表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/42

第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード②

聖都セレスティア

王立学院~城下町


馬車に揺られ、半刻ほど。


最初は、王立学院周辺の静けさがまだ残っていた。

背の高い木々と石造りの塀が並ぶ通りには、人影もまばらで、馬車の車輪がきしむ音がよく響いていた。


一羽の小鳥が、朝露に濡れた枝の上で、小さくさえずった。

その声はまるで、学院の静けさを惜しむように、短く、やさしく響いていた。


視線の先、遠くの丘に――朝霧にかすむ白亜の王城の尖塔が、静かに空を刺していた。

そして、城下町の街並みが、その麓を包むように連なっている。


『あれが……王城かぁ。歴史の重みを感じるよね……姿勢を正したくなるっていうかさ……』

『……それに、ラファエル様も、アルフォンス様も――

 ギャップ姫……じゃなかった、シャルロット様も、あそこで育ったんですよね』

『あの子たちがあそこでどんなふうに育ってきたかって、ちょっと気になるかも……』


そして、ゆるやかに傾く坂を下るにつれ、

風の匂いがわずかに変わった。


焼きたてのパン、生花の露、干された布の陽だまりの香り――。

街のざわめきが、遠くからじわりと近づいてくる。


やがて、家々の窓が開き、子どもたちの笑い声が跳ね、露店の掛け声が響く。

車窓の外は、もうすっかり“城下町の顔”をしていた。


『ここが城下町……! 学院の周りとはまた雰囲気が違う!』

『パンの香りの洪水!スパイスの嵐!……乙女ゲーで五感が解禁されたみたい!』


馬車が緩やかに減速し、人通りの多い大通りを避けるように、

裏手の路地へとゆっくりと折れた。


通りの喧騒は少し遠のき、代わりに漂ってきたのは、古びた石壁の冷たい空気と、朝の湿り気。


「お嬢様、こちらで降りましょう。ここならば、人目も少なく、目立たずに済むかと」


御者の合図にあわせて、ミレーヌが軽やかに馬車を降り、周囲を一瞥する。


ルナリアも、その手を借りて静かに地面に足をつけ、

二人は路地越しに大通りの様子を確かめるように視線を交わす。


ルナリアは淡いグレーのスカートに白のリボンブラウス。

淡く控えめな色合いで、通りを行き交う人々に溶け込めそうだ。


ミレーヌもまた、栗色のワンピースに斜めにポシェット。

町娘と見紛うほどの落ち着いた装いだった。


「……目立っていませんわよね?」

「完璧です、お嬢様。“ただの町娘”にしか見えません」


まひるは心の中でそっとつぶやく。


(うーん。”ただの町娘”というより、むしろ

 “高貴な生まれだけど、訳あって庶民に身をやつした令嬢”の方が近いような……)


(なんだろう、姿勢が良すぎる? 指先まで整った所作? 完璧な歩き方!?

 うん、つまりこれは――庶民に変装してるはずが、

 “庶民に憧れる貴族”にしか見えないパターンですね!? ね!?)



聖都セレスティア

城下町・スカーレ通り


「スカーレ通り」と呼ばれる大通りに出ると、

香ばしいパンの香りとともに、市場の喧騒が押し寄せてきた。

休日の朝は市が開かれることで有名な通りだ。


果物、野菜、香辛料――

風に混じる匂いの層が、まるで“生活の息吹”を運んでくるようだった。


『うわっ、人がいっぱい!』

『パンに果物に……お花まである! 薬草? いや、スパイス?

 しかも、匂いが全然違う……! 本物ってすごっ!』


屋台がひしめき、商人の声と客の笑い声が入り混じる。

木箱を担いで走る少年、立ち話をする婦人、値切り交渉で唸る商人――

通り全体が、まるで生き物のようにざわめいていた。


『あっ、あのチーズ、やばい……! 銀貨1枚で満腹って書いてある屋台もあるよ!?』

『……やばい、もう好き。中世異世界の市場、最高すぎる……』


ゲーム画面では味わえなかった“温度”と“匂い”。

そのすべてが、いま、目の前に広がっていた。


『あっ、ドライフルーツ! 焼き菓子もあるし、パンの香りも……!』

『ねえルナリアさん、あそこ行こうよ、焼きリンゴあるって!』


(……落ち着きなさい。まずは視察ですわ)


けれど、心の奥にふわりと笑みが灯る。


全身で城下町の空気を味わうまひるの感情が、くすぐったいほどに伝わってくる。


確かに、これは妃候補として真剣に取り組むべき“視察”――

けれど、風の匂いに心を奪われ、屋台の声に目を輝かせるその感情が、否応なく波及してくるのだから。


(……まったく、子どもみたいな人ですこと)


