番外編〈囚われの王子妃と、氷の王子の崩壊〉
「……ヒール子爵。悪いことは言いません、今すぐ私を解放してください。それは私のためではなく、あなた自身の命を守るためです。ステイル様を怒らせては、あなたは死ぬことすら許されないでしょう……」
「黙れ! 私はもう腹を括った。どれほど尽くしても、あいつは私を虫ケラのように切り捨てた! ……ならば、あいつが最も大切にしている『心臓』を奪ってやるまでだ。どうだろう? どうせ私は長くはない。死ぬ前に、ずっと慕っていたあなたを私のものにしても……罰は当たらないだろう? ねぇ、アヤナーラ様?」
……三日前。花祭りの公務の帰り道、私は何者かに襲われ、視界を奪われたまま誘拐された。
治安の良いこの国で、ましてや王族に近い者が攫われるなど前代未聞。私も、そして周囲も油断していた。
手足は縛られ、魔力も封じられている。
(……今頃、ステイルは……。三日も私が見つからないなんて、お城は一体どうなっているのかしら……)
考えれば考えるほど、犯人である子爵への恐怖よりも、ステイルが「冷酷な王子の仮面」を完全に壊してしまっているのではないかという危惧が膨らんでいく。
「……ヒール子爵。お断りします。私はステイル様だけを愛しています。あなたの横恋慕など、塵ほども興味はありません」
震える声を必死に抑え、私は毅然と言い放った。だが、子爵の目は狂気に濁っている。
「ふん。強情なところも美しいな。いいだろう、ステイルがここに辿り着いた時、絶望に染まったあなたの顔を見せてやるのが今から楽しみだ……!」
子爵は、自身の事業の失敗をすべてステイルのせいにし、逆恨みの果てにこの暴挙に出た。
だが、彼は知らないのだ。アヤナーラという『光』を失ったステイルが、どれほど無慈悲で、残酷な『闇』に染まり、この国すべてを敵に回してでも獲物を追い詰める男であるかを。
ーーーー
「……申し上げます。花祭りの公務を終え、帰路についていたアヤナーラ様の一行が、賊の襲撃を受けました。……アヤナーラ様の行方は、現在、分かっておりません」
ユリウスの報告が響いた瞬間、部屋の温度が数度下がったかのような錯覚に陥った。
書類にペンを走らせていたステイルの手が、止まる。
「……ユリウス。今、何と言った」
ステイルは顔を上げなかった。だが、その声は低く、地を這うような冷気を孕んでいる。
「賊に襲われ、アヤナーラ様が行方不明に……」
「連れていた近衛の数は」
「……十名です。全員、一瞬で無力化されたとのこと。犯人は、高度な隠蔽魔法を使っている可能性が高く……」
パキッ。
ステイルが握っていた万年筆が、粉々に砕け散った。
飛び散ったインクが書類を黒く汚すが、彼は気にも留めない。ゆっくりと顔を上げたステイルの瞳からは、光が完全に消えていた。
「……私の目の届かない、わずか数時間の間に……私の、アヤを……」
ステイルが立ち上がると、凄まじい威圧感で周囲の空気が震えた。
窓の外の鳥たちが一斉に飛び立ち、城内の騎士たちが本能的な恐怖で足を止める。
「ユリウス。今すぐ、国中の魔力探知機を最大出力で稼働させろ。騎士団全軍に命ずる。犯人を見つけ次第、殺すな。……私が、この手で、一秒でも長く生かしたまま絶望を味わわせる」
「ステイル様、落ち着いてください。陛下の許可なく軍を動かすのは……」
「許可だと?」
ステイルはユリウスの喉元に手を伸ばす代わりに、隣にあった重厚な黒檀のデスクに手を触れた。
その瞬間、バキバキと音を立ててデスクが塵のように崩れ去る。
「アヤがいないこの国に、王の許可など何の意味がある。……アヤを失うなら、この国ごと焼き尽くしても構わないと言ったはずだ。ユリウス……一時間だ。一時間以内に、ネズミ一匹通さぬ包囲網を敷け」
銀縁メガネの奥で、かつて「冷酷な王子」と呼ばれた頃よりも遥かに深い闇が、ドロリと渦巻いている。
「一秒遅れるごとに、私の理性が一つ消えていくと思え。……アヤ、今すぐ迎えに行く……。待っていてくれ、私のアヤ……」
ステイルはそう呟くと、空間を力ずくでこじ開けるかのような転移魔法を発動させ、その場から消えた。
後に残されたユリウスは、額に冷や汗を流しながら、震える手で指示書を掴んだ。
(……まずい。これは、本当に国が終わる。犯人を殺す前に、ステイル様を誰かが止めなければ……いや、止められるのはアヤナーラ様だけだ……!)
