第7話「社畜と悪役令嬢と、すれ違う仮面の舞踏」 エピソード⑪
セレスティア神聖国
王立学院・大講堂(午後)
――創立五百周年記念 舞踏エキジビション当日。
王立学院の中心部――七聖環の園では、春風に揺れる花々が、鮮やかに咲き誇っていた。
噴水には水鳥が戯れ、時折水に飛び込む音が響く。
隣接する白亜の大講堂。創立記念式典が行われた場所でもある。
高い天井から吊るされたクリスタルのシャンデリアが、午後の陽光を浴びてほのかにきらめき、磨き抜かれた大理石の床、荘厳な壁画と王家の紋章……そこは、本物の王城の舞踏会場さながらの荘厳さに包まれていた。
中央に広がるのは、艶やかに仕上げられた木製の舞踏スペース。
周囲には、等間隔に並ぶ貴族用の重厚な椅子と観覧席。
舞台脇では、楽団が演奏の時を静かに待ち構えていた。
今日は《創立記念 舞踏エキジビション》の日――来賓や教職員、そして全校生徒の前で、格式と実力のすべてが問われる、“公開舞踏演習”の舞台である。
そしてこの舞踏会に臨むのは、高位貴族の子女たち、そして、いずれ宮廷に出仕するであろう選抜平民生徒たち。
壇上で、彼らは静かに……練習の成果を発揮する舞台を前に、わずかに緊張を帯びた面持ちで息をひそめていた。
王立学院における舞踏の授業は、制服のまま行われるのが通例だ。
それは“宮廷作法を日常に落とし込む”という、古くからの教育方針に基づくものである。
この日ばかりは、出演者たちもそれぞれの礼装や舞踏衣に身を包み、舞台へと臨んでいた。
誰もが、舞台に満ちる静寂の重みを、息を呑んで感じ取っていた。
舞台袖の貴族席。
ルナリア・アーデルハイトは、ひときわ澄んだ気配に包まれながら、そっと胸に手を当てた。
広がる会場の静けさと、磨かれた床に映る光の粒。
すべてが、厳かで――そして、どこかあたたかい。
(……練習の時よりも、ずっと空気が澄んでいる。わたくしなら、きっと舞える)
舞踏は、誰とでも即興で踊れるもの――そのはずなのに。
夜会をすっぽかした、あの日以来。彼とは、まだ一度も踊っていない。
(……大丈夫。練習してきたのだから)
*
やがて、ホールの扉が静かに開いた。
場の空気が、わずかに揺れ、教師や生徒たちが一斉に立ち上がり、その視線が一点に集まる。
光を背に受け、優雅に歩を進めるその姿――
シャルロット・アストレイア・セレスティア。
聖王国の第一王女にして、王太子ラファエルの妹であり、第二王子アルフォンスの姉。
アルフォンス同様、学院にも籍を置く正真正銘の王族である。
その瞬間、ホールの空気がぴんと張りつめ――
誰も言葉を発さず、ただ、その姿を見つめる。
そして、大きくルナリアの脳裏に響いたのは――
朝から乙女ゲー脳スイッチ入りっぱなしのまひるの声である。
『おおぉ……きたきたきたぁ……!』
『きたぁ……これぞ、“正統派王女”の完璧登場シーンっ!!』
『……すごい。本気のシャルロット様って、やっぱり“王族”なんだ……』
『ううぅ……“ベッドにダイブ~♪”からの、この、ビシッとモードへの落差よ……』
『ギャップ……尊い……! これは貴族界の地殻変動レベル……!』
(……落ち着いてくださいな、まひるさん。今は舞踏会に集中、ですわ)
『この方にぎゅーって抱きしめられてた……なんて思うと、つい……』
(まひるさん……ぎゅーっとではなく、そっと、だったと記憶してますわ)
(それと……隣にいらっしゃるからって、くんかくんかは禁止です!)
『ぐはぁ! なぜそれを……』
まひるの内心悲鳴を聞き流しつつ、ルナリアは視線でシャルロットを追いかける。
豊かなブロンドの巻き髪に、深紅のリボンを添えた肩飾り。黄金の装飾が映える、純白の制服姿。
清冽な空気をまとった碧い瞳に、誰もが息を呑む。
彼女の気品は、生まれではなく、纏う空気そのものからにじみ出ていた。
「……やっぱり、本物の“王女様”は、違う……」
誰かが小さく呟いた。
息をのむ生徒たちの間を、シャルロットは品よく歩き抜け、
ルナリアの隣、王族席に着席すると、生徒たちはそれぞれ着席した。
シャルロットが顔元に扇を寄せた瞬間、そこに自然と視線が集まり、空気が静まり返った。
(……王女殿下が、今日の授業に……?)
