事実があります。

ギネスの評価も、公式には継続する世襲君主制であることを基準にしています。

何度も書きますが男系限定なんて明記されていません。

男系で続いてきたという説明は、ブリタニカやBBCの記事の表現であって、ギネスの公式定義じゃ無いです。

男系こそが正統性の根拠っていうのは、歴史的事実じゃなくて、男系男子派のみに都合いい解釈です。

世襲は男系限定でなく性別問わず血統を継ぐことでしょ。

王朝の断絶かどうかなんて歴史学や政治的な解釈に左右されるし、ギネスはそこを厳密に判定する立場じゃ無いです。

ギネスが見ているのは、世襲の連続性そのものですからね。

》

返信は無かった。


次。


《煌位継承における世襲とは、生まれた時に定まった順番で煌位を継承する制度です。

その定義に立つなら、 一度、煌室典範(こうしつてんぱん)で男系男子で成立した継承順位を、後から政治で入れ替えることは世襲と両立しません。そもそも現行憲法第二条の世襲は、

Dynastic(ダイナスティック)(=王朝的な/煌統(こうとう)の)の訳語であり、

Hereditary(ヘレディタリー)(=遺伝的な/世襲の(相続による)/親から子へ受け継がれる)では無いのです。

つまり王朝的連続性を意味するのであって、近親者への相続を意味するものではなく、煌位の世襲とは、既得権益を自分の子に継がせる、という封建的発想とは異なるのです。

》

《(何言ってんだこいつ…。世襲って血統継承のことで、男系限定でも無いし、順位固定でも無いぞ…。煌位は既得権益の相続ではないって部分は合ってると思うけど…。ついに自国語まで男系男子脳に都合いいように改変始めたか…?)何ですかその世襲の定義。先代の、125代帝主時の政府公式見解で、

憲法2条の世襲は男系・女系の両方を含む。

とされ、宿(やど)リ子(こ)帝主に決定しかけていたって聞きましたよ。

昔は双系継承だったのを男系男子に変えたのに、逆に変えられないって言える根拠何ですか》

返信は無かった。


指先で机を軽く叩きながら考えを巡らせる。

そしてふと思いついて、姉妹へメッセージを送る。

《歌さん、織さん。

男系男子派は、女性帝主を一度認めるとその子が女系帝主の前例となって常態化するって自分達で言ってますよね。

夜良野(やらの)氏も、古代では女帝の子が生まれる前提で制度が設計されていたとおっしゃってました。

ですからそんなこと、古代の女性帝主(じょせいていしゅ)統治時代の、今の男系男子派より柔軟かつ優秀な考え方が出来る古代似多門人(こだいにたもんじん)は、当然理解していたはずです。

それでも女性帝主は立っていたわけで…。

結局、帝主は世襲ってことですよ。

性別関係なく継承の連続性が大事って本質を、古代の人達は分かってたってことになりません?

》

発見?に、胸をときめかせていると、再び歌と織からの返信が重なるように届いた。

《ええ、確かに男系男子派ご自身が、宿(やど)リ子(こ)帝主を立てれば、女系の可能性に繋がるって認めておりますものね。

》

《これは反論出来ないですわよね~。

前例ができたら困るって、前例の重みを証明しておりますもの。

でも既に女帝の前例ありますものね〜。

そこから女系になっても、ギネス記録の概念の通り本質は世襲ですから何も問題ありませんわよね~。

》

《あの…あなたの発見、是非私達にも使わせて下さいな。

》

《はいっ歌さん。織さんも、勿論です!!