アヤナーラが消えてから、三日が経った。
城内はもはや、誰もが息を潜める死の静寂に包まれていた。執務室の主は、三日三晩、椅子に座ることも、瞳を閉じることもしていない。
「……ステイル様。少しは横になってください。あなたが倒れたら、アヤナーラ様は誰が救い出すのですか」
ユリウスの切実な訴えも、今のステイルには届かない。
彼の前には、国中の地図と、犯人のものと思われる魔力の残滓を解析した膨大なデータが宙に浮いている。ステイルの瞳は充血し、目の下には深いクマが刻まれ、その姿は王子というよりは復讐の鬼そのものだった。
「……黙れ、ユリウス。今、この瞬間も、アヤは泣いているかもしれない。寒さに震え、私の名を呼んでいるかもしれない……ッ!」
ステイルが地図の一点に指を触れると、そこからどす黒い魔力が溢れ出し、紙が焦げ付いた。
「この国のどこかに、彼女はいる。……隠蔽魔法か。姑息な真似を。私から彼女を隠し通せるとでも思っているのか?」
ステイルは自らの魔力を無理やり編み上げ、国全体を覆うほどの広域探知魔術を展開し続けていた。それは常人なら数分で精神が焼き切れるほどの激痛を伴うものだが、彼はそれを三日間、一度も途絶えさせていない。
「……ルカヌス、騎士団の報告は」
「……ヒール子爵領の周辺で、不自然な魔力の揺らぎを感知したとの報告がありました。ですが、そこには強力な結界が……」
「ヒールだと?」
その名が出た瞬間、ステイルの周りの空気がピキリと凍りついた。
かつて自分が「無能」と切り捨てた男。そのネズミが、自分の宝物に触れたというのか。
「……あのアリのような男が、私の、アヤに……触れたのか……」
ステイルの口元に、ゾッとするような歪な笑みが浮かんだ。それは喜びでも怒りでもない、ただ獲物をなぶり殺すことを決めた「捕食者」の笑みだった。
「ユリウス。準備は不要だ。……結界ごと、その領域を消滅させる」
「ステイル様、待ってください! アヤナーラ様が中に――」
「分かっている。彼女の指先一つ、髪の毛一本すら傷つけはしない。……だが、それ以外のすべては塵にする。いや、塵にすら残さない」
ステイルの背後に、どす黒い魔力の渦が具現化する。
三日間の絶望と、三日間の飢餓感。限界まで圧縮された彼の執念が、ついに「出口」を見つけた。
「……見つけたぞ、ドブネズミ。……地獄へ行く前に、後悔する時間すら与えてやるものか」
ステイルは光の速さで転移魔術を起動し、ユリウスたちが止める間もなく、狂気の色を湛えたまま夜の闇へと消えていった。
「あ……、あぁ……っ!!」
ヒール子爵が氷漬けになり、静寂が訪れた部屋で、ステイルは崩れ落ちるようにアヤナーラに駆け寄った。
震える手で、はだけた彼女の服をかき集め、自分の上質なマントでその体を幾重にも包み込む。
「アヤ……、アヤ……! すまない、私のせいだ。私が一分、いや一秒早く辿り着いていれば、こんな……こんな汚らわしい男の目に、君の肌を晒させずに済んだのに……っ!」
ステイルの瞳からは、先ほどまでの冷酷な光が消え、代わりに今にも壊れてしまいそうなほどの、深い悲しみと自己嫌悪が溢れ出していた。
「ステイル様、大丈夫です……。私は無事ですから……」
アヤナーラが震える手で彼の頬に触れようとすると、ステイルは激しくその手を掴み、祈るように自分の額に押し当てた。
「……嘘だ。君は震えている。あんな奴に触れられた場所を、今すぐ切り裂いて捨ててやりたい。……いや、私が、私がすべて消してやる。君の記憶も、肌に残った感触も……私の愛で、全部塗り潰してやるから……!」
ステイルの抱擁は、骨が軋むほど強かった。救い出した安堵よりも、奪われそうになった恐怖の方が、今の彼の理性を焼き切っている。
