06:ギネス記録に刻まれた女帝たち
言われた通りに調世氏のコメント履歴を辿り、すぐに夜良野というハンドルネームの人物を見つけた。
最新のコメントでは、
《家族制度としての双系とは別次元だろ。古代の氏族社会で男女ともに血筋を重んじたのはあくまで家族や氏の単位であって、煌統とは関係ない。帝主は特別だから一般の家制度とは切り離して考えるべきだろ》
男系男子派と思われる書き込みに対する、夜良野と表示されているアイコンの返信を読む。
《それは詭弁です。煌室の継承もまた家族(血縁)のあり方、という人間社会の基本的な繋がりの中で行われてきたのです。
我が国の家族制度の根底にある双系的な考え方が、全く無関係であるはずがありません。
父系絶対を強調するために都合よく別次元と切り離しているだけで、歴史的事実と異なります。
歴史を紐解けば、女性帝主や双系継承の例が存在します。
古代の推古帝主や持統帝主はその典型で、父系と母系が交差する双系的継承の痕跡を残しています。
彼女達は全員正統な即位であり、立派にこの国の歴史を繋いできたのです。
96代後醍醐帝主の発言、朕が新儀は未来の先例たるべし
(※伝統を壊すのではなく、新しい伝統を築くのだ、的な意味)をご存知無いですか?》
(推古帝主…持統帝主…そして…双系継承…か)
夜良野氏の男系男子派への言葉は論理的で、それでいて相手への敬意も感じさせる。
調世氏がなぜこの人物を推薦したのかすぐ理解し、迷わずメッセージを送った。
《初めまして。調世さんに言われてあの方のコメント履歴から来ました。帝主の歴史について、お話を伺いたく思いまして…》
数分後、返信が届いた。
《はい、あなたの事も調世さんの事も存じております。何かお力になれることがあれば、いつでもお話しください》
夜良野氏の言葉は調世氏の冷たい態度とは真逆でとても温かかった。
息を吐き、これまでの経緯を丁寧に説明した。
《あなたの男系男子派への怒りがよく分かりました。男系男子派は守るという言葉の中に、変えないという意味しか見出せない人々ですが、あなたはすでに、その外に立っているようですね。
伝統とは、守るものではなく繋ぐもの。繋ぐためには、時に形を変える勇気が必要だと考えています》
それから夜良野氏との共同作業が始まった。
調世氏との取引の兼ね合いで、まだ分からない歴史に関する男系男子派の書き込みを見つけては夜良野氏へ報告する。
氏がその都度、反論するための歴史的知識を授けてくれるので、それを使い自分の頭で文章を練り、書き込む。
《夜良野氏、これはどうですか。同じような男系男子派の発言をまとめました。
↓
歴代女帝はすべて未婚だった。だから宿リ子帝主にするなら生涯独身が当然、出産はご法度
》
この主張を目にするたび、悍ましさを覚えていた。
《そもそも現代では憲法違反ですけども。当時ですら、婚姻状態(既婚・未婚・寡婦)など一切制度的に義務づけられておりません。むしろ古代の法令には、女帝の子も煌族と明記されています。
つまり、女帝の子が生まれる前提で制度が設計されていたのです。
制度が子を持つ前提であるのに女帝が即位後に独身状態ばかりだった事に対して、男系男子派の方々は、外戚の影響を避けるため、や、中継ぎ的役割に徹したため、などとする説などを出されています。
この点については研究者の間でも解釈が分かれているようですよ。
更に、煌祖大神の言葉にも、性別による限定は一切ありません。近代以降の煌室改革(特に側室廃止された第124代帝主のご決断)を真っ向から否定しています》
夜良野氏の後半の言葉に引きつけられる。
《(第124代帝主が側室制度を廃止されたのか…なのにあいつら、復活とか平然と言ってる。今上帝主御一家やその祖先を敬愛してるとか誇りに思うとか言ってるけど、絶対に嘘だろ。外戚云々や中継ぎ云々も、あいつらが言ってるってだけで怪しく感じてくる…)教えて下さりありがとうございます。次はこんなのもあります。まとめました。
・女帝は例外で中継ぎ、政治的混乱期にやむを得ず
・女帝即位はまだ制度が確立していなかった時代のこと
・帝主はそもそも特殊な存在だから
》
《どれも男系男子派がよく主張されていますね。そうやって史実を否定せず、意味を削り奪うことで成り立ちます。女性帝主の存在を例外とする枠外化です。彼女達は女系帝主ではありませんが女性帝主であり、しかも禁止されていなかったからこそ正式に即位できたのです。そうやって、史実に即位した女帝
✿
・33代推古
※兄の32代崇峻帝主が臣下に暗殺された後に即位。
彼女の息子は彼女の即位後には早世していました。
後継者を決めず崩御したので、蘇我氏の主導で34代舒明帝主(30代敏達帝主の孫)が即位しました。
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・35代皇極/37代斉明※同一人物の重祚
※夫の34代舒明帝主の死後即位。
弟の36代孝徳帝主へ譲位しましたが、孝徳帝主は後継問題で孤立し崩御。
後継者不在の混乱が生じ、それを収めるため37代として再び即位。
彼女が崩御後、彼女の息子(煌太子)は即位せず政務を執る称制(帝主不在状態で煌太子が代行政務)を開始し、数年後に正式に即位し、38代天智帝主となりました。
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・41代持統