(あの制服……シャルロット様って、学院に籍あるって本当だったんだ……)
(夢じゃないよね……? 本当に、シャルロット王女が……)
(まぶしすぎて目が合わせられない……)
生徒たちが心の中でそんな言葉を並べる中――
そしてその王女の隣に、上品なレースがあしらわれた濃紺のドレスを纏ったひとりの少女が、静かに腰を下ろした。
公爵令嬢 ルナリア・アーデルハイト。
その仕草は静かでありながら――
まるで初めからそこに座ることが決まっていたかのように、ごく自然だった。
シャルロットはちらりと横目でその姿を認めると、わずかに口元をゆるめた。
(……シャルロット様と“わたくし”が顔を合わせるのは、久しぶりですわね)
『しゅん……うう、ごめんなさい……』
表情を変えぬまま、ルナリアはそっと視線を向ける。
シャルロットもまた、ちらりと視線を寄越し――
その視線の交差に、見守る生徒たちは、思わず呼吸を忘れたように固まった。
そして、淡く、ほんのりと口元を緩めた。
(……ふふ、相変わらず、素敵ですわ。王女殿下)
“兄の婚約者”という立場。
そして、“学院の王女”という絶対的な象徴。
周囲の生徒たちの多くは、二人の間に見えない緊張関係があるのではと想像していた。
だがそれは、ほんの一部しか知らぬ――過去の記憶が紡ぐ、真実とは少しだけ違うものだった。
それでも今は、言葉は交わさない。
今日は――“公的な場”なのだから。
『な、なにこの姫×姫空間!? これ、下手な告白シーンよりときめくんですけど!?』
『王女殿下の横であたり前に座れるルナリア様の貫禄……これ、社長の隣に座らされてる社畜の気分ですよっ!……正直つらい……!』
(……ふふ。まひるさん、少しは静かになさって)
その隣には、聖女セリア・ルクレティアと、彼女の護衛騎士たる伯爵令嬢ユリシア・ヴェルダインの姿も並ぶ。
聖女セリアは正式な神官衣に身を包み、いつもとは違う静謐な空気を纏っている。
一方で、騎士ユリシアは、帯剣の上、男性のような騎士の正装で席についていた。
清廉と清涼――二つの気配が、ひとつの場に静かに並び立つ。
それは、目を奪われるような、美の交錯だった。
セリアは、シャルロットと軽く会釈を交わすと、にこにこと穏やかに微笑んだ。
ユリシアは顔色ひとつ変えずに、無言のまま会釈し、ただまっすぐに正面を見つめている。
正面の一角――
王族関係者や高位貴族が並ぶ男性用特別席に、癖のある金の髪がひときわ目を引く青年の姿があった。
第二王子 アルフォンス・エリディウス・セレスティア。
今日は礼装ではなく、王立学院の制服に身を包んでいた。
その瞳がふと、こちらに向けられる。
視線の先――姉のシャルロットに目をやり、小さく目配せをすると、視線が隣のルナリアに移る。
アルフォンスは小さく微笑むと、手首をわずかに上げて、控えめに手を振った。
シャルロットの眉がぴくり、と動く。
けれど、ルナリアはそっと視線をずらし、その動きに気づかないふりをした。
(……アルフォンス殿下……)
『ルナリアさん……あの視察以来、ずーっと無視してるじゃないですか……。
それ、ふつうに心折れるやつですよ?』
(ええ、それでよいのです。わたくしは、彼と少し距離を取ると決めたのですから)
『もう、ルナリアさん頑固だなぁ……お母さんに似たのかな?』
わずかに肩をすくめて、アルフォンスは手を下ろすと、無言のまま前を向いた。
その隣――本来なら王太子ラファエル殿下が座るはずの場所は、まだ空席のままだった。
シャルロットがちらりとその空席に目をやり、すぐに視線を戻す。
誰も言葉にはしないが、ほんのわずかな気配の揺れが、静寂の空気に染み込んでいった。
『あれ……? 本番直前なのに、王太子様、まだ来てないんですか……?』
(……ええ、たぶん、そういうことですわ)
『……てことは、もしかして、ペアの演目……どうなるの? ねえルナリアさん?』
(……始まるまでは、わかりませんが……
ユリシア様とは事前に練習を重ねておりますので、代役は彼女かと。
エキジビションですから、誰と踊るかよりも、どのように踊るか、の方が重要ですわ)
まひるは、ルナリアの声になぜか安堵の気配を感じた。
その理由はわからないまま、まひるの心はもう、これから始まる大舞踏会へと飛んでいた。
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