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第3話「社畜と悪役令嬢と、学院に咲く小さき花の革命」 エピソード③

王立学院・食堂

貴族席


――昼休み。


陽光が高い天井から差し込み、石床にやわらかな光を描いていた。

壁に掲げられた家紋と小楽団の旋律が、空間に静かな気品を添えている。

その中――

窓辺の席、陽光が差し込むその一角で。

ルナリア・アーデルハイトは、ひとり静かに紅茶を口にしていた。


完璧な姿勢で椅子に座り、白磁のカップを唇に運ぶ。

香り高い花の香りが、ほんのりと鼻をくすぐった。


その姿はまるで、“舞台に取り残された登場人物”。


もともと、学院では誰かと食事を取ることは少なかった。

“公爵令嬢”であり、“王太子の婚約者”――

誰もが畏れ、遠巻きに見る存在。


ルナリア自身も、誰かに媚びる必要など微塵も感じていなかった。


(……べつに、寂しくなんてありませんわ)

(わたくしは、そういう“役割”を与えられた存在。……誰もが距離を取るのも、当然のことですわね)


すると、脳裏にひっそりと涙声が響く。


『……ルナリアさん、なんかわかります……。

社畜時代、デスクでひとりさみしく栄養バーかじってた私には刺さる空気です……』


(……あら。意外と、似ているのかもしれませんわね)


『似ても似つかないけど、似ているところもあるってゆうか……』

『あの時は、レンジでチンしたスープもぬるかった……』


(……それは完全に別の問題ですわ)


『じゃあ……今日からルナリアさんのこと、“メンタル紅茶”って呼んでもいいですか?』

『見てると、なんかこう……心が整う気がして』


(……話は聞かなかったことにいたしますわ)


紅茶を一口、ふぅと静かに息を吐く。

優雅な昼休み。誰にも邪魔されないひととき――

約一名、脳内でにぎやかな方が常駐しておりますけれど……。


……そう、思っていたのに。


「ルナリア様、ご一緒してもよろしいですか?」


その声は、柔らかく透き通っていた。


そこは、これまで“誰も足を踏み入れたことのない場所”――

そう思わせるほど、静かで、閉ざされた空間だった。


一瞬、食堂の空気が止まったように静まりかえる。

近くのテーブルでフォークの手が止まり、紅茶を口にしようとした少女の指が、わずかに揺れた。


「……嘘でしょ?」


周囲の生徒たちのざわめきが、わずかに高まる。


「えっ、今の聖女様じゃ……?」

「ルナリア様と、同じテーブルに……?」

「でも、朝の講堂では、普通にルナリア様と挨拶してたらしい……」


その視線を一身に浴びながらも、ルナリアは静かに顔を上げた。


そこにいたのは――


“聖女”だけに許された、白い神官衣風の制服を身にまとった少女。


セリア・ルクレティア。


その隣には、きっちりと銀髪を束ねた、ユリシア・ヴェルダインの姿もあった。


辺境伯ヴェルダイン家の令嬢である彼女の腰には、辺境伯家の紋章が刻まれた鞘に収まった、使い込まれた剣の柄が顔をのぞかせている。


彼女は“聖女”セリアの護衛として帯剣を許された、学院でも稀有な存在である。


(…………来た)


まひるの脳内には警報が鳴り響いた。


かちん。


“乙女ゲー脳“スイッチオン!


『来た来た来たーーー! これは"正ヒロインのルート進行イベント"!

いよいよ聖女様と和解→親友化→婚約者ポジション譲渡コース開幕……!?』


ルナリアは、カップを置き、静かに微笑んだ。


「ええ、構いませんわ」


その笑みに、セリアは安心したように笑顔を返し、ユリシアと共に対面に腰を下ろす。


二人が静かに腰を下ろすと、すぐに給仕係が軽食を運んできた。

手際よく並べられる香り高いスープとサンドイッチ。


周囲の生徒たちも、まるでその静謐な光景に圧されるように、声をひそめ始める。


「……あそこ、完全に“結界”張られてない?」

「うん、でもあれ、たぶん“神域”だよ。無理に入ったら祓われるやつ……」


ユリシアは、騎士らしく言葉を挟むことなく、ただ静かに控えていた。

けれどその瞳は、周囲の視線を鋭く一瞥し、警護者としての役目を決して忘れてはいなかった。


(この昼食が、誰かに“試される場”とならぬよう――)


その沈黙が、むしろ不思議な安心感を添えていた――セリアにとっても、ルナリアにとっても。


セリアは嬉しそうに手を合わせ、食事への感謝を祈ると、ふわりと笑う。


無邪気に笑いながら、サンドイッチを手に取る。


「ルナリア様……昨日の夜会、ご迷惑など……おかけしていませんでしたか?」


その一言に――

カップの中の紅茶が、微かに揺れた。


近くの席の生徒たちが、わずかに息を呑む音がする。


「まさか……あの話題、本人に……?」

「……聖女様って……天然なの?」

「今のタイミングで聞く!? 普通、話題に出すだけでもタブーじゃ……?」

「でも、なんか……不思議と嫌な感じがしない……のは、なんで……?」


気配だけで場の空気が張り詰めたように感じられ、

ユリシアがそっと眉をひそめ、その背筋にわずかな緊張が走る。


だがルナリアは、微動だにせずティーカップを口にした。


『セリアちゃん…それルナリアさんに聞いちゃうんだ……?』

『あーーー、でもでも、代役頼んだのってそもそも私だしー! テヘ』


『それにしても、この天然っぷり……もう天然水通り越して聖水レベルなんですけど……!』


脳内で騒ぐまひるをよそに、ルナリアの胸はむしろ静かだった。


カップを静かに置き、ふと視線を落とす。


その胸に、微かな波紋が広がった。


(――聞きたい)