その夜、城に戻ったステイルは、ユリウスに一言「誰も入れるな」とだけ告げると、アヤナーラを抱き上げたまま寝室へ閉じこもった。
「ステイル……。もう、お風呂にも入りましたし、大丈夫ですよ?」
「……ダメだ。まだ、あいつの視線が君にまとわりついている気がする」
ステイルはアヤナーラをベッドに横たえると、憑りつかれたような瞳で彼女の全身をなぞり、何度も、何度も、肌の隙間を埋めるように唇を落としていった。
「……あいつに触れられたのはどこだ? ここか? それともここか……?」
「ステイル……ひゃっ」
「……全部だ。君のすべてを、私だけのものにする。……アヤ、愛している。君を失うくらいなら、私は本当にこの国を滅ぼしていた。……だから、もう私から一歩も離れないと誓ってくれ。君の心も、体も、吐息一つまで……私以外のものにしてはいけない……」
ステイルは一晩中、アヤナーラの耳元で呪いのような愛の言葉を囁き続け、彼女の肌に自分の痕跡をこれでもかと刻みつけた。
それは、傷ついた彼女を癒やすための看病であり、同時に、二度と彼女を離さないための執着の儀式。
翌朝、ステイルの腕の中で目を覚ましたアヤナーラが見たのは、彼女の髪を愛おしそうに指に巻き付け、一睡もせずに自分を見つめ続けていた、愛の重すぎる守護者の姿だった。
ーーーー
王城の最下層、陽の光も届かない特別監獄。
そこには、四肢を氷の鎖で拘束され、ガタガタと震えるヒール子爵の姿があった。
その目の前には、椅子に深く腰掛け、組んだ足の先まで冷徹な威圧感を放つステイル。そしてその左右を、氷点下の眼差しをしたユリウスと、静かな怒りを湛えたルカヌスが固めている。
「……あ、あぁ……殿下、お許しを……私はただ、出来心で……っ!」
「『出来心』で私の妻に触れ、服を脱がそうとしたのか。……ほう、随分と軽い命だな、貴様は」
ステイルが指先をわずかに動かすと、子爵の右腕がミシリと音を立てて凍りついた。叫び声を上げようとした子爵の口を、ユリウスが事務的な手つきで布を噛ませて塞ぐ。
「……静かに。ステイル様は今、非常に気分を害されている。無駄な音を立てれば、舌を引き抜く手間が増えるだけですよ」
ユリウスの声には、同情の欠片もなかった。
「ヒール子爵。君が鉱山事業で失敗したのは、君が無能だったからだ。それを兄上のせいにしてアヤナーラ様を傷つけるなど……騎士として、いや、人間として吐き気がするよ」
ルカヌスが冷ややかに言い放つ。彼は普段の優しさを完全に捨て、兄を狂わせた元凶を見下ろしていた。
「ユリウス。……こいつは、あのアジトでアヤの肌に触れたか?」
「いえ。ステイル様が壁を消滅させた瞬間、奴の手はまだアヤナーラ様の衣服の端にかかっていた状態でした。……直接、肌には触れていないかと」
「……そうか。だが、その汚らわしい視線で彼女を舐めるように見た事実は変わらん」
ステイルがゆっくりと立ち上がり、子爵の目の前に歩み寄る。眼鏡の奥の瞳は、もはや人間を見ている色ではない。
「……安心しろ。すぐには殺さん。死ぬよりも苦しい絶望を、君の神経が焼き切れるまで味わわせてやる。……アヤが三日間味わった恐怖、その数万倍にして返してやろう」
ステイルの手からどす黒い魔力が溢れ出し、子爵の影に潜り込んでいく。それは、永遠に終わらない悪夢を見せ続ける精神破壊の魔術だった。
「……ルカヌス、ユリウス。後は任せる。私はアヤが目を覚ます前に戻らねばならん。……彼女の視界に、私以外の『汚れ』を残したくない」
ステイルはそれだけ告げると、背後で子爵が(声にならない叫びで)のたうち回るのも見向きせず、冷徹な足取りで地下牢を後にした。
残されたユリウスとルカヌスは、互いに顔を見合わせ、深いため息をつく。
