愛と千夜一夜
最後なので少し長くなってしまいました。
申しわけありません。m(_ _)m
きっと気のせいだ。恵美子も悪い人に見えなかった。予知だって本当に悪い内容だったかなんて分からない。だからきっと、全て莉子の杞憂なのだ。
そのはずなのに、なぜだろう。嫌な予感が消えない。胸の辺りがひどくざわつく。
―ダメだ。やみくもに走ってもどうにもならない。ちゃんと冷静になって⋅⋅⋅。
立ち止まり、雨に濡れた前髪を荒っぽくかき上げた。落ち着くために努めてゆっくり呼吸する。
今までの予知が二、三日で現実になったことから考えても、雨が降る今日である可能性はとても高い。視たのは、傘をさして踏み切りに立つ清吾。空が暗くて正確な時間は分からないが、出かけて間もないというので、まだ何も起こっていないことを祈るばかりだ。
あの踏み切りはどこだったのだろう。
特徴はあった。片側からしか遮断機が下りないタイプだった。車道が別れていない、狭い踏み切りなのだ。
けれどこの辺りに、そんな踏み切りはあるのか。おそらく田舎へ行けばいくらでも見つかるだろうが、一体沿線にいくつあるのか。探し回ってもきりがない。
―どうすれば⋅⋅⋅。
ネットで調べて、近い場所からしらみ潰しに探していく?それで間に合うのだろうか。清吾の顔が目の奥にちらついて、焦りばかりが募る。考えがまとまらない。打ち付ける雨さえ思考の邪魔をする。首筋にまとわりつく髪が不快でさらにイライラした。
ふと、恵美子との会話を思い出した。確か彼女は、莉子の高校の近くに職場があると言っていた。
―もし、ストーカー対策として、先生ができうる限り、園山さんの送り迎えをしてるとしたら。
⋅⋅⋅一つ、ある。高校の近くに一つだけあるのを知っている。
莉子は再び走り出した。
帰り道とは逆方向のため、あまり来たことのない地区だった。たくさんの店で賑わう大通りを抜け、入りくんだ道に入ると、自分がどこにいるのかたちまち分からなくなった。
白い校舎の学校や巨大な貯水槽を通りすぎると、突き当たりに線路が見えた。線路沿いを走り続ける。
当たるかどうかも分からない予知のために奔走している自分は、どうかしていると思う。それでも清吾の穏やかな笑顔が浮かぶと、足を止めるわけにはいかないと思うのだ。
まともに息ができなくなり、足が上がらなくなってきた時、遠くに見覚えのある灰色の傘が見えてきた。隣には花柄の傘が並んでいる。
その背後に、フードを目深にかぶった男が現れた。ゆっくり近付く男に、二人は雨音のせいか気付いていない。
「先生!!」
清吾がこちらを振り返る。
男の足が速くなる。獲物を狙う獣のように。パーカーのポケットから出した手に握られているのはナイフ。清吾の手から傘が滑り落ちるのが、やけにゆっくり見えた。自分の足があまりに遅くてもどかしい。
ネイルに彩られた恵美子の手が、清吾の背中を突き飛ばそうとした。が、清吾は踏みとどまった。反対に、恵美子を庇おうと男に背を向ける。
―ダメ!!