そう思いながらも、どこか胸の奥で、その心のままに生きる“生き方”に、

少しだけ共感している自分に気付く。


ただ冷静に、冷ややかにこの町を見つめるだけでは、見落としてしまう何か。

それを――彼女は、自然と教えてくれているような気がして――。


ルナリアは小さく息を吐き、目線を改める。


(……まずは、目の前のこの市場から、きちんと見つめましょう)


まひるの興奮を背に、ルナリアは通りの喧騒の中へ歩を進めた。


喧噪の中でも姿勢を崩さず、露店の品々にひとつずつ目を通していく。

立ち止まっては、陳列された果物や野菜、焼きたてのパンを眺め、再び歩き出す。


通りには、庶民の暮らしを支える食材や雑貨が並び、威勢の良い掛け声が飛び交っていた。

その中でルナリアは、きらびやかな装飾や派手な品に目を奪われることなく、

値札や品の質、買い物客の動向に淡々と視線を走らせていた。


ミレーヌが数歩下がって伴走し、ふたりの足取りは喧騒に溶け込むように自然だった。


「……やはり、小麦の価格が上がっているようですわね」


ルナリアの視線が止まったのは、香ばしいパンを並べたパン屋の前。

普段なら、パンが所せましと並んでいるはずが、今日は少しだけ隙間がある。


店頭の黒板には「本日よりバゲットはおひとり様二本まで」と書かれていた。


「数日前に、小麦を積んだ馬車の盗難があったとの報告がございました」


とミレーヌが補足する。


「ええ、報告書にもありましたわね。

 価格の高騰に伴って、流通量が不足している証左ですわ。

ですが――こうして実際に目にすると、やはり数字や書類だけでは見えないことがありますわね」


『ルナリアさん……やっぱりただの令嬢ではないんですね。

 それに、どこの世界でも現地・現物が基本なのは変わらないんですね!?』


『あ、あの親子……』


まひるの声に、ルナリアはふと視線を向けた。


棚の隅には、売れ残った固いパンが少し。

値札に赤い線が引かれ、“半額”と記されている。


隣では、幼い子の手を引いた母親が、パンを前に立ち止まっていた。

財布を開いては閉じ、目の前の“半額”の札と、子どもの顔を見比べるように――ただ、迷っている。


ルナリアは、ほんのわずかに表情を曇らせ、視線を横に逸らした。


(何かわたくしにも出来ることは無いか、考えませんとね)


『……そっか。こういうのって、ゲームじゃイベントにならない部分だよね……』

『でも、本当は――こういうところに、“生きてる”があるんだな……』


まひるの心に、ふと静けさが差し込んだ。


さっきまで弾んでいた気分が、ルナリアの振る舞いに触れて、自然と引き締まる。

けれどルナリアは、そんなまひるの揺らぎも意に介さぬように、ゆっくりと歩を進めた。


香辛料を扱う露店に差し掛かると、行商人と思しき出店主と軽く言葉を交わしながら、

出どころや相場を確認していく。


値切るでもなく、ただの興味本位でもない。

まるで“買い物”ではなく、“現地調査”。


「こちらのフォルナの実はどちら産ですの?」

「ああ、これかい?

 こいつに目を付けるとは、本当にお目が高い。

 辺境伯領の南、イル・ザナの高山湿地帯さ。

 あそこの南斜面は、日照と霧がうまく混ざるから、香りがとびきりいいんだ」

「ただし、干しが浅いと青くさくてダメだ。猫だって顔しかめるってくらいでさ。

 でもこれは違う。ちゃんと熟成されてる――上物さ」


「在庫ならまだある。袋で買ってくれるなら、おやすく卸せるぜ……」


「よろしいかしら?」


ルナリアはそう言って、丁寧に一粒、フォルナの実を指先で摘み上げた。

その動作は淑やかで、けれどどこか、確かな目的を持っているように映る。


ふわりと小鼻に近づけると、その香りにほんのり眉を上げる。


「……確かに、干しの加減も香りの立ち上がりも良好ですわね」


店主が目を見張ったように、思わず口元を緩める。


「お嬢さん……あんた、どこぞの大店の娘さんだろ?