「……ルカヌス様。殿下が戻られる前に、この男の『戸籍』と『存在した証拠』をすべて抹消しておきましょう」
「そうだね、ユリウス。……兄上の逆鱗に触れるとどうなるか、後の世への見せしめにする必要さえなさそうだ。この世から消えてもらうだけだから」
アヤナーラのいない場所での彼らは、驚くほど容赦なく、そして徹底していた。
ーーーー
寝室の扉を開けた瞬間、そこに広がる「静寂」と「空白」に、ステイルの思考は凍りついた。
「……アヤ? アヤ、どこだ……?」
返事はない。シーツに残った微かな体温だけが、彼女がさっきまでここにいたことを物語っている。
その瞬間、ステイルの脳裏にヒール子爵の汚らわしい笑みがフラッシュバックした。
「……っ、まさか、まだ仲間が……!? 誰だ、誰がアヤを奪ったんだ……!!」
ステイルは狂ったように侍女たちを叩き起こし、城中に響き渡るような咆哮を上げた。
「アヤを探せ! 鼠一匹逃がすな! 彼女がいなければ……君たちの命など、私は一切保障しないぞ!」
その形相はもはや王子のそれではなく、半狂乱の暴君のようだった。
城中が松明の火と怒号で騒がしくなる中、ステイルはふと、一筋の予感に突き動かされて夜の庭園へと走った。
そこは、幼き日に二人が出会った場所。
月の光に照らされた薔薇の園で、彼女は一人、夜露に濡れる花を見つめていた。
「……アヤっ!」
ステイルは背後から彼女を壊れ物のように抱き寄せた。その肩が微かに震えていることに気づき、彼の心臓は嫌な音を立てて跳ねる。
「なぜ一人で……っ。……アヤ? 泣いているのか……?」
アヤナーラの瞳から溢れ、薔薇の花びらに落ちる涙。それを見た瞬間、ステイルの独占欲は一気に「自己嫌悪」へと塗り替えられた。
「すまない……! 傍に居なかった私が悪かった。怖かったんだな、一人にして済まない……! あの男の記憶が、まだ君を苦しめているのか……? 頼む、泣かないでくれ。私の心臓を抉られる方がまだマシだ……っ」
ステイルは彼女の涙を指で拭い、必死にその体温を確かめるように抱きしめた。
だが、アヤナーラが流していたのは、恐怖の涙ではなく……ステイルを想う、あまりにも深い愛の涙だった。
ステイルに抱きしめられ、その激しい鼓動を背中に感じながら、アヤナーラは溢れる涙を拭きもせずに静かに首を振った。
「……違います、ステイル。怖いのではありません。あの方のことなんて、もう、一ミリも思い出してなんていないわ」
「ならばなぜ……! 君が泣いていると、私はどうしていいか分からなくなる。代われるものなら、その悲しみごと私に預けてほしいんだ」
ステイルがすがるように彼女の肩に顔を埋めると、アヤナーラはそっと振り返り、ステイルの頬を両手で包み込んだ。月の光に照らされた彼の瞳は、恐怖でひどく揺れていた。
「……あなたのことが、心配だったのです。……地下牢へ、行っていたのでしょう?」
ステイルがハッと息を呑む。隠し通せていたと思っていた「闇」の部分を指摘され、彼は罪悪感に顔を歪めた。
「……あぁ。あんなゴミのような男をただでは生かしておけなかった。君を傷つけた報いを受けさせて……」
「わかっています。あなたが私のために怒ってくれたことも、その愛がどれほど深いかも。……でもね、ステイル。あなたが私のために、その綺麗な手を汚して、冷酷な鬼のようになってしまうのが……それが、とても悲しくて、堪らなくなったの」
アヤナーラの瞳から、また一筋の涙がこぼれ落ちた。
「私のために、あなたが心を削る必要なんてないです。……あなたが三日間、一睡もせずに私を探してくれたことも、今こうして私を壊れ物のように抱きしめてくれることも……その全部が、私にはもったいないくらい嬉しくて、幸せで。……だから、ステイル。もう自分を責めないで」
