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金さえ積めば、この国をデバッグしてやってもいいが? ~守銭奴ハッカーの国家再起動~  作者: おぷっち


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共犯者たちの夜明け

冷たく湿った空気が肺を刺す。

旧式のメンテナンス用通路は、埃と錆の匂いで満ちていた。壁の向こう側から、統制されたブーツの音と、途切れ途切れの無線音声が響いてくる。サイバー防衛隊特殊部隊。国家に牙を剥いた俺たちを狩るための猟犬だ。



「……っ」



隣を歩く桜井美咲から、か細い息が漏れる。彼女の顔に色はない。国家に裏切られ、愛した男のデジタルゴーストをその手で葬ったのだ。虚無という言葉ですら生温いほどの喪失感が、彼女の全身から発散されている。



手の中のノートPCが、断末魔の悲鳴を上げていた。冷却ファンが限界を超えた回転数で唸り、筐体は火傷しそうなほど熱い。物理的なダメージも深刻だ。これが、俺たちに残された唯一の武器であり、同時に時限爆弾でもあった。



通路の分岐点。古びた配電室のプレートが目に入る。俺は無言でドアノブに手をかけ、錆びた金属の抵抗を感じながら中へ滑り込んだ。桜井も、まるで人形のように無気力な足取りで後に続く。



扉をそっと閉めると、追手の足音が少しだけ遠のいた。配電室の中は、分厚い埃が積もった計器類と、蜘蛛の巣が張った配管が剥き出しになっているだけの狭い空間だ。俺は壁に背を預け、桜井を見やった。彼女は力なく壁に寄りかかり、その場にずるずると座り込む。焦点の合わない瞳が、ただ床の一点をじっと見つめている。



声をかける気にはなれなかった。いつもの皮肉も、合理的な叱責も、今の彼女には届かないだろう。俺は舌打ち一つで感情を処理し、酷使されたノートPCを開いた。



「今は休め。だが、死ぬのは許さん。お前にはまだ利用価値がある」



俺なりの不器用な言葉は、彼女の耳を素通りしたようだった。返事はない。静寂が、サーバーの冷却音よりも重く二人を圧し潰す。



俺は意識をキーボードに集中させた。GENESISから奪い取ったデータの海へ再びダイブする。高遠優のAIガーディアンが遺した最後の抵抗――システムフリーズの直前に未知のIPへ転送されたコアデータ。そのログを追うのは後だ。今は、鷹司早紀が隠し持つ切り札の正体を暴き出す。



PCのバッテリー残量を示すアイコンが、危険な赤色で点滅を始めた。ファンはもはや悲鳴ではなく、軋むような異音を立てている。時間がない。



データの断片を繋ぎ合わせ、暗号化されたログを一つずつ解き明かしていく。指がもつれるほどの速度でキーを叩き続け、数十分が経過した頃、俺はついに核心へと辿り着いた。



画面に表示されたのは、議事録の音声データと、それに付随するクロノス内部の通信記録。ぞっとするほど冷徹なパズルが、そこで完成した。

鷹司は、ジンが仕掛けたサイバーテロの情報を事前に掴んでいた。いや、掴んでいたどころか、それを意図的に泳がせ、国民の恐怖を最大化するよう世論を誘導していた。すべては、国民の全資産を国家管理下に置くという非道なシステム、GENESISを強行導入するための壮大な茶番。俺にジンを無力化させるという取引さえ、この計画を盤石にするための駒だったというわけか。



さらに、クロノスの真の目的を示唆するデータが見つかった。奴らにとってGENESISは、単なる日本の資産収奪装置ではない。これは、何らかの巨大なシステムを構築するための布石らしい。日本という国家を巨大な実験場と見なし、そのデータを基に、何かを検証しているに過ぎない。



俺はキーを叩くのをやめ、息を詰めた。

そして、無言でノートPCの画面を、床に座り込む桜井の方へ向けた。



そこに映し出されているのは、冷酷な計画の全貌。鷹司の肉声データを示す波形グラフ。クロノスの役員たちが交わした、日本国民をモルモットとしか見ていないチャットログ。そして、ランクDと判定された国民が、社会保障を打ち切られ、緩やかに死へと追いやられる未来のシミュレーション結果。



虚ろだった桜井の瞳が、画面の光を反射する。

数秒の沈黙。

俺は何も言わなかった。これは、彼女自身が向き合い、乗り越えるべき絶望だ。



やがて、彼女の瞳の奥で、何かが変わった。

虚無の底に沈んでいた光のない瞳に、チリッと小さな火花が散る。それは瞬く間に燃え広がり、静かだが、決して消えることのない怒りの炎となった。



「許せない……」



震える声だった。だが、そこには明確な意志が宿っていた。

桜井は壁を伝い、おぼつかない足取りで、しかし確実に立ち上がる。喪失感に支配されていた彼女の顔から、虚無が消え去っていた。代わりに浮かんでいるのは、国家と、その裏で糸を引くクロノスへの、凍てつくような敵意。