》

《有難う存じます。

これからもあなたの行く末を見守っておりますわ。何か疑問があれば、いつでもどうぞ。

》

《あなたと知り合えた事に感謝致しますわ。

わたくし達…あなたのような方と有意義なお話しが出来て、とっても嬉しいですわ〜》


突然、次々とメッセージが届く。

その全てが、令集解(りょうのしゅうげ)と言う書籍を筆頭に、二十冊を越える書籍と論文のタイトルと簡単な説明だった。

驚きを通り越し、呆然と画面を見つめる。

調世(ちょうせい)氏に対する不審感は相変わらずだが、この圧倒的な情報の提供には感謝の念を抱かずにはいられなかった。

《分からないことは、夜良野(やらの)くんに聞きたまえ》

説明を読む限り、それらはいずれも男系男子派の主張を論破するための根拠となる、学術的な文献ばかりのようだった。

すぐさま、夜良野氏に転送した。


《調世氏から送られてきたんです。

》

《あの方は本当にすごいですね。どの書籍も論文も信頼性が非常に高いものです。

特に論文は、査読(さどく)がついてるものばかりです。

》

《夜良野(やらの)氏もこれ全部知ってるんですね…十分すごいと思いますけど…。

あ、男系男子派の書き込みで気になった書籍?がありまして。

神帝主正統記(じんていしゅせいとうき)ってご存知でしょうか。

》

男系男子派が、たまにそれについて書き込んでいたからだ。

《あぁ、神帝主正統記(じんていしゅせいとうき)は、南北朝(なんぼくちょう)時代に関わります。

どのような時代だったか、簡単に説明しますね。

両統迭立(りょうとうてつりつ)(=華摩倉(かまくら)幕府が仲裁して成立した大覚寺統(だいかくじとう)と持明院統(じみょういんとう)の交互継承)

については、入れるとややこしいので省きます。

⁘

14世紀(1300年代~)に、大覚寺統(だいかくじとう)(=南朝)と持明院統(じみょういんとう)(=北朝)が並立しました。

・南朝=大覚寺統(だいかくじとう)(=三種の神器を持っておりました。96代後醍醐(ごだいご)、97代後村上(ごむらかみ)、98代長慶(ちょうけい)、99代後亀山(ごかめやま)…と、践祚(せんそ)(=即位宣言)の儀礼(ぎれい)が連続していました。

南北統一後に100代後小松(ごこまつ)…と、続きます。

・北朝=持明院統(じみょういんとう)(=夢廬町(むろまち)幕府に擁立されて即位しています。が、現在の煌統譜(こうとうふ)では含まれていません。

北朝1代光厳(こうごん)、北朝2代光明(こうみょう)、北朝3代崇光(すこう)…という流れで、北朝の100代後小松(ごこまつ)帝主が、南朝の99代後亀山(ごかめやま)帝主から神器と共に煌位継承した形になっております。

⁘

このように、二つの系統が正統性を主張し、煌統そのものが二つに分かれた時代です。

父系(男系)だけを見ると、88代後嵯峨(ごさが)帝主から繋がっているのでどちらも正統となります。

が、最終的に、神器の保持、践祚(せんそ)の儀礼(ぎれい)の連続性(れんぞくせい)、煌統を一本化したかった命示(めいじ)政府の都合、母系や外戚の家格などが影響して、

命示(めいじ)政府が南朝(なんちょう)を正統としました。

しかし、財政面や軍事力などで京の実権を握っていたのは北朝側でして、その兼ね合いで南朝が政治や制度的に正統とされつつ、

血統は北朝の100代後小松(ごこまつ)帝主と日野西資子(ひのにしすけこ)(=光範門院(こうはんもんいん)(=〇〇門院とは院号=尊号です。))との間に生まれた101代称光(しょうこう)帝主へ続いております。)

⁘

話を戻しますね。

神帝主正統記(じんていしゅせいとうき)は、南朝(なんちょう)の忠臣の一人が、南朝こそ正統な血筋である、と主張するために書いた歴史書で政治思想書の面もあります。

つまり、著者の思想に都合の悪い歴史的事実…例えば女性帝主の存在や、女系の血筋の重要性は意図的に矮小化されたり、省略されたりしています。

特定の政治的意図をもって書かれたものなので、客観的な歴史記述とは異なり、偏りがありますよ。

⁘

男系男子派は、この書物が男系男子にとっての理想を記述しているため自説の根拠として利用します。

ただ、男系男子派に有利な史料ではなく、あちら側がそう思い込んで使っているだけの場合が多いんです。

ややこしいのが、この書自体に価値があって研究対象になっていて、この書に関する論文なども複数あります。なので、

史料批判(しりょうひはん)(=歴史研究において史料(=過去の記録や遺物)が信頼できる史実を伝えるものかどうかを検証する作業)をしない人から見ると、昔から母系なんて無い、という証拠に見えてしまうんですよ。

