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金さえ積めば、この国をデバッグしてやってもいいが? ~守銭奴ハッカーの国家再起動~  作者: おぷっち


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デジタル・ゴーストと罪の在り処

デジタルノイズの奔流。それが、国家の怪物『プロジェクトGENESIS』の深層だった。かつてクロノスのデータ解析中に一瞬だけ垣間見ては消えた、あの忌まわしい文字列の正体だ。

四畳半の安宿に充満する埃っぽい空気の中、俺の網膜には国民一人ひとりの人生を数値化した『電子カルテ』が滝のように流れ落ちていく。

名前、生年月日、社会貢献度、経済的価値、国家への忠誠度。無機質なパラメータが、無数の人生を「有用」か「無用」かに仕分けていた。吐き気がする。これは国家の延命措置などではない。ただの選別だ。鷹司早紀の言う「外科手術」とは、不要な部位を切り捨てることと同義だった。



「クソが……」



アンナ・ベルの言葉が脳内で反響する。「外科手術の執刀医は、もう一人いる」。鷹司以外の管理者権限を持つ存在。そいつの痕跡を追うが、ログはどれも完璧に消去されていた。プロの仕事だ。ジンか、あるいはそれ以上の何者か。



ジリ、とノートPCの冷却ファンが悲鳴を上げた。限界が近い。この安物のマシンも、脆弱なWi-Fiも、そして俺自身の精神も。



正面突破は悪手だ。俺は思考を切り替える。ログがないなら、ログが作られる前の残骸を漁るまで。システムのバックアップ、未割り当て領域に漂うデータの断片。ハッカー仲間たちはそれを『デジタル・ゴースト』と呼ぶ。一度書き込まれ、消された情報の幽霊だ。

俺は復元ツールを起動し、ゴーストたちの声を拾い集め始めた。意味をなさない文字列の海に、意識を深く沈めていく。どれほどの時間が経ったか。



――その頃、総理大臣執務室。

鷹司早紀は、静かにモニターに映る日本の混乱を見つめていた。側近の一人が息を殺して控えている。

「GENESISの最終フェーズ移行を準備させなさい」

冷徹な声が、静寂を切り裂く。

「彼が――雨宮零が失敗した時のための、保険よ」

その瞳には、いかなる感情も浮かんでいなかった。



不意に、俺の張り巡らせた探知網が異質な振動を捉えた。



俺とは違う。あまりに慎重で、正規の手順を踏もうとするアクセスパターン。教科書通りの動きそのものだが、その執拗さには確かな意志があった。発信元を辿ると、暗号化されたVPNの先に、見慣れたドメインが浮かび上がる。

――サイバー防衛隊。



胸の奥がざわついた。黒田か? いや、奴らの動きはもっと暴力的だ。これは、システムの穴を探すというより、内部から鍵を探しているような手つき。

俺は追跡用のスクリプトを走らせ、そのアクセスパターンの主を特定にかかる。数分後、ディスプレイに表示された名前に、俺は思わず息を呑んだ。



桜井美咲。



なぜ彼女がここに? 黒田に飼いならされたのではなかったのか。驚きと疑念が渦巻く中、俺は彼女が使っている通信回線に、別の影が潜んでいることに気づく。彼女のアクセスログを逐一記録している監視プログラムだ。ご丁寧に隠蔽もされているが、俺の目には丸見えだった。黒田の仕業だろう。

俺は舌打ち一つで彼女の通信チャンネルに割り込んだ。暗号化された回線に強制的に接続すると、画面にノイズが走り、驚愕に見開かれた桜井の瞳が映し出される。



「ドブさらいか、お役人」



俺はヘッドセット越しに、皮肉を込めて囁いた。

『……雨宮、零』

彼女の声は、微かに震えていた。無理もない。追われる犯罪者と、それを追っていた監視役。今や立場は逆転し、同じシステムの闇を覗き込む共犯者として、こうしてオンライン上で再会している。



「呑気なもんだな。背後ががら空きだぞ、素人が。そんなザルなセキュリティで正義の味方ごっこか?」

俺の警告に、桜井の表情が険しくなる。『監視されている……?』

「ご明察。あんたは泳がされてるだけだ。俺を釣るための餌としてな」



桜井は唇を噛みしめ、何かをこらえるように俯いた。彼女の無謀さは、非効率の極みだ。ここで通信を切り、一人で目的を果たすのが最も合理的。そう頭では理解している。だが、過去の裏切りが、孤独の冷たさが、指を動かすのを躊躇させた。

彼女が掴んだ情報。内部からしか知り得ない物理サーバーの所在地リストが、彼女の画面の隅に表示されているのが見えた。それは、俺が喉から手が出るほど欲しい情報だった。



クソ。非合理的なバグが、俺の思考を蝕んでいく。

「……貸し一つだ、桜井美咲」

俺は、自分でも驚くほど乾いた声で言った。

「利子は高いぞ」



『……何を企んでいる』

「取引だ。あんたの持つ物理的な情報と、俺の持つ技術を交換する。目的は同じだろ。このクソみたいなシステムを、根元から叩き潰す」

信頼を求められる状況に、無意識に指先が冷える。俺はそれを隠すように、強くキーボードを握りしめた。

画面の向こうで、桜井はしばらく俺をじっと見つめていた。その瞳には、警戒と、ほんのわずかな……期待の色が揺れていた。やがて、彼女は小さく、しかしはっきりと頷いた。



歪な共闘が始まった。

俺はまず、桜井の回線を監視している黒田のプログラムを無力化し、逆探知不可能なセキュアなトンネルを構築する。その間、桜井は物理サーバーの配置図、電力系統、警備システムの情報を俺に転送してきた。

