はじめての祝言
年は明け、季節も過ぎて、いよいよわたしが許家を出る日になった。
つまり、祝言の日である。
以前の「夫」であった欧侯さまとは、結婚しているということにはなっていてもわたしが幼い娘だったから、儀式としての祝言を済ませていた訳ではなかった。いや、もしかしたら赤子のわたしをその場に置いて、祝言の真似事をしていた可能性はあるけれど、それは両親に訊ねたことがないので、実際に行われていたかどうかは知らない。
隅々まで身を清め、丁寧に作られた花嫁衣装を身にまとう。丹念に化粧を施された顔は、いつもよりもはっきりと、深く暗い鏡の中で輝くような艶を匂わせている気がした。
「綺麗に出来たわね。……本当に、時の過ぎるのは早いこと」
自らも丹念に化粧をした母の目許は、薄らと涙が滲んでいる。結婚したら一度は里帰りを許されるけれど、そのあとはもう母子としてのふれあいは無くなるだろう。それを実感しているのかも知れない。わたしにはまだ実感らしい実感はないのだけれど。
婚家から来た迎えの車に乗り、揺られ揺られて到着した先は、父の元上司である張氏の邸なのか、それとも新たに用意された邸なのかは判らない。ただ、全体にこじんまりとしていて、実家の許家よりも幾分ささやかであるような気がした。婿に当たる方が孤児で、その生活費を張氏が全て工面したという話だから、この邸は婿の新居なのかも知れない。父の元上司がわたしの実家よりも狭い家で生活を営むとは思えなかった。
祝言そのものは割とすぐに終ってしまった。そのあとに続く宴もあっさりと終わったのは、婿が孤児であり、両家の親族があまり多くないせいだ。人が多いと慣れないわたしは緊張してしまうので、早めに終わってしまったことはありがたくはあったのだけれど、これから先を考えるとそれで良かったのか、難しい。
そう、今日は初夜なのだ。
母から学んでいるし、市井の女の子同士でそういったことについて少しは話したことがあるから、全く知識がない、という訳でもないと思う。古い詩では婚姻前に身を許すと悲惨だと語る女の話も出て来るけれど、取り返しがつかないことになるということだけ憶えておけばいいのだ、と両親には言い含められた。
今夜の支度を手伝うのは家から連れてきた下女一人だけだ。化粧を落とし、身を清め、寝衣をまとう。寝化粧はしなくてもいいでしょう、という下女の言葉は良く判らなかったけれど、化粧の匂いも塗りたくることもわたしは好ましいとは思えなかったので、ひとまず軽く肯くに留めた。緊張でどうにかなってしまいそうな足をゆっくりと動かして、寝室へと向かう。今夜からわたしの新たな夫となる人が、そこに待っているのだろう。願わくば、優しい人でありますように、と心の中で思い、扉を潜り抜けた。
寝台は二人で寝るために用意されるものだから、当然一人用のそれよりも大きい。装飾はほぼないけれど、その代りしっかりした作りで丈夫な品であるように思われた。その寝台の中に、誰かが一人、佇んでいる。いや、誰というまでもなく、わたしの夫なのだけれど。
寝台に辿りついて、その場に立ち尽くす。衣装は薄手で軽いもので、普段着よりもずっと上等ではあるけれど、どこか心許ない作りに思えたので、見知らぬ人のすぐ傍へ行くには、心の準備が必要だったのだ。
「はじめまし……て?」
夫になったばかりの男が、わたしに手を差し伸べながら挨拶をしてくれたが、何故か途中で言い淀んでいる。何故だろう、と顔を上げると、どこかで見たような秀麗な顔立ちがわたしを見つめていた。
「……許のお嬢さん……。本当に?」
いつぞや釵を売るのを手伝った、あの小張が、寝台の上に座っていた。花婿用の寝衣をまとって。
ようやくお婿さんが登場しました。
次回は初夜となります。
そしてその頃の美少年母子。
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