「私も、戦います」

その声はもう震えていなかった。

「これはもう、誰かのためじゃない。私自身の、けじめのために」



虚無を乗り越えた人間の瞳は、これほどまでに強い光を放つのか。俺は思わず口の端を吊り上げた。



「復讐の相手が増えただけだ」



ノートPCを自分の方へ引き戻し、新たなコマンドラインを立ち上げる。



「奴らがこの国を実験場に、何か巨大なシステムを企んでいるというなら、こっちはそのシステムごと世界をデバッグしてやる。――ラグナロク2.0の始まりだ」



個人的な復讐心は、今や巨大なシステムのバグに対する破壊衝動へと変質していた。この国も、世界も、バグだらけだというのなら、一度すべてを壊して書き換えるまで。



その時だった。

配電室の扉の外で、複数の足音がぴたりと止まった。完全に包囲された。絶体絶命。



俺は桜井を見据える。

「結構だ。だが、俺たちのやることは正義じゃない。ただのシステム破壊だ。覚悟はいいな?」



最後の問い。彼女は迷いなく、力強く頷いた。その瞳に揺らぎはない。

俺と彼女の間に、言葉にならない強固な絆が結ばれる。俺たちはもう、ただのハッカーと監視役じゃない。



国家と世界を敵に回す、「共犯者」だ。



俺は最後のコマンドを打ち込み、エンターキーを叩きつけた。

その瞬間。

ビル全体の照明が一斉に消え、予備電源さえ落ちた完全な暗闇が訪れる。同時に、鼓膜を劈くような非常警報が鳴り響いた。



暗闇の中、俺は桜井の手を探し当て、強く掴んだ。



「行くぞ。最初のデバッグ対象は、このビルのセキュリティシステムだ」



共犯者たちの夜明けは、世界から光が消えた瞬間から始まった。

扉の向こう側から、怒号と何かがぶつかる鈍い音が響いてくる。奴らもこの異常事態に混乱しているらしい。だが、それも時間の問題だ。特殊な訓練を受けた連中だ、すぐに状況を把握し、力ずくでこの扉をこじ開けにくるだろう。



暗闇の中、俺は掴んだ桜井の手をぐっと引き寄せた。彼女の身体がわずかにこわばるのが伝わってくる。無理もない。数分前まで国家の忠実なエージェントだった女が、今や国家反逆のテロリストとして追われる身になったのだ。その変化を受け入れるには、あまりに時間がなさすぎる。



「聞こえるか、桜井。奴らの足音だ。焦っている」

俺は囁くように言った。自分の声が、けたたましい警報音にかき消されないよう、しかし、扉の向こうには届かないよう、絶妙な音量で。

「……はい」

彼女の声も、同じように囁き声だった。震えは、ない。さすがと言うべきか。



「電子ロックはすべて機能停止。監視カメラもただの箱だ。だが、物理的な封鎖は時間の問題。奴らがドアを破る前に、ここから出る」

「どうやって……?出口は一つしか」

「表向きはな」



俺は彼女の手を引いたまま、配電盤の裏手へと回り込む。壁の一部、点検口と偽装されたパネルに手をかけた。公式図面には存在しないルート。このビルの管理システムを掌握した時点で、隠されたメンテナンスシャフトの存在も筒抜けになっていた。物理的なバックドアだ。



「システムを掌握するということは、セキュリティだけじゃない。空調やインフラを管理するサーバーも手中に収めるということだ。そこにあったメンテナンス用の設計図は、すべてダウンロード済みだ」

パネルが音もなくスライドし、ひやりとした空気が流れ込んでくる。その先には、人間一人がやっと通れるほどの、垂直に伸びるメンテナンスシャフトが口を開けていた。底知れぬ闇が、さらに深い闇へと俺たちを誘っている。



「ここを降りる。覚悟はいいか?」

再び問う。だが、それはもう確認作業でしかなかった。俺たちの間に、疑念や躊躇いが入り込む余地はない。

彼女は言葉の代わりに、俺の手を強く握り返してきた。それが何よりの答えだった。



先に俺がシャフトに足をかけ、梯子に手を伸ばす。古びた金属の冷たさが伝わってきた。

「俺に続け。足元だけ見てろ。下は見るな」

「……わかりました」



扉を破壊しようとする衝音が、いよいよ大きくなる。金属が軋む、耳障りな音。タイムリミットは近い。

俺たちは一人、また一人と、ビルの深淵へと身を投じた。地上から隔絶された、冷たく無機質な闇の中へ。追手の怒声も、世界を欺くための警報音も、次第に遠ざかっていく。



ここからが本番だ。

ラグナロク2.0の被験者第一号は、この国の中枢そのもの。

俺たちのデバッグは、まだ始まったばかりだった。

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