※夫の40代天武帝主の死後に即位。孫の42代文武帝主へ譲位。
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・43代元明
※夫の40代天武帝主との息子(煌太子)が早世したので即位。
娘へ譲位。
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・44代元正
※母の43代元明帝主から譲位を受け即位。
甥の45代聖武帝主へ譲位。
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・46代孝謙/48代称徳※同一人物の重祚
※父の45代聖武帝主の崩御後に即位。
後継者問題が起こり、実権ある臣下が天智系の47代淳仁帝主を擁立して即位。
しかし後に対立したので彼を廃し、48代として再び即位。
称徳帝主崩御後は直系の後継者が無く、臣下の会議で遠縁の49代光仁帝主(天智帝主の孫)が擁立され即位。
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・109代明正
※父の108代後水尾帝主の譲位により幼少で即位。
徳川家を外戚とする唯一の帝主。
弟の110代後光明帝主へ譲位。
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・117代後桜町
※弟の116代桃園帝主の死後、合意によって中継ぎとして即位。
甥の118代後桃園帝主に譲位。
✿
や、双系的継承の痕跡を本流の外に追いやることで、制度の例外とするのです。しかし女帝は制度において許されたから即位しました。女性という点が明確に除外されていたら、そもそも彼女たちの即位は不可能です》
《(あ。女性帝主達の名が並んでるし即位までと後継まで書いてくれてる…)即位が複数繰り返されてて、こんなに重なってるのにですか?》
《ええ。例外とは、制度の外に一度だけ現れるもの。女性帝主はそうではありません》
《なるほど、史実は認めるけれどその意味は認めない、ですか…》
《例外という言葉で、現代の価値観を過去に押し付けます。古祀記や似多聞書紀を読めば、持統帝主や推古帝主のように自らの意思で即位し政治を行った帝主の姿が見えてきます。それらを単なる中継ぎと断定するのは、歴史的事実を無視していると言えるでしょう。複数の女帝が存在し、制度的に継承されてきた以上、それは例外ではありません。繰り返しは制度です》
(繰り返されたこの事実こそ、制度の証…)
ふと、今上帝主直系派(=宿リ子帝主派)の書き込みが頭に浮かぶ。
《ありがとうございます夜良野氏。
それと、多分直系派の方の書き込みだと思うんですが、御嗣絶ゆべきって何でしょうか?》
《似多門書紀にある25代武烈帝主と26代継体帝主に関する記述ですね。
武烈帝主崩御時に、煌族の血筋が絶える危機にあったことを示していて現代の双系継承支持の立場からは重要な言葉です》
《どんな風に重要なのでしょうか?》
《厳格な男系継承が絶対原則だったなら男系の血筋だけが問題になるはずです。
が、この記述は性別を問わず血統の断絶を憂慮しているので、性別問わず血筋そのものが重要だった、という当時の考え方が分かります》
《よく分かりました、ありがとうございます。(古代の人々は今の男系男子派の様な性別のみに固執する極狭視野ではなく、より広い視点で煌統の存続を考えていた…)》
小さく息を吐き、画面から視線を外して湯呑みに手を伸ばした。
温くなった茶を一口含み、再びモニターに目を戻す。
《あの、ある男系男子派が一次史料として続似多門紀について書いていたのですが、元明帝主の煌孫に譲る、についてはどう思われますか?男系男子派はそれを根拠に中継ぎ論確定とか言ってました。メモしてるんで、それ出しますね》
《お待ちしております》
《すみませんお待たせしました。
↓
元明帝主(※在位中に古祀記を完成、平城京遷都を進める、など、煌統の基盤を強化する制度的功績も残した帝主)は、続似多門紀で煌孫に譲ると明言し、実際に男系男子である聖武帝主に譲位しました。
煌孫という語は帝主の直系子孫を指すものです。この一次史料は、女性帝主が男系男子に煌位継承を戻す役割を自覚していたことを示す決定的な証拠です。
元正帝主(※元明帝主の娘で聖武帝主の叔母)は聖武帝主が成長するまで即位し、その後に譲位して男系継承を守りました。このように、歴代の女性帝主は功績を残しながらも中継ぎであり、必ず男系男子に譲位しております。
》
これに対する、夜良野氏の返信。
《まさに男系男子派の文章ですね。彼女達は中継ぎという軽い扱いじゃないんです。
43代元明帝主は、40代天武帝主の意思を継ぎ、古祀記を完成させました。
41代持統帝主は煌位継承の明確なルールを制定し、自ら後継者を決めています。
単なる橋渡しではなく、煌統の安定と文化の基盤を築くための戦略的統治でした。
当時の言葉には、現代人には推し量れない意図が込められています。
煌孫に譲る、という表現も、その時代の政治的文脈や儀礼の中で使われたものとして考え無いといけません》
《(何でも現代の感覚に置き換えて解釈するなんて、ぺらい人達だね…煌孫の解釈は夜良野氏が書いてくれた通り帝主の孫、帝主の子孫、で性別限定されて無い。なのに男系男子派の脳内では男系男子に変換される…)解説して下さりありがとうございます。あ。もしかしてこれの事ですか!
