嘆きの雨は降りぬ
帝さまが崩御されたのは、夏の初めだった。日差しが強くなってきて、緑も色濃くなりつつある時期である。それから暫くは大騒ぎだった。帝さまはお若くていらしたので、まだお子様がいらっしゃらなかったのだ。そうなると近い血筋のどなたかが選ばれることになるだろう。先の帝さまは子沢山でいらしたけれど、末子を後継者とされ、数人の家臣を選んで後見とされた。それで成長されれば十分に政をこなしていけると思っていらしたのだろう。色々と予定は狂ってしまっていたようだけれど。
後継者として選ばれるのは誰だろうと市井では話題になっていたけれど、兄君さま方は既にそれぞれ領地に封じられていらっしゃることもあり、年齢がある程度若い、帝さまの甥の世代が幾人か候補として挙げられているようだった。まあそれはいずれどなたかに決まるのだろう。
帝さまの葬儀は夏の終わりと定められた。
まだお若くていらして、政にどれほど携わっていらしたかもよく判ってはいないけれど、少なくとも人々が困るような命令を下さなかったという一点で、悪い方ではなかったのだろうと思える。良い方だったのかはよくわからないけれど。これからどんな帝さまにおなりあそばすのか、それを人々は楽しみにもし、恐れてもいたのだけれど、そんな懸念は吹き飛んでしまった。あっけない程に。人というものはこんなにもあっさりと儚くなってしまうのだと思えた。それが国で一番貴いとされる帝という地位にあってさえ。
余計なことを考えすぎたせいか、来客の気配に気づくのが遅れた。
「こんにちは、お久しぶり」
切れ長の眼差しと上品な佇まいの女性が顔を覗かせている。霍のお嬢さんだった。
「こちらこそご無沙汰してしまっておりました」
とりあえず白湯を、と用意を始めようとしたとき、霍のお嬢さんが頽れるように座りこんでいるのが目に入った。
「え?」
「平児。わたし……」
縋りつかれて、一瞬思考が停止した。高級そうなお香の匂いがふんわりとわたしを包む。いや、お香でなくてお嬢さんに抱き着かれているのだけれど。
「……どうか、なさったのですか……?」
追い詰めるようになってはいけない。思いつめた人間ほど怖いものはないのだ。
「結婚させられるわ。新しい帝さまと」
はっとした。今までは姪に当たる上官家のお嬢さんが帝さまに嫁いでいたから、必ずしも霍のお嬢さんが嫁ぐ必要はなかった。しかし帝さまが崩御されたことで、未亡人となられた皇后さまが皇太后となり、新しい帝さまを子となす。権力争いというものは結婚を好機とする。代替わりした新しい帝さまの皇后の席が空いているのだ。しかも今を時めく霍家の、それも本家の令嬢が独身である。
「……逃げる訳にはいかない、のよね……」
暗く沈んだ声が、湿り気を含んで重く響いた。霍のお嬢さんが逃げれば追手がかかる。それを掻い潜って逃げることが出来る経済力や行動力があればなんとかなるかも知れない。けれど、霍本家が総力を挙げて追跡すれば、容易く見つかってしまう可能性の方が高いだろう。そうなれば霍のお嬢さんを誘拐したとして小霍は罪人にされ、下手を打てば処刑されてしまうかも知れない。
恋人のままで居られればそれでいいと霍のお嬢さんが思っていたのは、正式な結婚が叶わないからだった。いや、直接そう聞いた訳ではないけれど。でもこれでは無理矢理他の男と結婚させられて、傍にいるだけのことも出来なくなる、ということだ。
わたしは、霍のお嬢さんに何も言うことは出来なかった。ただ、抱きしめて、涙を堪えながらそっと髪を撫でることしか出来ずにいた。その時、まるで霍のお嬢さんの代わりのようにぽつぽつと雨が降り出していた。静かに地面に浸み込むような雨はゆっくりと密やかに降り続いて、その間霍のお嬢さんはわたしの腕の中でひっそりと涙をこぼし続けたのだった。……恐らくは、たったひとつの恋を思い切るための涙を。
平穏な日常の第二部がそろそろ終わります。
そしてその頃美少年は。
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