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千年少女  作者: 長沢紅音
八重樫エリアナ
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八重樫エリアナ 16


 警察や病院や福祉関係の人たちとの話し合いの中で、八重樫エリアナは高らかに自活宣言をした。精神疾患として病院に収容された母親の代わりに保護者の必要性を説いた大人たちにごり押しした形にはなったが、いくつかの条件付で承諾された。


「自活というのは誰の保護も受けないのと違うか?」とシナモンは言った。


「そもそも父親からの慰謝料は母親ではなく私に支払われているものであって、そしてそれは保護ではなく権利だ」


 父親は一度だけ訪れた。娘として引き取る意思を示したが八重樫エリアナはそれを固辞して言った。


「ママを見捨てるつもりはないから」


 父親は、進学時等の公的な保護者の必要性にかられた場合には喜んでその役目を務めようと言った。八重樫エリアナはそれに甘んじた。


 月に一度訪れる福祉関係の人の来訪時や父親の訪れたとき等にはシナモンは八重樫エリアナの自室に篭り静かに過ごした。そして頻繁に頼子と入れ替わった。


 頼子に事情を説明すると、八重樫エリアナと共に暮らすことを素直に喜んだ。


 将来的には養子縁組の形にすればいいさ、と気楽に構えていた八重樫エリアナはある日、篠崎香月の来訪を受けた。


「遊びに来た」と彼女は言った。


 篠崎香月は、奥野という男が奥野祥子の実兄であることやその状況を八重樫エリアナに伝えた。「たぶん、知っておいた方がいいと思うから」


 それから手料理を作り合い、頼子とボードゲームで遊ぶ篠崎香月は夕闇が迫る頃に突然泣き出した。


「死にたくない……、死にたくないよ」と彼女はまるで頼子が駄々を捏ねるときのように大声で泣き喚いた。


 日が落ちた頃には落ち着きを取り戻し「ごめんね、取り乱して。でもすっきりした」と言って帰っていった。


 その間、シナモンは一度も出てこなかった。




 数ヶ月後に篠崎香月の訃報が入った。


 リビングのソファで虚脱状態にあった八重樫エリアナにシナモンは言った。


「行きたいところがある」


「あとにしてくれ」だらしなく寝そべったまま八重樫エリアナは呟いた。


「五式清一郎に会いたい」


 身を起こし、相手の真剣な眼差しに気付いて八重樫エリアナは言った。「奴は行方不明だとさ」


「貴様はその場所を知っている」


「お前、何言ってんの? 私は超能力捜査官じゃ……」


 記憶の中にただ一度だけみた五式清一郎の坊主頭の姿が浮かんで、八重樫エリアナは言葉を失くした。


「我をそこに連れていって欲しい」


 


 八重樫エリアナは思案に暮れた。洋館を改築した研究施設に泊り込んだ奥野に見咎められたならば五式清一郎に会うことはできない。この時間では奥野と八重樫エリアナは面識がないからだ。


「貴様は我にまで夜這いの真似事を強いるつもりか」とシナモンは八重樫エリアナの傍らで声を潜めて言った。


 ハンモックの影から灯の点いた室内を確認するも、そこにいるのが五式清一郎なのか奥野なのか判別できない。記憶に従えばその部屋が五式清一郎の寝室となるのだが、と八重樫エリアナは逡巡する。


「枝毛が出来ておるぞ」とシナモンは八重樫エリアナの髪の毛を一本引っこ抜いた。


 叫び声は室内にいる誰かにも届いたのか、カーテンが開き、つづいて観音開きで窓が開いた。


 冬の木立のようなシルエットが窓枠に中に現れた。シナモンは目を細め、顔を突き出し、よく見えんな、と言った。


 叫び声をあげた手前、隠れることも諦め、恨めしくシナモンの旋毛を見下ろしていた八重樫エリアナであったが、奥野の姿を確認してから、むしろ慌てるのは相手の方が筋であると気付いた。


