集い始める影
開けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
果てしなく続く銀世界。それを作り出した女神のような容貌を持つ青年と数舜前まで激戦を繰り広げていた黒龍。しかし、今では物言わぬ氷の彫像と化し、青年の前で静かに聳える。
「フゥー……」
青年が疲れたように息を漏らす。そのまま、敬意を表すかのように氷の直剣を掲げ、振り下ろす。同時に、物言わぬ彫像と化した黒龍がダイヤモンドダストのようにキラキラと崩れ去った。
それを眼前で見届けていた青年もまた、力が抜けたかのようにフラッと銀世界に身を埋める。
「……我の管轄だったが、どうやら先を越されてしまったようだな」
その様子を上空から眺めているのは、異彩な雰囲気を放つ竜の鱗を象ったような着流しを風に靡かせる一つの影。
一見すれば普通の人のようにも見える。現にその体躯は人間のそれとよく似ている。少しばかり浅黒い肌も、この銀世界とよく似ている頭髪も、人のソレと同じである。
泰然自若、という言葉を体現したかのような振る舞いをする男。だが、紡がれた声色とは裏腹にその口元からは獰猛そうな犬歯がむき出しになり、醸し出す雰囲気は黒龍と酷似しながらもその獰猛さは黒龍とは雲泥の差がある。
「あ奴も暗躍しているらしいが……さて、とりあえずは昔のお前に戻りつつあるようだな」
着流しを翻すその姿は"孤高"という言葉がよく似合う。
「いずれ我らは殺し合う運命にあるが……今回の借りはいつか返そう、冥界の神に連なる者よ」
そのまま男――龍神は着流しを靡かせたまま、雲の切れ間に姿を消すのだった。
例年なら初夏の強い日差しの下、鬱陶しいほどの汗に嫌な表情を浮かべていたのだが今年のシャルドは少し、いや真逆と言っていいほど寒々しい陽気となっている。
(まあ、それも俺のせいなんだけどな……)
病人のようにベットに座りながら窓の外を眺め、そんなことを思う。
ぽかぽかと真夏の日差しを照り付ける太陽は見えるのだが、髪を無造作に撫でるであろう風は肌を切るように冷たい。そのどこか矛盾した環境なのだが、生憎と俺の責任だから不平不満を言う資格は決してないのが玉に瑕とでも言うべきか。
黒龍襲来から一週間の時間が経過した。
シャルドはすっかり活気を取り戻した。堅牢な外壁に取り付けられた門には一昨日辺りから長蛇の列ができて、日に日に街中に人影を増やしている。それにつれて整備された道には無邪気な子供の姿が見え、夜には冒険者たちの鬱陶しいほどの騒ぐ声が聞こえてくる。と言っても完全に元に戻ったというわけではなく、外に避難していた者たちが完全に戻ってきたわけではないのでその数は未だに少なくも感じる。
(……それでも一週間でこの活気を取り戻したっていうのは凄いことだよな。あのころとは桁違いに人々に生きる希望があるってことだし……)
脳裏を掠める暗黒世界と窓から見える今の風景を比較しながらそんなことを思う。
もちろん見ている風景がこの世界の全て、ということでないのは一番よく分かっているが、それでも希望が溢れているのは嬉しくもあり、同時に申し訳なくもある。
「……俺も随分と変わったもんだね」
胸元に知らず知らず伸ばしている手を見て空笑いを浮かべる。過去の英雄と現在の旅人、どちらが良いのか答えは出ないが、変わったということだけは理解できる。少なくとも今の俺には護りたい者が出来たのだし。
「どうされましたか、マフユ様?」
チラッと向けた視線に気が付いたのか、この一週間甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれていたルナはニコッと朗らかな笑みを浮かべてくれる。
昔はいくら傷ついても、こんなに甲斐甲斐しく世話をしてくれる人はいなかった。もちろんフィンやツルキに出会ってからは、二人が俺を心配してくれていたが、あの頃の俺は荒み、本当の意味で二人の気遣いや優しさを理解できていなかった。
(もちろん、今でも彼女の優しさに応えられているのか、と問われれば首を傾げざるを得ないが……それでもこうやって寄り添ってくれる人がいることに心地よさを感じれる)
ルナの問いに対してかぶりを振りつつ、心の奥に感じる暖かさを嬉しく思う。