私が勝手に呼んでるんですが、男系男子派の結果オーライ論です。
歴代帝主はすべて男系でつながっており女系で継承された例は一度も存在しない。女帝はいたが男系継承は守られていたから問題は無い。系の発言についてです》
《はい。そうやって結果だけがさも正しいかの様に盾にして、過程を切り捨てるのが彼らのやり方なんです。
歴史的事実は多角的に解釈されるべきで、特定の結論(この場合は男系絶対)に都合の良い部分だけを抜き出して論じるべきではないんです。
結果が男系だったから女帝の存在を無意味としたいのでしょう。が、即位が制度として成立していた事実は消えません。結果だけを基準にすれば、女帝そのものの正統性を否定することになります。
たしかに最終的に男系男子に戻ったかもしれません。しかし女性帝主が即位した、という事実そのものが、制度的に認められていた証拠なのです。
過程を無視して最後は男系だから問題ない、などというのはすり替えです。
…かつて、男系男子派の方々に学術的な根拠を提示すれば偽情報だと断じられ、歴史的事実を語れば歴史を改竄している、と言われたものです》
《なんですかそれ酷い!調べれば調べるほど男系男子派こそ…印象操作やこじつけばかりじゃないですか!》
《ありがとうございます。印象操作と言いますと、男系男子派の方々が、帝主陛下が弟御祢を次期帝主に任命した、というのは完全な嘘です》
《そうなんですね!?たまに嘘・捏造って反論されてても帝主陛下の決定に逆らうのか!とか逆切れしたりして押し通そうとしてますよね》
《困ったものですよね。帝主の御子の次期帝主に関しては憲法・煌室典範に明記されており、弟御祢とは法的にも地位が異なる。弟御祢は立煌嗣の礼、なるものを執り行いましたが、過去のどの帝主にも存在しなかった新設儀式です。
ちなみに、上帝主は太上帝主と言う、譲位後の帝主を指す言葉として古代から存在しておりますが、上帝后と言う呼び方は似多門史上初めて新設された称号です。
話を戻しますが、立煌嗣の礼を勝手に伝統と言い張るのは、ただの捏造です。もしくは歴史と制度を知らないか、知ってて歪めてるかのどちらかです。
伝統を語るなら、まずは史実と法体系を直視してからにして欲しいものですよね。
次期帝主が決まっていないうえ、某系御祢家では力量不足。帝主陛下も帝后陛下も負担が増していくばかりで心配です…。名実共に次期帝主に相応しい宿リ子様が然るべき地位に就いておられればこんな事には、と考えずにはいられません…》
夜良野氏のお陰で、深く歴史の海に潜れる。
それは、男系男子派の言う似多聞の伝統とは全く異なっていた。
(双系継承…まるで、現代のジェンダー平等や多様性に似ている価値観がすでに古代似多聞に存在していたかのよう。すごい…似多聞人の精神は、古代から世界の最先端に居たみたい…)
自分の男系男子派への言葉が、感情的であるものの、史実や事実に基づいたものへと変わっていく。
宿リ子帝主派と思われる人達の意見。
《憲法第1条~2条は、帝主の在り方は国民の意思と法に基づくと言ってるのに。
男系男子派が、男系でなければならない、などと宗教的観念や伝統神話を絶対視して法改正を拒むことは、憲法の趣旨である国民主権&象徴帝主制に背き、立憲主義の否定にもなり得ると思う》
《宿リ子様は似多門の一般的な世襲制度(長子相続・直系尊重)から見ても、歴史的にも法的にも、そして象徴帝主制の理念的にも筋が通っている最も自然な継承者なのに、男カルトに貶されて可哀想…》
《煌室典範を憲法とは別の伝統的原則、みたいに語るのって、変えてはならない、と思わせるための男系男子派による印象操作ですよね。悪質》
(法律のこと…もっと勉強しないといけないな…)
それからどっちの派閥か分からないけれど、気になる書き込みもあった。
《そもそも男系でないと王朝交代とか断絶とかいう考え方自体が、龍国の宗族制(父系血統絶対)に由来する思想だろ》
龍国とは龍祖永民共和国の略で、似多門国から比較的近い国である。
悠久の歴史と巨大な経済力を持ち、歴史認識や領土問題を背景に反似多門国言動や政策が見られる。
(何だろう…龍国宗族制…?いや、今は歴代女性帝主に集中だ…)
夜良野氏に、男系男子派はAIをよく使うのか、と尋ねると、AIを使っていると公言していた複数の男系男子派とやり取りした事がある、と答えてくれた。
氏は男系男子派のAIの文章に、ある特徴を4つ見つけ出したという。
《1.史料を、歴史的な背景や政治的な経緯から切り離して扱っているようです。史料は本来、その全体像を常に意識しなければなりません。しかし、彼らは自分たちに都合の良い部分だけを都合よく切り離し、絶対的な根拠として振りかざしている。
査読付きの学術論文すら、自分たちの男系男子絶対論で終わらせてしまう。これは、学問に対する冒涜とも言えるでしょう。
2.議論の仕方にも、特徴があります。発言を一言一句、過剰に否定する。既に答えたことや文脈を無視して、同じ指摘を繰り返す。さらに、記事等のタイトルと相手の発言の区別をつけず、誤認したままで、事実誤認するな、などと指摘してきます。
まともに議論する気など、最初から無いのです。
3.言葉の揚げ足取りも執拗です。伏せ字まで不敬だと過剰に反応します。