ほんの一瞬。


心のどこかで、そんな思いが芽生えた。

けれど、テーブルを挟んだ距離は、埋めがたいものにも思えた。


"彼"――王太子ラファエルが、あの時、何を思っていたのか。


自分に、どんな言葉をかけようとしていたのか。


だが。


(……だめです)


触れてしまえば、きっと――揺らいでしまう。

だからルナリアは、その想いごと、静かに胸の奥に沈めた。


(わたくしは、アーデルハイト家の令嬢。王子殿下の婚約者として――)

(“答えを乞うような顔”は、すべきではありませんわ)


口にすべきではない。

踏み込むべきではない。

そう、自らに言い聞かせる。


だからルナリアは、優雅な微笑みをたたえたまま、

ただ一言だけ、静かに応えた。


「……ええ、とても素晴らしかったですわ。ありがとう、セリア様」


セリアはぱっと顔を輝かせ、「よかった!」と無邪気に喜ぶ。


その瞬間――近くの席にいた数人の生徒が、そっと息をのんだ。


「……すごい、あれって本心なのかな……」

「え、いや、でもあのルナリア様が、“ありがとう”って……」

「だいぶ意味がわからない状況だけど……ちょっと感動したかも……」


小声で交わされたささやきが、静かに空気を揺らす。

けれど、その“波紋”すら、彼女たちのテーブルには届かない。


ただ、三人だけの静かな空間が、優雅に、穏やかに流れていた。


一方、ルナリア脳内のまひる。


『……っ、はい、今セリアちゃんの天使度、限界突破ぁ~~!』

『おっと、ここで言うべきセリフ間違った~』

『――改めましてぇ……オホンッ……』


『えええ!? ルナリアさん、今聞かないの!?』


まひるが改めて絶叫する。


『今! 今チャンスだったのにぃぃぃ!!

社畜的にも、ここで"顧客の本音"引き出さないとかありえないですってばー!』

『 ここで"ラファエルさんの本音"ヒアリングしないと、リテンション率ガタ落ちですよ?』

『目標未達で週例詰め、昇給停止、下手すりゃ左遷コースですからね!?』


『いや、ガチで言いますけど、ここって“イベント分岐の重大フラグ確認ポイント”なんですけどぉぉぉ!?』

『セリアちゃんの好感度次第でルート分岐する“友情orライバル”判定イベントですよ!?』

『ここ逃したら、バッドエンド確率30%増しですから!!』


……そんな慌ただしい脳内をよそに、ルナリアはただ静かに紅茶を口にした。


でも。


(……無理です)


『ぐぬぬぬぬ~~』

『今!王子の気持ちを正ヒロイン本人から聞ける貴重な“恋愛進捗ヒアリングタイム”だったんですってばー!!』

『ああああああ~~っ!! ルナリアさんが"自律型乙女ゲーヒロイン"すぎて、

攻略テンプレ無視してくるぅぅぅ!!』


まひるが泣きながらどんなにじたばたしても、ルナリアの体は動かない。


(わたくしの選択は、わたくしのものですわ)


ルナリアは静かに、胸の内で答えた。


かくして――

乙女ゲー視点でも、社畜営業(※実際は研究職)視点でも、

もやもやしたまま、次の“打ち手”を探すことになった、まひるであった。


最後にまひるはぽつり。


『でも、“聞かない”という選択肢も、ルナリアさんらしくて素敵ですけど』


ルナリアはティーカップを傾けながら、少しだけ目を伏せて微笑んだという。


いま隣にいるのは、あの人ではなく――

わたくしの“今”を見てくれる人たち……。


……けれど、あの人との“時”は、あの春の庭で止まったまま。


もし……また動き出すというなら――

その時は、わたくし自身の言葉で……。


──午後の陽光は、この時もまた、静かに学院を包み込んでいた。



――それからというもの。


この日を境に――

それは、静かに――けれど確かに、終わりを告げた。


ルナリア・アーデルハイトの“誰にも邪魔されない優雅な昼休み”は。


それは、ほんの少しだけ――“ひとり”ではなくなったということ。


以後、昼休みの貴族席では、ルナリア・セリア・ユリシアの三人でテーブルを囲むのが恒例となる。


とはいえ、会話は二言三言だけ。


セリアは終始にこにこ、ルナリアは優雅に微笑み、ユリシアは黙々と食す。

ただそれだけの、穏やかすぎる昼食。


だが、誰も言葉にしないぬくもりが、そこには確かにあった。


そしてその内側で――

紅茶の香りとともに、今日もどこかから響く、もうひとつの声。


『えへへ……これって、けっこう悪くないかもです』

『……って、油断してる場合じゃないや。

好感度MAXまで、まだまだ遠いんですからっ!』


ルナリアは、カップをそっと傾けながら、そっと微笑む。


ほんの少しだけ、笑う“タイミング”が増えた――それは、誰かと心が通った瞬間に、自然と浮かぶような笑みだった。


それだけで、昼の光が少しやわらかくなったように感じられた。


――当事者ふたりが共に食事を取る貴族席。


「いつも静かで、なぜか心が和らぐ」と語られ、

やがてそれは、“七不思議”と呼ばれるには少しだけ優しすぎる、静かな奇跡として――


「あそこに座ると、なぜか頭がすっきりするらしい」

「あの空間だけ空気が違う」

「ルナリア様のオーラに、聖女様の清らかさと騎士殿の加護が加わった」

と冗談交じりに囁かれることもあった。


それはやがて、学院に流れる噂のひとつとして――

静かに、そっと語り継がれていった。


そして、その日――

“止まっていた何か”が、誰にも知られぬまま、静かに――けれど確かに、動き出そうとしていた。

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