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番外編1 〈王子の焦燥と、二人だけの特別な休日〉

シリウスが産まれてからというもの、ステイルの日常は一変した。


かつては「アヤの一番」を疑わなかったステイルだったが、今やその座は、自分に生き写しの小さな「強敵」に完全に奪われていた。


「アヤ、今夜こそは……」

「ごめんなさい、ステイル。シリウスが夜泣きをしていて……。今夜はあの子の側についていてあげたいの」


「アヤ、庭園へ少し散歩に……」

「シリウスの授乳の時間なんです。また後にしていただけますか?」


ステイルの恋敵は、今や隣国の王でもルカヌスでもなく、自分にそっくりの銀の髪を持つ小さな我が子だった。


アヤナーラの視線も、その柔らかな腕の中も、限りある時間も、すべてがシリウスに独占されている。ステイルは王子としての激務をこなしながら、心の奥で(私のアヤを返してくれ……)と、子供じみた、けれど切実な悲鳴を上げ続けていた。


そのモヤモヤは、ついに限界に達する。

執務室で同じ行を何度も読み返し、ペンを止めては重苦しい溜息をつく主君を見て、ユリウスは静かに眼鏡を押し上げた。


「ステイル様。その書類、上下が逆ですよ。……というか、もう見ていられません。今日一日の執務はすべて私が調整しました。エミリーと相談して、シリウス様は預かることにしましたので」


「……何?」


「ルカヌス様も『兄上を助けるためなら一肌脱ぐよ』と、嬉々としてシリウス様と遊んでいらっしゃいます。エミリーもアヤナーラ様を無理やり寝室へ送り届けました。……さあ、行ってください。このままでは国政が滞ります」


ステイルは、ユリウスが言葉を終える前に席を立ち、風のように執務室を後にした。


寝室の重厚な扉を静かに開き、薄暗い部屋の中へ滑り込む。そこには、育児の疲れからか、久しぶりに一人で深く、静かに眠るアヤナーラの姿があった。


(……アヤ)

ステイルは音を立てないようベッドへ潜り込み、背後から彼女をそっと、けれど壊れ物を扱うような繊細さで抱きしめた。


「……あ、ステイル……? シリウスは……?」

夢うつつのまま、やはり子供を案じる声を出す彼女に、ステイルは少しだけ嫉妬を覚えながら、その首に深く顔を埋めた。


「ユリウスたちが連れて行った。……今は、私だけを見てくれ、アヤ。頼む……」


飢えた獣のように彼女の香りを吸い込み、剥き出しの執着をさらけ出す。アヤナーラは最初こそ驚いたが、ステイルの熱い体温と、震えるような指先の感触に、彼がどれほど孤独を感じていたかを悟った。


「……寂しい思いをさせて、ごめんなさい。ステイル」


彼女がふっと力を抜き、その柔らかな肢体を預けてきた瞬間、ステイルの中で張り詰めていた何かが切れた。


「分かっているなら、……今日は、私をたっぷり甘やかしてくれ。君のすべてを、私だけで埋め尽くさせてほしい」


ステイルの唇が、彼女の耳たぶから首筋、そして求めるように唇へと、独占欲を刻み込むように重なっていく。数ヶ月ぶりの、誰にも邪魔されない、二人だけの濃密な時間。


ステイルの愛は、以前よりもずっと熱く、深く、そして逃れられないほど執拗にアヤナーラを翻弄した。


「……アヤ、愛している。君を誰にも、たとえ我が子にさえも、奪わせたくないんだ」


ステイルの切実な独白が、重なる熱い吐息と共に部屋に溶けていく。アヤナーラは、そんな彼の「重すぎる愛」を愛おしく思い、彼の背中に爪を立てて強く抱きしめ返した。


その夜、久しぶりに「母」ではなく「妻」として、ステイルの激情を全身に浴びたアヤナーラは、蕩けるような笑顔で彼に寄り添い、共に深い眠りについた。


ステイルもまた、アヤナーラの温もりで心の空洞を完全に埋め、明日からまた「完璧な王子」として国を背負うための、莫大な活力を取り戻したのだった。



翌朝、シリウスを抱き、目の下に薄っすらとクマを作ったルカヌスが現れた。


「兄上……昨日は最高だったみたいだね。顔がツヤツヤしすぎて眩しいよ」


ニヤニヤしながらも、疲れきった様子で茶化す弟に対し、ステイルは余裕たっぷりの微笑みを返した。


「ああ、最高だった。……感謝するよ、ルカヌス。お前も早く、自分のすべてを投げ出せるような薔薇を見つけるんだな」


「はいはい、ごちそうさま……」


シリウスを兄に返し、ルカヌスは盛大な溜息をついたが、その横でエミリーとユリウスが、どこか満足げに頷き合っていた。




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