同姓の恋人
翌日からは実家に居た頃と同じように、普通に生活を営むことが出来るようになった。朝目覚めて寝台にそのまま居座るというのは余程のお金持ちとか上級の人だけだろう。帝さまにお仕えする人だと夜明け前から出仕しなくてはならないからまた別として、少なくともわたしは実家ではそのように過ごしたことは一度もなかった。相変わらず夫は無駄に艶があり、吐息には甘い毒でも混入されているようだ。耳元で囁かれると腰が抜けそうになって、うっかりそのまま歩けなくなってしまうことさえある。他の新婚夫婦もそうなのかは判らないけれど、わたしの夫が殊更に甘いような気がするのは、気の所為だと思いたい。
朝は夜明前に起きる。それはわたしの実家に居た頃からの習慣だ。父が下級官吏だったために、早くから支度をして出仕しなければならなかったのである。朝食を用意していると夫がどこからか調達してきた卵をわたしに差し出した。まだほかほかで温かい。生みたて卵というやつだろうか。ありがたく食卓に載せることにする。
夫は孤児だというけれど、なかなかどうして顔が広いようだ。三日にあげず誰かが訪ねてくるし、適当な仕事にも恵まれている。わたしの父は官吏だけど、夫ほど来客があった覚えはない。もっとも、夫はとても秀麗な顔をしているので、特に用事がなくても顔を見に来たがる人は男女問わず一定数はいるのだけれど、それと父を比べたら失礼かも知れない。
定職らしい定職を持ってはいないが、それなりに収入があるようで、定期的に「これで賄って欲しい」と金銭を渡してくる。時折、野菜や肉類なども。潤沢とは言えないまでも、ささやかな生活を二人で営む分には困らない程度の額なので、節約して使いつつ、有事のために少しずつ貯めている。将来的なことについては幾つか考えていることがあるようだけれど、これから子供も生まれるだろうし、養育費教育費は高いのだ。わたしが出産などで全く動けない状態になることもあるだろう。そうなる前に少しの余裕は必要だ。そんなことをつらつら考えながら夫と共に家事をこなしてひと段落ついたころ、見覚えのある人影が戸口に立ったのに気付いた。
「小張」
夫は普段、張の名で通している。ごく親しい人は事情を知っているけれど、通称のようなものだとわたしは理解している。実際、皇家と同姓なのは色々面倒なのだ。避けておくのが無難である。
「小霍。久しぶりだ」
確か、釵を販売しているときに、一度だけ店に来た人だったと思う。少し歳は夫のほうが若いように見えるけれど、対等に付き合っている様子なのが印象的だった。けれど、今日は一人ではなかった。その後ろに、とても背の高い、美しい人が見えた。きりりとした面持ちは、それでもどこか女性らしい柔らかさを帯びて、けれど甘さや頼りなさよりは強さを感じさせる。独特の雰囲気を持つ人だった。
「初めまして。いらっしゃいませ」
改まった様子で夫がそう女性に告げるのに合わせて、わたしも寄り添うようにして微笑んでみる。その瞬間、きりりとした視線がほんのり柔らかく緩んで、大輪の牡丹が咲き綻ぶように見えた。
「初めまして」
「……霍の本家のお嬢さんなんだ」
霍の本家。という言葉に、わたしは思わず眩暈を覚えそうになった。
確か今の帝さまに縁のあるお家だったはずだ。成人より先に娶られたお后さまは上官家の人だけれど、そのお后さまのお母さまが霍の本家のご出身だと聞いている。とても力のあるお家だという話だったけれど、先の帝さまがお亡くなりになる際、幼い皇太子さまのために補佐としてつけられたのが霍の本家の当主さまだったはずだ。その本家のお嬢さんというのは、ものすごい上級のお嬢様ということになるのではないだろうか。一気に緊張してしまうけれど、その場の空気を壊してくれたのはそのお嬢様だった。
「堅苦しいのは嫌いなの。今は改まった場所でもないし、気軽に接してくれたら嬉しいわ」
お嬢様とわたしの間に歴然とした身分の差はあるけれど、そういう配慮がなんとなく嬉しかった。
「もしかして……小霍の、恋人?」
固唾を飲んでそう訊ねる夫も、張り詰めた緊張の中に居た。
「……ああ」
どことなく、遠くを見るような目で、夫の言葉に肯いた小霍は、この時色々諦めていたのかも知れない。
「…それはまた。まあ話でもしよう。高いものではないけれど茶くらいなら出せるから」
酒と言わなかったのは私がじっと見つめていたからかも知れない。まあいくら自宅だからと言って女性の来客にお酒を勧めるのはどうかと思うけれど。