⁘

そうそう、

大鏡(おおかがみ)(=71代後三条(ごさんじょう)帝主の頃に成立したとされる、作者不明の歴史物語です。)についても、実在人物や実際の政治事件が出てくるものの、物語的脚色などがみられるため、大鏡に書いてあるからといって、そのまま当時の制度や事実を示しているとは限らないので、ご注意下さい。

》

《(なるほど…男系同士の内乱か…。南朝の正統性と北朝の血統が統合されたわけだから、双系っちゃ双系に見えるな…。そうそう、たまに女性帝主(じょせいていしゅ)が存在しないような書き方をしている男系男子派を見かけるのは、神帝主正統記(じんていしゅせいとうき)が原因の一つなのかもね…。これを根拠にしている男系男子派の頭の中は、神帝主正統記(じんていしゅせいとうき)に書いてない=存在しないってことになってるのかもね…)ご説明ありがとうございます!全部メモしますね!!

》

夜良野氏から、引き続きメッセージが来た。

《実は、こうしたお考えを示された、二人の煌族方が、いらっしゃるのですよ。

⁘

・三環(みわ)ノ御祢(みね)崇仁(たかひと)直王(ちょくおう)殿下(=123代(太照(たいしょう))帝主の四男で、124代(照環(しょうわ))帝主の弟御祢(おとうとみね)です。学問的・合理主義的な人物で、歴史学者としても活動されていました。)

女性の総理大臣が現れるような時代になれば、法の下の平等を純粋に解釈するのであれば、女性帝主を認めねばならないと、はっきり文書に記しておられました。

また、殿下は、制度は本来、憲法の精神に合わせて全面的に再構築されるべきだ、とする主旨を、文書の中で示しておられました。

⁘

50年以上の歳月が流れております。

⁘

・高槙環(たかまきわ)ノ御祢妃(みねひ)喜久子(きくこ)殿下(=徳川慶喜公(とくがわよしのぶこう)の孫で、公武合体(こうぶがったい)(=朝廷(=公家)と幕府(=武家)が協力して、政治を安定させようとする政策・思想の事です。)の再来、と言われた方です。)

時(とき)ノ御祢(みね)殿下(でんか)ご誕生を喜ばれる歌を詠まれ、女性煌族が第127代帝主として即位する可能性を考えておくことは、似多門(にたもん)の長い歴史に鑑みても、決して不自然ではないと、婦人雑誌上で述べておられます。

特に印象的なのは、ご自身がお子に恵まれなかった経験から、男子出産への期待が、126代帝后陛下(ていごうへいか)(=当時は煌太子妃(こうたいしひ)です。)への、過度な心理的負担となってはならない、と、深いお気遣いを示されていました。

⁘

戦後間もない、ほぼ一世紀前に迫る時代や、現在に近い時点でも、お二人の煌族(こうぞく)に共通してるのは、煌族(こうぞく)ご自身が、制度のあり方について再検討の必要性を示唆しておられる点です。

…お二方とも、現在(未来)を見通しておられたのかもしれませんね。

》

《すごいです!沢山、沢山、貴重なお話しをありがとうございます!!

男系男子派は最初から、女性女系帝主を考える事すら悪い事のように言ってますけど、実際には、煌族方の中にすら、そんな考えの方が存在していたのですね!(…まぁ、結局、男系男子派が無知なだけ。そこからの被害?妄想の塊が、男系男子派ってことだな…。

結局、三環(みわ)ノ御祢(みね)崇仁(たかひと)直王(ちょくおう)殿下の言葉は、歴史を深く知っていたからこその言葉…。

でも、この国の多くの人間は、私もだったけど、歴史を真面目に顧みようともしないから…時代を先取りし過ぎてた…。

そして、高槙環(たかまきわ)ノ御祢妃(みねひ)喜久子(きくこ)殿下の人道的な言葉は、女性を出産装置としてしか見る事が出来ず、人権尊重とはほど遠い意識の男系男子派により踏みにじられてしまった…。本当、どこまでも下らない、恥ずかしい、自己矛盾の存在…)》