莉子はがむしゃらに走ったが、もう膝が震え、うまく動けない。間に合わない。
絶望が胸をかすめたその時、莉子の横をものすごい早さで誰かが駆け抜けた。その背中に見覚えがある―――大上だ。
助かった、とは思わなかった。なぜか更なる嫌な予感が頭を塗り潰していく。清吾の制止の声が遠くに聞こえた。
大上が男にぶつかっていった。その勢いでもつれ合うように両者は地面に転がる。清吾も素早く駆け寄り、男を取り押さえた。ホッと息をつくも――地面に転がったままの大上が、動かない。
まろぶように駆け寄り体を揺する。ぐっしょり濡れた服が冷たい。
「――大上君!!」
莉子の絶叫が、雨の打ち付ける音に吸い込まれていった。
莉子は病院にいた。俯き、ただひたすら祈り続ける。傍らには紙のように白い顔をして眠る大上がいた。
彼がなぜあの場にいたのか分からない。莉子を追って来たのかもしれないし、ただの偶然だったのかもしれない。いや、偶然にしてはできすぎている。やはりどこかで莉子を見かけ、なにかを感じて追いかけてきたのだろう。そして考えなしに飛びだした莉子を庇った。大上が狙われていたあの予知の時と同じ。莉子は助けられるだけでなにもできなかった。
胸を占めるのは後悔ばかりだ。
予知だとか、嘘みたいな話をして。彼は奇跡みたいに信じてくれて。でもそのせいで―――こんな結果になってしまった。
大上の手を握りしめる。握った瞬間は冷たく感じる彼の体温。けれどじわじわと熱が伝わってきて、ようやく少し安堵する。大丈夫。きっと大丈夫。
―お願い。起きて。早くいつもみたいに、笑って。
あまりに静謐な寝顔に、永遠に目を覚まさないのではないかと怖くなる。太陽のような温かい笑顔が、好意のにじむ柔らかな声が、馬鹿みたいにいくつも頭に浮かぶ。
「⋅⋅⋅起きてよ。バカ」
そしてまたいつものように、冗談みたいに好きって言って。
長い間俯いていた莉子だったが、ぱっと顔を上げた。わずかに指先が動いた気がしたのだ。
大上の目がうっすら開き――莉子を映していた。その瞬間、愛おしげに抱きしめるような彼の瞳を好きだと思った。
「⋅⋅⋅莉子ちゃん、ケガ、ない?」
かすれた声での呟きにぎゅっと眉を寄せた。怒っていないと気がゆるんで泣いてしまいそうだったのもある。
「自分の方が気を失ってたくせに、私なんか心配してる場合?」
言った直後に相手は病床だと気付く。けれど莉子が自己嫌悪に陥っているのに、大上は嬉しそうに笑った。
「つめてー。さすが莉子ちゃん」
「それ褒めてないから」
いつものやり取りに安堵する。この人が動いて、息をして、笑っている。それがかけがえのないことだと思えた。
「俺、結構長く寝てた?」
窓の方に首を巡らせ、大上は少し不安そうに聞いた。
「あれからそんなに時間は経ってないよ。一時間くらい」
外は暗いが、それは雨のためだ。莉子も気付いていなかったが、つい先ほどまで降っていたようで、窓辺の木にいくつもの雨粒が光っている。
「本当に、よかった。殴られただけだから大丈夫だろうと思ってたけど、それでも怖かった」
「殴られただけ?」
「あと転んだ時に頭を打ったみたいだけど」
大上は勢いよく跳ね起きて肩口を覗き込む。そこには大判の湿布が貼ってあるだけだった。それを見た瞬間、彼は空気の抜けた風船のように力を失った。へなへなとベッドに倒れ込み、腕で顔を隠す。
「うっわマヌケ。刺されたかと思った。恥ずかしー⋅⋅⋅」
大上の耳は赤くなっていた。
Aは、ナイフの柄で肩を強く殴っただけだったらしい。それでも大上が目覚めない間は不安だった。以前莉子自身が、特に外傷もないのに寝込み続けたことがあったから。
「骨が折れてなかったことを喜びなよ。そもそも刺されてたら、すぐ家族に連絡してる」
大上が再び身を起こした。
「家族に連絡してないの?」
「七時になっても起きなかったら連絡しようって、先生と話してた。しておいた方がよかった?」
「いや、心配させたくないから助かる。ありがとね」