「敷地内に勝手に入っちゃ駄目だろ」と奥野は言った。


「五式清一郎に会いに来た」八重樫エリアナは音節ごとに区切りを入れながら言った。「誤魔化すつもりなら不法侵入で通報してもらっても構わない。私たちは一目会いに来ただけだ。それが済めば帰る」


「あと、カステラかどら焼きを所望する」とシナモンが追加した。


 八重樫エリアナはシナモンの額を指で弾いた。


「何をする」「髪の毛引っこ抜いた罰だ」「割に合わん。ゴリアナの指はカブトムシの幼虫くらいあるだろう」「気色の悪い例えをするな。あと、次にゴリアナって言ったらもう耳掃除してやらないからな」「ならば我はもう貴様の髪を結んでやらん。何アナならいいのだ?」「というかお前の前では私はレオナだろう」「八重樫ヘソアナというのはどうだ?」「得意げな顔をするんじゃない」というやり取りの間に奥野は玄関に回り鍵を開けた。


「会ってどうする」と奥野は青白い顔を硬直させて言った。


「牛乳に紅茶の葉を入れて煮立てたものに蜂蜜をかけるあれが我は好みだ。何という呼び名だ?」シナモンは言葉の途中で八重樫エリアナを見上げる。


「ここに五式が居ることは誰にも話さない。お前がしていることにも口出しするつもりはない」玄関先にたどり着いた八重樫エリアナはシナモンの言葉を無視して奥野に向かって言った。


 信用はしていないが致し方ないという面持ちで奥野は建物の中へと歩き出す。八重樫エリアナとシナモンがつづくと、「珈琲しかない」と奥野は言った。


「可能なかぎり甘くするのだ」とシナモンは言った。


「神様ってのはもっと寡黙にして警句だけを残して神秘的にだな」


 奥野は突然歩みを止めて振り返る。八重樫エリアナとシナモンは口論に夢中でその背中に折り重なって衝突した。


「空気を読め」「祟るぞ」という不法侵入の二人の言葉を無視して奥野は言った。


「神様と言ったか?」


「今じゃあただ飯喰らいの居候だ」と八重樫エリアナは答える。


「”化身”とか”かか”とか呼ばれているのか?」


「そういう貴様は我の仕事をややこしくしている張本人だな。だが同時に恩人でもある。ゆえに頭も下げんし崇りもせん。まあこの町の住人のほとんどがそのような存在だがな」


「言っている意味がわからない」


「単一の時間で生きているうちは分からんだろう」


「陽名莉の戯言じゃなかったのか」


 うわ言のように呟く奥野を置き去りにして、八重樫エリアナは記憶にある五式清一郎の寝室へと足を向けた。ドアノブに手を掛け、想いのほか冷たい感触に躊躇しつつ、手前に引いた。


「ここにはいない」と背後から奥野は言った。「三日ほど前に逃げ出して行方不明さ」


 シナモンは簡易ベッドに腰掛け、およそ感情を排した声で「珈琲で構わん」と言った。


 奥野が廊下に出て行くと同時に八重樫エリアナはシナモンの横に座った。


「あてが外れたらしい」


「貴様は本当に愛い奴だな」とシナモンは呟いた。「生意気で直情、黄泉戸喫の影響で頭の巡りが良くなっているはずなのに、はじき出された計算結果より感覚を優先する。そしてそれは悉く見当違い」


 ふふ、と顔を緩めた。「手足にうってつけだ。イレギュラーを発生させやすいポンコツっぷりだ」


「今私は悪口を言われているのか」


「篠崎香月が遠回りしたのは奴が優秀だったからだ。どうしても枠の中に納まるよう行動する。それがどんなに突飛な行動でも、やがてそれは意味を持つようになる。無意味な脱線に繋がらないから結果的には枠の中でうろうろしているだけ。奴は愛されて育ったのだろうな。手足になろうとも気質というものは変えられない」