「アヤ……」
「私はここです。あなたの隣に。……あなたが地下牢で冷たい顔をしている時間があるなら、その時間を、私と笑い合うために使ってほしいです。私は、あなたのそんな優しい笑顔が、世界で一番大好きですから……」
ステイルは言葉を失った。
自分が彼女を守るために振るっていた暴力や狂気が、逆に彼女を悲しませていたこと。そして、そんな自分さえも、彼女は「愛おしい」と包み込んでくれたこと。
「……あぁ……っ。私は、なんて愚かなんだ……。君を救ったつもりで、君を泣かせていたなんて。……すまない、アヤ。君の言う通りだ」
ステイルは今度は、自分を律するように、けれどより深く、彼女を抱き寄せた。
「……誓うよ。これからは、君を泣かせるような『闇』には染まらない。……君が愛してくれたこの心を、君のためだけに、君と笑い合うためだけに捧げよう。……愛している、アヤナーラ。君こそが、私の唯一の救いだ」
夜の庭園に咲き誇る薔薇のように、二人の愛はより深く、より美しく、夜の闇を優しく照らし出していた。
ーーーー
ー執務室ー
「ステイル様……。あの、さすがにこれでは仕事が捗りません」
アヤナーラが困ったように笑いながら、机に向かっている自分の後ろを振り返る。
そこには、アヤナーラの腰に回されたステイルの腕と、彼女の肩に顎を乗せて、書類を睨みつけている夫の姿があった。
「……ダメだ。一秒でも隙を見せれば、また君の周りの空間が歪んで、どこかへ連れ去られてしまうかもしれない」
「お城の中ですよ? しかも執務室にはユリウスもいるのに……」
「ユリウスなど信じられん。あいつはアヤが攫われた時、私の側にいた。つまり、私以外の人間は君を守りきれないという証明だ」
とばっちりを受けたユリウスが、遠くで盛大な溜息を吐く。
今のステイルは、アヤナーラがペンを置けば「指が疲れたのか?」と揉みほぐし、彼女が少しでも窓の外を見れば「外が気になるのか? 窓をすべて塞ぐか?」と真顔で聞き返してくる始末。
さらに、以前にも増して凄まじいのが「物理的な距離感」だった。
「……アヤ。今、服の上から私の魔力を流し込んだ。これで君がどこにいても、君の心拍数と体温が私に伝わる」
「えっ、ずっとですか?」
「当然だ。君が怖がっていないか、寒くないか、私以外の男に見つめられて動悸がしていないか……すべて把握していなければ、私は執務など手につかない」
もはや「見守り」というレベルではない。ステイルはアヤナーラの周囲数センチを自らの魔力でコーティングし、害虫一匹近づけない鉄壁の結界を常に展開しているのだ。
「……ステイル様。私、もう大丈夫ですよ? あなたが助けてくれたから、今こうしてここに居られるんです」
アヤナーラが優しくステイルの手を握ると、彼は一瞬だけ視線を揺らし、それからより一層強く彼女を抱きしめた。
「……あぁ。分かっている。だが、あの時……君が乱暴に扱われそうになったあの光景を思い出すたびに、私の理性が悲鳴を上げるんだ。……頼む、アヤ。私を安心させてくれ。君は私のもので、私の腕の中にいて、二度と誰にも触れさせないと……何度でも、私の肌に教えてくれ……」
ステイルは、アヤナーラのうなじに顔を埋め、深く、深く呼吸を繰り返した。
その姿は、かつての「完璧な王子」ではなく、ただ愛する人を失いかけた恐怖に怯える、一人の不器用な男の姿だった。
「……はい、ステイル様。私は、ずっとここにいます。あなたのそばに」
アヤナーラが微笑んで彼を受け入れるたび、ステイルの「過保護」という名の重すぎる鎖は、より甘く、より強固に、二人を繋ぎ止めていくのだった。




