第17話 時空迷宮
翌日の昼前、サガたちはハイゼンタール湖への道を順調に進んでいた。
「あの丘を越えたら、もうハイゼンタール湖が見えるよ。休憩を挟んでも、もう一時間以内には到着できる」
「もうそんなに歩いてたのか」
「地図だとずいぶん長く思えましたけど、実際歩いてみると、案外早かったような…」
「平坦な地形だったからね。これが途中に山とかあったり、上り坂下り坂が連続してたりすると、疲労も溜まって余計に時間が掛かってくるんだ」
「俺も、住んでたところが無駄に高い丘の頂上だったから、外出時は苦労したなぁ…」
懐かしむような、しかし何か思い出したくないものを思い出すような、遠い目をして、サガは丘の上の空を見上げる。
「え?その、サガさんとローグさんは、飛べる…んですよね?」
小首をかしげてセリが尋ねる。
「お使いの時とかはな、飛ぶの禁止されてんだよコイツ」
「誰にだい?」
「俺の、一応育ての親で、一応師匠の人に」
「一応って、なんか歯切れが悪いね?」
クラックの言葉に、サガは少し苦い顔になる。
「まあ…当然恩は感じてるし尊敬も、まあ、してたんだけど…」
歯切れが悪いままのサガに代わり、ローグがクラックとセリに顔を近づけて喋る。
「いざ同棲し始めたら、家での相手がぐうたらすぎて、冷めて別れるカップルの話とかよく聞くだろ?そんな感じよ」
「嫌だけど的確な例えやめてください」
「まあ…なんか色々あったんだね」
「すごい人なのは確かなんだけど…貧民街の路地裏で野垂れ死にかけてた少年を、二年で見違えるほどに鍛え上げたんだし」
サガは自身の手のひらに目を落とし、確かめるように、或いは失くしたものの感覚を求めるかのように、拳を握り締めた。
「…でも、あの人も今、残滓になってどこかの世界に居る、ってことですよね」
「そうなる…が、想像つかねえなぁ。とりわけ規格外なアイツが、縮こまって閉じ籠ってって…」
サガは一度大きく息を吸い、肩をストンと落として一気に吐き、前を見据える。
「とにかく今は、ルアスさんを復活させないと。上り坂もそろそろ終わりだし、ハイゼンタール湖とやらが見えるは…ず…」
足を速めていち早く丘の向こうを目にしたサガが、目を見開いて硬直する。
「どうした?湖がどうかなって…は…?」
「これ…な、なん…」
「おぉ…そう来たか…」
クラックとセリ、サガまでも、驚きと、目線の先の異様な光景に戦慄し、目を見開き、浅い呼吸で、喘ぐような声を漏らすことしか出来なくなる。
空が、木々が、地平が、湖が、大地が───空間が、歪んでいる。
光すらも歪められたと言うのか、歪んだ風景は色彩、明暗、濃淡が、所々おかしい。
その一帯だけ、目の錯覚で動いて見える絵画にでもなったかのように、異質な様相を呈していた。
ローグが茶化すように、乾いた笑い声を出す。
「ハハ…残滓の俺が起こした異変が可愛く見えるな」
「全くですよ…どうするんですかアレ。多分あの領域の内側は、残滓から溢れる力の奔流により時空が歪みに歪んだ…時空迷宮とでも言えるようなことになってますよ」
「…行くっきゃねえんだ。取り敢えずギリのとこまで近づくぞ」
「セリさん、大丈夫かい?」
「…大丈夫…です…行けます…!」
声も肩も震えていたが、口を引き締め、目で覚悟と勇気を示す。
「よく言った、セリ。ただ、事情が事情だ。二つ、言っておくぞ。クラックもよく聞け」
セリをちゃん付けせず呼び、軽く威圧感を出しながら、ローグはセリとクラックをまっすぐ見据える。
対するセリとクラックも、ローグの雰囲気にあてられて、自然と体が畏まっていった。
「勇気と蛮勇を履き違えるべからず。ここから先は、下手をすれば本気で命を落としかねない。自分の安全を最優先事項にしろ。プライドは邪魔だ、いっそ捨てろ。要らん一歩を勝手に踏み出すな。それと、まずは俺とサガだけであの領域に入る。戻らなくても追うなよ。元々お前らは、俺らが巻き込んじまった、ただの一般人だ。いいな?」
「…はいっ…」
「…わかった」
「じゃあ…行きましょう」
坂を下り、道を進み、時空迷宮のすぐ近くに着くまでの間、緊張か、恐怖か、誰も声を発しなかった。
眼前に迫った時空迷宮の様子は、近づいてみると、案外景色は安定して見えた。
しかし、やはり陽炎のように少し景色が歪んでいるのを感じる。
「それじゃあ、行ってくる」
「二人は、もう少し離れたところで待ってろ。多分これは少しづつ広がってるし、景色こそ歪んでないが、ここも既に危険な領域だ」
「お二人とも、どうかお気を付けて」
「無事を祈るよ。崇める神は居ないけどね」
クラックの軽口で、重苦しかった場は僅かに和んだ。
「ああ、絶対戻ってくる」
「この程度の出来事は経験済みだ。余裕で帰ってくるさ」
サガとローグは時空迷宮に向き直る。
並んで一歩を踏み出す。
二つの背中を、クラックとセリは静かに見守る。
少し進んだだけで、辺りには変化が現れてきた。
「前も、横も、景色が歪んできましたね」
「ああ。しかも、さっきから温度も湿度も全然違う風が、断続的に吹いてやがる。アイツらには悪いが、帰れるかわからんな」
少し瞬きをしたその刹那、気が付けば周囲は木々に囲まれていた。
「これは…」
「飛ばされたな…早速。コイツは難航するぜ…?」
一方、二人を見送り続けていたクラックとセリ。
すっかり小さくなった二人の姿が、突如、滑ったように横にずれる。
腰から下の辺りが歪に歪んだかと思うと、二人の姿が景色に溶けるように、一瞬にして消えた。
「…!」
「っ…ダメだ!」
思わず駆け出したセリの襟元を、クラックは押さえる。
「でも…!ローグさんにはああ言われたけど、やっぱり私…」
「僕だって心配だよ…!でも今は…信じて、待とう…」
「…はい」
「取り敢えず、言われた通り離れた場所にキャンプを作ろう。丘の麓辺りまで戻れば───」
世界が暗転した。
冷たく、湿った空気が肌を撫でる。
「は…?」
漏れでた声が反響する。
「クラックさん!?居ますか!?」
セリの声で我に返り、慌ててベルトからマルチ・ステッキを手に取る。
記憶を頼りに一つのアタッチメントを手に取り、ステッキの先端に付け、上に掲げて魔力を流す。
暖かい色の光が、真っ暗闇の中、クラックと、横で腰を抜かしているセリを照らし出す。
「セリさん、大丈夫?なんともない?」
「クラックさん、良かった…!きゃっ!?」
セリが急に頭を押さえて跳び上がる。悲鳴がよく反響した。
「どうした!?何が…!」
「ごめんなさい…いきなり何か冷たい…水?」
クラックが上を見上げると、光に照らされて、僅かに上から垂れ下がる氷柱のような何かが見えた。
同じくそれを見たセリは、震えた声を出す。
「クラックさん…もしかして、ここは…」
暖色の光に照らされてなおわかるほどに、クラックの顔からは血の気が引いている。
「…ここは多分、前に話した鍾乳洞…それも、かなり深いところだ。そんなところに突然放り込まれちゃ…不味いよ、コレ」
勝手ながら多忙につき来週更新無しとなります




