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千年少女  作者: 長沢紅音
八重樫エリアナ
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八重樫エリアナ 14


 小学生であることに慣れ、初潮を迎え、中学に入学した。その間、シナモンに自身の髪を結わせポニーテールにしたり、母の鏡台から拝借した化粧道具でメイクを施してみたりしてみた。シナモンは首を縦には振らない。遊び半分で玩具の伊達眼鏡をかけてみるとシナモンは顎に手をあて、「それでいいだろう」と言った。


「これで走り高飛びをするのは無理だな。鼻が痒い」掃除をして時間遡行する前の状態に戻った廃墟で、庭先に咲いた桜を愛でながら八重樫エリアナは言った。


 団子を食べるのに夢中になっているシナモンはいい加減に相槌を打った。


 薄桃色の花びらが空中で振り子運動をしながら落下していく。風は凪いで、日差しは八重樫エリアナのスカートの下から覗くむき出しの皮膚を温めた。


「疑問がある」顔を桜の木に向けたまま言った。「他の時間のシナモンと同調できるなら、百歩蛇の呪いに掛かったシナモンの意識を今現在も感じているはずではないのか? 例えそれがこれから行うことだとしても、お前には時間の前後は関係ない」


「前に言ったはずだ。貴様は未来を知る必要はない。この時間は篠崎香月のものだが、貴様の言動も成否に影響を与える。足を引っ張るような真似はするな」


「ならばそれはいい。だが、本当の疑問はそれじゃあない」


「喉が渇いた。お茶ではなく甘くて冷たいものが欲しい」シナモンは立ち上がり、サンダルを履いて庭先にある井戸に向かった。井戸の中には市販の炭酸飲料が入ったペットボトルがある。


「祠を壊したときに、お前自らが壊せば問題ないと知っていたはずだ。それなのに非力を理由にして私にやらせたのはなぜだ?」


 シナモンはペットボトルを手に縁側に戻った。顔を綻ばせ、「蓋を開けるのが楽しいのだ」と言った。


 シュッと炭酸が抜ける音がして、シナモンは見た目に相応な笑い声をあげた。「レオナ、貴様も飲むか?」


 顔の前で手を振って八重樫エリアナは表情を強張らせている。視線は庭石にへばりついた地蜘蛛の巣に向けられていた。


「あまりいじめないでくれ」


 顔を上げ、隣を向く。八重樫エリアナは口を半開きにして言葉を失った。そこには泣きたいのを必死で堪えてぎこちない笑みを浮かべたシナモンの顔があった。


「本当はわたしだって全部話したい。でもそれじゃあ絶対に上手くいかないんだよ」急いで顔を伏せたシナモンはいつもの尊大な口調を控え早口で言った。わたし、だと?


 そして、シナモンの体は八重樫エリアナの方へと倒れてきた。新しい襦袢に着替え、定期的に風呂に入れているシナモンの体からは石鹸の香りがした。


「おい、どうした?」


 膝にあるシナモンの頭がずり落ちてしまわないように、たすき掛けにして腕をまわすと、力が抜けて重くなった体がさらに落ちていく。


 八重樫エリアナは未だシナモンと大差ない背丈で、当然力もない。成長するのは確か中学二年生になってからだったか。もどかしさゆえか、未来に郷愁を抱く。そしてふっとシナモンの体が軽くなる。八重樫エリアナの腿に手をついて、一気に上体を起こした。


「ナルコプレシーでも患っているのかと思ったぞ」と軽口を叩いて相手の顔を見た。


 あどけなく口を開けて、じっと八重樫エリアナを凝視する。


「ボンジュール?」


 即座に状況を理解し、携帯電話に自分の番号を入力する。


 繋がると同時に「しばらく貴様とは話したくない」と言ってシナモンは電話を切った。「もしもし」と何度も問いかけ、再び番号を入力するも電話は繋がらない。八重樫エリアナは頭を抱えた。


 一部始終を見ていた頼子は首を二回旋廻させてもう一度八重樫エリアナをみた。


「泥棒さんですね。頼子は幼い泥棒さんの姿に不遇な家庭環境を想像して涙が止まりません」


「泣いてないだろ」と反射的に指摘するものの、八重樫エリアナは最期にみた頼子の姿を思い出した。プランターを覗き込み、おそらく天道虫でも発見したのだろう、夢中になって遊んでいた。それを母が斧で首を切り落とした! 鼻の奥が詰まるのを感じた。顔を伏せ、私ってこんなに弱かったのかなあ、と八重樫エリアナは考えた。


「どうしたの?」と頼子は下から顔を覗きこんで言った。「泣かないで」


「泣いてないだろ」


 どうして忘れていたのだろう。シナモンの体があるということは頼子もここにいる。頼子と過ごした時間は短い。それなのに、八重樫エリアナの中ではシナモンに匹敵する存在として確かに在った。


