第6話「社畜と悪役令嬢と、二人の王子と約束の行方」 エピソード③
聖都セレスティア・城下町
カフェ《ラ・シュエット》
ルナリアとミレーヌが”フクロウ”の意匠が刻まれた扉をくぐった瞬間――
焼き菓子と紅茶の香りがふわりとふたりを包み込む。
落ち着いた木のインテリア、小楽団による静かな音楽、客たちのざわめきもどこか穏やかだ。
ルナリアの中でまひるが思わず声を上げる。
『うわ……このお店、すごく“乙女ゲー感”ありますよ……!
きらびやかではないけど、上品でかわいいっていうか……。
庶民的な優雅さって感じで、最高です……!』
小さな噴水と花壇に囲まれたテラス席。
白のアイアンの柵で仕切られ、通りの喧騒と隔絶された空間を象っていた。
青空の下、柔らかな日差しがパラソル越しに差し込む中、ルナリアとミレーヌは静かに席に着いていた。
「本日のおすすめは、チーズとほうれん草のキッシュ、そしてスープ・ド・ポワソンでございます」
「……では、そのキッシュをお願いするわ。それから……フォルナの紅茶もありますの?」
「かしこまりました。キッシュひとつと、フォルナの紅茶ですね」
ミレーヌも同じものを注文し、給仕が下がると、しばしの静寂が訪れる。
『わー……まさか、こんなオシャレなとこでランチできるなんて!
ていうか、なんか特別な感じのキッシュ!?
それから、フォルナの紅茶って……さっきの甘い香りの実!?
絶対おいしいやつじゃん……!』
(まひるさん、声が心の中からはみ出てますわ)
『だって、見てくださいよこの花柄のティーカップ! フォークも花の意匠!
この空間、完全に乙女ゲーのデート背景じゃないですか!?』
タイミングを見計らったように、給仕がそっと現れた。
音もなく注がれる紅茶。
湯気とともに、熟れたフォルナの実の甘やかな香りが、静かに空気に溶けていく。
ルナリアはそっとカップを取り、縁に唇を寄せた。
(……香りに深みがありますわ。
イル・ザナ産の熟成フォルナを使っているのかもしれませんわね)
ほんのりとした甘さと渋みが、舌に触れては、余韻だけを残してすっと消える。
思わず零れる微笑みに、ミレーヌがひそやかに囁く。
「……お嬢様、その表情。“美味しい”と叫ぶ前に、お口元をお直しくださいませ」
「……してませんわ。してないはずですもの。ええ、たぶん」
否定しつつも、ルナリアの耳の先がうっすらと赤く染まり、そっと視線を逸らす。
けれど、白い花柄のカップを手にすると、ふと柔らかな微笑みが浮かんだ。
「……たしかに、香りは……とても、素敵ですわね」
それを横目に見ながら、ミレーヌは小さく頷く。
――どこか、してやったりとでも言いたげな、満足げな表情で。
*
「本日のおすすめ、白ワイン香る山羊チーズとほうれん草のキッシュでございます」
給仕の青年が丁寧に頭を下げ、静かに下がっていく。
「香りが……とても繊細ですわね」
「はい。こちらのチーズは産地直送のもの。今朝入荷したばかりと看板に」
とミレーヌが、脇から補足する。
ルナリアは静かにナイフを入れ、口元へ運ぶ。まろやかなチーズの風味が広がった。
『おいしい……! なにこれ、おしゃれな味! ちゃんとしたランチコース……!』
あまりの完成度に、まひるのテンションが心の中で跳ねた。
けれど――
その一瞬、カフェのざわめきの向こうで、何かが“揺れた”気がした。
誰かが近づいてくる足音。
控えめに、けれど確かな存在感で――
そして、耳に届く。
「ふむ……《ラ・シュエット》はやはり人気だね。良い席が空いていて幸運だったよ」
すぐ近く、テラスの少し離れた場所から聞こえてきた、よく通る声。
――アルフォンス・エリディウス・セレスティア。
モーブグレーの外套に、サンドブラウンのキャスケット帽を目深に被った、旅人めいたその装いの中に、どこか気品が滲み出ていた。
(殿下……!?)
『えっっ!?!? アルフォンス王子……ここに!? なんで!?どうして!?!?』
ルナリアは静かに紅茶を口に運ぶ――まるで平静を装うように。
……けれど、カップの取っ手が、わずかに震えていた。
ミレーヌが、そっと息をひそめて囁く。
「……お嬢様、ここで鉢合わせは――少々悪手では?」
「……今ならまだ“撤退”できますが?」
それに対し、ルナリアはゆるやかに首を振り、淡く微笑んで答えた。
「――いえ、もう間に合いませんわ。目が合ってしまいましたもの」
数歩先――
キャスケット帽の影から覗く、その碧の瞳が、まっすぐにルナリアを見ていた。
まるで“この瞬間”を待っていたかのように。
そして――微かに、口元に笑みを浮かべる。
視線をほんの少し落とすと、ルナリアはそっと息を吸い、背筋を伸ばす。
(……ここで、逃げるわけにはいきませんもの)
彼が歩み出す足音が、テラスに響いた。
「……偶然ですね、ルナリア嬢」
歩み寄ったアルフォンスは、
帽子に指先を添えると、軽やかな仕草でつまみ上げ――
だが、脱がずにそのまま、涼やかに一礼した。
「今日は視察ですか?
奇遇だなあ、僕もちょうどこの店に寄ろうと思っていて――ね、レイモンド?」
その背に控えた従者――チャコールグレーの外套に身を包んだ老執事、
レイモンド・バーリントンが、品のある所作で静かに頭を下げた。
「……それは、それは」
ルナリアはいつも通りの笑みを浮かべながらも、ほんの少しだけ眉を寄せた。
ミレーヌは静かに椅子を引き、無言で立ち上がると、一歩下がる。
『これ、絶対偶然じゃないやつー!』
(まひるさん、静かにしてくださる?)
アルフォンスは帽子に軽く指を添えたまま、わずかに顎を上げ――
誘うように視線を向けた。
「……お席、ご一緒しても?」
「……どうぞ、こちらへ。殿下」
ルナリアは、ゆるやかに身を引き、ミレーヌのいた隣の椅子にそっと手を添える。
指先には、ごくわずかに力がこもっていた。
アルフォンスは、その仕草にかすかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと椅子を引き、腰を下ろす。
その一連の所作は、まるで舞台の一幕のように滑らかで、整いすぎていて。
……だからこそ、まひるは思わずつぶやいた。
『うわっ……これは完全に“腹の探り合い”イベント発生中……!
表向きは優雅なランチ、裏では静かな心理戦――乙女ゲー中盤でよく見るやつ!』
『で、そのあと油断してると――
“恋愛フラグ”か“破滅フラグ”の、どっちかが立ってるんですよね。そういう怖いやつ……!』
(そうですわね……でも、そんな二択――冗談であってほしいものですわ)
まひるの声を遠くに感じながら、
その口元に、かすかな――柔らかな笑みが、にじんでいた。
――やはり、これは“偶然”などではありませんわね。
今日という日は、ただの“視察”で終わるはずだった。
けれど今、ほんのかすかに、その輪郭が揺らいで見えた。
――それも、悪くはないかもしれません。
そう思った瞬間、胸の奥に、微かに色づく何かが芽生えていた。
それはきっと、名もなき非日常が始まる予感――
淡く、けれど確かに、彼女の世界を染める光だった。
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