その結果、議論の本筋は失われ、どうでもいい応酬に終始してしまうのです。
4.実際には劣勢になると議論を避け、相手に対し抽象的なレッテル貼りに走るにもかかわらず、自分たちを冷静で中立だと自称します》
《なるほど、ありがとうございます。それとすみません、査読…って何ですか?》
《学術雑誌などに掲載される際、同じ分野の専門家が内容を審査することです。査読を通った論文は、客観性や信頼性が高いと認められた証拠です》
彼らがAIを使っている場合は、AIを盾にいかに巧みに男系男子派に都合良いすり替えを行ってきたか伝わってきて、改めて警戒しないといけないと感じた。
《勉強になりました、ありがとうございます!あと聞いてばかりですみませんが、男系男子派の人が48代称徳帝主以降、女帝がいないのが女系継承が無かった証拠だって言ってたんですけど…。
教えて頂いた通り、109代明正帝主、117代後桜町帝主が居るのに…。
何で男系男子派の中で48代以降はいない扱いになるんでしょうか?》
《いつもの中継ぎ・例外扱いも関係していると思いますが、それを除いて説明しますね。まず、
称徳帝主(※仏教による国家統治を目指していました。仏教には寺院や修行の場に女性を立ち入らせない女人禁制的な思想がありました。)に関わる
仏教勢力(※この時代は仏教=政治権力の一部で政治に影響を及ぼしていました)や、
道鏡事件(※女帝の寵愛を受けた僧侶による煌位簒奪未遂事件)を経て、
貴族層が、女帝が外戚や僧侶と結びつくことを政治的に恐れたので、制度的排除では無く、政治的事情で女性帝主は避けられてます。
もう一つの疑問に関しましては、48代称徳帝主~109代明正帝主まで女性帝主は登場しませんでした。
この長い空白期間を、男系男子派は女系・女性帝主が制度的に否定されていた証拠だ、と主張するんですが…制度的に禁止された事が無いのに変わりありませんよ。
もし制度で排除されていたなら、明正帝主の即位は説明できませんからね》
《(女系継承が実現しなかったのは、単に政治や優先順位の問題って感じか…)なるほど、ありがとうございます。ところで…夜良野氏は、調世氏のことをどう思われますか?(多分、あの人の事だから夜良野氏が協力者になってくれる事を予見していたんだろうな…)》
《うーん、只者じゃないのは確かですよ。疑問が浮かんだとして、それに対する答えを求めるのはあなたや殆どの人間と同じです。ただ、そのやり方が…少し特殊だと感じます。
調世さんは僕が知る限り歴史だけでなく全てに精通しています。
あの方の言葉は時折、まるで何百年も前の過去を見てきたかのような印象を受けます。でも彼の目的は、真実を追究することではなく…真実が明らかになる過程を純粋に楽しんでいる…そんな印象です。多分あの方は男系男子派による歴史の歪みを誰よりも深く理解している。そして、その歪みを誰かがどうにかできるのか、ただ観察しているだけなのかもしれません》
《ありがとうございます、やっぱりあの方は特殊なんですね。(真実を知っていても、ただ見ているだけ…)》
調世氏の知性の奥に潜む、底知れぬ孤独を感じた気がした。
「声様。もしかして調世さんは…神様ですか?」
神や邪神が人間を装い、騒ぎを起こすことは稀にある。
(いいや。神ではない。君と同じ人間だよ。だが…神が共に居ないとは断言できない)
「そうなんですね…。(なら、調世氏は特別優秀な人間か、神を呼び出し力を借りてるか、神に選ばれし者なのかも…。邪神を含めた八百万の神々が、気に入った人間に人知れず力を与え、世界に干渉しているって噂は前々からあるし…)」
さらに八百万の神様と言う存在について問いかけたくなった。
だが、その先には触れてはならないルールなのだ。
《ところで夜良野氏、ギネスに関しては分かりますか?》
ギネスとは現在は世界一〇〇な人・モノ・出来事を認定・登録している世界最大の記録集のことだ。
男系男子派が英文交えてギネス記録を持ち出すのを度々見かけていた。
《ああ、ギネス記録ですね。煌室が世界最古の王朝としてギネスに認定されているのは知っていますよ。
ただ、ギネスブックは歴史学の専門書ではありません。ギネス記録はあくまで世界で最も長く続いている君主制として認定しているだけで、この国の継承方法の正当性を科学的・歴史的に証明するものではありません》
夜良野氏の言葉は、いつもながら冷静だった。
だがその中に別の意図が隠されているように感じられた。
(これは、単なる説明じゃない…気がする)
夜良野氏の言葉は、まるで新たな扉を開かせるためのヒントのようだった。
《説明ありがとうございます。でも…それだけですか?夜良野氏の説明にしてはなんか含みがあるような…うーん…何となく…ですけども》
《ふふ。実はギネス記録には女性帝主も含まれている、と解釈出来るんですよ。そのことについては、僕よりも詳しい人達がいます。
仕舞姉妹という方々です。
ネット上では姉妹を名乗っている二人で、常に同時に出現されます。互いをお姉様と呼んでいてお嬢様口調ですが、歌さんはしっかりとした口調、織さんはおっとりとした口調です》
夜良野氏の言葉に高揚した。
男系男子派が掲げるギネス記録という権威の裏に彼らが隠そうとしている事実があって、それを知る新たな協力者がいる。
(また新しい仲間に会えるんだ…!)
