29 悪夢と記憶
白いもやが漂う、灰色の荒野。
暗い空には分厚い雲が渦巻き、時折、雷光がその濃淡を浮かび上がらせる。
むせ返るような、焼け焦げた体液のにおい。荒野に散らばる大小無数の塊が、物言わぬまま黒煙を上げている。
数瞬前まで確かに生きていたそれらは、もう二度と、動くことはない。
「──何でだよ!」
吼えるような声が、アラタの体表を震わせた。
目の前で地面に這いつくばり、この期に及んでなお人型に擬態している相手が、怒気に満ちた目を、アラタに──アラタが相手に突き付ける手のひらに向けている。
睨んだところで、もはやどうにもならないのは分かっているのだろう。だから相手は、ひたすらに叫んだ。
「何で、こいつらを! 俺たちがいなきゃ、ここの作戦は終わらないんだぞ! さっさと連中を倒さないと──」
「ああ、そうだな」
ひどく冷めた声だった。自分の声に一瞬驚いたと同時に、アラタは頭の隅で納得する。
ああ、これが『いついかなる時も冷静である』ということか、と。
「──だから、今、対処してるんだ」
その言葉の意味を、相手が理解できるとは思っていない。そんな段階はとうの昔に過ぎてしまった。
もっと早く気付いていれば。いや、どれほど早く気付いたところで、この結末は変わらないが。
人型の姿を保ったまま、アラタは相手に突き付けた手のひらの先に特殊な物質を合成する。それに気付いた相手の顔が、恐怖に歪んだ。
「…私を殺すのか」
「そうだ」
「何故」
相手の口調がブレている。それに、今のその言葉。もはや言い訳のしようもない。
「──なあ、 」
友の名を──恐らく二度と口にすることはないであろうその名を呟き、アラタは無理矢理笑った。
「気付いてるか? …俺たちヴェルデ族は、この物質じゃ死なない」
「…え?」
相手が呆けた声を上げ、アラタの笑みが深くなる。
「じゃあ、今、「私を殺すのか」って言ったのは──誰なんだろうな?」
相手も、アラタと同じヴェルデ族。アラタが合成できるこの物質は、ヴェルデ族には無害だ。──ヴェルデ族、には。
笑っているのか泣いているのか怒っているのか。どうとも取れる表情で、アラタは一歩、踏み出した。
「あ──」
相手が何かを理解した、瞬間。
──ギィィィィィ!
その後頭部から、身体の一部が分離した。目を見開いた顔が融け、胴体が融け、緑色の粘体に戻った身体がバシャンと地面に広がる。
分離した物体は紫色の紐の集合体と化し、空中を跳んで──
「逃がすかあっ!!」
アラタの怒気が、荒野の空を裂いた。
コポ、と、気泡が上がる音がして、アラタは我に返った。
(──夢か)
ヴェルデ族は基本的に睡眠を必要としないが、こうして本来の姿に戻り光を浴びていると、たまに過去の記憶が意識の奥で再生されることがある。良いものも悪いものも、関係なく。
木目調のプリントが施されたアパートの天井と、開け放った窓から差し込む暖かな光。
網戸を通ってくる外気は暑くも冷たくもなく、爽やかだ。これもあと2、3ヶ月もすれば、じっとりと湿り気をはらんだ熱風に変わるのだろうが。
コポコポと、緑色の身体に気泡が浮かんでは弾けて消える。それを感じていると、意識は自然と、先ほど夢で見た光景に引っ張られる。
長い時間を生きるヴェルデ族。そのアラタの記憶の中でも、1、2を争う悪夢じみた光景。
最悪なのは、それが悪夢でもなんでもなく、現実に起きた出来事だということだ。
夢なら覚める。悪夢でも、「嫌な夢だった」で終わる。だがあれは、紛れもない現実だった。
「──あー…駄目だな」
沈む思考を無理矢理打ち切り、アラタはホモサピエンスの姿に変わった。立ち上がって半袖シャツとズボンを身に着け、敢えて間の抜けた声で呻きながらぐっと背中を伸ばす。
背骨など無いので本来伸びをする必要はないのだが、気分を切り替えるのには役立った。ホモサピエンスらしく深く息を吐き、苦笑する。
「過去を思い出すのは歳のせい、だったか」
いつか聞いた言葉を口にする。
ヴェルデ族は『年齢』という概念が曖昧なので、同族から聞いた言葉ではなかったと思うのだが、さていつどこで聞いたのだったか。
長い時を生き、様々な星に出向き、多くの他種族と交流したことがあるが故に、こういうことが意外と思い出せない。
アラタが首を捻っていると、カンカン、とアパートの外階段を上がって来る足音がした。
そのリズムには覚えがある。もはやすっかりお馴染みとなった、成実の足音だ。
今日はその後ろから、もう少し落ち着いた、抑えた足音もついて来る。こちらは楓のものだろう。