その暖かさに心地よさを感じていると、ふと髪を優しく引っ張られ、そちらに意識を向ける。
「すっかり元気になってよかったね!そろそろ旅も再開できそう?」
「ああ、もう歩いても問題ないだろう。むしろ寝すぎて鈍ってるくらいかもな」
「あははっ!!寝すぎなくても、今のマフユは十分に鈍ってるよ」
「うぐっ……。そ、それは仕方ないだろ、俺だってもう歳だし……」
頭の上にちょこんと座る相棒に心配をかけないようにと、軽口を叩いたつもりだったのだが、まさか予想外の反撃をくらい思わず凹んでしまう。確かに過去を知っているフィンからすれば、今回の俺は情けないし、弱々しくも見えてしまうのだろう。
なのでとりあえずは歳のせいにしつつも、本気でこれから特訓をしなければいけないかと頭を悩ませてしまう。
現に前回も、そして今回の一件もギリギリだったと言っても過言では無い。
(もし、ルナやフィリアーナと言った姫巫女たちから神の力を返してもらえていなかったら、俺は誰も護れなかっただろう)
フィンやツルキ、ルナにフィリアーナ……この中の誰かが死んでいたら……そう考えた瞬間、背筋がぞっとして思わず身震いを起こした。
誰も護れず俺だけが生き残る、そんなことを考えるとなにやら胃の奥に嫌なモノを感じる。
(……今のままではだめだな。もっと強くなろう)
改めてそんな決意を固めていると、知らぬ間に相棒が俺の頭の上から真っ白な布団の上に移動しており、慈母を思わせる優しい笑みを浮かべていた。
「大丈夫だよ、マフユは頑張ってたって!!だから無理はしないでよ」
「……全くフィンには本当に頭が上がらないな」
相変わらず俺の心情を完全に理解してくれている相棒には心の底から感謝しきれないが、同時に俺をいつものように落とすのはやめて頂きたいとも思う。まあ、それを含めて俺の気持ちを紛らわせてくれていると思えば可愛いものかもしれないが。
「本当に仲が良いわね。私もそこに混ぜてくれないの?」
「……そんなに俺を弄って楽しいのかい?」
「女性は惚れた男性に構ってほしいモノなのよっ」
今まで部屋の隅で静かに見守っていた舞姫は子供のように口を尖らせたかと思うと、一切の重さを感じさせない動きでふわりと俺の座るベッドに腰を掛けてくる。
フィリアーナは何というは雰囲気はどこまでも妖艶で、その色香に思わず生唾を呑んでしまいそうになるのだが、どこか子供っぽいしぐさを時折見せる不思議な女性。そんな女性がやはり近くに座っているので、いくら子供のようなしぐさを見せていたとしても女性特有の甘い香りとあふれ出す色香に動揺をしてしまうのは男の性であろう。もちろん動揺しているというのをばれないように俺はいつものように軽口を叩くのを忘れない。
そんな俺の反応を見て、フィリアーナはプクーッと頬を膨らませる。その姿に思わず苦笑いを浮かべてしまう俺だが、せっかく身体も動くようになり、今後の旅のことをしっかりと考える必要があるので少しばかり真面目な雰囲気を纏い舞姫様に視線を向ける。
「まあ構う構わないは後にして……フィリアーナ。まじめな話をしてもいいか?」
「何かしら?まあ聞かなくても大体は予想はつくけどね」
俺の雰囲気に釣られるようにして、フィリアーナの雰囲気も凛としたモノに変わった。それは王城にいたころの姫として振る舞っていたルナに似ており、思わず同じ姫巫女なんだなと今更な感想を抱く。
「それなら話が早くて助かるな。……頼めるか?」
俺はそっと胸元にあるメダルに手を伸ばしながら軽く頭を下げる。握られるメダルには深紅の宝石が煌々と輝き、その隣では紫色の宝石が対照的に鈍く輝いている。その紫の宝石こそ、女神・ミネルヴァの力の一部を取り戻した証。だが、完全に取り戻すにはやはりあの時のように直接女神・ミネルヴァに会わなければいけない。そしてその会う場所へと導いてくれる存在こそが、目の前にいる姫巫女のフィリアーナ。
「ええ、別に不満は無いわよ。貴方のそばにいられるなら、二番でも、ね」
「……は?二番?」
俺としては案内と面会を頼む、という意味で頭を下げたのだが、何やら二番とか訳の分からない言葉が返って来て思わず首を捻ってしまう。
(何が不満で、二番なんだ?)