互いの情報が揃う。パズルのピースが、恐ろしい絵を形作り始めた。俺たちはデジタル・ゴーストの海を二人で泳ぎ、消されたはずの管理者権限の痕跡を執拗に追った。



そして、ついに見つけた。

鷹司でも、ジンでもない、第三の特権管理者ID。そのログを復元した瞬間、俺の指が止まった。

画面に表示された最終アクセス日時。



――三年前。オペレーション・ラグナロク、決行当日。



隣のウィンドウで、桜井が息を呑む気配がした。彼女も気づいたのだろう。俺は震える指で、そのIDに紐付けられた個人情報ファイルを開いた。



そこに表示された名前に、俺は全身の血が凍るのを感じた。

桜井の、声にならない悲鳴が回線越しに響く。

それは、三年前のあの事件で命を落とした、サイバー防衛隊員の名前。

彼女の、婚約者の名前だった。



俺が関わった過去の事件が、目の前の女の人生を直接的に破壊した。その動かぬ証拠が、冷たく画面の上で光っている。復讐心とは違う。もっと重く、冷たい何かが、俺の胸に突き刺さった。罪悪感。俺が最も非効率だと切り捨ててきた感情だった。



沈黙。桜井の息遣いと、俺のPCのファンが唸る音だけが、虚ろな空間に響いていた。



その静寂を破ったのは、アンナ・ベルから届いたメッセージの着信音だった。俺は凍りついた指で、アンナから渡されたスマートフォンを手に取る。



『執刀医は見つかった?』



画面には、冷ややかなテキストが浮かんでいた。俺が返信する間もなく、次のメッセージが追い打ちをかける。



『いいえ、それは助手よ。本当の執刀医は、その『死人』を今も操っている』



死人、だと? 画面に表示されたままの、亡霊のIDを見つめる。

死んだはずの人間のIDが、今もこの巨大なシステムの中で生きているというのか?

絶望の底で、俺は新たな闇の始まりを確信していた。

俺の思考は、アンナが放った『死人』という言葉に絡め取られていた。これは比喩ではない。彼女のテキストには、感情の揺らぎが一切ない。事実を淡々と告げているだけだ。だとしたら、一体どういうことだ? 死んだ人間の意識をデジタル化して操る技術など、まだ都市伝説の域を出ないはずだ。あるいは、彼のIDを乗っ取った何者かが、彼のゴーストを装っているだけなのか。だが、あの精密で冷酷な手口は、生前の彼自身のようだというのか? 俺の背筋を、氷の指がなぞるような悪寒が走った。



「…どういう、ことなの」

回線の向こうから届いたのは、桜井のか細い声だった。絞り出すような、ほとんど空気の震えに近い声で、言葉を続ける。

「彼は…、高遠たかとおさんは、三日前に…。私が、この手で…」



言葉が続かない。彼女が何を言いたいのかは痛いほどわかった。彼女は三日前に、婚約者の亡骸と対面しているのだ。その事実が、目の前のデジタルな亡霊の存在を、より一層グロテスクなものにしていた。



俺は唇を噛みしめた。何と答えればいい? これは俺が引き起こした悲劇の続きだ、とでも言うのか? 俺が過去に葬ったはずのサイバーテロリストの亡霊が、お前の婚約者のIDを乗っ取り、今この街を混乱に陥れている、と。そんな残酷な真実を、打ちひしがれた彼女に告げることなどできるはずもなかった。

「まだ、何も断定はできない」

俺は乾いた声で答えるしかなかった。それは慰めにもならない、空虚な気休めだ。だが、それ以外の言葉を俺は持ち合わせていなかった。俺の指先は、キーボードの上で固まったまま動かない。



罪悪感。非効率な感情。だが今、その感情が俺の思考回路に深く根を張り、新たな命令を生成していた。『責任を取れ』と。俺が過去に犯した過ちの残滓が、今、桜井という一人の人間の人生を再び弄んでいる。ならば、この亡霊を止めるのは俺の義務だ。いや、贖罪だ。そうでなければ、俺は俺自身の過去から永遠に逃れられない。



俺は深く息を吸い込むと、凍りついていた指をゆっくりと動かした。アンナのスマートフォンではない。目の前のキーボードへ。ターゲットは変わらない。システムの中枢に巣食う、高遠優たかとおゆうのゴースト。生きていようが死んでいようが、やることは一つだ。

「桜井」

俺は静かに呼びかけた。

「奴を、止めるぞ」

それは、彼女にではなく、俺自身に言い聞かせる誓いだった。モニターに浮かぶ亡霊のIDが、俺の決意を嘲笑うかのように、不気味に明滅を繰り返していた。

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