表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

二人乗り

「ねんねのおばちゃんのところにいくから、用意して」

「はぁい」

 娘は読んでいた絵本をしまい、私が用意した上着と手袋を床に広げた。儀式が始まる。

 私も旦那もひどく大雑把なのに、娘は変に几帳面だった。着替える服を床に広げて、しわを伸ばす。

「着ちゃえばしわになるでしょ?」

 そういってみたが、やめない。小さな手の指を全部くっつけて見た目、全くしわがなくなるまで、必ず一度伸ばすのだ。満足げに眺めると、納得して着替える。たいした時間でもないし、本人が気分がよいのならと好きにやらしている。

 母はそのしぐさを見て、妹に似ているという。

 妹はよく、布団に寝てはシーツがしわになるのが気になり、起き上がって伸ばしていたという。妹とは二歳しか違わないが、私は全く記憶にない。

 だが、妹に似ているな、と思うときは時々ある。パーカーのついている服を着たときには、かならずパーカーをかぶる。

「どうしてかぶるの?」とたずねると、

「かぶるためについているものじゃないの?」と返ってくる。おしゃれのためだと説明しても、納得しないのか、かぶるのをやめようとはしない。本人の好きにさせておけばよい。これも記憶にはないのだが、昔どこかで、妹がパーカーをかぶっている写真を見た気がする。

 私の娘なのに、妹に似ている。心中は穏やかではなかった。

 旦那は、私の中学校の同級生で、妹の元彼だった。もちろん、私たちが付き合いだしたのは妹と完全に別れてからだった。それも何年もあと。その時すでに妹はバイクで単独事故を起こし、植物状態になっていた。家族がそんな大変な状態でも、私との結婚に踏み切ってくれたのは、妹を知らない仲じゃなかったことが、大きく影響している。

 ねんねのおばちゃん、とはそういうことだ。娘の知っている妹は、いつも眠っていて、鼻に管が通り機械につながれている。私は母と交代で妹の看病に行っていた。

「ママ、ちょっと先生とすぐ外でお話するから、お願いね」

「うん」

 病室につくと娘はいつものように、妹のそばに座って絵本を朗読し始めた。それが娘の役目になっている。私は、いつもと変わらない様子を見届けて、そっとドアをしめた。

「お母様にはお話したのですが」

 もう七年も担当してもらっている先生が、ため息をつく。

「そろそろだと、聞きました」

「ええ……手は尽くしましたが、残念です」

 事故で内臓の半分を失った状態で、よくここまで持ったといったほうがよいのだろう。

 先生が医局に帰っていく後姿を見送った。病室からは娘の声が聞こえる。私は廊下の窓から外を眺めて、ため息をついた。

「ごめんね」

 どこかでほっとしてしまった自分をわびた。正直、看病にも疲れていたが、それだけではない。

 私は知っていた。妹が旦那のことをまだ好きだったことを。

「もう一度、チャレンジしてみようと思ってるんだ」そういったことがあることを。偶然旦那と再会して、恋に落ちた私は、そのことをなかったことにしてしまった。どうしても、旦那と結婚したかった。

 もちろん、妹が息を吹き返したらちゃんと対決するつもりではいた。それでも、心のどこかでほっとしてしまったことは、間違いなかった。

「ごめんね」

 私はもう一度謝罪の言葉を口にした。妹へなのか、旦那へなのか。窓の外では、すっかり葉が落ちてもの寂しくなった枝が風に揺れている。寒そうではあるけれど、高い青空が広がっている。

 ふと娘の声が聞こえなくなっていることに気づいた。病室に戻ると、娘は膝の上に絵本を広げたまま、妹を凝視していた。

「どうしたの?」

「ねんねおばちゃんがしゃべった」

「なんて?」

「……わからない。ちゃんときこえなかったから、またしゃべるかな、と思ってきいてるの」

「そっか……もうちょっときいてようか」

「……うん」

 私は娘と二人でベッドの端に腰掛け、妹を見ていた。三十分ほどそうしていたが、全く狂いなく打つ心拍をあらわすピッという音と、呼吸器の音、低くうなる機械音以外、何の音もしなかった。筋肉の落ちてしまった手は、バイクのハンドルを握っていたことなど、微塵も思わせないほど透き通るように白く、見ているだけで、生気のないその柔らかさが伝わってきた。

 結局、妹はしゃべることも、動くこともなく、私たちはいつものように、自転車で帰り道を走っていた。後ろにつけたチャイルドシートで、娘はパーカーをかぶってでたらめな唄を歌っている。

「あら?」工事中の看板をみて、いつもの道の手前で曲がる。

 古い町並みが残っている。このあたりは小学校のときによく妹と自転車で通った。妹がまだ自転車を買ってもらっていない頃は、私が後ろに乗せて走った。

(自転車の運転は妹のほうがうまかったな)

 私は曲がるのが苦手だった。さあ、曲がるぞ、となるとハンドルに力が入ってしまい転ぶ。そのたびに妹は振り落とされる羽目になる。

 娘は猫でもみつけたのか

「バイバーイ、バイバーイ」とどこかで聴いたことのあるような節をつけて歌っている。午後のぽっかりと空いた時間のせいか、人の気配はない。

 私はなつかしく思いながら道を走る。

(そういえばあの門で、曲がり損ねて側溝に落っことしちゃったことあったっけ)

 ひどく深く感じた溝は今みるとそんなでもない。でも妹は膝とおでこをすりむいて、さすがに二人乗りしたことがばれてこっぴどく怒られた。妹は怪我をさせられて怒られて、さんざんだったのに、何も文句を言わなかった。

 因縁の角に差し掛かる。

(ここ、ちょっとだけ坂なのよね……)ゆっくりと曲がろうとすると、娘が言った。

「今日は落とさないでね」

「え……」

 自転車を止めて、娘を振り返る。パーカーから覗く顔。私の目は驚きで大きく見開いていたが、娘の目もそれに負けないくらい大きく開いていた。そして、見る見るうちに涙でいっぱいになった。

「どうしたの?」

「本当は、ねんねおばちゃんがいったこと、おぼえてるの」

「……なんていったの?」

「誰にも言っちゃだめだよって」

「お話したこと、誰にもいっちゃだめだよっていわれたの?」

「うん。『おねえちゃんは、誰にもいっちゃだめだよ』って」

「……」

「だからママ、私が言っちゃったこと、ねんねおばちゃんにいわないで」

 私は娘を抱きしめた。

「絶対に、絶対にいわないから」

 高い高い空を見上げた。涙がどんどん流れ落ちた。私の上着をつかむ娘の手に力がこもっている。怪我をして泣いている妹をこうやって抱きしめた。血が出てるおでこが痛そうで、自分がしてしまったことが申し訳なくて、でも泣いているのを見られたくなくて、上を向いた。あの日も空は高かった。

「ごめんね……」

 小さな声で言った。ポケットの中では、病院からの着信をあらわすリズムで携帯電話が鳴っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「この作品」が気に入ったらクリックして「ネット小説ランキングに投票する」を押し、投票してください。(月1回) ネット小説ランキング>短編集部門>「誰かに似た人」に投票
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