八章二節 - 黒羽領主の危惧
「ぬしはそのつもりでもな、何とかぬしを利用しようと思う輩が出てきかねないのだ。城主に仕えるのなら、目に見える忠誠を示せ。そうでないのなら、表に立たず日陰の姫でいろ。それが、黒羽国の領主であるわたしからできる精いっぱいの助言だ。
もし、ぬしが全力で玉座を望み、ぬしとともにいる者たちがその気になれば――。ぬしはそれくらいの勢力を率いることができる器を持っている。今でも、ぬしは政治や兄に対してそれなりの発言力を持っているんでしょうな」
「それは、そうかもしれませんが……」
少なくとも、与羽が「ここが気になる」と言えば、乱舞も絡柳も真面目に耳を傾けるだろう。官吏でもない少女の言葉であるにもかかわらず。
「それでも、私は兄とともに国を支えるつもりです。たとえ、兄が道を外れたとしても、兄になり替わることはあり得ません」
与羽はきっぱりとそう告げた。
その強い意志のこもる目に、黄葉は短く息をついた。
「まったく、うちの息子に見習わせたいな。黒羽に嫁いで、次期黒羽領主を支えてみないか?」
冗談めかした口調だったが、その目にはわずかな期待がこもっている。
「残念ですが、私は中州が大好きなのです。私に何かしらの力があるなら、それはすべて中州と兄のために――」
与羽は穏やかな口調で、しかしきっぱりと断った。
黒羽領主が白髪交じりの眉をわずかにあげる。
「その意志が永遠に揺らがないことを祈ろう。同じ華金と敵対する国として、中州には強くあってもらわなくては困る。だが、気をつけられよ。ぬしにはきっと、ぬしが思っている以上の価値がある。
わたしが中州城主なら、ぬしの行動や言動を逐一さぐらせていたのでしょうな。わたしの地位を脅かすようなことはしていないか。間違った方向に民を導いていないか。間違っているにもかかわらず、自分が過ちに気づいていない場合が一番たちが悪い」
何か嫌な思い出でもあるのか、黒羽領主はわずかに顔をしかめた。
「わたしが言った言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「わかりました」
自分よりも偉い相手をたてるために、表面上だけは素直に頷いて見せる与羽。本音では、ほとんど初対面に等しい男からの助言など聞きたくない。彼に自分の何がわかると言うのか。
黒羽領主黄葉はわずかに険しい顔をしているが、内心は全く読めない。
しかし、次の瞬間陽気な笑みを浮かべて見せた。
「あぁ、これは老人のたわごとだったか」
急に明るい声になってそう言う。
「へ……?」
いきなりの変化に与羽は不意を突かれてしまった。慌てて表情と態度を取り繕ったが、もう遅い。
「それがぬしの本当の顔か」
黒羽領主はそんなことを言う。
彼も今は厳しさのない穏やかな雰囲気を醸している。
「言いすぎましたな。先ほどの話は、話半分――いや、話三分の一くらいで聞いてくだされ」
「わかりました」
「では、ともに華金の北限を守ろうぞ。これ以上北は侵させない」
そして、黒羽領主は再び空気を引き締めた。
「もちろんです」
与羽は心から同意してうなずいた。取り繕わなくても、強い意志と覚悟を秘めた顔になる。
「中州城主――ぬしの兄上にも伝えてくれ。中州が何かしらの危機に陥った時、黒羽は全力で中州に助力させていただく」
「中州も、黒羽と協力をしていきたいと思っております」
与羽はわずかに言葉をぼかした。
「やけに慎重な言い回しだな」
「申し訳ありません。私個人の判断でお約束できる内容ではありませんので、少し言葉を濁させていただきました」
「まぁ、ぬしはそれくらいの慎重さを持った方が良いのかもしれぬな」
そう言って、黒羽領主は姿勢を正した。表情も引き締め、領主として自分と同等の相手をもてなす態度になる。
それを察して、与羽も背筋を伸ばした。今の与羽は中州城主代理。一国を背負って立つ者だ。
「若い城主兄妹がこれから中州をどう導いていくのか、山脈を隔てた黒羽から見守らせていただくとしよう」
「兄とともに、誰もが安心して暮らせる国をつくってみせます」
与羽は相手の目を見て、はっきりとそう告げる。
黒羽領主黄葉の目が興味深そうに光るのがわかった。
それでも与羽はひかない。
本来ならば与羽が約束できることではないが、兄とともにそんな国にしていこう。
かつてないほど強く、そう思った。




