03
翌日、グレゴリオはやけに明るい中で目が覚めた。普段、グレゴリオは朝は暗い中で起床するのでこんなことは滅多にない。不信感に包まれながら起き上がると、そこには何故か自分の上司、ミカエルが居た。
「やあ、やっと目が覚めたのかい?」
「…………これは夢に違いない。よし、もう一度眠れ、私。邪な私を押し殺してしまえ。」
「怖いことをいうものではないよ、グレゴリオ、忠実なる私の部下よ!」
やけに現実的な夢もあったものだ。グレゴリオは改めて視界の物を確認した。
夢にしては出来過ぎている。
「もしかして、夢じゃない?」
「これを夢だというのなら実際の君は蝶か雀かい?」
「私は人間ではありませんよ、ええと、確か……」
グレゴリオが、なかなか出てこない人名にも、下界生活が長かったミカエルにはするりと出てくる。ミカエルは得意げな顔で話し始めた。
「私は今蝶になっている。花の周りをひらひらと飛び回る美しい蝶だ。そして、この世のものとは思えないような綺麗な花に止まって蜜を吸おうとした所で目が覚めた。そして私はわからなくなった。
私は蝶になる夢を見ていたのか、それともあの蝶は私で、蝶がこの人間の体になる夢を見ているのか。
彼の問いに比べれば君の疑問などとても簡単な問題だね、グレゴリオ。彼の名は荘子。残念ながら、私が下界に行く前にこちらに昇っていたらしいけど。」
訳注:荘子は実在する中国の思想家で、蝶の話も本筋では実話となっております。
「え、それじゃあ彼はいまどこに……?」
「わからない。もう2,000年以上も前のことだから。それよりグレゴリオ、忠実なる私の部下よ!」
「はいはい、何ですかミカエル様」
朝方で血圧が低いのと、いい加減ミカエルのテンションがイラついたのとが相まって恐ろしいくらいに雑な返事になってしまった。昨日のシリアスな雰囲気やミカエルとグレゴリオの感動の場面は一体どこに消えてしまったのだろうか。
「どうかしたのかい、そのやる気のない返事は!」
「別に……普通じゃないですか?」
「いや、違うね。昨日やそれ以前はもっと私に対して…なんかこう…尊敬のまなざしがあったというか…」
「今でも十分尊敬してますから、ミカエル様。そこどいてくれませんか?」
「ほらみろ!敬意のかけらもない!」
「知りませんよ」
「何で君そんなに毒舌何だい?」
「強いて言うなら……朝、だからですかね」
完全になめている。グレゴリオの“ああこのオッサンマジうぜえ”という視線にミカエルはあせった。これではいつ世代交代してもおかしくはない。ぶっちゃけた話、ミカエルもいい年をしているのである。己の大天使生命の危機を感じざるをえなかった。
「さ、さあ、グレゴリオ!私たちの第一歩は今日から始まるのだよ。胸を張って堂々と仕事に臨もうじゃないか!」
半ばあせっているミカエルに不審な目を向けながら、グレゴリオは自分の家の鍵をかけるとあることを思い出した。
「あ、そういえば言い忘れてましたけど私の仕事はミカエル様がサボったらミカエル様を天の果てまででも追いかけていってしばき回すこととガブリエル様から仰せつかっておりますので、もし仕事をサボったらそのときは御自分の大天使生命は消えたものと思って下さい。」
「ガブリエルが…?」
彼女の言うことはどんなに実行が難しそうに見えても基本的に強制実行なのである。そのことを思い出したミカエルは身震いをした。
そんなミカエルをよそに、グレゴリオは素朴な疑問をミカエルにぶつけた。
「そういえばミカエル様はどこに住んでいるのですか?」
「私かい?私は…ほら、最初に私が下界から天界に昇ってきたあの噴水があるだろう?あの噴水のあたりは一面が私の物なのだよ。」
「要するに、土地はあれど家なき天使というわけですか」
「ま、まあそうなるんじゃないかな」
“私、あとどのくらい生きていられるのだろう……この毒舌天使のせいで私絶対死ぬ……”
傷心のミカエルとグレゴリオは審判の間に急いだ。死者は天使のことを待ってはくれないのである。隙あらば天国へ行こうと必死なのだ。ミカエルは昨日のうちにもらっておいた鍵で審判の間に入った。誰も居ない審判の間は、入り口からまっすぐに大天使が座る玉座まで赤い絨毯が敷かれ、右側の壁にはかつての大天使やこの世の創造神、大神ゼウス、果てには仏陀までたくさんの神々の肖像が描かれている。左の壁には地獄の様子だろうか、太古より住まう地獄の番犬ケルベロスや、ミカエルの双子の兄、ラファエルらしきものや、人々が想像もつかないような地獄絵図が描かれている。
グレゴリオはものめずらしげにそれを眺めていると、ミカエルは興味がなさそうに仕事の準備に取り掛かった。それを見たグレゴリオも、供の天使のように名簿を持ってリストを眺めていた。どうやら今日の審判は100人前後で済みそうだ。グレゴリオは、怠慢な上司にそのことを伝えるべく、玉座まで歩き出した。
「それでは早速ですがミカエル様、本日の審判は……」
「――――はい、あなたは天国いき。こちらを通って行きなさい。早く転生できるといいね」
「言うまでもない。君は地獄だ。私の兄にきっちり裁いてもらえ。」
「その状況には酌量の余地がありそうだ……君は天国に行くといい。」
グレゴリオの予想に反して、ミカエルは真面目に仕事をしていた。これなら、夢の2000人審判まで遠くなさそうだ。
「大天使様、本日の罪人は次で以上です。」
グレゴリオでは無い、案内役の天使がミカエルに声をかけた。ミカエルは硬い表情でうなずくとグレゴリオの報告を促した。
「本日最終罪人、生前の罪は特にありません。しかし、女性や子供に優しくなく、酒癖も最悪。喧嘩は己の生きがいと思っていたようです。」
「ずいぶんご大層な趣味をお持ちのようだね、君は。」
「へえ。俺には腕っ節しか自慢できるものが無かったんでさ」
「お待ちください。ひとつ追加すべき点が。この者は生前に一度だけ、傷ついた犬を助けたことがあります。」
「一度、か」
ミカエルは少し考える素振りを見せると、グレゴリオに向かっていった。
「グレゴリオ、ここは地獄の最上層に落とすのがいいと思うんだけどどうだい?」
「……最上層…少し軽すぎませんか?」
「そうかい?それなら……お前は地獄の中層部に落とす。懸命に更正するように。」
罪人は、肩を落として地獄への道を歩いていった。案内役の天使が仕事の終了を告げると、ミカエルはしかめっ面で玉座を降りた。ただ、審判の間の中でのミカエルは珍しく、とても機嫌が悪そうだったのでグレゴリオは心配していた。が、審判の間を出るとそれが和らいだように見えたので、グレゴリオは思い切って声をかけてみた。
「お疲れ様です、ミカエル様」
「………気に入らないな。」
「何がですか?」
「あの案内役の天使だよ。私は審判をしているが大天使と認めたわけじゃないんだ。なのに、あの呼び方ときたら!私は許せないね。明日からは別な案内役をつけてもらおう。」
「………大天使じゃなかったらなんなんですか?」
「私はミカエル。偉大な天使ミカエルだよ。」
胸を張ってミカエルは、堂々と帰路へとついた。
2019/10/20 転載