《お姉様とあなたの活躍を見ておりましたわ。男系男子派の仰る事って馬鹿らしい事ばかりですわよね》
送り主は仕舞歌。
(なんてタイミング…)
(すごい偶然だと驚いているね)
(ええ、でも、偶然じゃないですよ…仕舞さん達が登場するタイミングを見計らってたんだと思います)
メッセージを送る。
《夜良野さんからお話を聞きました。初めまして》
すぐに歌から返信が来た。
《おほほ、確かに初めましてですわよね》
織からも返信が届く。
《あなたが、あの…面白い方ですわね。お姉様と話し合っていましたのよ。さっそくですがギネス記録の件、この私からお話ししましょうか》
本当の姉妹かは分からないが、二人の声が交互に聞こえてくるようだった。
《まず前提として、ギネス世界記録は歴史や考古学の専門書ではありません。この国に関しても、かつて登録されていた件が取り消された例があります。
つまり、ギネスの記録は学術的な史実の証明ではなく、あくまで事実関係の認定にとどまるものですの。
男系男子派の中には、ギネスが似多聞を世界最古の世襲君主制、と認定しているのは男系だからだ、などと主張する方がおりますけども、ギネスの公式説明は
the oldest continuing hereditary monarchy
(継続する世襲君主制)
であり、男系限定とは明記していません。
英語版の公式説明にも、男系男子継承といった条件は一切記載されていませんわ。それにもかかわらず、男系男子派の方々は自分たちの主張に沿うよう都合よく解釈してしまいますの。
hereditary(世襲)
とは、男女を問わず子孫に継承されることを意味しますのに、男系男子派の方に何度説明して差し上げても理解していただけないのですわ。
まるで、世襲の意味を理解できない呪いにでもかかっていらっしゃるようで…。
ギネスに載っている世襲君主制の多くは、男女平等に継承権を認めておりますのよ。1ギリスも5ペインも、5ウェーデンも0ランダもそうですわ~》
織が、世界各国の君主制が時代に合わせ柔軟に制度を変えてきた事実を教えてくれた。
ギネスに関する男系男子派の発言メモを出す。
《そうなのですね。あの、男系男子派がブリタニカ百科事典の定義?の、
A dynasty is a family of rulers … usually through male descent.