最近の大上は怪我続きだ。両親もさぞ心配するだろう。
その時、病室の扉がノックされた。入ってきたのは清吾だ。
「よかった、大上君。目が覚めたんですね」
「センセ?ってことは、ここは月森診療所⋅⋅⋅⋅⋅⋅?」
清吾の顔を見て、彼はようやくここがどこなのか分かったらしい。打ち身だけで大きな外傷もなかったので、月森診療所に運び込んだのだ。
傍らで清吾が大上を覗き込む。手早く目の動きや脈拍を調べ始めた。
「気分はどうですか?」
「最高だね。目が覚めたら莉子ちゃんが隣にいて、俺の手を握ってくれてるなんて」
言われてようやく、大上の手を握りっぱなしだったことに気が付いた。真っ赤になって慌てて離すと、彼は残念そうに唇を尖らせた。清吾は特に反応を見せなかったが、なぜか大上とにっこり微笑みあう。それぞれ背筋が凍るような迫力があったのは、気のせいだろうか。
清吾はカルテにペンを走らせながら、一つ頷いた。
「うん、大丈夫そうだね。意識もはっきりしてるようだし。まだ必要な検査があるから、大きい病院に行ってもらうことになるかもしれないけど」
「えー、それじゃ親に連絡しないでもらった意味ないじゃん⋅⋅⋅」
「まぁ、親の心配は甘んじて受けなさい。どうせあの場にいた全員、警察に事情を聞かれるんですから」
「警察?」
不穏な言葉に大上は敏感に反応した。
「被害者側の調書というものも必要なんですよ。結局親に心配かけるのは同じです」
莉子も住所と連絡先を聞かれたから、後日連絡がくるだろう。けれど怪我もしておらず、恵美子とほとんど関わりのない莉子は、あの場で一番無関係な人間だ。聞かれることもたかが知れている。
「⋅⋅⋅園山さん、大ごとにしたくないって言ってたのにね」
あの予知で視た恵美子の手は、危害を加えようとしていたのではなく、守ろうとする手だった。やっぱり断片的な予知は意味が汲み取りにくい。
大上のことばかりで気が回らなかったが、恵美子の心情を思うと辛かった。怪我はなくても、精神的なダメージは計り知れない。
「あの男はナイフを持ってましたからね。何より人を傷付けました」
捕まって当然とばかり、清吾は淡々としている。Aは清吾に取り押さえられ、すぐ警察に引き渡されていった。
「園山さん、大丈夫だったの?」
大上も神妙な表情になった。
「彼女も怪我はありませんよ。⋅⋅⋅『仕方ない』と言っていました。不思議なんですが、ちょっと吹っ切れたような様子で」
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅そっか」
仕方ない。莉子はその言葉が好きではなかった。子どもだからかもしれないが、潔癖な心に、ただ現実を諦めているようにしか感じられなかった。けれど――
⋅⋅⋅そういう考え方も、あるのだろうと、思った。そう考える他ない状況も。
すっきりしていたのなら、自分で言っていたとおり、彼女の心はより深く、豊かになったのかもしれない。
「あなた方を巻き込んでしまったと気にしていました。今度正式に謝罪したいと」
「謝罪なんていらないよ」
「ホント。大したケガじゃないし」
莉子は少し考え、こうつけ加えた。
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅謝罪なんていいから、またお話したいって、伝えてほしい」
清吾は優しい顔で頷いた。
彼が出ていくと、莉子は再び俯いた。前髪を乱暴に掻いて視線を上げる。
「大上君が倒れた時⋅⋅⋅目の前が真っ暗になった。あんな思いは二度としたくない」
大上を睨むように見据える。
「約束して。絶対、二度、金輪際、危険な真似はしないって」
「⋅⋅⋅俺より、莉子ちゃんのがムチャしようとしてたけど、」
「いいから」
病室に静寂が訪れる。窓の外で秋の虫が鳴いていた。
しばらくすると大上が、静かに沈黙を破る。
