episode.21
エルシアへ続く山道は、王都とは空気が違った。
静かな森は深い霧に包まれている。風に揺れる草木の音さえ、どこか淡い。
馬車を降りたリゼは、目の前に広がる景色を静かに見上げた。
山肌に沿うように築かれた白い建物群。透明な結晶灯。空中を漂う小さな魔力光。
魔女達の里、エルシア。
アシュレイは周囲を見回しながら僅かに眉を寄せる。
人はいる。だが以前と同様、驚くほど静かだった。
談笑する声も、笑い声もほとんどない。皆、穏やかではあるが感情の起伏が極めて薄い。
まるで感情を波立たせない事が自然であるかのような空気。
「……独特だな、ここは」
アシュレイが小さく呟く。
リゼは静かに微笑んだ。
「ここでは、感情を乱さない事こそが重要視されますから」
その声は、どこか淡々としていた。王都で聞く時よりも、さらに温度が低い。
アシュレイは僅かに違和感を覚えたが、考える間もなく数人の魔女がこちらへ歩いてきた。
全員、リゼを見ると小さく目を見開く。
「……リゼ?」
「本当に帰ってきたのね」
歓迎の声。だがそれもどこか静かだった。
リゼは軽く会釈する。
「お久しぶりです」
そこに柔らかい笑みはない。感情を抑えた、綺麗な作法だけの挨拶。
その瞬間。
アシュレイは王都でのリゼを思い出した。
困ったように首を傾げる顔。小さく安心したように息を吐く瞬間。自分へ向けられた、柔らかな視線。
今のリゼには、それがなくなっていた。
「こちらが王都の監察官?」
一人の魔女がアシュレイを見る。探るような視線だった。
「……アシュレイだ」
短く名乗ると、魔女達は小さく頷く。
「長旅お疲れ様。里長がお待ちよ」
案内されながら、アシュレイは隣を歩くリゼを見た。
姿は変わらないのに妙に遠い。エルシアへ入ってから、リゼはほとんど感情を見せなくなっていた。
それがこの里では“普通”なのだと分かるからこそ、余計に胸がざわつく。
里長との面会は簡潔だった。
王都で起きている魔力暴走。白の魔女の記録。地下倉庫から発見された手記。
それらを伝えると、年老いた里長は静かに目を伏せた。
「……とうとう、その時が来たのかもしれないね」
意味深な言葉。だが詳細を聞こうとした時、里長はこう続けた。
「今日は休みなさい。話は明日だ」
完全に会話を打ち切られてしまい、従うしかなかった。
里長との面会を終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
案内役の魔女に客室まで通され、アシュレイは一人、静かな廊下を歩く。
窓の外には淡い魔導灯。王都とは違う、感情の波が極端に少ない空気。
その静けさに紛れるように、リゼもまた自然にこの里へ溶け込んでいた。
いや。
“溶け込みすぎている”と言うべきかもしれない。
王都で見せていた小さな表情の変化。困ったような視線、戸惑い、安心したように息を吐く瞬間。
そういうものが、エルシアへ入ってからほとんど消えていた。
まるで、感情を表に出していた事そのものを無かった事にするみたいに。
アシュレイは小さく眉を寄せる。
その時だった。
「あなた、監察官よね」
不意に後ろから声がした。
振り返ると、一人の女性が立っていた。
銀灰色の長い髪。
落ち着いた雰囲気を持つ魔女だった。
「私はセレナ。リゼの姉のようなものよ」
アシュレイは軽く会釈する。
するとセレナは、廊下の先へ視線を向けながら静かに言った。
「……あの子、少し変わったわね」
アシュレイの視線が動く。
「変わった?」
「ええ。上手く言えないけど」
セレナは困ったように笑う。
「昔より少しだけ、柔らかくなってた気がしたの」
夜風が窓から吹き込む。
「でもまた前みたいになってる」
アシュレイは黙って聞いていた。
「ここでは感情を乱さない事が普通だから。あの子は特に感情を表に出さない子だったわ。それがあまりにも極端で心配していたほどにね」
静かな声だった。
「今日のあの子を見てると、まるで何かを閉じ込め直そうとしてるみたい」
その言葉に、アシュレイの胸が僅かに軋む。
閉じ込める。王都でのリゼが脳裏を過った。
安心したような顔、戸惑う顔、触れられそうになった時の、熱を帯びた瞳。
あれは確かに、感情だった。
セレナはふっと目を細める。
「王都で、何があったのかしらね」
アシュレイは答えない。答えられなかった。
ただ一つだけ、はっきりしている事がある。今のリゼを、昔の姿へ戻したくない。
そう思ってしまった自分がいる事に。
アシュレイは静かに目を伏せる。
王都で見せるようになった、小さな感情の揺らぎ。戸惑った顔、安心したように息を吐く瞬間、自分の名を呼ぶ、少し柔らかな声。
あれを知ってしまった今、感情を閉ざしたままのリゼを見るのは、まるで大切な何かが遠ざかって行くようで妙に苦しかった。