内心でその言葉の意味を模索するが、やはり答えは見つからずチラッと俺の横に座る舞姫に視線を向ける。その纏っている雰囲気はやはり凛としていかにも真面目な話、というのがしっくりくる。にも拘らず、俺とフィリアーナの会話は致命的にまでかみ合っていない。
「え……と、悪い。一つだけ尋ねてもいいか?」
「ん?いいわよ、何でも聞いて」
「……誰が一番なんだ?」
思いっきり混乱する頭で、俺はなぜか一番は誰なんだと正直この状況が解決するとは思えないことを質問してしまった。
そのためか、フィリアーナはまさしく、えっ!?とでも言いたげに目を見開き驚いて見せる。
(そんなに驚くようなことなのか?それとも完全に的外れな質問だったか?)
余計に混乱する思考。これ以上俺だけで悩んでいても仕方ないので、この部屋にいるフィリアーナ以外の者に助けを求めるように俺は視線を向けようとしたのだが、咄嗟に首筋に嫌な気配を感じ不自然に動きを止めてしまう。
(……なんでだ?俺は何もしていないはず。なのになんでこんなに危険を感じているんだ?)
メダルを握る手には嫌な汗をじっとりとかいている。命の危機を感じるはずの無い俺が、何やら今後の人生の危機に立たされている、そんな感じがする。
(ともかくこの嫌な気配の正体を探らなくては……)
誰にもばれないように、ゆーっくりと視線を動かす。
真っ白な布団が最初に視界に映る。これは先ほどまでと変わっていない。そのまま、亀の歩み寄りも遅い速度で視線を動かす。
すると不意に真っ白な空間にどす黒い雰囲気を感じた。いや、これはどす黒いというよりも憤怒と言った方が正しいかもしれない。
(……俺はどこで地雷を踏んでしまったんだ)
オーガよりも恐ろしい般若様を背負う相棒から逃げるように視線を逸らす。するとまた別の雰囲気を感じてしまった。
こちらはフィンの憤怒とは正反対のどよーんとした雰囲気、というよりは雨続きの地下室を思わせるじめっとした感じ。
慌てて顔を上げると、そこには先ほどまでの明るく優しい笑みから一転して心の底から悲しみに濡れるルナの表情が映った。
「えっ!?る、ルナ……?」
「マフユさま……私じゃ、ダメですか……?」
潤む瞳に見上げられ、俺は思わず狼狽してしまう。何が、一体、どうなればこんな状況になるんだ。いくら悩ませてもその答えは見つからない。
「あらあら?ルナが正妻じゃないってことはもしかして私にもチャンスはあるのかしら?」
あわあわとする俺の横でフィリアーナが嬉しそうに、というよりはからかうように声をかけてくる。普段ならそこで噛みつくかもしれないが、俺にとっては今の言葉は救いだった。救いではあったが、同時に盛大なミスも自覚した。
(致命的にフィリアーナとは会話が噛み合ってないわけだよ……ってか、そりゃあ泣いちまうよな……)
頭を押さえながら天を仰ぎたくなったが、とりあえずはそれはせずに俺はルナを見ながら必死に弁解をした。そして誤解が解けて騒動が収まった頃には、窓の外では太陽が中天を超えていたのだった。