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅ムリ。てゆーか莉子ちゃんが傘も差さずに走ってるの見かけて、嫌な予感したから追っかけたけど⋅⋅⋅ナイフの前に飛び出そうとするから、ホント、心臓止まるかと思ったのは俺の方。そっちこそ約束して。なんかあったら俺を頼るって」
「そんなの、私だって約束できない」
大上を失うかもしれない。一生この人の笑顔が見られないかもしれない。そう思った時の、背筋を通り抜けていった虚無感。絶望。あれを味わうくらいなら、自分が傷付く方がずっとましだ。
気付いてしまった。というより、思い知ったという方がしっくりくる。
認めてしまえば、それは当たり前みたいにそこにあった。自分でも分からないくらいずっと前から。
⋅⋅⋅⋅⋅⋅それだけで毎日が楽しくなる、という人がいた。心を豊かにするとも。
莉子は、途方もないものだと思った。
大上のことを考えるだけで胸が痛い。切ない。だがその痛みごと愛おしい。ただそこにいるだけで、この人のもたらす何もかもが。
―好き。だから。
「とにかく。約束なんて、できない。絶対に」
断言すると、なぜか大上は吹き出した。
「なら、お互い気を付けるしかないね。俺は莉子ちゃんが無茶しないように見張ってる。莉子ちゃんも、俺を見ててね?」
いつものいたずらっぽい笑顔なのに、やけに甘く感じる。好きと自覚したからだろうか。
硬直してしまった莉子に、大上は不思議そうに首を傾げる。
「どうかした?」
「⋅⋅⋅ううん。なんでもない」
―私と大上君は、いわゆる両思いってやつなのかな。
ならば好きだと言うべきだろうか。でも今さらな気もする。もう好きじゃないと言われるかもしれない。元々本気じゃなかったってことは?
ぐるぐる考えた後、莉子は大上をしっかり見据えた。彼は断られる可能性があっても、何度も気持ちを伝えてくれた。ならば莉子も逃げるわけにはいかない。声が震えないように、大きく深呼吸する。
「⋅⋅⋅私、好きな人がいるの」
ものすごく気力の必要な一言だった。心臓が痛いくらい暴れている。
大上は笑った。いつもの太陽みたいな笑顔ではなく、柔らかく灯ったろうそくの炎に似ていた。
「莉子ちゃんて⋅⋅⋅⋅⋅⋅ホント真面目。そゆとこ好き」
好き、の言葉に喜んだのも束の間、大上が続けた言葉に眉を寄せた。
「センセなんでしょ」
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅え?」
なんでそうなる。と思った。
「莉子ちゃんの好きな人。分かるよ。ずっと見てるもん」
全然分かってない。
なぜ彼は悲しそうに笑っているのだろう。これからフラれるとでも思っているのだろうか。
「あの、大上君なんだけど」
「え?」
「私、大上君が好きなんだけど」
緊張はすっかり追いやられ、莉子は怪訝な顔で告白した。なんだか間抜けな告白になってしまったと気付いたがもう遅い。大上が口を半開きにした間抜け顔をしているから、丁度いいかもしれない。
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅え。だってセンセの予知視た時、すんごい動揺してたよね?」
「身近な人の危険な予知は初めてだったからね」
今となっては親しくしているが、大上だって予知を視た時は初対面だった。
「え?え?てゆーかいつの間に?だってそんな素振り、全然なかったよね?」
「それ聞く?」
「聞かなきゃ実感わかない」
長い沈黙のあと、莉子はしぶしぶ答えた。
「――たぶん、ずっと好きだったんだと思う。自分が気付いてなかっただけで、だいぶ前から」
大上が倒れたのは、あくまで気付くきっかけにすぎない。
消え入りそうな声ではあったが、室内が静かなためしっかり聞こえていると思う。なのに大上は、なんの反応も見せない。やはり迷惑だったのだろうか。不安になって莉子は言い募った。
「あの、大上君と付き合いたいとかじゃなくて、一緒にいられるだけでいいの。それだけで十分――」
最後まで言い終える前に抱きすくめられる。髪が触れ合う距離に体が強張った。彼の息遣いを感じる。心臓がことり、ことりと音を立てる。