小霍は霍の本家当主さまの異母兄さまのお血筋だそうで、その方はもう亡くなられているそうだ。小霍のおじいさまに当たるそうだけれど、そうなるとこのお二人は従姪の関係になるのだろうか。霍のお嬢さんは本家当主さまのお嬢様ということだから、小霍のお父さまが霍のお嬢さんの堂兄弟となるのだろう。従兄の子である小霍よりも霍のお嬢さんのほうが年下だけど。そして二人とも霍姓。つまり、お二人は同姓という訳で、結婚は許されない恋人同士ということになるのか。これでどちらかが霍姓でなければ、問題なく結婚出来ただろうけれど。どのみち、娘の結婚相手は父親が決めるものだから、小霍が結婚したいと言い出したところで許されたかは不明だけれど、少なくとも顔見知りで親戚筋ということでは、他の人よりはずっと有利になっただろう。ただ同姓であるという一点だけで、当主さまの許可は出ないけれど、お二人の様子を見る限り、とても仲睦まじい。将来的なことをどう考えているのかは判らないけれど、今が幸せなら良いのかも知れない。
「これで帝さまが独身だったらわたしにお鉢が回ってきたところだろうけれど、あの子が居たからね」
あの子、と言ってしまえるのか、お后さまを。とわたしは心の中で戦慄した。官吏の娘の嗜みとして感情を面に出さないように気を付けているから、勿論それでも表情は多分にこやかなままなはずだ。お后さまは霍のお嬢さんの姪に当たるけれど、年齢はお后さまのほうが上。ただし血縁としては霍のお嬢さんの姉の子になるので、多少ぞんざいないい方も許されることがある。……お后さまという貴い身分でなければ。ああ、でもそうなると小霍はお后さまのはとこということになるのか。現在の家格に差はあるのかも知れないけど、恐れ多い気がしてきた。
大家族制度というやつは、年齢差が逆転していても、その関係性は血筋の順に従う。だから、年下でも相手が叔父なら目上の人として扱わなければならない。つまりお后さまはお后という身分が通用しない場では、霍のお嬢さんを目上の人として振る舞わなければならないのだ。それは閑話休題。流石に姪と叔母とで同一人に侍るのは外聞が宜しくないということで、霍のお嬢さんは独身で居られているらしい。それがなかったらとっくに后の座に押し込まれていたわね、と軽い様子で話すけれど、結構大変なことではないかと思う。わたしがあまりそういうことに関心がなかったから、わたしは親の決めたままに結婚して今の夫を得たけれど、上級官吏のお嬢様が縁組もせずにふらふら歩いているというのは正直信じがたい。勿論恋に憧れる発展家の女の子は恋人を持ったりもすると聞いたけれど、そういう人は大半があまり親がそういったことに関心の薄い家だったりすることが多かった気がする。
それはさておき。知り合ったばかりのこの二人が、この先色々関わるようになるとは、この時わたしは思ってもみなかったのだった。
大家族制度だと同じ世代の子供同士は兄弟として扱われます。同姓のいとこは堂兄弟、異姓のいとこは表兄弟と言います。
同姓不婚の原則がある中国では、近代まで同姓の結婚は不可でした。これは古代の母系制度の名残のようです。血筋が近いからというのが理由ですが、実際には血縁関係がまるでなくても結婚が駄目となるので、近代ではその原則は適用されなくなりました。
血筋及び大家族制度について少しややこしいので補足しますと、ちょっと見辛いかもですが、以下の通りになります。霍光が本文中に出てくる「霍の本家の当主」ですね。なお、叔姪とか従姪とかは、甥・姪の性別に限らず、その位置(一世代下)にある関係を差したものです。つまり男性同士でもあっても「姪」の字を使うんですね。これを使った例としては唐の四大家の一人顔真卿の名作「祭姪文稿」でしょうか。
霍仲儒____霍去病__小霍の父____小霍
┃__霍光___上官皇后の母__上官皇后
┃_____霍のお嬢さん
そしてその頃の美少年。
https://ncode.syosetu.com/n0449fj/15/
2019/12/26追記:茶の普及について、前漢の初めという資料がありましたので、「白湯」でもてなすということにしてましたが、春秋戦国時代には料理に茶を食べる習慣があったようなので、この舞台である前漢時代には世間的に普及していたと見做し、白湯の表記をお茶へと変更しました。