 お連れさんは使用人さんってとこだな?」


「ええ、まあ……そんなところですわ」


「国中巡ってる俺の目はごまかせねえ。

 その目利き、立ち居振る舞い、気品。

 その辺の町娘とはちょこっと違うってもんさ」


行商人は破顔する。


「お嬢さんのとこなら安心して卸せそうだ。

 毎年この季節は聖都で店を開いてるから……

 ぜひ、今後ともよしなに頼みたいね」


行商人は浅黒く焼けた肌に白い歯をのぞかせ、にっと笑った。


『行商人さん、ルナリアさんが未来の王妃様だって知ったら卒倒しちゃうかもね』


まひるの言葉に、ルナリアはふっと笑顔を見せる。

店主に別れを告げると、視線だけでミレーヌに軽く合図を送った。


(……このあたりの出店主、意外と勘が鋭いですわね)


そう思いながらも、通りすがる者の視線がちらちらと集まっていることには――

まだ、気づいていないようだった。


まひるはルナリアに聞こえないよう、心の中で呟く。


(ルナリアさん、残念ですけど……少なくとも“ただの町娘”には誰からも見えてないみたいですよ……)


ルナリアの不安に気付いたのか、ミレーヌがそっと近付き、耳打ちした。


「この辺りの行商人は、帝国や南方の都市国家、時には辺境の蛮地にまで足を運ぶ者も多いとか。

 ――大陸を渡り歩いてきた、“目利きの猛者”たちです。品だけでなく、人もよく見ています」


「お嬢様、深入りしそうでしたら、いつも通り、わたしが応対いたしますので」


「ええ、その時はお願いしますわ」


(さて、辺境伯領は、ヴェルダイン伯の統治で、

 特産品も豊かに流通していると聞いていましたけれど……。

 これほど多彩な品が出回っているとなると――

 魔物が出るという湿地帯まで、治安の手が届いているということかしら。

 ……この点は、覚えておいて損はなさそうですわね)


ルナリアの心の声を聞いたまひるが口を挟む。


『いつか、辺境伯領にも行ってみたいですね……!』


(ええ……そうですわね。“妃”という立場になれば、そんな機会も訪れるかもしれませんわね。

 その時は――あなたも一緒に)


辺境伯家――セリアとユリシアの生家。

昼の食堂で、いつも共にテーブルを囲むあのふたりの姿が脳裏をよぎる。

ルナリアにとって、三人の食卓は徐々に日常になりつつあった。


今は、教会の要請で聖都を離れていると聞いたけれど……。

……また、近いうちに、お会いできればよいのですけれど――。


ルナリアは軽くかぶりを振ると、また歩き出した。

ミレーヌは適度に距離を置き、一歩後ろを付き従い、常に周囲を警戒している。


時折、何気ない動作で通行人をよけたり、露店の人々に微笑みを返したり――

まるで“侍女”と“護衛”を自然に両立させていた。


『この感じ……会社にもいました、こういう上司と部下……口数少ないのに部下が勝手に察して動くタイプのチーム』


(……そういうものかしら)


『尊敬されすぎて、逆に気軽に話しかけられないやつです……わたし、事務所の隅っこでコソコソ見てた……』


(……それは少し、寂しゅうございますわね)


『あ、ミレーヌさんは気軽に話しかけないというよか――話しかける時はいつも毒舌ですけど!

 しかも急所狙ってきますからね!?

 護衛っていうより、暗殺者です! 完全に“殺し屋スタイル”ですって!!』


(ふふ……ミレーヌは、命令がない限り殺しませんわ)


『それ、命令すればやるってことですよね!?』


ルナリアの優雅な返しに、まひるが凍りついたその時――

通りを曲がった先、石畳の奥に、花々で彩られた、ひときわ落ち着いた雰囲気のテラスが現れた。


季節の花が低く咲き誇る植え込みと、白いアイアンの柵に囲まれたその空間には、

喧騒から一歩だけ離れたような静けさが流れていた。


香ばしい焼き菓子と、紅茶に溶け込んだハーブの香りが漂い、

店先の木製看板には――《ラ・シュエット》 の文字。

その上には、小さなフクロウをかたどった金属細工が、微笑むように佇んでいる。


「……ミレーヌ。少し、ここで休憩をとりましょう」


「かしこまりました、お嬢様」


ほんの数歩だけ、喧騒から遠ざかったそのテラスは、

―まるで、日常の狭間にそっと開かれた、小さな秘密の場所のようだった。


その瞬間――

内側で、まひるの声が弾ける。


『あっ、絶対ここ、スイーツカフェじゃないですか!?

 ついにこの時が……来た来た来たぁ!』


そして、この店で――運命の“再会”が待っていた。

※最後までお読みいただき、ありがとうございました!


もしお気に召しましたら、評価やブックマークをいただけると、とても励みになります。

評価・ブクマしてくださった皆さま、改めてありがとうございます!

皆さまの応援を糧に、これからも毎日更新、がんばってまいります!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