(王朝とは、通常は男系を通じて続く支配者の家系)
って言ってたんですが…私、英語も得意じゃなくて…》
《おほほ。usuallyは多くの場合、という意味であって、必ずではありませんわ~》
そこに、歌が一言。
《失礼しますお姉様。煌室典範のルーツも122代帝主の時代に、5イツの4エンツォレルン家の継承法を参考にしましたの。
男系男子派は似多門の伝統を重んじていると仰いますが、その根幹には122代帝主の時代に入って来た外来思想が影響しているのですわ》
織が続けた。
《話を戻しますわねお姉様。ギネスに載っている多くの王室が、時代に合わせて柔軟に継承法を変えてきました。
しかし、男系男子派の方々は、この柔軟さを無視しますわ。あの方々が言う伝統とは、変化しないこと。つまりは停滞することなのですわ。
憲法や煌室典範も、時代と共に変わっていくべきものですのに…》
小さく息を吐き、少し伸びをした。
《その通りだと思います、ありがとうございます織さん。歌さんも。あの、男系男子派が6ーマ法王などを持ち出すのはどう思われますか?これです。(ったく…今上帝主直系派に対しては、海外の事情は我が国に関係無いとか、海外の事例を持ち出すなとか言いまくるくせに。ただ、男系男子派が拘りまくる男という言葉の裏に、もっと根深い何かがあるみたいには感じるけど…)
↓
単純に両性平等の話として片付けるのは違う。男系継承には神話や神道に根ざした文化的・信仰的な背景があるんだ。
海外では6ーマ教皇は最初から男性であることが前提とされ、7ベット仏教でも歴代すべての転生者は男性とされてる。8ダヤ教の3ーヘン(祭司)も父系血統にのみ資格が与えらるし、1スラム教も多くの宗派で宗教指導者(1マーム)は男性であることが当然視されてる。宗教的継承には厳格な条件が課されている例が少なく無いんだ。
》
それに対して、織が説明してくれる。
《私も何故6ーマ教皇を持ち出すのか不思議に思ってましたわ。その比較は、制度的にはまったく成り立ちませんのに…。
帝主は、似多門国憲法に明記された象徴ですもの。煌室典範に基づく世襲制度で、宗教的権威ではありませんわ。
6ーマ法王は枢機卿による選挙で選ばれる2トリックの宗教的最高位。9ライ・ラマは輪廻転生によって認定される7ベット仏教の精神的指導者。
継承原理も制度的根拠も、まるで違います》
《教皇?法王とは別ですか?》
《教皇は2トリックの教会の最高位聖職者正式称号ですわ。
法王は仏法の王の意味で宗教の最高指導者の事ですの。こちらは似多門で広まった歴史的な別称ですわ~》
そこに、再度歌の一言。
《失礼しますお姉様。帝主の継承は法体系に基づく制度で、選挙でも転生でもなく世襲ですわ。だからこそ改正によって、女系継承も制度的に可能なのです。
長い伝統と神格性を持ち出し、男系男子継承を宗教的信仰のように絶対視するのは、制度の議論を神秘化する印象操作です。制度は信仰ではなく、法と国民の理解によって支えられるべきですわ》
新しい仲間との出会いは世界を広げ、心を更に奮い立たせてくれた。
(男系男子派のやっている事は変化させない事で停滞に繋がるって言ってる…。多分、仕舞さん達の感覚も夜良野氏と同じ感覚…。
すごい!仕舞さん達は、昼田氏や夜良野氏と同じ感覚で、また違う知識の引き出しを持ってる…!協力してくれる皆さんの存在が、私の探していた真実への道なんだ…!)
夜良野氏の時と同様、織氏にも色々と男系男子派のギネスや他国に関連した発言を伝え、それに反論する為の知識を教えて貰う。
ちょうど男系男子派によるギネスに関する書き込みを見かけたので絡んでみた。
《ギネスが似多聞国の煌統を世界最古の世襲君主制として認定しているのは、男系継承が一度も途切れていないからです。
126代にわたって神武帝主の男系子孫が煌位を継いできたという事実は、世界的にも類を見ない記録であり、菊の玉座の重みを証明するものです。ギネスの英語説明にも、
direct descendant of Jimmu Teishu
(神武帝主の直系子孫)
と記されており、これは男系継承の継続性を前提にした評価と見るべきです。
王朝という概念は、国際的にも男系を通じた血統の連続を意味します。だからこそ、似多聞煌統は
Nitamon Dynasty(似多門王朝)
として世界最長とされているのです。男系継承こそが似多聞伝統であり、世界が認める正統性なのです》
中々の長文だが、培った知識で十分反論出来る。
《菊の玉座って、男系がすごいって意味じゃないと思います。ギネスが
the oldest continuing hereditary monarchy
(世界最古の継続する世襲君主制)
として我が国を認定しているのは、制度が途切れず続いている事への評価であって、男系だからではありません。公式説明には 男系限定なんて一言も書かれて無いそうです。
direct descendant(直系子孫)
という表現も、現行制度に基づく系譜の説明です。ギネスが評価しているのは、継承の連続性という事実であって継承方法の正当性ではありません。印象操作を止めて下さい》
その男系男子派は反論してきた。
《印象操作だなんて言われましたけどね、私は歴史的事実と国際的評価に基づいて冷静に話しているつもりです。王朝とは同一の家系、特に男系を通じて続くものと定義されています。ブリタニカ百科事典にもこうあります。
A dynasty is a family of rulers who rule over a country for a long period of time, usually through male descent.
