第3話「社畜と悪役令嬢と、学院に咲く小さき花の革命」 エピソード⑤
セレスティア神聖国
王立学院・寄宿舎 ― ルナリアの部屋(夜)
星がまたたく夜空に、三つの月が浮かんでいた。
蒼、銀、そして淡紅――
それぞれが異なる光を宿しながら、静かに寄り添うように輝いている。
窓辺のレースカーテンは、その混ざり合う月光を受け、まるで夢の綾のように淡く染め上げられていた。
夜の帳が降りた学院の寄宿舎には、昼間の喧噪が嘘のように、深い静寂が広がっている。
――この世界の夜は、どうしてこんなにも、静かで、遠いのだろう。
『すゃ~……』
ルナリアの脳内で、まひるの寝息が響いていた。
あれほど饒舌だった彼女の声は、夕食後を境に途切れ、まるで糸が切れたように沈黙した。
『……乙女ゲースイッチ……強制オフ……フラグ回収……完走……Zzz』
寝言まで“乙女ゲー”の香りが……。
思わずルナリアは、くすりと笑う。
(……本当に、あなた、27歳なのかしら)
シナモンを少々ブレンドした紅茶の湯気を吸い込みながら、ルナリアは月明かりの差す窓辺に目をやった。
(……わたくしも、今日は少し、疲れましたわ)
講堂での視線、昼休みのざわめき、そしてあの王子との邂逅。
思い通りにはいかなかったが、それでもどこかに残る、静かな満足感。
(……まひるさんの声がないと、少しだけ寂しく感じますわね)
一口、紅茶を口にすると、シナモンの香りが鼻をくすぐる。
静かな夜に包まれながら、ルナリアはふと、過去の自分に思いを馳せる。
(“氷の百合”などと、呼ばれていましたわね)
――学院の図書館。
下級生の少女が手に取ったのは、一冊の魔導書。
その少女は、嬉しそうにページをめくっていた。
意味は分からずとも、“高度な術式が書かれた本を読んでいる自分”に満足していただけなのかもしれない。
「――あなたには、ふさわしくありませんわ。それは“読み手を選ぶ”書。返しなさい」
少女の手から、本を取り上げていた。
声音は冷たく、言葉は鋭かった。
まさに――“無知を嗤う貴族”の姿そのものだった。
(下手に優しくして、危険な知識を与えれば、“妃としての不覚”――)
(それなら、“正しさ”で封じるべき――そう、信じていたのですわ)
妃教育――
それは、誤りなきふるまいを是とする、無謬の仮面をかぶる訓練。
(でも、あのときの彼女は……泣いていましたわ)
肩を震わせ、声を殺していた。
“高度な術式に触れてみたい”――その小さな願いを、わたくしは踏みにじった。
もし、あの時――まひるが隣にいてくれたら。
きっと、こう言ったでしょう。
『ルナリアさん、それはアウトです! 破滅フラグ一直線ですよっ!!』
(……ふふっ)
思わず、ひとりで小さく笑ってしまう。
あの時の少女は、今も学院にいる。
図書館の廊下ですれ違うたびに、未だに目を伏せ、足早に去っていく。
彼女が泣いたのは、自分の力不足を思い知らされたから。
――あのときは、ただそれだけのことだと思っていました。
(彼女には、わたくしの言葉が“届かなかった”のですわね)
今日、初めて自分の想いを”自分の言葉”で話した。
そして、ほんの少しだけ、王子に届いた気がする。
まひるという異邦の魂がいてくれたからこそ。
(……言葉とは、“正しさを届ける”ものではなく、“想いを届ける”ものなのかもしれませんわ)
それは、ルナリアにとって初めての気づきだった。
(せめて、あの子にもう一度だけ……あの時の続きを、わたくしの言葉で話すことができたなら)
そっとカーテンを開くと、月明かりが胸元のペンダントを照らした。
(あのとき、女神アルフェリス様に願いました。
“この想いが、誰かひとりにでも届きますように”――と)
そっとナイトガウンの胸元に手を当てると――
ペンダントが月の光にふわりときらめく。
そして、あの夜の願いが、形となって応えたように――まひるが現れた。
偶然なのか、奇跡なのか。
それは分からない。けれど確かに、何かが変わり始めた。
(王子の前で口にした言葉は、誰かが与えた言葉ではなく、わたくし自身の想いを言葉にしたものでした)
これまでは、それが怖かった――
仮面を被った妃としてではなく、“ルナリア”としての声を発することが。
想いを自分の言葉で届けるということは、その責任も自らが負うということ。
だからこそ、まひるの言う“破滅フラグ”に近づいたとしても、後悔はない。
『……ルナリアさん……破滅フラグ、起動してます……』
まひるの寝言が、夜の静寂をゆるく揺らす。
(……聞こえていましたの?)
『スリープモードで……間欠受信中です……』
ルナリアは笑い、ゆっくりとベッドの縁に腰を下ろす。
けれど、そっと寄り添ってくれるような気配だけが、そばにあった。
(少しずつでも、選べるようになりたい。“正しさ”ではなく、“届く言葉”を――)
(王子のまなざしが、ほんの一瞬だけ変わったあの瞬間――確かに“伝わった”と感じましたわ)
(……言葉とは、誰かの心をそっと照らす、小さなろうそくのようなものなのかもしれませんわね)
机の上のキャンドルがゆらりと揺れる。視線は本のページではなく、遥か遠くを見ていた。
『……ルナリアさん……スコップは……正面から……“破滅フラグ”を掘り返さないように……』
(……まひるさん?)
思わずくすっと笑みが零れる。
(……あなたは、いつだって、わたくしの心配ばかりしてくださるのですね)
(けれど――あなた自身の“好き”や“望み”は、ちゃんと叶えられているのでしょうか)
『……ご奉仕活動……筋肉痛フラグ……接近中……Zzz』
まったく、夢の中でも“乙女ゲー”に“社畜”なのだから。
そっと毛布を整え、ルナリアは月を見上げた。
(……あなたの言葉や、そのささやかな行動が――)
(わたくしを救ってくださっていると気づけただけで……今日は、もう十分ですわ
『……ルナリアさん、明日も一緒に……破滅フラグ、順次対応させて頂きますので……Zzz』
その寝言に、ルナリアはそっと微笑んだ。
夜は静かに更けていく。三つの月が、その微笑みを照らしていた。
***
そして――
翌朝。
朝の光が差し込む室内に、ルナリアの規則正しいルーティンが始まっていた。
空になったモーニングティーのカップを、テーブルにそっと置く。
鏡の前で髪を整え、制服の襟を正し、最後にふわりと金糸のような髪を肩にかける。
扉の前に立ち、深く息を吸い込んだ瞬間――
『おっはようございまーっす!
社畜は朝が勝負っすよー! さあ、パンを咥えて猛ダッシュです!』
(……やっぱり、あなた……うるさいですわね)
でも、ほんの少しだけ――
その声を聞いた瞬間、ルナリアの心は軽くなっていた。
(今日という一日が、どんなに“破滅フラグ”だらけでも――)
彼女には――隣で笑ってくれる、たったひとりがいるのだから。
*
……そして、奉仕日の学院。
“小さき花の革命”の始まりが――静かに動き出そうとしていた。
それは、まだ、ほんの小さな一歩。けれど――物語は、確かに次の幕へと進もうとしていた。
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