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金さえ積めば、この国をデバッグしてやってもいいが? ~守銭奴ハッカーの国家再起動~  作者: おぷっち


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9/17

ゼロと呼ばれた男

コンクリートの壁を伝う汚水が、腐臭を撒き散らしていた。

 緊急廃棄用シュートの終着点は、都市の静脈を流れる下水道だった。全身を打ち付ける悪臭と、肌にまとわりつく汚泥の冷たさが、俺の置かれた現実を執拗に告げてくる。数時間前までいたアジト――俺の『城』の快適さが、遠い昔の記憶に思えた。



 鷹司。ジン。そして、桜井。

 全員に裏切られた。俺が実行した世界金融市場のブラックアウト、『プランZ』は、壮大な舞台の幕開けを告げる号砲に過ぎなかった。鷹司が宣言した『プロジェクトGENESIS』。そのための『整地』。俺はピエロだったわけだ。国家予算の0.1%という破格の報酬すら、奴らの掌の上で踊るための餌だった。



 乾いた笑いが漏れる。怒りを通り越して、もはや滑稽ですらあった。だが、胸の奥で燃え盛る黒い炎だけは、この汚泥の中でも消えはしない。

「鷹司…ジン…クロノス…まとめてデバッグしてやる。報酬は、てめえらの絶望だ」

 誰に聞かせるでもない復讐の誓いを、暗闇に吐き捨てる。その時だった。ポケットの中のスマートフォンが、冷たい光を放って振動した。アンナ・ベルから渡された、この状況でも唯一機能するライフライン。



 画面には、皮肉めいたメッセージが浮かんでいた。

『復讐は最高のビジネス。ただし、コスト計算を間違えれば自己破産よ、ゼロ』



 ゼロ。ラグナロク事件当時に俺が使っていた、古いハッカーネーム。あの女、どこまで知っている。

 メッセージに添付されていたのは、暗号化されたデータパッケージ。開くと、政府が公表した『プロジェクトGENESIS』の概要資料が表示された。『国民の金融資産を未曾有のサイバーテロから保護するための新システム』。白々しい文言が並ぶ。

 アンナ・ベルは、俺がこの情報を欲していると知っていた。俺がこの『ゲーム』から降りられないことも。利用されているのは百も承知。だが、今はこいつを足がかりにするしかない。



 汚泥の中から立ち上がり、マンホールを目指す。復讐のコスト計算は、これからじっくりと始めればいい。



 数時間後、俺は都心から離れたドヤ街の安宿にいた。身分を偽り、日払いの現金で手に入れた四畳半の空間。壁は薄く、隣の部屋の咳まで聞こえる。かつてのアジトにあった軍事レベルの光ファイバーも、産業用の超高圧電力もない。あるのは、いつ切れるか分からない不安定な電力と、公共Wi-Fiから盗用した脆弱な回線だけだ。この落差が、俺のプライドをじりじりと焼く。



 ノートPCを開き、作業を開始する。目的は一つ、『GENESIS』の深層に潜ること。鷹司が築き上げた国家管理システムの正体を暴き、破壊する。

 脆弱な回線では、正面からの侵入は不可能だ。政府システムの堅牢な壁を、最小限のパケットで、監視の目を掻い潜りながら進む。指先が鍵盤の上を滑る。かつてないほどの悪条件下でのハッキング。だが、この逆境が、鈍っていた俺の感覚を研ぎ澄ませていく。

 集中が頂点に達しようとした瞬間、部屋の裸電球が明滅し、PCの画面がブラックアウトした。

「クソが……!」

 不安定な電力供給。この安宿の洗礼か。貴重な時間が、こんな初歩的なインフラのバグで失われる。苛立ちに舌打ちし、俺は壁を殴りつけるのを寸前でこらえた。



                  ◇



 同じ頃、雨宮のアジトだった廃ビルの一室で、桜井美咲は黒田健の鋭い視線に晒されていた。周囲には武装した部隊員が控え、逃げ場のない圧迫感が彼女を包む。

「単刀直入に聞こう、桜井一尉。君は雨宮零と共謀していたのか?」

 黒田の声は、感情を一切排した鋼の響きを持っていた。

 桜井は唇を固く結び、数秒の沈黙の後、顔を上げた。その瞳には恐怖と、それを押し殺す強い意志が宿っていた。

「……彼のハッキングは次元が違いました。気づいた時には、アジトの全システムはおろか、外部との通信さえ遮断され、物理的に隔離されたんです。抵抗する術はありませんでした」

 声は震えていた。だが、それは恐怖だけでなく、自らの口から出る嘘に対する自己嫌悪からくる震えだった。雨宮の『混沌の共犯者』となることを決意したのは、自分自身だ。しかし、ここで真実を話せば、待っているのは逮捕と、真実から遠ざけられる結末だけ。