「ちょ、」
「俺は莉子ちゃんみたいに、そばにいるだけで十分なんて思わない。誰にも渡したくないし、触りたい。たくさん、俺しか知らない莉子ちゃんが見たい」
少し体を離し、大上の切れ長の目が莉子を捉える。至近距離で細められた瞳は熱情を宿して魅力的に光る。
「好き。莉子ちゃんの全部が欲しい」
彼の熱が移ったみたいに全身がかっと熱くなる。すぐに距離をとらないとおかしくなりそうだ。
「大上君、離して」
「ムリ。莉子ちゃんが煽るからいけない」
「煽ってない」
「二人きりで、ベッドの上で、好きな子に好きって言われたら、もうガマンできないに決まってるでしょ」
大上の熱い吐息を耳元に感じて震えた。欲望にかすれた声があまりに艶っぽく、体に力が入らない。
「ダメだよ⋅⋅⋅」
咎める声は頼りなく、制止の役に立たなかった。
「じゃあ、キスはいい?」
「キ⋅⋅⋅」
恋愛初心者の莉子にはハードルが高すぎる気もしたが、彼の愛情に溢れた眼差しを受けていたら、どうなってもいいような気分になってくる。
ためらいの末、わずかに頷く。大上が切なげに瞳を細めた。彼の腕に一瞬力がこもったが、莉子を傷付けないためか、すぐにゆるめられる。
―もっと強くしてもいいのに。
はしたない思考が脳裏をかすめ、莉子は一人悶えた。
大上の顔がゆっくり近付いてくる。長い睫毛が震えるのに見惚れていたが、唇にかかる熱っぽい息に自然と目を閉じた。
柔らかく重なった唇は、信じられないほど甘い。
◇ ◆ ◇
秋風が吹き過ぎ、莉子は乱れる髪をおさえた。
近頃めっきり寒くなって、吹く風もひんやりしてきた。そろそろブレザーの下にセーターを着たいところだ。
大通りを歩いていると、見慣れた背中に目が吸い寄せられた。身長の高さだけが理由じゃなく、不思議とどこにいても彼の姿は真っ先に目に入る。
その光景だけで、わけもなく心がはやった。莉子は早足になって追いかける。
「大上君」
「あっれ、莉子ちゃん?」
大上が驚いた様子で振り返った。莉子は彼の隣に並んだが、緊張で少しぎこちなくなってしまった。今までこれを平気な顔でやっていた彼を尊敬する。
―えっと。私たち、付き合うってことでいいんだよね?
お互い気持ちを伝えあったし、キスもしたが、付き合おうという話にはなっていない。それでも恋人と名乗っていいのだろうか。経験のない莉子はいまいち自信がない。
考え込んでいると、大上が自然に莉子の手を握った。ほっとする。やはり、付き合っているという認識でいいらしい。
「おかしいな。今日も俺が見つけられると思ってたんだけど。莉子ちゃん、教室出るのちょっと遅かった?」
「ちょっと、友達に捕まっちゃって」
「それってもしかして」
「⋅⋅⋅うん。なんでかばれちゃった」
彼氏ができたと親しい友人に悟られてしまい、根掘り葉掘り聞かれていた。なんとか途中で逃げだしたが、そのためにいつもより下校時間が遅れてしまったのだ。
肩が震えている気がして大上を見上げると、口元に手を当て、必死に笑いをこらえていた。
「⋅⋅⋅なんで笑うの」
冷えた声で問うと、彼は愛おしげに莉子を見つめた。
「だって、それだけ顔に出ちゃってたってことでしょ?嬉しいじゃん」
以前からそうだが、彼は思っていることをはっきり口にする。赤い頬を隠そうと俯く莉子には、真似できない素直さだ。
緊張が少しほぐれた頃を見計らったかのように、大上は指を絡めてきた。いわゆる恋人つなぎだ。これではますます顔を上げられない。
「そういえば、教室出る時間になにかあるの?」
話題を変えるために聞いたことくらい、大上にはお見通しのようだった。嬉しそうに指先をくすぐられる。
「ふふ。帰り道、莉子ちゃんと会うためのコツだよ」
「どういうこと?」
「種明かししちゃうとね、莉子ちゃんていつも同じような時間に帰ってるんだよ。俺は教室出るタイミングを合わせるだけでいいってわけ。これだけで結構運命感じちゃうでしょ?」
「待ち伏せされてるんじゃないかって寒気を感じた」