(王朝とは、長期間にわたり一国を支配する支配者の家系であり、通常は男系によって継承されるものを指します)
この定義に照らせば、男系が変われば別の王朝とみなされるのが国際的通例です。似多聞の煌統は神武帝主以来、約2600年にわたって男系でつながってきた世界唯一の王朝です。女系継承には歴史上の前例がなく、制度を変えれば別の家系とみなされかねない。ギネス世界記録も
the oldest continuing hereditary monarchy
(世界最古の継続的世襲君主制)
として我が国を認定していますが、その評価の前提にも男系による継続性があります》
《(歌さんも言ってた。usuallyは多くの場合って意味であって、必ずじゃないんだよ)あなた自身が世襲君主制と表現している通り、ギネスや国際評価が指す継続性は王位が家族内で受け継がれていること自体を重視しており、男系であることそのものを条件にしているわけでは無いです。
usually through male descent
(通常は男系によって、一般的には男性の血統を通じて続く )
って、多くの場合って意味ですよね。必須条件じゃない。
それに国際的通例って言いますけど、この国の次に長い王朝とされてる1ギリス王室は女系継承を経ても王室制度を継続していますよね。
王朝交代とはされていません。
それから、女系継承に前例がないというのも正確じゃない。女系帝主は確かにいませんが、女性帝主は何人もいました。制度の中で即位し、国を治めた事実があります。
ギネスの評価も、公式には継続する世襲君主制であることを基準にしています。
何度も書きますが男系限定なんて明記されていません。
男系で続いてきたという説明は、ブリタニカやBBCの記事の表現であって、ギネスの公式定義じゃ無いです。
男系こそが正統性の根拠っていうのは、歴史的事実じゃなくて、男系男子派のみに都合いい解釈です。
世襲は男系限定でなく性別問わず血統を継ぐことでしょ。
王朝の断絶かどうかなんて歴史学や政治的な解釈に左右されるし、ギネスはそこを厳密に判定する立場じゃ無いです。
ギネスが見ているのは、世襲の連続性そのものですからね》
返信は無かった。
指先で机を軽く叩きながら考えを巡らせる。
そしてふと思いついて、姉妹へメッセージを送る。
《歌さん、織さん。男系男子派は、女性帝主を一度認めるとその子が女系帝主の前例となって常態化するって自分達で言ってますよね。
夜良野氏も古代では女帝の子が生まれる前提で制度が設計されていたとおっしゃってました。
ですからそんなこと、古代の女性帝主統治時代の、今の男系男子派より柔軟かつ優秀な考え方が出来る古代似多門人は当然理解していたはずです。
それでも女性帝主は立っていたわけで…。結局、帝主は世襲ってことですよ。性別関係なく継承の連続性が大事って本質を、古代の人達は分かってたってことになりません?》
発見?に、胸をときめかせていると、再び歌と織からの返信が重なるように届いた。
《まぁ!確かに男系男子派ご自身が、宿リ子帝主を立てれば女系の可能性に繋がるって認めておりますものね》
《これは反論出来ないですわよね~。前例ができたら困るって、前例の重みを証明しておりますもの。でも既に女帝の前例ありますものね〜。
そこから女系になってもギネス記録の概念の通り本質は世襲ですから何も問題ありませんわよね~》
《あの…あなたの発見、是非私達にも使わせて下さいな》
《はいっ歌さん。織さんも、勿論です!!》
《有難う存じます。これからもあなたの行く末を見守っておりますわ。何か疑問があれば、いつでもどうぞ》
《あなたと知り合えた事に感謝致しますわ。わたくし達…あなたのような方と有意義なお話しが出来て、とっても嬉しいですわ〜》
突然、次々とメッセージが届く。
その全てが、二十冊を越える書籍と論文のタイトルと簡単な説明だった。
驚きを通り越し、呆然と画面を見つめる。
調世氏に対する不審感は相変わらずだが、この圧倒的な情報の提供には感謝の念を抱かずにはいられなかった。
《分からないことは、夜良野くんに聞きたまえ》
説明を読む限り、それらはいずれも男系男子派の主張を論破するための根拠となる、学術的な文献ばかりのようだった。
すぐさま、夜良野氏に転送した。
《調世氏から送られてきたんです》
《あの方は本当にすごいですね。どの書籍も論文も信頼性が非常に高いものです。特に論文は、査読がついてるものばかりです》
《夜良野氏もこれ全部知ってるんですね…十分すごいと思いますけど…。
あ、男系男子派の書き込みで気になった書籍?がありまして。
神帝主正統記ってご存知でしょうか》
男系男子派が、たまにそれについて書き込んでいたからだ。
《あぁ、神帝主正統記は、南北朝時代に南朝の忠臣の一人が、南朝こそ正統な血筋である、と主張するために書いた歴史書で政治思想書の面もあります。
つまり、著者の思想に都合の悪い歴史的事実…例えば女性帝主の存在や、女系の血筋の重要性は意図的に矮小化されたり、省略されたりしています。
特定の政治的意図をもって書かれたもので客観的な歴史的事実とは異なりますよ。
男系男子派は、この書物が男系男子にとっての理想を記述しているため自説の根拠として利用します。
ただ、男系男子派に有利な史料ではなく、あちら側がそう思い込んで使っているだけの場合が多いんです。
ややこしいのが、この書自体に価値があって研究対象になっていて、この書に関する論文なども複数あります。