男系男子派に呆れ果てながらため息をつく。


それからしばらくして、昼田(ひるだ)氏からのメッセージ。

氏とのやりとりは、いつしか日常の一部となっていた。

まずは噂話。


《某系御祢家(ぼうけいみねけ)にまつわる血筋の噂で、某系一族が他所の一族に姿形が似ているって噂についてです。

引退された上帝后(じょうていごう)は身体的に妊娠不可能だったという噂まで出てきてるのは…事実かどうかは別として、こういう疑惑が出ること自体が煌室への信頼性を揺るがしてると思いませんか?》


男系男子派との戦いという重いテーマだけでなく、他愛ない世間話や、ネットで見つけた煌室(こうしつ)関連の面白い動画を共有し合う。


《瀬之壱(せのいち)輸入食品さん、螺波(らは)ノ氏(し)さん、危機警戒巡回(ききけいかいじゅんかい)さん、鶴のNEWSさん、あたりの煌室ユーチューバーの解説、面白いですよね!

》

昼田(ひるだ)氏の挙げた所は自分もよく見ていた。

《本当に!あと水紋(すいもん)ニュースさん、響かないニュースさん、生きる場所はアジアさん、あたりもオススメです。

昼田氏が挙げられてるチャンネルも併せて、皆さん今上帝主御一家を本当に敬愛されてて、煌室の記事とか番組とかも把握されてて、あんなに分かりやすく解説できるなんてすごいです!(そういや、私は瀬之壱(せのいち)輸入食品さんで、5イツ語で出版された本…菊の牢獄に囚われし蝶…の紹介を中心に、帝后陛下がどれだけ不当に貶められ続けてきたか知って、螺波(らは)ノ氏(し)さんで、元明(げんめい)帝主から元正(げんしょう)帝主への母娘継承を知ったんだったなぁ…)

》

そんな、ささやかな時間が心を癒やしてくれた。

《いつか、共通でよく見てるチャンネル主さんの誰かのオフ会があったら、会えるといいですね。

》

昼田氏はすぐに返信をくれた。

《ええ、ぜひ。

きっと話が尽きないでしょうね。

》

画面の向こうにいる顔も本名も知らない相手だが、確かな絆を感じていた。

《オフ会と言えば破魔田(はまだ)議員のオフ会、行ってみたいんですけど…。

でも、破魔田議員のチャンネルでも、煌室関連の動画には抗議のコメントを入れまくってるんで、ご本人や男系男子派の支持者に私だと知られたら…はぁ。

》

破魔田議員は男系男子派だが、昼田氏も含め今上帝主直系派にすら煌室関連以外ではまともだと評判で、何故彼が男系男子派なのか、と疑問を持たれ惜しがられていた。

《ああ、それはもう。

どんな人物かとか、会話とか晒し上げられる可能性大ですねwww》

思わず笑ってしまった。

[※余談※]

____________


2005年(平成17年)「皇室典範に関する有識者会議」の報告書

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I3531374?utm_source=chatgpt.com

・親王(内親王)宣下→P.59

____________


・国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている資料で、国会図書館がまとめた研究整理資料。

(政府公式見解では無い。)

旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立

https://dl.ndl.go.jp/pid/11095235

・親王(内親王)宣下→P.11

____________


「安定的な皇位継承」をめぐる経緯- 我が国と外国王室の実例 一

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I029944378

・女帝が中継ぎとは断定できない(要約)→P.156(イ)

・海外王室について→P.164

____________


ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲―近年まで又は現在、男系継承を原則とする国の事例―

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10990713_po_080201.pdf?contentNo=1

____________


三笠宮崇仁さまの意見書全文(昭和二十一年十一月三日新憲法公布記念日)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO09086380S6A101C1I00000/

「愛子天皇」を望む声が消えない本当の理由…80年前に「女帝を認めねばならぬ」と書き残した皇族の予言

https://news.livedoor.com/article/detail/31152696/

女性天皇の検討「不自然でない」高松宮妃、婦人公論で

https://www.asahi.com/national/birth/K2002010601087.html

喜久子様は敬宮愛子内親王殿下のご誕生を祝して歌を詠まれ、皇室典範改正に言及された。

____________


皇室の癌は誰か大暴露!「雅子妃 囚われた蝶々」ドイツ語版だけの本

https://www.youtube.com/watch?v=3pUnC1FvDe8

完訳 プリンセス・マサコ-菊の玉座の囚われ人

https://amzn.asia/d/0fnshEUQ

____________

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