六章三節 - 泉烏羽
「私は気にしなくてよ、大きなお侍さま」
銀龍はわざと上品な言葉と態度で言ってみせた。
「真に受けてはいけませんよ。とにかく、中州以外の方とお話しするときは敬語です!」
竜月は先ほどよりも声を大きくして注意する。
「昨日も言いましたが、雷乱の行動が、ご主人さまの評判をも左右するんですっ!」
「……うるせぇな。分かったよ」
しぶしぶと言った感じではあったが、雷乱はうなずいた。眉間のしわは先ほどよりも深くなっている。
「烏羽様、お騒がせして申し訳ありません」
与羽が、案内のために前に立ってくれている烏羽玉泉近衛中将に頭を下げた。
「かまいませんよ。中州の人々の仲の良さは、姪からうかがっています」
彼は丁寧な口調で言ったが、その目は油断ない。
年のころは四十前ほど。銀龍・辰海姉弟の母――美海の弟にあたる。
穏やかに見せているやせた顔には、しかし隠しきれない狡猾さが漂っていた。白髪のほとんどない黒髪に暗い色の大紋を身につけているからか、烏が人の姿をとっているようにさえ思える。
「頭をあげてください」と言われ、与羽は素直に顔をあげた。
与羽と烏羽近衛中将の目が合う。
その瞬間、彼が小さく息をのむのがわかった。本当にかすかな動作だったが、今朝の湯あみの時に起こったことのせいで、相手の反応に敏感になっているようだ。
与羽は慌てて、烏羽近衛中将から目をそらした。
「話には伺っていましたが、紫水晶のようなきれいな目ですね」
烏羽近衛中将の声が聞こえる。しかし、与羽には、その言葉は取り繕っているようにしか聞こえなかった。
「それと、わたしのことは『泉烏羽』とお呼びください。みながそう呼びますので」
彼は何事もなかったかのように、そう付け足す。
彼の姓は烏羽だが、数代前に本家と分かれた傍系だ。名前に「泉」の字を引き継いでいることから、本家と区別して「泉烏羽」と呼ばれるのだと近衛中将は説明した。
「泉烏羽様ですね。わかりました」
与羽も苦しさを感じる胸元を無視して、素直にうなずいた。
近衛中将は、城内や領主一族の警護に当たる近衛兵の中でもかなり上級の官職だ。領主側近の武官とも言えるかもしれない。彼には失礼のないようにしなければならない。
これからの中州と黒羽の事を考えると、細心の注意を払う必要がある。
話し合いには参加できなかったが、ここも大切な外交の場だ。
そう思うのに、相手の目を見ることすらできない。
「そう硬くなさらずに……」
泉烏羽近衛中将はやさしくほほえんでみせた。
「ほら、あちらに見えるのが、本丸月見櫓です」
そして、そう話を切り替える。
「本丸の最南部に建っているので、月と嶺分の町が良く見渡せますよ。次の満月は中秋ですから、月見の宴が催されます。殿下方は、そのころまでおられますか?」
「話し合いの進み方次第だと聞いております。もしかすると、まだお世話になっているかもしれません」
「まだいらっしゃるようなら、ぜひご参加ください。銀龍は月見宴が終わるまでこちらにおりますし、宴では黒羽の芸能もお見せできるかと思います」
「本当ですか! 楽しみにしています」
与羽は無理に無邪気な笑みを浮かべて見せた。付き合いの長い大斗や竜月にはそれが心からの笑みでないことが分かっただろうが、泉烏羽近衛中将は騙せたはずだ。
「わたしもです。――次は天守ですね」
二の丸のさらに上にある本丸には、先ほど紹介してもらった月見櫓の他に天守もある。
屋敷も見られたが、それはかつて領主が暮らしていたものだそうだ。本丸まで登るには、移動距離が長く不便なため、現在の二の丸御殿に居を移したのだと言う。
天守から見た嶺分の町は、やはり大きかった。
ほぼ中央にある黒羽嶺分城の近くには、黒い瓦屋根と広い庭を持った屋敷や、大通り沿いの店が規則正しく並んでいる。
その外側には堀があり、さらにその外側にも町が続いていた。城までの道中で川だと思っていたものも、ここから見ると城を囲む堀であることがわかる。
嶺分の町は城から離れるにつれて、簡素な建物が目立つようになるが、城より高い位置に家屋を建てないと言う決まりでもあるのか、浅いすり鉢状の土地につくられた町の、ある一定の高度以上は畑になっていた。
といっても、あまりに広大な町であるため、そのあたりはかすんで見え、細部は全く分からない。