なので、史料批判(※歴史研究において史料(過去の記録や遺物)が信頼できる史実を伝えるものかどうかを検証する作業)をしない人から見ると、昔から母系なんて無い、という証拠に見えてしまうんですよ》
《(なるほど…たまに女性帝主が存在しないような書き方をしている男系男子派を見かけるのは、これが原因の一つなのかも…。これを根拠にしている男系男子派の頭の中は、書いてない=存在しないってことになってるって事で…史実を知らないというより、自分たちが信じたい物語に合わない事実は最初から視界に入れない方向なんだね…)ご説明ありがとうございます!》
男系男子派に呆れ果てながらため息をつく。
それからしばらくして、昼田氏からのメッセージ。
氏とのやりとりは、いつしか日常の一部となっていた。
まずは噂話。
《某系御祢家にまつわる血筋の噂で、某系一族が他所の一族に姿形が似ているって噂についてです。
引退された上帝后は身体的に妊娠不可能だったという噂まで出てきてるのは…事実かどうかは別として、こういう疑惑が出ること自体が煌室への信頼性を揺るがしてると思いませんか?》
男系男子派との戦いという重いテーマだけでなく、他愛ない世間話や、ネットで見つけた煌室関連の面白い動画を共有し合う。
《瀬之壱輸入食品さん、螺波ノ氏さん、危機警戒巡回さん、鶴のNEWSさん、あたりの煌室ユーチューバーの解説、面白いですよね!》
昼田氏の挙げた所は自分もよく見ていた。
《本当に!あと水紋ニュースさん、響かないニュースさん、生きる場所はアジアさん、あたりもオススメです。
昼田氏が挙げられてるチャンネルも併せて、皆さん今上帝主御一家を本当に敬愛されてて、煌室の記事とか番組とかも把握されてて、あんなに分かりやすく解説できるなんてすごいです!》
そんなささやかな時間が心を癒やしてくれた。
《いつか共通でよく見てるチャンネル主さんの誰かのオフ会があったら、会えるといいですね》
昼田氏はすぐに返信をくれた。
《ええ、ぜひ。きっと話が尽きないでしょうね》
画面の向こうにいる顔も本名も知らない相手だが、確かな絆を感じていた。
《オフ会と言えば破魔田議員のオフ会、行ってみたいんですけど…。
でも、破魔田議員のチャンネルでも、煌室関連の動画には抗議のコメントを入れまくってるんで、ご本人や男系男子派の支持者に私だと知られたら…はぁ》
破魔田議員は男系男子派だが、昼田氏も含め今上帝主直系派にすら煌室関連以外ではまともだと評判で、何故彼が男系男子派なのか、と疑問を持たれ惜しがられていた。
《ああ、それはもう。どんな人物かとか会話とか晒し上げられる可能性大ですねwww》
思わず笑ってしまった。
[※男系男子派の方から情報提供頂いた、明治期の男系限定観念の形成と明文化の流れ※]
・憲法制定期の法思想(1880年代後半)
岩波文庫『憲法議解』所収の「皇室典範議解」 より、
「皇統は男系に限り女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり」
と記載あり。男系限定は「皇家の成法」という不文律として説明される段階。
明治政府はこれを「古来の慣習」として権威づけようとしていた。
まだ法典化されていないため、あくまで慣習としての正当化が中心であり、制度的拘束力は弱い。
・皇室典範草案審議(1889年前後)
『日本立法資料全集17 明治皇室典範』所収、枢密院会議筆記より、
伊藤博文「皇統の男子だけだと将来女系を含める主張を否定できない。古来の決まりに反することを防ぐため、男系男子と明記する必要がある」
ここで初めて、男系男子という文言を成文法に盛り込む必要性が明確に議論される。
複数の研究者はこの発言から伊藤が
「明治以前には女系を排除する明文規定が存在しなかった」
ことを認識していたと解釈している。
つまり、慣習を法文化することで将来の解釈変更を防ごうとした意図があったとされる。
こうして枢密院会議では「男系男子」を明文化する方針が固められた。
・皇室典範制定後の運用説明(1900年代初頭)
『日本立法資料全集1 皇室典範』所収、法制局作成「想定問答」 より、
女系を認めない理由として、「女系の場合は皇統が皇族でない配偶者の家系に移るという観念を免れないため」と説明。
ここでは男系限定の理由が「血統の神聖性」ではなく「家系(氏)の継続」という政治的・制度的観念に基づくことが明文化されている。
明治民法の家制度思想(※ただし日本の「家」制度は養子・婿養子・女系継承も含む柔軟な仕組み)と連動し、皇室も「家」の一形態として捉えられたことを示す。
法制局の公式説明で、男系限定の理由が「家系の移動防止」という政治的観念として整理され、制度思想として固定化される。
[※皇統譜※]
皇統譜とは1925年(大正14年)に宮内省が作成した。
明治政府は、日本の近代国家としての統一と天皇制の権威を確立するため、皇室の歴史を体系的に整理する必要があった。
その過程で、古代の複雑で曖昧な血統や、政治的要因による継承の柔軟性を排除し、万世一系という理想的な系譜を作り上げようとした。
それまでの皇室の系図を遡及的に整理し、男系を強調する形で再構成された。
この時期の思想に、明治民法で確立された「家」制度や、中国宗族制の影響が色濃く反映。
継体天皇のように、母方の血筋や遠縁から皇位を継いだ天皇の系譜も、あたかも直接的な男系でつながっているかのように整理された。
こうした作業は「男系継承が古来からの不変の伝統である」とする観念を補強することにつながった。