 黒田は桜井の目をじっと見つめる。嘘を見抜こうとする探るような視線。

「……なるほど。被害者だと言いたいわけか」

「事実です」

「だが、君はサイバー防衛隊のエリートだ。抵抗する術はいくらでもあったはずだが?」

「彼の技術は、私たちの想定を遥かに超えていました。抵抗は、無意味でした」

 黒田はそれ以上追及せず、ふっと視線を逸らした。

「よかろう。だが、疑いが晴れたわけではない。しばらくは監視下に置かせてもらう。アジトでの聴取の後、本部に移送し話は聞かせてもらったがな」黒田は続けた。「職場に戻れ。君の権限は、この混乱を収拾するために必要でもある。……そして、雨宮をおびき出すための、最高の餌にもなる」

 泳がせる、ということか。桜井は内心で唇を噛んだ。黒田の狙いは、自分を餌にして雨宮をおびき出すことか、あるいは自分の行動から尻尾を掴むことか。

 どちらにせよ、好都合だった。

(鷹司の掲げる秩序も、雨宮の選択した混沌も、どちらも『正義』を語る。だが、その先に待つ未来は全く違う。私が本当に守るべきものは、一体何…?)

 鷹司の冷酷な計画。自らの手で世界を止めたという事実。揺らぐ正義感の中で、彼女は一つの答えに辿り着きつつあった。真実は、誰かに与えられるものではない。自分の手で掴み取るものだ。



                  ◇



 電力の復旧を待ち、俺は再び『GENESIS』の壁と対峙していた。数時間にわたる試行錯誤の末、ついに表層防壁の脆弱性を発見し、内部への侵入経路を確保した。

 目の前に広がるのは、日本国民全ての金融資産データが集約されたサーバー群のディレクトリ構造。まさに国家の金庫そのものだ。管理ログを追っていくと、一つの奇妙な痕跡に行き当たった。システムの根幹部分へのアクセス権を持つ、最高位の管理者権限。そのデジタル署名に、俺は息を呑んだ。

『Dr. Lee』

 間違いない。かつてクロノスのコアサーバーを解析した際、一瞬だけ見えて自己消去した研究報告書の署名だ。鷹司は、クロノスの残党と手を組んでいる。あのマッドサイエンティストが、この国家システムの心臓部を設計したというのか。

 怒りで血が沸騰する。点と点が線で繋がり、巨大な陰謀の輪郭が浮かび上がってきた。



 俺は更に深層へと潜る。ドクター・リーが設計したシステムの奥底に、本当の目的が隠されているはずだ。

 やがて、俺はそれを見つけた。

 それは金融資産管理システムなどという生易しいものではなかった。国民一人一人のあらゆる個人情報――戸籍、納税記録、医療情報、通信履歴、購買データ、SNSでの発言――それら全てを統合し、AIによってスコアリング、ランク付けするアルゴリズム。

 『プロジェクトGENESIS』の正体は、国家による国民管理システムだった。

 愕然としながら、俺はそのアルゴリズムの根幹を成すソースコードを解析していく。洗練され、効率化された、美しいまでに冷酷なコード。

 だが、その構造に見覚えがあった。あまりにも、見覚えがありすぎた。

 三年前。まだ互いを信じていた頃に、俺がジンと共同で開発した分散型攻撃プログラム。世界を混沌に陥れた『オペレーション・ラグナロク』の、その原型。

 俺たちのコードが、応用され、最悪の形でここに存在していた。



 キーボードを叩いていた指が止まる。

 数秒間、俺はただ無言で画面を見つめていた。頭の中で、過去の記憶と目の前の現実が激しく衝突し、思考がショートする。

 こみ上げてきたのは、鷹司やジンに対する怒りだけではなかった。自らの過去に対する、猛烈な自己嫌悪。俺の技術が、国民を支配する鎖を鍛えるために使われた。

 ――ガッ。

 衝動的に振り上げた拳が、モニターの寸前で止まる。わなわなと震える拳を、もう片方の手で必死に押さえつけた。ここでPCを破壊すれば、全てが終わる。

 違う。終わらせてはいけない。

 この悪夢を創造したのが俺の過去だというのなら、それを破壊するのも、俺の義務だ。



 サイバー防衛隊のオフィスに戻った桜井は、自席の端末に向かっていた。周囲の同僚たちの視線が、針のように背中に突き刺さる。黒田の言った通り、誰もが彼女を疑いの目で見ている。

 だが、彼女の心はもう迷っていなかった。

 慣れた手つきでシステムにログインし、自らの調査権限を行使する。目的は『プロジェクトGENESIS』の内部監査ログ。もちろん、そんな権限は本来与えられていない。だが、システムの穴を知り尽くした彼女には、権限を偽装し、ログに痕跡を残さず侵入する術があった。

 これは、雨宮とは別の場所で始まった、彼女自身の戦いだった。正義と秩序の名の下に、この国の本当の顔を暴くための。



 俺は、アンナ・ベルのスマートフォンを手に取った。震える指で、メッセージを打ち込む。

『GENESISの正体は国民管理システム。設計者はクロノスのドクター・リーだ』

 送信して一秒も経たないうちに、返信が来た。

『正解。では次の課題。その心臓部…物理サーバーは、日本のどこにある?』

 更なる謎への挑戦状。

 俺は口の端を吊り上げた。上等だ。そのゲーム、とことん付き合ってやる。

 全てをひっくり返してやる。

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