初夜
呆然とする間もなく、いきなり大きな音がして寝室に人が飛び込んできた。慌てた小張がわたしの手を引き、寝台へと倒れ込む。
「婿の友人たちが新婚夫婦を囃し立てる習慣があるんだ。暫くしたら勝手に出て行く」
驚きはしたけれど、小張がそっと耳にささやいてくれ、わたしは体の力を抜いた。そういう習慣は初耳ではあるけれど、婿が把握している行事の一つなら、怖いことはないのだろう。幾人か、見かけた顔もあった。しかしながらほぼ初対面に近い人々に囲まれたわたしは、正直いっぱいいっぱいで、目の前にあるものに縋りつくしか出来なかった。
つまり、夫の胸に。
どれほどの時間が経ったのか良く判らないまま、賑やかな一団は寝室を出て行った。ほっと体の力を抜くと、困ったような溜息が上から落ちてくる。かかる吐息はどこか甘い匂いが漂っていて、ぼーっと見上げると、熱っぽい瞳がわたしを見つめていた。
「ご存じかと思うけれど、私は孤児です。お嫁に来てくれた許のお嬢さんに、贅沢はさせられないかも知れないけれど、私の最初の家族になってくれますか?」
秀麗な顔が間近に迫って、熱っぽい瞳がわたしをその中に捕えている。艶っぽい、以前より少し低くなった甘さを含んだ声が、わたしにそう囁きかけてきた。この人は、わたしを蔑ろにしたりはしない。そんな確信めいた気持ちがそっと沸き起こった。
「不束者ではありますが、喜んで」
なんとか微笑みを浮かべながらそう返すと、彼は瞳を潤ませながら、微笑んだ。
「大切にします」
思えば、もうこのとき、わたしは彼に恋をしていたのだろう。それから彼は、緊張をほぐすためか、彼自身の身の上話をしてくれた。
彼は、なんと帝さまの亡くなられた兄君の孫らしい。先の帝さまのご長男だった祖父君さまは、当時太子の身でいらっしゃったけれど、無実の罪を着せられて自殺に追い込まれ、そのご家族方も皆悉く処刑されたという。
「私が生き残ることが出来たのは、当時たまたま牢の役人をしていた人物が、生まれたばかりの赤子に罪はないからと、女囚に乳を与えさせてくれたお蔭なんだ。兄と姉がそれぞれ居たらしいけれど、皆、家族とともに処刑されたと聞いている。その後、祖父の冤罪が判ると、私は皇族としての籍は戻されたけれど、両親も祖父母も居ないし、後ろ楯になってくれる人もいないので、庶民として生きることになったんだ。祖父に世話になったという張氏が養育費を出してくれて。面倒事を避けるために、張姓を名乗ってはいたけれど、本当の姓は劉。病が已むように、と牢の役人が名づけてくれた名を病已という。……こんな厄介な夫で申し訳ないけれど」
まるで物語の主人公のような人の身の上話に吃驚するけれど、秀麗な美貌は美女を求めたご先祖さま方のお蔭なのかも知れない、と少し納得もした。
「なぜそこまで打ち明けて下さるのですか?」
真摯な説明には好感が持てるけれど、そこまで深く説明される必要があったのかは判らない。
「必要はないかも知れないけれど、これから家族に……妻になって貰うあなたに、嘘も隠し事もしたくない」
懸命さが伝わる真剣な瞳も、事情を知らないわたしに、ひとつ一つ解きほぐすように伝えてくれる丁寧さも、嬉しい。ただ、先程から腰を捉えている手がやさしく撫でてくれるのだけが、わたしを落ち着かなくさせるのだけれど。もう片方の手はわたしの手をそっと握っていてくれて、夫としての彼が恐らく誠実であるだろうことを予感させた。
「正直、色々なことがありすぎたせいでとても混乱してはおりますけれど。よく判りました。これから、宜しくお願い致します」
本当はちゃんと礼を取って応えたかったのだけれど、身を離すことを許して貰えなかったので、そのまま伝えてみると、笑顔なのに泣きそうな顔が目に映った。
そっと、目尻を寝衣の袂で拭ってみると、びくり、と夫が硬直してこちらが吃驚した。
「夫婦になってくれますか」
その言葉に、小首を傾げる。何か、今までとは違う意味合いが含まれている気がした。
「えっと。もう夫婦だと思ったのですが、違うのでしょうか?」
顔を少し赤らめ、視線を泳がせている夫は、どこか可愛らしい。
彼は、わたしを抱き込むようにして、注ぎ込むように耳元へ囁いた。
「あなたを、これから私の妻にします」
そっと寝台に横たえられて、わたしの腰を捕えていた手が、頬に添えられる。
「大切に、します」
灯りは落とさないまま、彼の整った顔がわたしに近づいてくる。
わたしはその夜、夫を得た。
第一章、完結です。
夫の劉病已の祖父の話は、「巫蠱の獄」で調べると出てきます。祖父の名は劉拠、父の名は劉進ですが、このお話の中では彼らについて詳しく延べる予定はありません。
武帝の子は複数いましたが、最初の男の子である劉拠が長らく太子でした。40手前でしたが、早婚でしたので孫も複数いた訳で、そのうちの一人が劉病已だった訳です。
この事件のあと、太子として選出されたのが「今の帝さま」こと昭帝でした。武帝の子の中でも非常に遅くに出来た末っ子でしたので、兄の孫と年齢差があまりないという(三歳くらい)。
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