「私の名前は八重樫エリアナ。いやレオナ、だ。八重樫レオナ。お前が意識を失っている間に友達になった。だからお前も私の友達だ」


 一言耳に入るたびに変わる頼子の顔色をみる。それから混乱している頼子の手にみたらし団子を持たせた。「餡子の方がいいか?」


 首を振る頼子の髪が漣のように揺れた。艶のある黒髪は梳る毎に輝きを増して、今では八重樫エリアナの自慢のひとつになっている。


「みたらし、好きです。でも餡子も好き」


「そうか」


「眼鏡さんは私の友達なんですね?」


「今、名前を教えたばかりだろう」


 頼子は唸りながら団子を咥え、咀嚼しながらも何かを考えているように見えた。


「八重樫、……がっさん?」


「やめろ。私にも女子としての矜持がある」


 目を丸くした頼子は顔を赤くしてそれから足をばたばたさせて笑った。そして調子に乗って「ねえ、頼子の友達なの? ねえ? ねえ?」としつこく繰り返した。既視感を覚える光景に、八重樫エリアナは耳の奥が痒くなった。


 


 廃墟で頼子を囲うことに八重樫エリアナは一抹の懸念を抱いた。あらゆることに無自覚な子供を山中に一人きりにさせるのだ。早い段階で頼子自身の身の上を自覚させ、不安要素を払拭する必要があったので折を見て言い聞かせた。


 当然ひと悶着あった。だが、友人からの助言を真摯に受け止めたのか、頼子はほどなく自らの境遇を受け入れた。


 それでも不安はなくならない。学校で部活に入れば頼子に会う時間が減る。八重樫エリアナは陸上部には入部せず、学校が終わるとすぐに廃墟に駆けつけることにした。


「本末転倒とはこれいかに」とシナモンは茶化すように言った。


 電話をすると二回に一度は出る。だが、大概一言二言の嫌味を言って電話は切れる。この日はわりによく喋った。


「お前が戻ればいいだけの話だ」


「戻っているぞ。貴様のいないときにな」


 随分と嫌われたものだ、と八重樫エリアナは思った。もしも、シナモンの言うとおりならば陸上部に入ることもできるが、確認しようとすると電話は切れた。


 川原に鷺が舞い降りる。携帯電話をスカートのポケットにしまい、土手に座ったまま五メートルほど先の鷺の動向を見守った。


「捜しましたよ」と背後から声がする。鷺は飛び立った。


 幼い姿の篠崎香月が八重樫エリアナを見下ろしていた。


「想像以上にちっこいな」


「お互い様です」篠崎香月は隣に座り、憔悴したようにため息をついた。「陸上部に入らなかったんですか? 部員に聞いたら”誰それ?”みたいな対応されましたよ」


「お前まだ小学生だろう。わざわざここまで御足労だったな。それと、今更だが私を捜しにきたということはホームセンターの屋上で話し合ったお前でいいんだな?」


 八重樫エリアナの通う——そして篠崎香月が来年通うはずの中学校から現在篠崎香月の通う小学校までの間はおよそ五キロの距離があった。篠崎香月は頷いて、その時間は一つ前の時間です、と補足する。


「というか、この時期のお前はまだ手足になっていないはずじゃないか」


「一度手足になるとどれほど時間が巻き戻ろうがずっと手足なんですよ」と篠崎香月は答えた。


 そういえば千年前も私は手足のままだった。


「喧嘩しているんですか?」


「思春期なんだよ、あいつは。詮索されると篭城する」


「お守りは先輩に任せていれば安心だと思っていたのですが」


「今回も駄目なのか?」


「まだ分かりません。先輩が参戦したときには”やっとこれで終わりだ”と思えたものですが、実際には次のステージに移っただけだったのです。ですからこうして先輩を捜しに来たわけです」


 篠崎香月は微笑んでいる。


「私を捜してどうする?」


「分かりませんか? 先輩が手足になっていたのならばこの時間は次のステージです。そうでなければ、今までどおりです」


「もしも前のステージならば憂さ晴らしに興じるわけか」


 横顔は静止していた。篠崎香月は動揺しない。


「恥ずかしいところを見られてしまったみたいですね。たぶん、先輩がみた私と今の私は繋がっていません。でも今の私も結構酷いことをしてきましたから同罪です」


「責めるつもりはない。私も何度か頭がおかしくなりかけた」


「私は既におかしくなっています」幼い顔立ちをした篠崎香月は無表情で言った。「この社会が私に行った洗脳が解けかけているということです。ですから私は自分に対して規律を定めました。先輩」


「なんだ」


「この状況での先輩である私から、先輩にむけてアドバイスをしてもよろしいですか?」


 断る理由がない八重樫エリアナは先を促した。


「目的を忘れると迷子になりますよ」


 


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