「まあなんとなく分かる」


 シナモンは立ち上がり、クローゼットの前で立ち止まる。


「篠崎香月ならすぐに気付いただろうな」


 扉を開くとそこに怯えた顔をした五式清一郎が立っていた。




「観測した」




 シナモンの低い、呪いかけるような声にわずかに肩をすくませ、五式清一郎は八重樫エリアナの方へと目を向けた。


「八重樫さん」


「これはあれか、つまり」と八重樫エリアナは五式清一郎と見つめあったままシナモンに向けて言った。「セーブポイントか」


「貴様の言っている言葉は知らん。これより新しい時間の始まりであるということだ」


 そうか、と言って八重樫エリアナは俯いた。


 シナモンは何かを言いかけ、やがて部屋の出口に向かって歩き出した。「帰るぞ」


 篠崎香月は死んだ。お前が守ろうとした相手はお前を守るために死んだのだ。そしてもう二度と蘇らない。そのように五式清一郎に伝えることに果たして意味はあるのだろうかと八重樫エリアナは考え、今は正気を保っているがやがて記憶を失くすであろう五式清一郎に一言だけ言い添えた。


「ままならんな」


 廊下に出ると奥野がトレーにマグカップを二つ乗せて突っ立っていた。その隣をすり抜け、二人は玄関を出た。暗闇の中でペンライトを片手に林道を通り、国道に出たあたりで八重樫エリアナは携帯電話でタクシー会社に電話した。


 ガードレールに寄りかかる八重樫エリアナの袖を引き、シナモンは月明かりの下で目尻を下げて相手を見る。


「これから我は眠らねばならん」


「帰ったらすぐに飯を作る、それまで待て」


「違う」シナモンは袖から手を離し俯いた。「この時間はすでにお前が主人公なのだ。これまで我がわずかでも関与できたのは、時間の主が篠崎香月であったからだ。我がこの時間の主である貴様と関わると確立が下がってしまう」


 八重樫エリアナはシナモンの頭を見つめた。それから「下痢のつぼ」と 言ってつむじを押した。


「なにをする」頭を抑えてシナモンは抗議する。


「電話すればお前に繋がるのだろう」


「正確には直接に我が話すのではないのだが、……貴様の中の我と同調することで我にその内容は伝わる」


「ならば、たまに相手をしてやるさ。なに、大した話をするつもりはない。それならば確立もさして下がらないだろう?」


「まあ、……そうかもしれんな」


 シナモンの頬を両手で挟み、「しけた顔をするな。私はミス・イレギュラーなのだろう? ちゃっちゃと片付けて、そうしたら鉄の箱にトランプの絵柄みたいなデザインの描かれた高級クッキーの詰め合わせを買って、縁側でお前の好きなロイヤルミルクティーを飲むぞ」と早口で言った。


 八重樫エリアナが手を離すと、シナモンは首を微細に傾け、曖昧に微笑んだ。


「あとは頼子に任す。たのむぞ、レオナ」


 頼子は呆けた顔を八重樫エリアナに向け、それから周囲を見渡す。


「カッパドギア?」


「今までで一番面白いことを言ったな」


「頼子はいつでも愉快な美少女です」


「生まれて初めて煙草を吸ってみたい気持ちになった」


「煙草は有害です」


「ラットの実験では記憶力の上昇が見られるんだがな。ちなみにアルコールは脳細胞を破壊するそうだ」


「難しいことを言って煙に巻くつもりですね」


「誤魔化す対象がそもそも存在しない」


「ここはどこかと頼子は聞きました」


「ああ」八重樫エリアナは山間に自動車のヘッドライトを確認して言った。「あみだくじの先端だ」


 頼子は急に腹を抑えて悶えだした。どうした、と聞く前に八重樫エリアナは気付いた。


「あ」


 


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