「ヒデー。でも似たようなもんか」
本気でストーキングを疑っていたのだが、なんとも単純なからくりだった。呆れて肩の力が抜ける。
「今日は、月森診療所に行かなくていいんだよね」
「うん。あれ?なんで知ってるの?」
「先生から連絡あった。園山さんが改めて会いたいって言ってたらしいよ」
「心配だから会うのは構わないけど、謝るためとかだったらホントに遠慮だな~」
「⋅⋅⋅先生にもばれちゃってるから、会いづらいしね」
なぜ、いつバレたのか分からないが、あの日大上と月森診療所を出る時には『おめでとう』なんて言われていた。なにに対してなのか分かった瞬間、恥ずかしさで死ねると思った。
「そりゃあの時の莉子ちゃん見てれば、俺らが両思いなんてすぐ分かっちゃうよー。手なんか握ってずっとそばにいて泣きそうな顔して⋅⋅⋅ごめんごめんごめんなさい。調子こきました」
大上を横目で睨みながらため息をつく。
「大上君になにかひどいことされたら、相談しろって言われたよ」
「えー⋅⋅⋅その相談、絶対別れる方向に話持ってくじゃん」
奪う気満々だなあの人、と大上がぶつぶつ呟く声は、莉子には届かなかった。
「そうだ。最近、予知はどう?回数が減ったとか、何か変化はあるの?」
「ううん。普通に視るよ。危険そうなものはないけど」
「そっか。まぁでも、どんな予知視たって大丈夫。俺がついてるからね」
馬鹿じゃない、と言おうと思ったのに、大上が言うと本当に大丈夫そうな気がしてくるから不思議だ。莉子ははにかみながら、ありがとうの気持ちを込めて、きゅっと手を握り返す。
「うん。頼りにしてる」
その瞬間、大上はなぜか立ち止まった。手で覆っているが、真っ赤になった顔を隠しきれていない。
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅莉子ちゃん、かわいすぎる。ホントになんでそんなにかわいいの」
「別にかわいくないから」
大上こそ、いちいち恥ずかしいことを言わないでほしい。つられて赤面しそうだ。
「ねぇ、ぎゅってしていい?」
「え?今すぐ?」
周りは下校中の生徒でいっぱいだ。目立つ大上のせいでやたらと注目を集めている。咄嗟に手を離そうとしたが、ぐっと握られ阻止された。
「だってガマンできない。ダメ?」
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅ここじゃないなら」
「ダメダメダメダメかわいすぎる」
これでも精一杯妥協したのに、大上は子どものようにぶんぶん首を振った。
「じゃあ、ここじゃないならキスもしていい?」
「⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
「いっぱいさわっていい?どこもかしこも」
「いい加減にして」
「だって今すぐ莉子ちゃんにさわんなきゃ、俺死んじゃうかもしれないよ?」
「ウソつき」
大上らしいくだらない嘘だ。くだらなくて、愛しい。
―ずっとこうしてたいな。
人が人を思うたくさんの気持ちが、光みたいに眩しく感じて、莉子は思わず目を細めた。
秋の透き通るほど青い空の下、二人は笑い合いながら寄り添って歩いた。
オオカミ君の優しい嘘、これにて完結いたします。
なんとか完結にこぎ着けることができて感無量です。(;ω;)
こんなに拙い作品を最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
この作品を好きだと言ってくださる方、ブックマークを付けてくださった方々、評価をしてくださった方々、本当に励みになりました。感謝してもしきれません。
小説は終わりましたが、莉子と大上の物語は続いていきます。
きっとまた危険な予知を二人で回避したり、大上の手の早さに莉子が怒ったりと、イチャイチャしながら過ごしていくと思います。
最後にもう一度感謝を。
本当に本当に本当にありがとうございました‼(*^^*)