四章一節 - 烏羽紫雨
中州と黒羽の国境では、黒羽の上級官吏が数人出迎えてくれた。
彼らと受け答えを行っているのは、二人の大臣――漏日時砂三位と水月絡柳五位だ。辰海も彼らの後ろに控えているが、発言はしない。
与羽は離れたところから、すだれ越しにその様子を見ている。中州を移動するときは馬に乗っていたが、中州最後の村を出る時に駕籠に乗り換えた。駕籠と言っても、漆と磨き抜かれた銀で装飾された豪華な乗物だ。
中州や天駆ではあまり気にされないが、他国では高貴な身分の女性はあまり人前に姿を見せないという。黒羽の官吏たちも、与羽が駕籠から出てこないことに何の疑問も感じていないようだ。むしろ、馬をひいた女性武官の多さに驚いているようですらある。
しばらくしてあいさつが終わったのか、黒羽団の一人が馬を近くの者に預け、与羽の元まで歩んできた。身なりの良い中年の男性だ。
まとう着物に刻まれた家紋に目を凝らせば、三つ足の烏があしらわれている。黒羽を治める烏羽一族の紋だ。
「はじめまして、与羽姫殿下。黒羽国左大臣烏羽紫雨と申します」
わずかにかすれた声で男はそう名乗った。
中州と黒羽は官職の名称や仕組みが違う。それでも、「左大臣」という官職が相当高いものであることは知っている。
しかも、与羽の記憶が正しければ、烏羽紫雨は現黒羽国主の弟ではなかったか。
「お初にお目にかかります」
相手から与羽の姿は淡い影としてしか見えないだろうが、与羽は扇で口元を隠して言った。
「長旅でお疲れの事と思いますが、明日には黒羽の都へご案内できますので、もう少しご辛抱ください」
すだれ越しでも、相手がほほえみを浮かべているのがわかる。歓迎してくれているらしい。腹の底で何を考えているのかはわからないが……。
ここはもう中州ではない。与羽は警戒する意味も込めて、気を引き締め直した。
そうすると、中州でもよく見かける田園風景ですら、どこか違って見えるから不思議だ。気持ちだけの問題か。稲の種類や田の面積、水路の関係か。
「今宵はささやかながら、宴の用意をさせていただきますので、しばらくご辛抱ください」
「お心遣い感謝いたします」
与羽は極力当たり障りない受け答えをするよう心掛けた。下手に気の利いたことを言おうとして失敗するよりも、口数が少なく控えめな姫君を演じた方が良い。黒羽や風見で言う「高貴な女性」とはそういうものだ。おしとやかで従順で、のんびりしていて――。
普段の与羽とは真逆の性質だが、それを演じることはできる。
さらに二言三言だけ言葉を交わして、再度進みはじめる一行。
中州にいた時よりも隊列が整い、みながまじめな顔をしている。
左大臣烏羽紫雨を筆頭とする出迎えの黒羽団は、一人が進む先を示すため先頭に向かった以外は与羽の周りに集まった。彼らと中州の上級官吏たちが、和やかに言葉を交わしている。
その話題の多くが、ここ数年自国や周辺国で起こった出来事だったが、深く込み入った話はしない。
たとえば、「先日は大変だったようですね……」と中州の戦――嵐雨の乱の話を切り出せば、
「はい……。しかし、黒羽と風見の助太刀のおかげで何とか切り抜けることができました」と中州の官吏は影を帯びつつも、淡い笑みを浮かべる。
そして、「おやおや、『優秀な中州の官吏のがんばり』が抜けているようですよ。まぁ、詳しい話は城についてから聞かせてくだされ」と別の話に移っていくのだ。
しかし、黒羽の人々をもてなす以外で私語をする者はいない。
あたりには、中州にいたころにはなかった緊張感が漂っている。
山を越えたことで、同行していた行商人や旅人の多くは、隊列を離れたようだ。まだ残っている者もいたが、列の後ろへ下がっている。
もうここは中州ではないのだ。自由奔放で、わがままで、少しひねくれた「与羽」ではいられない。中州を代表する教養ある「姫」で、代理とはいえ「中州城主」でなくてはならない。
これまでも何度か似たようなことを考えたが、与羽はさらに強くそれを意識した。




